第3章 砂漠の国でブートキャンプ

第55話 イケメン、砂漠、オアシス①


 俺はごとごと揺れる馬車の中で寝転がっていた。


 ポケットに入っているよい子のポチャ夫からもらった手紙を取り出し、広げてみる。手紙の右端に、十字に落ち葉のようなマークが焼き印で押されており、内容は素っ気ないものだった。


『トクトール領主へ


 例の団体を雇ってほしい。

 場所、要件は使者に口頭で伝えさせる。


     ガブリエル・ガブル』



「アリアナ、ガブリエル・ガブルって知ってる?」

「ガブル…!?」


 起き上がって何気なく聞くと、普段めったに感情を出さない彼女がひどく嫌そうな顔をした。大きい目が細められ、小さな口がゆがむ。


 ごめん、アリアナにそんな目で見られたら俺もう生きていけない。


「ガブルはグレイフナーで五百五十の領地を持つ大貴族…」

「五百五十ッ!?」


 グレイフナー王国は完全実力主義で、魔闘会で勝てば領地が増え、負ければ減る。また武力だけでなく、領地を良く治めている貴族も評価の対象に入り、評判が悪ければ容赦なく領地が剥奪された。あのせっかちな国王だったらすぐに「剥奪ッ!」って言うだろう。


 クラリスに聞いた話だと、千の領地を持つ大貴族が二つ。五百以上の領地を持つ貴族が四つ。その六つの貴族がグレイフナー王国六大貴族と言われていた。


 ちなみにゴールデン家の領地は百個だ。


 数が百を超える辺りから、家名が有名になる傾向がある。ゴールデン家がグレイフナーでかなり有名なのは、武よりも、美男美女を代々輩出してきたことが大きいらしい。俺が美人の遺伝子を持っているのは間違いない。デブだけど。


「ガブリエル・ガブルは……わたしの父を殺した張本人…」

「ええっ!?」


 アリアナは苦しそうな顔でそう言った。

 それは初めて聞く話だ。


「狐人の里…グレイフナーの南東にある領地……それを魔闘会で取られた…」


 そっとアリアナの手を握って、うなずいた。

 彼女はちょっぴり頬を緩める。

 だが、すぐつらそうな表情に戻ってしまった。


「ガブル家は狼人族…。狐人と仲が悪くて、みんなひどい扱いをされた…」

「うん…」

「父は領地を取り返すために…生死不問の『戦いの神パリオポテスの決闘法』で決闘して、負けたの……」

「そうだったの…」

「あの男は……卑怯にも………お母さんを人質にした…………それで、お父さんは……得意の黒魔法を使えずに………」

「なんてひどい…」

「お母さんは妾にされる前に……宮廷の親戚を頼って後宮侍女になった…」


 気づけばアリアナはぼろぼろ涙をこぼしていた。長いまつげが涙で濡れて、しっとりと光る。


 思わず彼女を抱きしめた。

 アリアナはずっとそんな悔しい気持ちを溜め込んでいたのだろう。


「後宮侍女になると四年に一度しか宮殿から出られない…。もう随分お母さんと会ってない……お母さんの手料理…弟と妹が悲しまないように……わたし…頑張って真似した………。でも…本当は…………わたしが……わたしが…………食べたかった………ッ」

「アリアナ、あだじ……」


 うおおおおおっ!

 ちくしょう。涙が止まらねえ。

 ガブリエル・ガブル!

 てめえは俺のアリアナをこんなに泣かせたな!

 ガブ野郎、てめえだけはぜってーけちょんけちょんのギッタギタにおしおきだッ。


「アリアナ、聞いて頂戴。私、絶対にガブガブを許さないわ」

「エリィ……」

「それに平気よ! 弟妹たちはコバシガワ商会とクラリスがどうにかしてくれているわ。実はね、私、常々クラリスに話していたのよ。二人でアリアナの家を助けましょうねって。商会の利益はゴールデン家とアリアナのために使うつもりだったの」

「エリィ…?」


 アリアナはぽかんとした顔になり、顔をくしゃっとゆがめて俺に飛び付いた。


「エリィ…エリィ…!」


 ぐりぐりと俺のふくよかな腹に顔をこすりつけるアリアナ。

 俺は狐耳をやさしく撫でた。


 もっと強くならなきゃな。盗賊に捕まるなんて論外だ。もう二度とあんな失敗はしない。大切な友人のために強くなろう。


「エリィ…」


 にしても……アリアナは可愛いなぁ。

 よーしよしよしよしよし。

 このね、狐耳のもふっとした感じがいいんだよ。

 柔らかくて優しい感触。

 いや~役得役得!

 狐耳、最高! ガブガブ、死刑ッ! 狼人、滅殺!


