第119話 『理不尽なこと』

 リニアがジェノの家にやってきて、二ヶ月が過ぎた。

 この国の夏は長いので、まだ暑い日が続いている。


 今日も剣術の修行をして、勉強を頑張り、ペントの作る昼食の手伝いを先生と一緒に行った。そして、広場に遊びに来たのだ。


 つい先程まで皆で鬼ごっこをしていたのだが、一緒に遊んでいた三人の兄弟が、母親に買い物に行くと言われて抜けてしまい、人数が一気に抜けて面白くなくなってしまったので、そのまま解散となってしまった。


 こればかりは仕方がないので、ジェノは涼しい公園の噴水まで一人で歩いてきて、こうしてベンチに座って休んでいる訳だ。


「先生が来てから、毎日が楽しいけれど……」


 日々、充実はしている。

 勉強はすごくためになるし、料理の手伝いも面白い。友達と遊ぶのだって、和を乱すロディ達のような奴らがいなければ楽しい。


 でも、剣術だけは物足りない。

 毎日毎日、同じ体勢で立ち続けるだけ。

 三ヶ月はこれが続くと言われていたので、あと一ヶ月頑張ればいいのだと自分を励ましてきたが、やはり早く木剣を振りたいと思ってしまう。


 少しでも早く木剣を持つ許可を貰いたくて、毎日お風呂に入る前に自主的に修業を続けている。

 そのおかげで、リニアに、「頑張っているわね。だいぶ良くなってきているわよ」と褒めてもらえた。そして、ご褒美だと言われて、別の立ち方を教えて貰った。


「……最初に教えて貰った立ち方と、新しい立ち方に何の違いがあるんだろう……」


 新しく教えてもらった立ち方は、足を前後に少し広げて、体重を後ろ足に集中させるというもの。

 だが、これに何の意味があるのか、まるで分からない。


「リニア先生はいい人だけれど……。先生が強いかどうかを僕はまだ知らない……」

 この二ヶ月間、ジェノはリニアが剣を抜いたところを一度も見ていない。


 毎日教えてくれる勉強はとてもためになるし、料理を教えてくれた事には本当に感謝している。だから、リニアを疑いたくはないが、まったく剣術がすごいところを見せてくれないと、やはり不安になってしまう。


 いろいろと知っているので、まったく剣術を使えない事は流石にないと思うが、以前に剣を抜いていないのに抜いたと嘘を言っていたことが、余計にジェノの不安をいや増していく。


