4-5.過負荷の変身

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今回、ミリアム視点です。

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 爆発の瞬間。

 脳内の魔核が反応し、保護魔法が身体の表面を覆った。それを敢えて剥ぎ取る。

 手足が吹き飛び、胴体がちぎれた感覚を覚えている。再び魔核が活性化し、体の再生が始まった事も。これは魔核の暴走と魔族変化に繋がる。

 だから、停めた。意思の力で。


 私の体は誰かに抱きかかえられて運ばれだ。その後、すぐにアスクレルの神官が呼ばれたらしい。祈祷の声と、癒しの神術が体を巡るのを感じた。

 流石に、神術までは停められない。それでも、アスクレルの癒しは命を保つ所までだ。傷は塞がった。胴体と内臓の再生までは行われた。でも、失われた手足は戻らない。


 右目は見えない。潰れたのだろう。そして、舌で探ると、右の頬が無い。顔の右側が右目と一緒に失われたのだ。

 鏡で見たら、さぞおぞましい姿だろう。醜い肉塊。それでも、魔核が暴走して、魔神に操られて人を襲うくらいなら、このままでいい。


「ミリアム……」

 クロードの声。残された左目に映るのは、泣きぬれた彼の顔。

「許してくれ。余は、なにもできなかった。前にも人間爆弾は使われたのに、対策をとれなかった……」

 違うのに。ジャニスがさらわれたのは、私の責任。私の部下なのだから。

「うか、たちは……」

 満足に喋れない。それでもクロードは理解したようだ。

「君の部下で生き残ったのは、一人だけだ。とっさに君が突き飛ばした少年兵だけ」

 テッド。命は助かったのね。でも、目の前で最愛の人が粉みじんになってしまった。心の傷はどれだけ深いか。


 ペイジントンの瓦礫の中、タクヤが少女の亡骸を抱えて号泣していた姿が思い起こされる。彼は絶対に忘れない。それが彼の心を縛っている。おそらく、生きている限り。

 テッドはどうだろう。立ち直れるだろうか。それとも、心が折れて潰れてしまうだろうか。


「テッドがくるしうなら、モウィエル神殿へ」

 魔族のエルリックが向かったモフィエル神殿。死者の代弁者となれる巫女がいるという。そこでジャニスの声が聞けるなら、もしかしたら彼を救ってくれるかもしれない。


 ……かもしれない、だけど。


「わかった。余に任せてくれ」

 クロードは帰って行った。あたりは静かになった。入隊してから初めてかもしれない。たった一人で過ごすのは。


 みんな死んだ。

 パトリックは目の前で真っ二つにされて。テッド以外はジャニスの爆発に巻き込まれて。テッドは助かったが、おそらく心が死んでしまった。

 みんな……みんな。


 天幕から漏れる光が消え、再び明るくなったころ。周囲に動きが感じられた。

 討伐隊の編成が終わり、行軍が始まるのだろう。王都からオレゴリアス公国まで、確か十日前後。魔王軍との決戦は二週間後か。


 それでも、私のいる天幕は動かなかった。私は置いて行かれたのだ。当然だろう、歩くどころか、一人では寝返りすら打てないのだから。

 日に何度か訪れて、身の回りの世話をしてくれる者がいるが、顔もろくに見る気になれない。私の姿を見て浮かべる表情が耐えがたいから。嫌悪であれ、恐怖であれ、憐れみであれ。


