第166話 予告編②+ 『思春期少女とハプニング』(前編)

 メルエーナは、女神リーシスに許しを乞う。


 あれは事故だ。決して故意ではない。そのような浅ましいことをしようなどとは微塵も考えていなかった。

 だが、同じ屋根の下で暮らしていれば、そういった事故は起こっても不思議はない。……そう思いたい。


 けれど、いくら言い訳をしても、起こってしまった事柄は変えられないのだ。



 それは、夏の暑い日だった。

 その日は<パニヨン>の定休日ということもあり、メルエーナは友人と買い物を楽しんで昼過ぎに帰ってきた。


 バルネアは近所の付き合いで出かけていて、まだ帰っていないようだし、ジェノも稽古に行っているのでまだ帰ってくる時間ではない。

 そこで、すっかり汗をかいてしまったメルエーナは、お風呂の準備がてら軽く汗を流そうと考えた。


 ……言い訳をするのであれば、この時の気温はナイムの街としてはかなり高く、メルエーナも参っていた。そして、二人は出かけているという先入観があったのだ。

 それに、浴室も静かだった。


 だから、いつもなら確認する、入浴中を表す木札を確認するのを忘れてしまった。

 その結果……。


 メルエーナは何の気なしに浴室の脱衣所のドアを開けた。

 次の瞬間、メルエーナの視界に入ってきたのは、上半身が裸のジェノの姿だった。


「…………」

 完全に、メルエーナの思考はそこで停止した。

 けれど、初めて見るジェノの、若い男性の引き締まった体に目を奪われてしまう。


「どうかしたのか、メルエーナ?」

 ズボンは履いていたからか、ジェノはメルエーナが脱衣所に入ってきたことにも動じずに、いつもの無表情で尋ねてくる。


「……あっ、ああ……、ごっ、ごめんなさい!」

 メルエーナは大慌てで後ろを向き、ドアを締める。そして、顔を真っ赤にしてその場から駆け出し、自分の部屋に逃げるように避難する。


「あっ、ああ! 見てしまいました! ジェノさんの裸を、あんなに間近で!」

 ただでさえ暑さに参っていたメルエーナの顔は、一層の熱を持ち、思考がまるで纏まらない。


 そして、部屋に戻ったメルエーナは、ベッドに顔から飛び込み、枕に顔を埋めてパタパタと忙しなく足を動かす。


「うっ、ううっ……。なんて事をしてしまったのでしょうか、私は……」

 いろいろと反省することはあるのだが、今更詮無きことだ。


 それに、それに……。


 ジェノの鍛え抜かれた体の、しっかりカッティングされたたくましい上半身が頭から離れない。

 忘れようと思えば思うほど、鮮明に記憶が思い出されてしまう。


 メルエーナも、男性の上半身の裸を見るのは初めてではない。父であるコーリスや幼馴染の男の子のそれくらいは見たことがある。

 けれど、若いだけでなく、鍛錬に鍛錬を重ねているはずなのに全体のシルエットが細く、なのにきちんと男らしい筋肉に覆われているその肉体は、大好きな人の体は、あまりにも扇情的だった。


「うっ、腕がすごいことは知っていましたが、上半身もあんなに……でも、ゴツゴツした感じではなくて……。って、そうじゃあありません! 忘れなさい! 忘れないと駄目です、私!」

 メルエーナはまたパタパタと足を動かしながら、叫び声を上げたいのを懸命に堪える。


「でっ、ですが、やっぱり肩幅も広くて、すごく逞しいのにしなやかそうで……。もしも、あんな体に抱きしめられたら、きっと私……」

 駄目だと思えば思うほど、メルエーナの妄想は加速してしまう。


「きっと、私なんかでは、片腕で抱きしめられてももう抵抗できません。そして、そのまま……。って、だから、そういった事を考えては駄目です! 今のは事故、事故です!」

 メルエーナは懸命に煩悩を振り払おうとするが、結局、バルネアが帰ってくるまでの間、彼女はお風呂にも入らずに、自身の想像力と理性のせめぎ合いに苦悩するのだった。


 


