第139話 『気持ちでは、覆らないもの』
速い。
狼達の動きも速いが、それ以上にリニアの剣撃が速い。
三十を超えたであろう狼達は、瞬く間に両断され、紙になった瞬間にそれさえも真っ二つに斬り裂かれて消滅していく。
「ローソルさん。今のうちにダンさんを連れて崖側に移動して下さい! 背後から攻撃されないだけでも、かなり戦い易くなります! 他のみんなも、ローソルさんの側に!」
「分かりました!」
ローソルはダンを抱えて、広い道の崖側に移動した。
ジェノ達もそれに倣って移動すると、リニアも後ろを警戒しながら、ジェノ達に後ろ歩きで近寄る。
「まったく、大歓迎ね。斜面側に回り込んできているのが二十。正面から、五十ってところかしらね」
リニアの言葉通り、また狼の大群が押し寄せてくる。
斜面から、または更に回った狼が道の先から、そして大量の狼が来た道の方から襲いかかってくる。
「くっ、リニア殿、私も加勢を!」
「必要ありません! こちらの攻撃に巻き込まれないように、身を低くしていて下さい! 子ども達をお願いします」
リニアはローソルの加勢を拒み、一人で狼達を斬り裂いていく。
「先生……」
ジェノは己の無力を噛みしめる。
リニアが剣を振るたびに、狼達の数は減っていくが、それと同時に、彼女の負傷した左肩から血が飛ぶ。
まだ、血が止まっていないのに、リニアは剣を振り続けているのだ。無力な自分達を守るために。
崖を背にしているジェノ達にはもう逃げ場はない。
リニアが力尽きた時が、自分たちが殺されるときだ。
「くっ……」
出血と疲労の蓄積のためだろう。まったく見えなかったリニアの剣筋がジェノの目にも見えるようになってきてしまった。
狼達も多くが消滅したが、まだ十匹以上残っている。
ジェノだけでなく、誰もがリニアの限界を悟っていた。
けれど、彼女は決して諦めない。ただ剣を振り続ける。
そして、激しく呼吸を乱しながらも、リニアの一撃は、最後の狼と紙を両断した。
「……みんな、今のうちに、逃げて……」
リニアは振り返ってそう言うと、力なく前に倒れた。
「先生!」
「リニア殿!」
ジェノとローソルが声をかけても、リニアはピクリともしない。
彼女の肩からの出血も、未だに止まらずに流れていく。
逃げるように言われた。
けれど、ジェノにはそんな事はできなかった。
「先生! 先生! 嫌だ、死んじゃあ嫌だよ!」
ジェノはリニアの肩に、先程は結べなかった布を肩に巻いて止血する。
そんなことがもう気休めにしかならない事を分かりながらも、ジェノはリニアを助けようとする。
先生が死んでしまう……。
僕が弱いから。
僕らを守ろうとさえしなければ、先生はきっと負けなかったはずなのに。
あのときと同じだ。
また、僕を守ろうとして大切な存在が消えてしまう。
ロウだけでなく、先生も……。
「先生! 目を開けてよ、先生!」
ジェノがいくら揺さぶっても、リニアの目が開くことはない。
かろうじてまだ息はしているようだが、それだけだ。
「ああっ……。ローソル! あれ!」
それまで恐怖に震えて口を利けなかったカールが、大声を上げながら、指差した。
それは、ジェノ達が歩いてきた方向。
そこから、二十匹以上の狼が現れ、こちらを見下ろしていたのだ。
「畜生! まだ、あんなに……」
ロディの声も震えていた。
「カール様、お友達を連れてお逃げ下さい。少しは時間を稼ぎます」
ローソルがそう言って剣を構えて、倒れたリニアの前に立ったが、その言葉が気休めにもならないことは、子ども達にも分かっていた。
「カールさん。俺達も最後まで戦うぜ。まだ、イヤリングの効果は切れていないしな」
「……そっ、そうだ。どうせ、やられるんなら……」