「アリアナ、何としても早くグレイフナーに帰りましょう!」

「ん…!」



      ○



 そんな誓いをした一時間後、冒険者の兄ちゃん、ジャン・バルジャンがとんでもないことを言った。彼は縮れ毛を短く刈り込んでおり、もみあげが長い。誠実そうなブルーの瞳が、難しい試験問題を見たかのように険しく動いた。


 ジャン・バルジャン、略してジャンジャンだ。


「これは当分、東側へはいけないな」

「え?! どうして?」

「ほら、馬車の外を見てみなよ」


 御者席に向かい、外を見る。

 物々しい甲冑姿の兵士が長い隊列を作っている。その列は前方の遙か先まで続いており、右側が兵隊、左側が避難民、という流れになっていた。兵隊は東へ、避難民は西へ移動している。


「砂漠の国サンディとパンタ国が戦争をするのは知っているわ」

「奴ら今回はどうやら本気みたいだ。あの荷馬車を見てみろ、戦利品を入れるための空の馬車だ」

「本気だとどうなるのよ?」

「情報封鎖だろうな。サンディとパンタを結ぶ『赤い街道』には通行規制が入るだろうよ。おそらく猫一匹通れない完全な封鎖になる」

「ということは、グレイフナーに帰れないってこと?」

「ま、そうなるな」

「それは困るわ!」


 立ち上がって叫んだ。

 八十キロ越えの俺が急に立ち上がったから、馬車が揺れる。


「雑誌の編集をしなきゃいけないし学校にもいかなきゃいけない、ダイエットも特訓もしないとダメなのッ」

「んー? よくわからないけど、戦争が終わるまではやめたほうがいいぞ」

「ジャンジャン! 他に道はないの?!」

「あるのはサンディと湖の都メソッドを結ぶ『旧街道』ぐらいだ。でもあそこはヘキサゴンクラスの魔法使いが十五人で小隊を組んでやっと通れる道だから、利用するのは現実的じゃない」

「どういうことよ」

「自由国境のど真ん中にある街道だ、魔物の数が半端じゃない。Aランクの魔物もちらほら出現するらしい。あの辺は魔物の吹きだまりみたいなもんだからな」

「全部蹴散らせばいいんでしょ?」

「エリィちゃん、君がグレイフナー魔法学校の生徒なのは知っているがやめておけ。あの街道を通過したいって酔狂な魔法使いが集まるとは思えない」


 ジャンジャンは傷のある顔を険しくした。

 見た目は若いが、歴戦の戦士だと思わせる雰囲気を身に纏っている。


 俺は太い肩をすくめて、うなずいてみせた。


「とりあえず二人は俺と一緒に実家へ避難するんだ」

「今ってジャンジャンの実家へ移動しているの?」

「ああそうだよ。落ち着いたら家に帰ってこい、というのが祖母との約束だったんだ」

「へえーーーーーっ、そうだったの。てっきり好きな女の子を待たせているのかと思っていたんだけどぉー」

「な、何を急に! べ、べつにそんなんじゃあないよ!」

「えーっ。だって怪我したわけでもなくまだまだ現役でやっていける強そうな冒険者がひとりで帰郷するって、ねえ?」


 アリアナを見ると、彼女は車内から御者席へ顔を出し、こくこくとうなずいた。ついでに狐耳がぴこっと動く。


 ジャンジャンは顔を赤くした。どうやら予想通りらしい。

 くぅーっ。青春じゃねえか!


「い、いやぁ……ははは…まいったな」

「恋の相談なら私にまかせなさい」

「ん、まあ、そういう、わけじゃないんだけど…」

「認めちゃいなさいよ。こういうのはまず自分の気持ちを整理する事が大事なのよ」

「いやぁ、まあ、そういうわけじゃ……」



      ○



 ジャンジャンが幼なじみの町娘コゼットに恋をしている事を、ついにゲロった。


 周囲がすっかり暗くなる頃だ。「好きなんでしょ?」「いいやそんなことは…」というやりとりを五時間ほど繰り返し、やっとのことで「まあ…そうなんだ」とだけ言った。幼なじみだから仲はいいが、デートすら行ったことがないらしい。