 ◇




 夕食を済ませたメルエーナは、一人で食器洗いをしながら重いため息をつく。

 いつもは、バルネアとジェノを交えた楽しい夕食なのだが、先の一件の気まずさがあって、メルエーナはあまり話をすることが出来なかった。

 

 もともとジェノは無口なので、話を振らなければあまり喋ってくれない。

 そして、その沈黙がよけいメルエーナが口を開くのを躊躇させた。


 それでも意を決し、件の事についてもう一度しっかり謝ろうとしたのだが、ジェノに「別に、謝ることではない」と先に言われてしまい、それも叶わなかった。


「ううっ、どうしたらいいのでしょうか……」

 いろいろとジェノの裸身を思い出して、妄想にふけってしまったことが、今頃、罪悪感になってメルエーナを苛む。


 メルエーナが後片付けを引き受ける旨を伝えると、バルネアも今日は疲れたのか、早々に自室に引き上げてしまったので、相談できる相手もいない。


 メルエーナはもう一度、重いため息をつく。


「……駄目ですね。お風呂に入って、少し気分を切り替えましょう」

 全ての片付けを終えたメルエーナは、そう考えて、自室に一旦戻り、準備をしてから浴室に向かうことにする。


 そして、脱衣所までやって来たメルエーナだったが、やはり先程の事故の現場ということもあり、もう一度あの時の光景をフラッシュバックしてしまい、顔を真っ赤にして両手でそれを押さえる。


 それでもなんとか衣類を脱ぎ、浴室に入ると、体をしっかり洗って、煩悩を払おうと努力をした。

 ……無駄な努力だったが。


 浴室に取り付けられた姿見で自分の顔と控えめな胸を確認し、メルエーナはがっくりと肩を落とす。

 いろいろと努力はしているのだが、母のようにはこの部分は育ってくれない。


 ジェノの嗜好がそうだとは断言できないが、一般的に男性は胸の大きな女性を好むという話を友人達から聞いている。

 すると、自分のような貧相な体ではジェノに興味を持ってもらえないだろう。


「ジェノさんの体は、本当に男の人らしい体でした……。それに見合うのはやっぱり……」

 メルエーナは裸のジェノに抱きしめられる、胸の大きな女性の姿を妄想する。そして、その妄想した女性が、見知った美しい少女の顔に、マリアのそれに変わり、慌てて頭を振ってその妄想を消す。


「……あんなに綺麗なだけでなく、胸まで大きいなんてずるいです……」

 メルエーナはそう言ってため息を付き、湯に体を委ねることにした。


 疲れは取れていくが、気分が一向に晴れない。

 ジェノに対する申し訳無さや、自分の浅ましさや、この体の貧相さ等で頭がぐるぐる回り、ため息ばかりが漏れる。


「ううっ、やっぱりこのままでは駄目です。でも、こんな事をバルネアさんに相談するわけには……」

 バルネアも実はかなり異性交遊に寛容だ。寛容すぎるほどに。

 考えてみれば、バルネアは十六歳で結婚して旦那さんも居たのだから、そうなるのも仕方がないのだろう。


 とは言え、こんな事を話そうものならば、自分の母並みに積極的にジェノとのことをプッシュされそうで、メルエーナは不安で仕方がない。


「やはり、友人に相談するべきでしょうか? となると……」

 パメラの顔が最初に浮かんだが、先の一件を思い出し、メルエーナは速攻で候補から外した。

 彼女にこんな事を話せば、どうなるかの想像はつく。


 あと、これほど重要なことを話せる相手となると、リリィかイルリアになるが……。


「明日には食事を食べに来ると言っていましたし、ここは、イルリアさんに相談してみましょう!」

 メルエーナは、イルリアに白羽の矢を立てた。


 リリィが悪いわけではもちろん無いが、イルリアの方がこういった事柄も淡々と意見をくれそうだと考えたためだ。


 メルエーナはそう決めると、少しだけ気持ちが落ち着いた。

 

 本当に、友人とはありがたいものだとメルエーナは痛感する。


 ……けれど、事はそう上手くはいかないのである。

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