第84話 『残された時間』
突然、宿の部屋に現れたリットに、ジェノは頭を下げる。
「リット。頼みがある。お前の提案を蹴った上で図々しいが、どうにかこの娘の熱を……」
「みなまで言わなくてもいいぜ。今日の俺は機嫌がいいんだ。久しぶりに、憂さ晴らしができたんでね。この熱を下げればいいんだろう?」
正直、『憂さ晴らし』という物騒な単語が気になるが、今はそれよりも、イースを救うことが先決だ。
「ああ、頼む」
下手に出るジェノとは対象に、リットは上機嫌に、熱にうなされてベッドに眠るイースに近づいて、彼女の頭の近くに手をやる。
するとすぐに、イースの顔が和らぎ、穏やかな寝息を立て始めた。
「ほい。熱は下げたぜ。それと、サービスで安眠させてあげた。朝まではぐっすりだろう。う~ん、俺ってばやっぱり紳士だねぇ」
リットはそう言うと、ジェノ達に向かって茶目っ気のある笑みを向ける。
「助かった。礼を言う。だが、お前はこれ以上の協力をする気はないのだろう?」
「ああ。でも、今まで居た宿屋に、ジェノちゃん達の幻を作って、宿に戻ったように偽装してあるぜ」
リットの思わぬ言葉に、ジェノは怪訝な顔をする。
「どういう風の吹き回しだ? お前が、頼まれてもいないにも関わらず、協力をするとは」
「酷いなぁ。俺達は幼馴染の大親友じゃあないの」
「心にもないことを言うな」
嘆息するジェノ。だが、彼とは対象に、イルリアが怒りの形相で、リットに詰め寄る。
「リット。何人もこの村で人が死んでいる。それでも、あんたは私達に事実を教えるつもりはないの?」
イルリアの問に、リットは「ああ、ないぜ」とシンプルな答えを返す。
怒りに身を震わせるイルリアとニヤけるリットの間に入り、ジェノはリットに視線を向ける。
しかし、リットは笑みを強めて口を開く。
「言ったはずだぜ。『後悔はするなよ』ってさ。ジェノちゃん達は選んだんだ。この村に残ることを。その責任は取れよ」
ジェノは憤る気持ちを抑えるために小さく息を吐き、
「……そうだな」
と短く答える。
「ジェノ!」
イルリアは何かを言いたそうに、ジェノの名を呼ぶ。だが、ジェノはそれ以上何も言わない。
「……なぁ、イルリアちゃん」
しかしここで、何故かリットの方からイルリアに声を掛ける。
「何よ!」
イルリアは不機嫌そうに返す。
「いや、一応は仲間だからな。ジェノちゃんにだけ二度目のチャンスを与えるのは不公平だと思ったんだよ。だから、イルリアちゃんにも最後のチャンスをやるよ。
このまま全てを投げ出して、ジェノちゃんと一緒にこの村から逃げるのであれば、俺が助けてやる。だから、これからどうしたいのか、今すぐに答えてくれよ」
思わぬ提案にイルリアも驚いたようだが、彼女以上にジェノは驚いていた。
長い付き合いだが、リットが前言を撤回する所など初めてみた。
だが、そのことで、ジェノは明確に理解する。
それほどまでに、この村で今起ころうとしていることは危険なものなのだと。
「この娘を、イースを置いていけっていうの? それに、サクリも……」
「ああ。それが条件だ。それを飲めるのなら、助けてやる」
そう呟くリットの口元から笑みが消えていたのだが、イルリアはそのことに気づかない。
「そんな提案、受け入れられるわけないじゃあないの!」
だから、イルリアは即答してしまった。
「はいはい。了解。なら、この話は無しってことでいいよな。ただ、くれぐれも後悔はしないでくれよ」
ジェノが口をはさむ暇もなく、リットは話を締めくくる。
そして、ジェノの方を向くと、人差し指を立ててそれを横に振る。もう遅いという事だろう。
「それじゃあ、俺はここまでだ。あとは二人で頑張ってくれ」
リットはジェノ達に背を向け、右手を肩のあたりまで上げて、ひらひらとそれを動かして立ち去ろうとする。
「あんた、本当にこれ以上は何も手伝わないつもりなの?」
イルリアの声を背に受けても、リットは振り返りもしない。
「さぁな。だが、タネの分かった手品ほどつまらない物はないんでね。期待はしないほうが良いと思うぜ」
人を馬鹿にした口調で言うリットだったが、不意に足を止めた。
「ジェノちゃん。まだ何が起こっているのかを理解できていないようだが、相手はそんなことは知ったことじゃあない。……もう時間はないかもしれないぜ」
最後にそう言い残し、リットは魔法を使って、部屋から瞬時にいなくなった。
ジェノ達は、リットが居た空間をしばらく無言で見ていたが、やがてジェノが口を開く。
「だいぶ日も傾いてきた。とりあえず俺達は夕食にしよう。それと、イースが寝ている間に相談したいことがある」
ジェノは努めていつもと同じ口調で、イルリアに話を振る。
「ええ。分かったわ。下に行って貰ってくるから、イースのことをお願いね」
イルリアも気持ちを切り替えたようで、ジェノの提案を受け入れて、部屋を出ていった。
リットは軽口を叩くが、基本的に嘘を言わない。それを理解しているが故に、ジェノは焦燥感に駆られそうになる。だが、今は数少ない材料で考えて答えを出す以外に方法はない。
魔法が使えない自分には、何も分からないのだから。
「俺が魔法を使えれば……」
詮無きことだとは思いながらも、ジェノはそうこぼすのだった。
◇
部屋で食事を食べると言うと、この宿の女将が意味ありげに笑ったが、イルリアはそんなことは気にしない。
二人分の食事と飲み物を手渡され、そして、イースが夜に目を覚ました時にと思い、小さなパンとチーズを二つ貰った。