「はぁ~。先生が強いところを見せてくれたら、安心できるんだけれど……」

 ジェノはため息を付いて、顔を俯ける。


 しかし、不意にジェノが見るとはなしに見ていた地面に、人の影が現れた。


「ジェノ。どうしたの、一人で」

 その声に顔を上げると、予想通りの女の子が、マリアが立っていた。


「マリア……」

 ジェノが名前を呼ぶとマリアは嬉しそうに微笑み、彼の隣に座る。

 暑いのだから、もう少し離れて座ればいいのにとジェノは思う。


 リニアから、


「君は、もう少し女の子の気持ちを理解しないと駄目よ!」


 と強く言われ、『女心』と言うものをたまに教わっているのだが、正直言って、ジェノはこの勉強はあまり良く分からず、好きではない。


「ジェノ。難しい顔で何を考えていたの?」

 マリアにそう興味深そうに尋ねられ、いくら考えても解決しない事柄を考えることに疲れていたジェノは、ついマリアに自分の悩みを打ち明ける。


「なるほど。ジェノは、その剣術の先生に意地悪をされているのね」

 ジェノの話を聞いて、マリアはそういう結論に行き着いたようだ。


「いや、意地悪だとは思っていないよ。きっと、先生には先生の考えがあるんだと思う。でも、やっぱり心配で……」

 ジェノはリニアを庇うが、マリアは「いいえ、意地悪よ」と断言する。


「どうして、マリアはそう思うの?」

「だって、私のお兄様の剣術指南の先生は、屋敷にやってくるなり、お兄様に剣を振るように言ったわ。体を鍛える意味もあるからと」

「素振り……」

 木剣を手にして何度もそれを振る姿を想像し、ジェノはつい「羨ましい……」と口に出してしまう。


「ふふっ。貴方はやっぱり少し変わっているわね。私のお兄様は、すぐに剣術の練習をサボろうとするのよ。体が痛くなるから嫌だと言って。

 お父様に、これも貴族に生まれた男子の義務だと言われて叱られることがなかったら、お兄様は絶対に剣を握ろうとしなかったはずよ。それなのに、ジェノったら」

 マリアは何が面白いのか、クスクスと笑う。


「むぅ。別に僕は変わってなんかいないよ。ただ、僕は強くなりたい。だから、一日も早く剣を使えるようになりたいだけだよ」

 ジェノは馬鹿にされたと感じて、そう文句を口にする。


 ただそこで、自分はまだリニア先生からの宿題の答えを出せないでいることを思い出した。


『料理を作れるようになっても、剣術が上達する訳がない。でも、強くなることはできる』


 リニアはそんなおかしな事を言っていた。

 でも、ジェノにはまだその意味が分からない。


 その事を素直に話すと、『それじゃあ、答えがでるまで考え続けなさい』と、リニアに言われていたのだ。


 ジェノはもう一度、リニアの言葉を考えてみる。


「もう、そんなに怒らないでもいいじゃあない」

 マリアの悲しそうな声に、ジェノは思考の海から舞い戻る。

 つい隣にマリアがいることを忘れて、考え込んでしまっていたようだ。


「ああ、ごめん、マリア。でも、僕は別に怒っていたわけじゃあないよ」

「本当?」

「うん。本当だよ」

 ジェノが笑顔で言うと、マリアも嬉しそうに微笑む。


「良かった。ジェノに勘違いされなくて」

「んっ? 勘違いって何?」

 ジェノがそう言うと、マリアは頬を赤らめて立ち上がり、ベンチに座ったままの彼を正面に見据えて微笑む。


「ふふっ。さっきの、貴方は少し変わっていると言ったことよ。勘違いしないでね。私は、そんな人とは違うジェノのことが、だい……」

 マリアが何かを言いかけたが、そこで別の人物の声が聞こえてきた。


「おーい、ジェノ!」

 その声は、膨らんだ籠を片手に持ったリニアのものだった。

 どうやら、買い物に来ていた帰りのようだ。


 ジェノはそれに手を振って応える。

 だが、そこで先程マリアが何か言おうとしていたことを思い出す。


「そう言えば、マリア。何を言いかけていたの?」

 ジェノは優しく尋ねたのだが、マリアはものすごく不機嫌そうに、「なんでもない」と言って、顔をぷいっと横に向けてしまう。

 何が何だか分からず、ジェノは首を傾げるしかなかった。


 そんなやり取りをマリアとしているうちに、リニアがジェノ達の前にやって来た。


「あら、ジェノ。お友達と一緒だったの?」

「うん。マリアとお話をしていたんだ」

 ジェノはベンチから立ち上がり、そう言ってリニアに笑みを向ける。


「あら、この娘が噂のマリアちゃんなのね。うん、これは予想以上に可愛いわね。将来はきっと、すごい美人になりそう」

 リニアはマリアを見て、満面の笑みを浮かべる。


「……ジェノ。この綺麗なお姉さんは誰なの?」

 しかし、マリアはニコリともせず、ものすごく低い声でジェノに尋ねてくる。


「うん。この人はリニア先生。二ヶ月くらい前から、僕の家で暮らしている、さっき話していた先生だよ」

 マリアの声が低いことに気づかずに、ジェノは笑顔で先生をマリアに紹介する。


「私、ジェノの先生が、女の人だって知らなかったんだけれど」

「ああ、そういえば言ってなかったね」

 ジェノはなんでもないことのように呟く。

 マリアの声が一層低くなっていることに気づかずに。


「ジェノ。君は、真面目に頑張るいい子だと先生は思っていたんだけれど、どうやらもう一度、しっかり教え直さないといけないこともあるみたいね……」

 リニアがそう言って、空いている方の手で頭を抱えるが、やっぱりジェノにはよく分からない。


「ジェノ! この先生は良くない先生よ! 剣術を学びたいのなら、私がお父様に頼んで、うちの剣術指南に教えてもらえるようにしてあげるわ!」

 マリアは大声で一方的に断言すると、ジェノとリニアの間に入り、リニアを睨む。


「もう。マリアちゃん、怒ってしまったじゃあないの。ジェノ。君のせいなんだから、責任を持ちなさい」

 リニアはそう言うと、「それじゃあ、頑張りなさいよ」と言って、逃げるように家に向かって行ってしまった。


 理不尽だとジェノは思う。

 どうして、マリアが怒っているのかがまるで分からない。

 それに、マリアの機嫌が悪くなったのは、先生が姿を現してからだ。どう考えても、原因は先生にあるはずなのに、どうして自分のせいになるのだろう。


 ジェノはそんな思いをしながら、こちらに背を向けているにも関わらず、明らかに機嫌が悪い事が分かるマリアに、なんと話しかければいいのだろうかと頭を悩ませる。


 だが、ジェノが声を掛けるよりも先に、マリアが振り向いて声をかけてきた。


「ジェノ!」

「うん。どうしたの?」

 とりあえず落ち着いて話を聞こうと思い、努めて普段と変わらない声でジェノは尋ねたのだが、どうやら逆効果だったようで、マリアは眉を吊り上げる。


「私のお母様も、親戚のお姉様も、みんな胸が大きいのよ。だから私だって、すぐにあの先生みたいになるんだから!」

 マリアはそれだけ言うと、「今日はもう帰る!」と言って、不機嫌さを隠すことなく、家に向かって歩いて行ってしまった。


 先生と友達がいなくなってしまい、一人で噴水の前に立ち尽くすジェノ。


「はぁ~。僕がいったい何をしたって言うんだ……」

 ジェノはやはり理不尽だと思いながら、がっくりと肩を落とすのだった。

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