震えながらも、ロディとカールは立ち上がり、ローソルの後ろに立つ。
誰もが最後の抵抗を試みようとする中、ジェノは一つの覚悟を決めた。
「……ごめんなさい、先生。言いつけを破ります」
ジェノは倒れたままのリニアにそう告げて立ち上がると、あらん限りの声で叫んだ。
「狼を使っている奴! お前の狙いは僕なんだろう! だったら僕だけを襲え! 関係のない人を巻き込まないでよ!」
ジェノの声が山中に木霊する。
「ジェノ、何を言っているんだ?」
ロディ達は怪訝な顔をするが、ジェノは構わず、狼達に向かって足を進める。
「僕を攫うことが目的なら、そうすればいい。抵抗はしない。ただ、他のみんなは助けてよ!」
ジェノは自分の命を代価に、狼を操っているものに交渉を持ちかける。
驚きの展開に、ローソルもロディもカールも言葉が出ない。だが、そんな中、男の声が聞こえてきた。
「ふん。何を言い出すかと思えば、そんなくだらん取引を持ちかけてくるとはな」
狼達の横から、灰色のローブを纏った壮年の男が姿を現した。
「俺がお前の頼みを聞いてやるとでも思うのか? お前の先生とやらに、今まで仲間を何人も殺され、さきほど、弟まで殺されたこの俺が」
ローブの男は憤怒のこもった声で言うと、ジェノを睨みつけてくる。
「先生が、お前の仲間を?」
「……所詮はガキか。今まで、何度お前を俺の仲間が攫おうとし、その都度あの女に邪魔をされ、殺されていたことにさえ気づいていなかったとはな」
「えっ?」
ジェノは、男が何を言っているのか分からない。
攫おうとしていた? 何度も?
ジェノはまったく身に覚えがない。
「もういい。お前はなるべく傷をつけずに攫ってこいとの命令だったが、そんなものは知ったことではない。腕の一本でも残っていれば、交渉材料になるはずだ」
男はそう言うと、紙を五枚懐から取り出し、それを投げる。
すると、瞬く間に紙は、五匹の狼に変わった。
「弟の敵だ。なぶり殺してやる。特にジェノ。お前はあの女の罰を代わりに受けてもらうぞ」
「くっ……」
ジェノは剣を構える。
無駄な抵抗だと分かりながらも。
「俺が姿を現したのはそのためだ。遠隔操作ではうまく操りきれんが、目の届く範囲でならば、精密に操作できる。まずはお前の連れを噛み殺し、それからお前の手足を引きちぎり、苦しめて苦しめて殺してやる」
男の怨嗟の込められた声に負けまいと、ジェノは男を睨みつける。
……気持ちだけで戦況は覆らない。
気持ちが後押しになることはあるが、それは絶対的な戦力の差を埋めてはくれないのだ。
故に、これから始まるのは一方的な虐殺だ。
そう。気持ちだけでは何も変わらない。
それが、どれほどの憤怒であろうと、恨みであろうと、憎しみであろうと。
短い音が、ジェノの耳に入ってきた。
それが風切り音であった事をジェノは理解できなかった。
自分の顔の横を凄まじい速度で通り抜けていったそれが、ナイフだと言うことにも気づかなかった。
「ぐっうっっっ……」
男は突然、肩を抑えて苦悶の表情を浮かべる。
その肩に、ナイフが突き刺さっていた。
「余計なことを随分と話してくれたわね」
その聞き慣れた声に、ジェノは思わず敵から目をそらし、声がした方を見てしまった。
「ちょっと予定とは違ったけれど、まあいいわ。私達の前に姿をわざわざ現した時点で、貴方の負けよ」
立っていた。
紫の髪の剣士が。先程までの疲労感もなく、肩の出血も止まっている状態で。
「先生!」
ジェノは感極まった声で、その剣士を、そう呼んだのだった。
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