3-4.航海先に立たず

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今回、ミリアム視点です。

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 港湾都市ゾルディアックから、北大陸のエルベランへの船に乗った。

 行きとは違う船だが、同型なので船員に案内してもらわなくても、迷わずに船室に辿りつけた。二等船室の一人部屋。船賃が結構かかるけど、三等以下だと相部屋しかないので仕方ない。

 ここまでの旅路で何度も男に絡まれたので、相部屋だけは勘弁。


 鞄一つの僅かな荷物を部屋に置き、甲板に上がって夕暮れの風に当たった。港町の向こう、太陽は既に沈み、西の空は残照に赤く染まっている。

 夕凪の中、出航準備に走り回る船員たちの邪魔にならないよう、私は船べりの手すりに寄りかかってその空を眺めた。


 今頃、タクヤもあの空を見上げているのかしら。

 元気にしている……わよね、きっと。アリエルやトゥルトゥルも。あと、あの女冒険者。ランシアといったかしら、多分、パーティーに加わったはず。そんな気がする。

 みんなに囲まれて、タクヤは寂しくなんかないわね。


 私は寂しい。すごく。


 そのままだったら、泣きだしていたかもしれない。でも、横から声をかけられたので、そうはならなかった。


「お客様、ミリアム・ガロウラン様でよろしいですか?」

 振り向くと、白い立派な制服を着込んだ壮年の男性が立っていた。帽子からこぼれる髪に白いものが混じっているが、制服の上からでも筋骨逞しいのがわかる。


 私がうなずくと、男は言葉を続けた。

「船長のドレイク・ブラフトと申します。よろしければ、あちらにお茶の席を設けますので、出航を待つ間、お話させていただけますでしょうか?」

 意外な申し出に戸惑っていると、船員たちが手早く甲板の片隅にテーブルと椅子を設置していった。そこへ、船内から出てきた給仕が茶器を並べていく。


 促されるまま席に着くと、給仕がカップに紅茶を注いだ。

「お話とはなんでしょうか?」

 船長の物腰から好意的なものを感じたけど、意図がわからない。男性と対面で話すのも緊張する。

 そんな私のそぶりに気付いたのか、船長は微笑むと話し始めた。

「乗客名簿にお名前を見かけまして、クラーケンを退治された勇者タクヤ殿の仲間とわかり、是非ともお礼をしたいと思った次第です」


 クラーケンが何隻も船を沈めたので、南北大陸間の航路が長いこと止まってしまい、海運全般に大きな影響が出ていたとは聞いていた。だから、タクヤが感謝されるのは良くわかる。