 食欲はない。魔人化と関係があるのかどうかわからない。それでも、世話人の態度や言葉から、私がじきに死ぬと思われている事がわかる。

 だが、死ぬ事はない。私が死ぬ事を、私の中の魔核が許さないからだ。自殺もできない。だから、肉体が限界になれば魔核が暴走するだろう。


 アスクレルの神術でわかった。癒しの効果は体内の魔素を活性化させる。それに応じて魔核が成長したのも感じられた。癒しの魔力は、今の私には呪いだ。

 やがて時間の経過が曖昧になった。数日か、数年か、それとも数刻に過ぎないのか。それすら分からなくなったころ。


 遠くに響く声。

「ミリアム!」

 恐れていた声が。

 愛してやまない声が。

 会いたくてたまらない、なのに今となっては絶対に会いたくない人の声が。


「ミリアム!」

 タクヤだ。タクヤが目の前にいる。なのに……

「うぃないで! うぁたしを、うぃないで!」

 見られたくない、こんな酷い姿を。こんな姿を見たら、彼は絶対にやってしまう。


「大丈夫だよ、手に入れたんだよ、エリクサーを!」

 宝物庫の魔法陣が輝く。取りだしたのは、青く輝く液体の瓶。


「だうぇ! それをつかっちゃ、だうぇ!」

 うまく喋れないのがもどかしい。タクヤは理解できていない。

「心配ないよ、沢山作れたんだから」

 瓶の栓を抜く彼。泣きぬれていても、微笑んでいる。薬の効果に、万全の信頼があるのだろう。


 間違いなのに。


 脳内の魔核が、既に目の前のエリクサーに反応し始めている。


「さぁ、飲んで!」

 頬の無い口の右側から、青い液体が注ぎ込まれた。げほっとむせるが、吐きだせたのは水分だけ。青い魔素は、舌や口腔から瞬時に吸収されてしまった。


「ああああ……」

 魔核が活性化する。青い魔素が肉体を巡り、失われた手足が、顔の右半分が、潰れた右目が、再生する。


 でも、そこでは止まらない。活性化した魔核が、私を変化させていく。青い魔素が、赤く染まって行く。

 魔族変化まぞくへんげ


「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!」

 人ではない者の声が、喉から振り絞られる。

 驚愕するタクヤ。思わず後ずさる。


 そうよ、下がって。私から離れて。

 ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい――


 体が巨大化する。

 衣服を破り、寝床からはみ出し、天幕を突き破り、真冬の寒気に裸体を晒す。

 それでも、寒さなんて、感じない。


 体を起こす。

 月明かりに照らされた、胸の乳房は金色。そこから下を覆うのは、真っ白な羽毛。両脚も金色、そして鳥のような鉤爪。

 立ち上がると、背中から翼が生えてくるのを感じた。両腕も金色だから、顔もそうなのだろう。


 足元に人影がふたつ。タクヤとオーギュストだ。

「……ミリアム」

 はるか下から、タクヤの声。

 小さい。人とは、なんて小さいのだろう。

 そこから、私の心は二つに割れる。


 小さいからいとおしい、というヒトとしての心。

 小さいからと侮蔑する、という魔族としての心。


 後者は嫌だ。そんなものに支配されたくない。


「タクヤ、ごめんなさい」


 彼はかぶりを振った。

「いいんだよ、ミリアム。君さえ――」

 彼の言葉を遮り、私は言った。

「こんな姿、あなたにだけは見られたくなかった」

 背中の翼を広げる。


 そう、伝えなければいけないことがあった。


「『双子の魔核』に気をつけて」

「……え?」

 意味が呑み込めない用だけど、きっと彼なら気が付くはず。


「さようなら、タクヤ」

 羽ばたき、王城の庭から舞い上がる。その時になって、王国の近衛の騎士たちが取り巻いていたことに気づく。


 愚かな人間どもめ。

 そんな考えが浮かぶ事に、ゾッとする。これが魔核の支配なのか。