 どんだけ奥手なんだよ…。そんなんで恋人とか無理だよまじで。


「とにかく! 君たちはしばらく俺が保護するからな!」

「あなたほんといい人よね。コゼットもきっとそう思っているわ」

「ちょ! エリィちゃん! あんまりその、コゼットのことは言わないでくれるか?!」

「はぁ~いいわね~。冒険者として一人前になったら告白すると決めて町を飛び出したんでしょ。まるで甘酸っぱい青春映画の世界ねぇ」

「えいが?」

「そう、映画。そんなことより、私たちはすぐにでもグレイフナーに帰りたいんだけど」

「そうはいかないよ。アリアナちゃんが元気になってから帰れる方法を考えよう。まずは健康第一だ」

「それは……そうねぇ……」


 すっかり痩せてしまったアリアナを見た。彼女は眠っている。


「ジャンジャン、またお願いしてもいい?」

「ああ、いいぞ」


 そういって、ジャンジャンは手綱を片手でつかみ、空いた右手でポケットから杖を出し“治癒上昇キュアウォーター”を唱える。アリアナの身体を、光る水泡が包み込んだ。


「もう二、三日すれば良くなるよ。あとはいっぱい食べさせないと」

「ジャンジャンが水の適性でよかったわ。本当にありがとう」

「いいんだよ。女の子を助けるのが男の務めさ」

「あなた…それをコゼットに言いなさいよ」

「なはぁッ! いやぁ…ははは、そうだねえ…」


 こりゃあかん。

 アリアナを助けてくれたし馬車に乗せてくれたお礼もしたいし、しばらく一緒にいて恋のアドバイスをしてあげようかな。


 いつ赤い街道が通れるようになるかわからないなら情報集めだ。

 砂漠の国に売られた孤児院の子どもたちの事もかなり気になるし、そっちの情報も集めたい。



      ○



 それから一日して馬車は自由国境を抜け、砂漠の国サンディに入った。荒涼とした平地に赤レンガの街道だけがまっすぐ続いている。じりじりと天から陽射しがふり注ぎ、太陽の光が地面に反射して気温を上げる。


 とにかく暑い。まじで暑い。これは痩せる。


 道すがら魔物がちょくちょく出てきたが、ほとんどが無視していいレベルの雑魚モンスター。赤い街道の赤レンガは魔物が嫌がる土でできており、虫除けならぬ魔物除けの効果が多少なりともあるそうだ。この街道の周辺は魔物が少ないので安全な旅ができる。


 途中、小さな宿場で一泊し、二日ほど野営をすると、ジャンジャンの実家がある『砂漠のオアシス・ジェラ』が見えてきた。着く頃にはアリアナの体調も良くなり、俺と彼女は馬車の外に出て、荒野に出現したオアシスを見ていた。


「きれいね」

「うん…」


 幻想的、と言いたくなるほど美しい景色だった。丘の上から見える町は海に浮かぶ孤島のように茶色い砂漠の世界にぽっかりと浮かび、緑の木々と青い豊かな泉をたたえている。オアシスの町は碁盤目模様に広がり、小さく人々が動き回っている様子が見えた。


「どうだ。すごいだろ」


 ジャンジャンは誇らしそうに胸を張る。

 確かに、この町の出身というのは胸を張りたくなるかもしれない。


「じゃあ行くぞ。ふたりとも、馬車に戻ってくれ」

「いよいよコゼットと再会ね」

「楽しみ…」

「ちょっと! 二人とも会話の端々にコゼットを挟むのをやめてくれないか?!」

「サンドウィッチと一緒よジャンジャン。旅、食事、コゼット、時々魔物。どう?」

「どうって言われても…」

「あなたがコゼットのことを好きじゃなかったらこの旅は味気ないものだったでしょうね」

「たしかに…」

「グレイフナーに行けるようになるまで私が恋の相談役、恋のアシスタントマネージャーとしてあなたについてあげるわ」

「え? アシスタ…?」

「あなた、私が帰る前に絶対告白しなさいよ」

「ふえっ?!?! ……いやぁ、それは、まあ、なんというか…」

「じゃあいつ告白する予定なのよ」


 俺の言葉を聞くと、アリアナがふんす、と鼻息を吐いて激しくうなずく。どうやら彼女も恋の話が好きらしい。


「いやぁ……折を見て…」

「あなたが折を見てたら十年ぐらい経ちそうなのよ! そのときにはコゼットはもう誰かに寝取られてるわ! これは完全なる寝取られパティーンなのよ!」

「パティーン…?」

「ぼくはいつか告白するよ…そう寂しげに言う青年達が幾度となく寝取られる様子を私はつぶさに観察してきたの。ジャンジャンはその典型とも言っていいチキン体質。ここで私と出逢えたことは神のお導きとしか思えないわ」


 ちなみに寝取っていたのは俺だッ!


「いいわね! 絶対よ! 私のアドバイスに従って行動すれば万に一つも負けないわ!」

「あのーアリアナちゃん…エリィちゃんはいつもこうなの?」

「たまにこうなる…」

「着いたら紹介しなさいよ。絶対!」


 ジャンジャンに詰め寄った。

 彼は逃げるようにして馬車の御者席へ乗り込む。


「ああ、わかってるよ」

「絶対絶対ずえーったい紹介するのよ!? いいわねッ!」


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