 でも……

「クラーケン討伐では、私は何もしていないのですが」

 むしろ、人魚族の協力を取りつけたアリエルの方が、余程貢献している。

 それでも、船長はかぶりを振った。


「勇者殿に繋がる方であれば、どなたでも感謝の気持ちをお伝えしたいのですよ」

 船が出せないため、船員も漁師も生活にかなり影響が出ていたらしい。どれだけ感謝しても足りないとの言葉は、心からのものに感じられた。


「しかも、勇者殿は討伐の対価を求めなかったと聞きます。なので、勇者のお仲間からは船賃を頂くわけにはまいりません。どうぞこれをお受け取りください」

 小さな布にくるまれた物を渡された。広げてみると金貨が一枚。

「これは……お返しします」

 金貨を包み直し、船長の方へ押しやる。

「タクヤが受け取らない物を、私が受け取るわけに参りませんから」

 そうですか、と船長はうなずいてくれたが、どこか淋しげでもあった。


「船室の方は、特等が空いておりましたので、勝手ながらそちらに荷物を移させて頂きました」

 あまりの待遇に身が縮む思い。私は、船長に案内されて特等船室へ向かった。船尾の港舷さげんにある広い部屋で、調度類は贅を凝らしたものだった。


「隣の舵取舷うげん側が船長室となっております。御用の時はお声をかけてください」

 まさか、それじゃ船長が下男のようだわ。

「本当に、色々申し訳ありませんん」

「いえ、お気になさらず。食事は食堂でなさいますか? それともお部屋にお持ちしましょうか」

 これ以上、多くの人に会うのは気が引ける。

「あの……できたら部屋で」

「わかりました。お持ちするように命じましょう」

 気を使われ過ぎるのも気疲れになる。


 ――いくら勇者の仲間だったからって、ここまで親切にされていいのかしら。


 ……駅馬車の待合場所で絡んで来た男のことを思い出す。あんなひどい男と比べては気の毒だが、船長も男性だ。距離が近すぎると緊張する。


 特等室まで案内され、ソファの上に置かれてあった鞄を抱え、私は腰を下ろした。広い船室にたった一人。またもや寂しさがこみあげてくる。

 でも、その時ドアがノックされ、給仕が食事が運び込んできた。魚介類を使った料理も豪華なものばかり。それがまた、ギャリソンの作るものを思い起こさせる。

 一人で食事を取りながらも、ナプキンは口元より目頭に当ててばかりだった。


 やがて、船は港を出た。次第に遠ざかる港町の灯りが、涙にぼやける。往路と同様、船はこの後、湾の中ほどで夜風を待つ。


 タクヤのそばにいたい。でも、そばにいると息が詰まってしまう。離れたくない。でも、離れないとタクヤを傷つけてしまう。

 その時、タクヤの隣で笑う、ランシアのイメージが脳裏に浮かんだ。


 ズキン。胸が痛む。これはもしかして、嫉妬?


 一人ぼっちでいると、嫌な考えばかりが湧きあがって来る。と、そこへ扉がノックされた。

「はい、どうぞ」

 失礼します、と断ってからドアを開けたのは船長だった。

「お食事はいかがでしたでしょうか」

「あ……はい、とてもおいしかったです」

 その割には大して食が進まなかったけれど。


「そろそろ出航ですが、甲板で夜風に当たるのはいかがでしょうか?」

 何くれとなく気遣ってくれる。本当にありがたい。ありがたいのだけど……。

「すみません、今日はちょっと疲れてしまいまして」

 船長は会釈した。

「そうでしたか。ゆっくりお休みください」

 ドアが閉じた。


 念のために鍵をかけ、ローブを脱いでベッドに倒れ込んだ。疲れているけど、眠れる気がしない。それでもシーツにくるまって、眠ろうとしていると。


『ミリアム』

 耳元で響くのに遠く感じる声。お爺様の遠話だ。

「どうしたの、お爺様?」

 小声で返事する。

『今日、ギルドを通して国王陛下の御下命があった。なんでも、大陸の東側、オレゴリアス公国に魔族の侵攻があったらしい。皇帝陛下から各国へ討伐隊編成の勅命が出て、わしも参加することになった』


 そんな。


「お爺様の年齢で……」

 私が絶句していると、お爺様はため息をついて続けた。

『仕方がないさ。勇者殿を追い出してしまったのは、明らかにわしの失態じゃからの。多少なりとも挽回できるなら、老骨に鞭打つこともやむなしじゃ』

 それだけ言うと、お爺様は「対価がきつくなるから」と遠話を切った。


 討伐隊と言っても、魔術師は貴重な戦力だから、戦闘になっても後衛からの支援魔法になるはず。直接矢面に立つわけではない。

 それでも、行軍などでは体力的な無理がかかるかもしれない。お爺様はもうじき六十歳。そろそろ無理が利かない年齢だし……。

 心配で、さらに眠れなくなりそう。


 ――それにしても、東からの魔族の侵攻なんて、今までの歴史でも聞いたことがないわ。一体、この世界で何が起きているのかしら……。


 新たな魔王の居城は、南の大陸の西にあるとされている。それなのに、世界の反対側から攻め込んで来るなんて。どんな魔法を使ったのだろう。


 ――強力な転移魔法陣がどこかにあるのかしら?