当然、宿には他の客もおり、イルリアに声をかけようとする男も居たが、そこは女将が気を利かせて追い払ってくれた。
自分とジェノとイース。この三人で一つの部屋に泊まる。
そのことから、何を勘違いしているかは想像がつくが、イルリアは、今は余計な時間を取られずに済んだことに感謝しておくことにする。
部屋の前まで戻ると、音を聞いたのだろう。ジェノが何も言わずにドアを開けてくれた。
そして、眠っているイースのベッドの横のテーブルで、イルリアはジェノと無言で食事を摂る。
食事はそれなりに美味しかったが、五里霧中と言った現状を考えると、それを楽しむ余裕はなかった。
会話の一つもない食事を済ませたイルリアとジェノ。
そして、イース用のパンとチーズが盛られた皿以外の食器類を下の食堂に返却して戻ってから、イルリア達は話し合いを始める。
「それで、イースが眠っているうちに相談しておきたいことってなによ?」
リットの言葉を信じるのなら、もう時間も少ないのだろう。イルリアは、単刀直入にジェノに尋ねる。
「イースの話で、この村のおおよその状況は分かったが、どうしても二つ、引っかかるところがある」
ジェノは少し声のトーンを落とし、話を続ける。
「一つは、何故、<聖女>とまで呼ばれているジューナが、イースの家族を自ら殺害したのかということ。もう一つは、イースの妹、ファミィの首を落としたことだ」
予想以上に重い話になり、イルリアは自然と拳を握りしめる。
なるほど、これはイースが起きている間は話せない内容だ。
「一つ目は、殺害の動機?」
イルリアが尋ねると、ジェノは「違う。直接殺害したことだ」と補足を入れる。
「ナターシャが最たる例だが、あの神殿には、ジューナに心酔する人間が多いことは間違いないだろう。だから、あの女の命令であれば、どんな事でもする輩はいるはずだ。
イースの家族を殺すことで何をしようとしているのかは分からないが、この村で一番顔が知れ渡っているジューナ本人が、わざわざ出向いてその手を血に染める理由が分からない。リスクばかりが高すぎる」
ジェノの説明を聞き、なるほどとイルリアは思う。
「そうね。そのせいで、イースに顔を見られてしまったのだから、迂闊としか思えないわね。それに、イースに逃げられてしまっているわけだし」
「母親が庇ったのもあるのかもしれないが、どうして、子供の足で大人から逃げられたのかも謎だ。だが、それはひとまず置いておく」
イルリアは頷き、ジェノの次の言葉を待つ。
「イースは、妹の、ファミィの首から上がなかったと言っていた。当然、ジューナ達がやったのだろうが、何故そんな事をしたのかが不明だ。
殺すだけなら、刃物で喉を突くか掻っ切れば十分だ。わざわざ時間を掛けて切断した意味がまるで分からない。そして……」
顔をしかめるイルリアに、ジェノは少し間を置く。
「いいから、続けなさいよ」
イルリアは声を絞り出し、続きを促す。
「イースは、妹の首から上が『なかった』と言った。『斬られていた』とか、『切断された』とかではなく。
もちろん、事態が事態だ。パニックになって見落とした可能性は大いにあるが、殺害された妹を一瞥した範囲に、その頭部はなかったと思われる」
ジェノはあえて感情を込めない、事務的な口調で言う。
「……どういうことよ? まさか、イースの妹の頭部を、ジューナ達が持ち去ったというの?」
「ああ。理由はわからないが、状況的にそうとしか考えられない」
ジェノの表情が、一瞬、怒りの形相に変わったのを、イルリアは見逃さなかった。
ジェノのあの症状を治してもらいたくて聖女を頼っただけなのに、話が全く予想のつかない方向に転がっていったものだと、イルリアは歯噛みする。
だが、そこではたとイルリアは気づく。
「ちょっと待ちなさいよ。それって、その、イースがまだ狙われている可能性もあるという事? 理由は分からないけれど、ジューナ達は、人間の首を集めているのよね? それだったら……」
「どういう基準で、誰の首を集めているのかが分からん以上は断定できないが、その可能性は高いと思う」
ジェノはそこまで言うと、小さく嘆息する。
「いや、正直に言って、リットの、『時間がない』と言う言葉から連想できる事柄がない。
だから、このままでは、神殿の連中がここに押しかけてくるなりしてしまい、イースが奴らに捕まってしまうという事を指していると考え、行動するしかないのが現状だ」
「つまり、イースを神殿の人間から守りながら、しびれを切らしてジューナ本人が出てくるのを待つ。そして、それを返り討ちにして捉えるしかないわけね」
「そうだ」
ジェノは絶望的な現状を隠さずに説明してくれた。
しかし、そんな場合ではない事は分かっているが、そのことが少しだけイルリアは嬉しかった。
ようやくジェノが自分のことも戦力と考えてくれた。
いつもジェノの仕事について行っても、何の役にも立てないことばかりだった。だが、今回は自分にも武器がある。このポーチに入れてある、魔法の力を封じてある道具が。
「まぁ、なんとか頑張るしかないわね」
「ああ。すまんが、頼む」
ジェノの殊勝な態度に、イルリアは心のうちで気合を入れる。
そんな気持ち程度では、どうしようもない事柄が、絶望が、もうすぐそこまで迫っていることに気づかずに。
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