第156話 『思わぬ決着』
小規模な爆発が起こった。
それに巻き込まれたサディファスは、顔半分を真っ赤に染め、
「貴様ぁぁぁぁぁぁぁっ! 殺してやる、殺してやる!」
憎悪を、殺意を込めたその言葉は、身動きが取れないセレクトに向けられる。
しかしセレクトは、敢えて不敵に笑ってみせた。
それは、もう打つ手がない事を悟らせないための虚仮威しに過ぎないのだが。
奥歯に隠してあった<お守り>は、手が動かせない状況での最後の手段。だが、それも目の前の敵一人さえ絶命させるに至らなかった。
……万事休すだ。
まただ。また、私は何も守れないのか。
魔法を学び、身につけ、使いにくい特殊な魔法であることを嘆きながらも、懸命に戦い方を考えた。
けれど、その程度の努力では、この身体に架せられた呪いじみた結果を変えることはできないのだろう。
それでも、サディファスという名の男の憎悪は完全に自分に向いた。
あいつに殺された侍女二人、そして、他のみんなには申し訳ないが、教え子よりも、メイとマリアよりも先に死ねる、殺されることができるのであれば――この呪いが解かれて死ねるのならば、少しだけ、ああ、少しだけ救われる……。
そうセレクトは考えた。
死の直前に、彼は利己的なことを、自分の事だけを考えた。
それを、無責任だと責める資格が誰にあるのだろう?
けれど……。
「セレクト先生……」
一緒に蔦に巻き込まれていたメイが、セレクトの名を呼んだ。
それで、彼は呪いからの開放を願う弱い存在から、教え子を守る男に引き戻す。
考える。
もう何も手段はない。
それでも考える。最後の瞬間まで、教え子を助けることだけを考える。
……それが天に通じたのだろうか?
そこで、突然、第三者の声が響き渡った。
男の声だ。
低く、凄みの効いた男の声。
「おいおい、この圧倒的有利な状況で、ここまでこっぴどくやられたんだ。今日のところはお前さんの負けだよ、<緑眼>よぉ」
声は窓の方から聞こえたが、体を動かせないセレクトにはそちらを見る事ができない。
けれど次の瞬間、拘束されていたセレクトとメイの床の前に、大きな黒い影が現れた。
明らかに、この部屋を照らしている壁の多数の蝋燭の光源の向きでは合わない大きな影が。
そしてその影から、鋭い眼光の男が浮き上がって来た。
比喩ではなく、先程ユアリが蔦を発生させた時と同じように、一人の男が床から現れたのだ。
少し白髪が混じった黒髪。顎に蓄えた髭が印象的な長身のガッチリした体型の男だった。
黒で統一された服装は、暗殺者を彷彿とさせる。けれど、不敵なその笑顔は、どこか人懐っこい。
一度見たらその顔を忘れなさそうな風貌は、暗殺者としては不向きだろう。
その髭の男はセレクトとメイの前方に姿を表すと、サディファスの前に立ちはだかる。
「どういう風の吹き回しだい、アルバート? 君が僕たちの前に姿を表すなんて」
それまで、ただただマリアを愛おし気に見つめていたユアリが、髭の男の方を向き、声をかけた。
「皆まで言わせるなよ、<濁色>。俺だって、おっかねぇお前の前に姿を現したくなんてなかったんだよ。でもなぁ、娘に頼まれては、親父は、はいはいと従うしかねぇんだよ」
アルバートと呼ばれた男は、そう言って頭を掻いて嘆息した。
が、次の瞬間、壁の、床の、天井の至る所に、拳大の円が無数に現れ、そこから真っ黒な刃物を持った黒い手が飛び出した。
「くっ!」
無数の刃物を持った手に襲いかかられ、サディファスは後方に跳躍して躱さざるを得なかった。
「まったく、相変わらず汚いねぇ、君のやり口は」
ユアリは左目を真っ黒に変えて、アルバートがおそらくやったように、自分の身体にいくつもの円を作り出し、そこから無数の武器を持った手を作り出し、斬撃を全て相殺する。
「おいおい、そりゃあねぇだろう。今日の俺は、正義の味方だぜ」
アルバートはそう言って憎めない笑みを浮かべる。
そして、彼の攻撃は、サディファスとユアリだけを狙ったわけではない。
彼の攻撃は、ユアリが作り出した蔦を全て切り裂いたのだ。
「マリア様!」