 ならば、人間から離れないと。私の心にまだ残っているヒトの部分は、私が人を殺したりしたら簡単に崩壊してしまうはずだから。

 ヒトのいないところ。魔核が成長しないような、魔素の少ないところ。


 うってつけの場所があった。高い山脈を一つ飛び越え、南へ進む。それだけで、雪の量はかなり減った。そして、深い森の中にそれはあった。

 魔物を狩りつくした迷宮が。


 私は地上に舞い降りた。目の前には何の変哲もない洞窟。迷宮への入り口だ。

 しかし、私の今の姿では入れないほど、洞窟は小さかった。そこで、魔核の力を抑えつける。魔族変化の時を思い出し、あの感覚を逆にたどる。

 人の姿に戻った。肌は元の色、脚も鉤爪ではない。しかし、雪の中で全裸なのに寒さは感じない。いいえ、気温の低さは感じるけれど、気にならない。


 それでも、さすがに全裸と言うのは、私の中のヒトの部分が拒絶する。右手を掲げて、魔核が教える魔法を行使した。

 無から生成された布を掴み、体に巻きつけ肩の所で留める。物質生成の魔法だ。

 人間の錬金術はもう長い事、進展が無かったのに。体内に魔核があれば造作もないとは皮肉なもの。布を留めたのは純金のブローチ。対価と引き換えに、何でも作れてしまう。

 今ならばわかる。魔王だったオーギュストが、人間の魔人化に取り組んだ気持ちが。


 私は、枯れた迷宮に踏み込んだ。

 迷宮を下っていく。誰もいない。何もいない。そこここに下級の、小さな魔物の気配はするが、私を襲うどころか、恐れて身を潜めている。

 暗闇でも魔族の目には見通せるが、あえて光明の呪文で光を生みだした。人の目に映る光景が見たい。


 そして、迷宮の最深部。元は宝箱でもあったのだろう、しかし今は何もない広間だ。そして、期待通りの魔素の薄さ。ここでなら、魔核の成長も抑えられるだろう。

 魔神の呪いとでも言うのか、魔核を持つと自殺はできなくなる。魔獣も魔人も魔族も、いえ、魔王ですら、魔神からみれば魔核の器、苗床でしかないのだから当然だ。

 だったら、勇者に倒してもらうしかない。でも、タクヤにそんな辛い思いをさせたくない。


 ではどうするか。

 そう。私を倒せる勇者を、私が育てればいい。


 魔力を使って、この迷宮を魔物と財宝で満たそう。踏破しようと入って来た者が死なないように、弱い魔物から出あうようにして。強くなれるように武器や防具を、傷を治せる薬を、あちこちの宝箱に入れて。


 広間に机と椅子を生成し、紙とペンとインクも作り出す。

 物事は計画的に進めないと。遠隔視で迷宮の中を透視する。どこに何が必要か。

 ああ、そうね。タクヤたちと南の大陸に渡った時、こんな感じの工程表をつくったっけ。

 懐かしい。ほんの一か月かそこら前の事なのに、はるか昔のように思われる。


 ……いけない。たったこれだけの時間で、広間に魔素が満ちてきた。換気が必要ね。


 風魔法で魔素を広間の外へ追い出した。魔核が対価を処理しきったら、そこで魔素を断つ。そうすれば魔核は成長しないはず。

 しかし、体内の魔素を減らす事は難しいから、完全に成長を止める事はできない。遅らせるだけだ。


 なら、もっといいやり方を教えてもらおう。

 先代の魔王に、私は遠話をかけた。


「オーギュスト、お願いがあるの」

 すぐに彼は来てくれた。転移で、広間へ直接。

「その魔術があると、迷宮なんて意味がないわね」

 彼は苦笑した。

「まぁ、ガジョーエン迷宮みたいな結界があると、使えませんけどね」

 それは貴重な情報だった。彼は迷宮の中にいる間に、その結界の生成方法を解明したと言う。

「じゃあ、それも教えて。でも、まずは魔核分裂が先よ」


 魔核分裂とは、魔物が他の魔核を吸収するときに起きる魔核融合の逆だ。

 頭部に出来た魔核の一部を魔素に分解し、胸部や腹部に予備の魔核を生成させる。通常は頭部を切り落とされたり破壊されても再生できるようにするためだが、これで頭部の魔核の成長を抑えれば、魔神による支配も受けにくくなる。