 そう言えば、あの魔王は空間魔法が使えたというし。

 考えれば考えるほど眠れない。それでも、いつしか眠りに落ちたらしい。


********


 晴れ渡った空の下の青い海原。それでも、私の胸の内は晴れない。お爺様のことが心配でならない。

 幼い時に両親を無くした私にとって、たった一人の肉親。厳格に育てられて、疎ましく思った時期もあった。でも、いつも私のことを一番気にかけてくれていたからだと、今ならわかる。


「ミリアム様」

 背後から船長の声がした。振り向くと、両手を後ろで組んだ船長が、茶器を盆にのせた給仕を伴って立っていた。

「お茶をお持ちしました。一緒にいかがでしょうか?」

 この船長は、なにかと私に気をかけてくれる。

「……ありがとうございます」


 給仕が甲板に並ぶテーブルの一つをさっと拭き、茶器を並べた。私が椅子に座ると、船長はその向かい側に腰掛け、深々と頭を下げた。

「もし、煩わせてしまっていたなら申し訳りません。あなたを見ていると、数年前に嫁に行った娘を思い出してしまいましてね」

 私の表情が暗いせいね。気を使わせてしまった。

「……そうでしたか。こちらこそすみません」


 私の父が生きていれば、ちょうど船長と同年代となるわけだ。なら、少し距離を置き過ぎだったかもしれない。


 船長は話題を変えた。

「そう言えば、勇者殿は海賊も撃退してくださったんですね。船乗りの間では話題が持ちきりです」

「いえ、それも、あの……」


 ――私が何もできなかった件ばかり。身が縮む思いだわ。


 でも、折角だからその後のことも聞いておこう。

「今はどうしているんでしょう? その……海賊は」

 ポリポリと、船長は頭の後ろを掻いた。

「ええ……あちこちで船を襲ってますが、金品を差し出せば暴力は振るわないようですね」

 なるほどね。タクヤとの約束は守っているみたい。クラーケンに夫や父を殺された寡婦や孤児を養うために、海賊王を目指す。キャプテン・ネロはそう言っていた。


 少なくとも、タクヤはこの世界を少しでも善いものにしようと頑張ってくれている。私は……どうなんだろう。今は、お爺様のことで手いっぱい。


********


 やがて、船は何事もなく北の港湾都市エルベランに入港し、私は船長に挨拶をして船を降りた。何度振り返っても、船長は甲板からずっと手を振っていた。


 すぐに駅馬車に飛び乗っても良かったのだけど、私はどうしても見ておきたいところがあった。この街に滞在していた間、小屋を置いていたあの廃倉庫だ。


 船が出せるようになったせいか、街の様子は以前よりも活気があった。その影響なのか、強盗に襲われた路地もきれいになっていたし、廃倉庫は立て直されて何人もの人足が荷物を抱えて行き交っていた。


 ――思い出の場所は変わってしまったけど、人々が幸せになる方に変わった。喜ぶべきことよね。


 駅馬車の乗り場へ向かう途中のこと。

「ミリアムさん!」

 通りですれ違った少女に呼びとめられたけど、誰だか思い出せない。

「タクヤさんと一緒にいたミリアムさんでしょ?」


 ……思い出した。タクヤが山賊から救った商人の娘さん。あの時、私はフードで顔を隠してたから、私が勇者の仲間だとは気付かれなかったらしい。その後、一緒に馬車を起こした時、顔を覚えられたのね。


「今はここに?」

「ええ、父さんがここで店を開いたので」

 ここでも、タクヤに助けられた人たちがいる。


 タクヤが来たおかげで、この世界は良くなっている。追い出してしまったお爺様は間違ってたけど、召喚した事は正しかった。それで良かったのだと思う事にしよう。


 ……そんな思いは、駅馬車の乗り場にたどり着いた時に打ち砕かれた。待ち構えていた魔術師ギルドの使いの者が、駆け寄ってきて告げたのだ。

「ミリアム様、すぐにギルド支部までいらしてください」


 なんだろう、どす黒い嫌な予感が広がって行く。

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