第5話 洋服とイケメンエリート③
パジャマ姿に戻ってやっと平静を取り戻した。
自分としたことが怒りで周りが見えなくなってしまった。
あれが俺の着ている服だということが許せなかったのだ。そう。俺はスーパーイケメンエリート営業。服には人一倍のこだわりがある。妥協は許されない。あんなコーディネートを自分が着ていることは、他人の体に転生してしまったとしても、異世界にワープさせられたのだとしても許せない。
別にエリィの服装の趣味をバカにしているわけではない。
人それぞれ好きな服やジャンルの好みがあり、好きに買って組み合わせるのは本人達の自由であり、楽しみでもある。それに、他人がどんな服を着ていようと興味はない。他人に服がダサいと指摘されるのは本人のプライドを著しく傷つける可能性がある。人は誰でも自分の服が、格好いい、可愛い、と思っているものだ。
例えそれが『大いなる間違い』であったとしても、だ。
横を見ると、なぜかクラリスとバリーが土下座をしていた。
「ええっ!? ちょ、二人とも顔を上げて!」
急いで二人を立ち上がらせようとした。
しかしどれだけ引っ張っても頑なに動こうとしない。
「お嬢様のお怒りはごもっともでございます!」
「我々夫婦の不徳の致すところ! どうぞ煮るなり焼くなり黒こげにするなり好きにしてくだされ!」
話が大事になっている。おいおい、どこでどうなったよ?
「話がまったくわからないから顔を上げて、二人とも」
クラリス、バリーはおそるおそる顔を上げた。
「別にあなた達に怒ったわけじゃないわよ」
「え?」
「私が怒ったのは着ている服があまりにもダサかったから、自分自身に怒りを憶えたの」
「で、では、我々夫婦の粗相が原因ではないと?」
「あたりまえじゃない。あなた達の一体どこに失敗があったの?」
「パジャマのズボンをズリ下ろしてしまったことです」とクラリス。
「パジャマのズボンに鼻水をつけてしまったことです」とバリー。
思いっきり失敗があった。
「それは感動のあまりやったことでしょう、気にしてないわ」
二人は安堵から正座していた力を抜いて、お互いに寄りかかった。
「それよりクラリス、この辺でいい服屋はある?」
「ありますともお嬢様!」
もう復活したのか、各駅停車駅を通過する特急ばりの風圧を巻き起こしてクラリスがこちらに近づいた。
「顔が近いわクラリス。じゃあ家に帰る前に店に行きましょう」
「かしこまりました」
静かにしていたバリーが手綱を操り馬車を移動させ、特訓場に乗り入れる。
いきなり噴出した温泉は、家に帰ったら別の使用人にまかせることにし、俺はパジャマ姿で馬車に乗り込んだ。
揺られること三十分、町に戻ってきた。夕日が消えて街灯が灯る。
時刻で言うと六時頃だろうか。
馬車が乗り入れられるほど広いメインストリートは人が激しく往来しており、石畳の道路に面した店はバーや居酒屋、レストラン、定食屋、カフェ、服屋、武器屋、防具屋、ひっきりなしに人が出入りしている。馬車に轢かれそうになる酔っ払いなんかもいるが日常茶飯事なのか怒号が飛び交い、警邏隊らしきハンチング帽を被って大きな剣を背負った連中にしょっぴかれている。
海外旅行に行ったときの何倍もの感動を覚えた。
こんな異文化があるんだろうか。
人間じゃない人間がいるのだ。
変な言い方だが、人間にまじって、虎の顔をして鎧を着込んでいる戦士風の男、とかげ頭でターバンを巻いた性別が謎の奴、うさぎの耳をした女、猫耳の子ども、腕だけ猿の大道芸人、中でも驚いたのは下半身が馬で胴体が人間というケンタウロスみたいな輩、そんな生き物が普通に行き交っているのだ。
人種問わず肩を組んでわいわい飲んでいたり、真剣な顔で値段交渉したり、愛を語らっていちゃいちゃしたり、この世の動物全部をボールに入れてかき混ぜたような光景だった。
自然と目がそちらに動いてしまうのは、やはり魔法関連の店だ。
杖専門店、魔法専門店、魔工具専門店、魔道具専門店、魔法とは違う愛玩獣専門店なんて店もある。
「いつ来てもグレイフナー通りは混んでおりますねえ」
クラリスは軽いため息をついた。
「毎日これぐらい人がいるの?」
「そうでございます。お嬢様はこのお時間あまり外出されませんものね。人攫いにでもあったら大変でございますから」
この巨体を連れ去る輩がいるとは思えねえ。
百十キロだぞ。
「それで服屋はどこ」
「あちらが若い女性物で人気の店です」
何を隠そう、俺は一抹の不安を覚えていた。
「クラリス。ここは国の首都なのよね?」
「もちろんでございます」彼女は胸を張った。「グレイフナー王国首都グレイフナーでございます」
「そうよねえ」
やっぱり。
「どうして今更そのようなことを?」
「うーんちょっとした確認ね」
そうなのだ…。
ごった返す町の人々の服装が全体的にダサいのだ…。
いや、むさ苦しいと言ったほうがいい。とりあえず困ったら飾りをつけておけ、という大ざっぱな服、でかいのが正義と言わんばかりのアクセサリー類、おまけに服装にあまり色がなかった。
よく使われているのは、白、茶色、黒、たまに緑色、紺色。パステルカラーは稀に見る程度だ。
年頃の若い女は、ほとんど白いシャツに茶色の布ドレス、丈は膝下、靴はぼってりとしている。もしくは無地のチュニック。意味不明なペイズリー柄のチュニックを着ている女もちらほらいて、それはもーとてつもなくダサい。形がダサい。生地が微妙。変なフリルがいらない。異世界クオリティなのか皆スタイルがいいので、なんとか見れる、という状態だ。せっかくのスタイルが台無しだ。
髪型はトレンドなのか小さい三つ編みを耳の上に通してうしろでしばる、というもの。ファンタジー映画でよく出てくる村娘のイメージだな。
男は大体だぼっとだらしないズボンを履き、上から被るシャツのようなものを身につけている。胸のところに紐が通してあって、そこで締めたり緩めたりするらしい。いかんせん形がひどい。なんでもいいから動きやすければいいんだよ、といった風情だ。オシャレのつもりかハットをかぶっている連中がおり、そいつらは服装と帽子のミスマッチで、俺にはかえってダサく見えた。時折、おっと思う服装をしている貴族風の男も、よく見ると生地がいいだけで、全体的な形やフォルムはよろしくない。
「全部消し飛ばしたいな…」
俺は完璧主義の癖で、ついぼそっと呟いた。
クラリスが隣で合掌して「それだけはおやめ下さいお嬢様」と懇願してくる。
「聞こえてた? てへ」
自分で言ってから、おデブの「てへ」に殺意が湧いたのはここだけの話にしておこう。
そして店の看板を見て、俺は御者をしているバリーの肩を叩いた。
『愛のキューピッド』
「引き返そう」
嫌な予感しかしねえよ?
いやまじで。
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