 これが、オーギュストが百年もの間、魔神の支配からのがれてきた方法だ。

 私は半日ほどで習得できた。


「これを繰り返せば、対価にそれほど神経質にならなくても済むわね」

 私の言葉に、彼は微笑んだ。

「でも、腹部の魔核があまり大きくなると、まるで妊娠したかのように見えますから」

 それは困る。彼は言葉を続けた。

「それに、タクヤが私に言うんですよ。それ以上、腹黒くなられては困るって」

 思わず吹き出した。


 ああ、私はまだ、笑う事ができるんだ。


 そして迷宮の結界。これも習得はうまくいった。

 転移だけでなく、遠隔視や遠話まで封じられてしまうのは不便だが、使いたい時だけ結界を解除すればいい。適当な魔核にこの術式を仕込んでおけば、自分の魔核の肥大を気にする必要もないし。


 お返しに、私の魔核が持っている物質生成の魔術を、彼に教えようとしたのだけど。

「……これは、無理のようです」

 しばらく試した後、オーギュストは断念した。


 どうやら、私の魔核に固有の魔術らしい。

 よく知っているものなら何でも、無から作り出せる。木でも、金属でも、宝石でも。希少な物ほど対価が増えるけど。


「時折、こうした固有魔法をもつ魔核が生じる事があります」

 オーギュストの言葉に、私はまぜっかえした。

「なら、私の魔核はさぞかし高い値がつくでしょうね」

 軽口を言えるくらい、気持ちに余裕が出てきた。


 ただひとつ、この魔術でも魔素だけは作れなかった。無からではなく、体内で魔素を凝縮させて魔核を作る事はできるのに。そして、魔物の体内にあれば、魔力を使わない間は魔核が魔素を作り出すのに。


 オーギュストが言った。

「おそらく、魔神の支配と関係しているのでしょう」

 その魔神の支配は単純な命令で、たった二つしかない。「魔物の数を増やせ」と、「人を襲え」だ。


 オーギュストの人類魔人化計画も、私の迷宮育成も「魔物の数を増やせ」と言う一つ目の命令にはかなっている。しかし、二つ目の命令「人を襲え」と言うのだけは願い下げだ。

 それに、命令の片方を遂行すればもう片方は強要されない。


 思い出したのは、タクヤたちとペイジントンを立ってすぐに出会った、森の中のオークたちだ。彼らは子を産み育てることで、魔物である自分たちの数を増やしていた。そして、食糧不足になって産み増やす事ができなくなって、初めて人を襲おうとする者が現れた。

 全く同じ理屈だ。


 魔素を作り出せれば、魔物に寄らず魔核だけを作り出せる事になる。それがきっと、一つ目の命令に違反するのだろう。なら、二つ目の命令に従ったら?

 ……そんな実験は願い下げだし。


 それに、集めた魔物に冒険者を襲わせれば、二つ目の命令も間接的に満たすことになる。


 オーギュストは帰り際に言った。

「何かあったら遠話してください。時々、タクヤの様子も伝えましょう」

 ありがたかったが、後半は断った。様子を聞いたら、会いたくなってしまう。


 そして、会ってしまったら、殺したくなるに違いない。

 もう、彼には会えない。あの声を聞く事もない。


 彼が探し求めている、青魔核変換の術式。それが見つかるまでは。

 だけど、オーギュストが言うには、未だに手がかりは見つからないらしい。

 そして、たとえ見つかったとしても、彼が死んでしまったら?


 ヒト族の寿命は短い。タクヤのいた異世界では、薬などが発達して、だれもが八十歳くらいまで生きられると言う。それでも、寿命など無い魔族にとっては、あっという間だろう。


 ……タクヤのいない世界なんて。

 ふと、涙が頬を伝うのを感じた。

「知らなかった。魔族でも、涙は出るのね」


 誰もいない広間に、私のつぶやきだけが響いた。

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