自由になったセレクトとメイは、気を失っているマリアに駆け寄る。
もちろんセレクトは、<お守り>を構えて、ユアリとサディファスを牽制しながらだが。
「……メイ……。セレクト先生……」
マリアは意識を取り戻し、気丈にも立ち上がる。
「どうだい、<濁色>、<緑眼>。お前達のとりあえずの『目的』は果たしたんだろう? それなら、ここは引けよ。それとも、まだ俺とやり合うかい?」
アルバートはのんびりと煙草を取り出し、それにマッチで火をつける。
「なぁ、どうする? 俺は正直どっちでもいいんだぜ?」
タバコの煙を吐き出し、アルバートは笑う。
それは、強者の笑みだった。
「……僕のことを怖いと言っていたよね? それなのに戦うの?」
「ああ。それでも、うちの娘よりはおっかなくないんでね。それに、勝てないとは言っていないぞ、俺はな」
アルバートは殺気を纏うでもなく、ただユアリを見て不敵な笑みを浮かべ続ける。
「アルバート、私の邪魔をするつもりか!」
サディファスが激昂してアルバートに声を掛けるが、彼はユアリから視線を外さずに、
「これだけ殺し、その上『絶望』を仕込んでおきながら、まだ足りねぇと言うのか、<緑眼>? 正直、俺はお前の行動には頭にきているんだ。お前だけ、ここで殺してやってもいいんだぞ?」
そう低い声で告げた。
「……絶望を仕込んだ?」
セレクトには、アルバート達の言葉の真意が掴めない。
「ふん! 下らない。いいでしょう。私はここで引きます。ユアリ、後は任せますよ」
アルバートを睨んでいたサディファスは、そう言ってセレクトに視線を向ける。
「セレクトでしたね。私らしくなく少々取り乱しましたが、改めて名乗りましょう。私の名はサディファス。仲間からは、<緑眼>のサディファスと呼ばれています。この私の耳を奪い、この顔を傷つけた貴方を、絶望に叩き込み、殺すことをここに誓います」
芝居がかった礼をし、サディファスは微笑んだ。
「もっとも、貴方は私のことを忘れられなくなるでしょうがね。今以上に……」
「……強者の影に隠れなければ何もできない弱虫が、何を大物ぶっているんだ?」
セレクトは静かな怒りの声で、<お守り>を構えて、前に出ようとする。
「ふっ、ふふふふふっ。私は若い女を殺すのが何より大好きなのですが、何も知らない馬鹿を見るのも存外楽しいですね」
サディファスは心底楽しそうに笑い、ゆっくりと階下に歩いて行こうとする。
「…………」
セレクトは歯噛みしながらも、その姿を目で追うことしかできなかった。
いま、自分がここを離れるわけには行かない。
守るべき存在が、まだ二人生きていてくれるのだから。
「うぅ~っ。せっかくマリアを仲間にするチャンスだったのになぁ~」
ユアリはそう言うと、がっくりと肩を落とす。
「おっ、なんだ、本当に引いてくれるのか?」
「うん。なんだか面倒くさくなって来ちゃった。マリアがとりあえず<霧>を克服して、僕と同じになってくれただけで、今日のところはいいや」
アルバートの問に、ユアリは拗ねたような声で言う。
「ああ、マリア。近いうちに僕は会いに来るからね。それじゃあ、またねぇ~」
ユアリは笑顔で手を振ると、足早に駆け出して、サディファスの後を追った。
「…………」
セレクトは、いや、マリアもメイも、それをただ見ていることしかできない。
「さてと、それじゃあ、俺もお暇するとしようかね」
アルバートのその言葉に、「待ってください」とセレクト達の声が重なる。
「……だよな。ああっ、可愛い娘の頼みだから、仕方ねぇか」
アルバートは面倒くさそうに頭を掻く。
「分かった。少しだけ話に付き合ってやるよ。ただし、マリアと言う名前だよな? そっちの嬢ちゃんは」
「はい。私がマリアです」
マリアが応えると、アルバートは嘆息する。そして彼は女物のハンカチを上着のポケットから取り出すと、
「俺の娘が、あんたの大ファンなんだ。これにサインを書いてくれ」
そんな思いもしないことを口にするのだった。
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