第30話 誰よあんた 前編

「ただいまー」


 遊園地で遊び尽くして、ようやく家に帰ってきた。


 ……疲れた。


 結局坂本さんと休憩した後も、高木と木村さんに散々連れ回された。

 休憩も少ししかさせてもらえなかったし。



 でも、楽しかったな。


 高木に話をしたおかげで朝からの違和感もわかったし、何より自分の考えに気がつけたからだ。

 夏織ちゃんが何を考えているかも当然気になるけど、それよりも頭の中のモヤが晴れた爽快感の方が勝った。


 気分転換、というより気持ちの整理ができた意味でとてもいい一日だった。



 ……けれど。

 まだ俺には今日やることがある。


 玄関で靴を脱ぎ、鞄を自分の部屋に置きリビングに向かう。


 ——夏織ちゃんに、昨日何が言いたかったか聞くんだ。


 まだ七時半過ぎ。

 ご飯を食べ終わってテレビでも見ながらゆっくりしてる頃だろうか。


 ……聞きたいことはお風呂から出た頃にでも聞こうかな。


 そして、できれば俺の気持ちもぶつけたい。できれば。



 ドアを開けリビングに入る。


「夏織ちゃん、ただいまー……あれ?」


 肩透かしを食らう。

 ソファーには誰もいない。

 

 車はあったし、家にいるはずなんだけど。


 夏織ちゃんがどこにいるかソファー以外に目を向けると、夏織ちゃんはすぐに見つかった……と思う。


 少し自信がないのは、こんな夏織ちゃんをこれまで見たことがないからだ。



 ダイニングテーブルに突っ伏している。



 一瞬体調が良くないのかと慌てるが、視野を少し広げるとそうではないことがすぐにわかった。


 夏織ちゃんのそばに、数本のビールやら甘めの酎ハイの缶が四本。


 どうやら酔っ払って寝てしまっているようだ。


 ……これ。夏織ちゃん、だよな?

 夏織ちゃんのこんな様子は初めて見た。


 時折「んんう」と唸りながら寝ている。

 けれど、前に部屋まで起こしに行った時のような安らかな寝息ではない。

 少し粗めの呼吸だ。


 これが酔っ払い……。


 すると、物音に気がついたのか夏織ちゃんの目が開く。


 虚ろな目で俺を捉えた夏織ちゃんは「お、こーたくんじゃん。おかえりい〜」と手を振っている。


 とりあえず「ただいま」と言って手を振り返す。


 ……どうしたらいいんだ。


 酔っ払いの対応なんてしたことがない。


 両親は家で酒を飲まない。

 父さんは仕事の関係で飲み会に行くことはあっても、べろんべろんに酔って家に帰って来ることはない。


 親戚の集まりで叔父さん達が酔うことはあっても、叔母さんがついているから酔っ払った人の取り扱いをしたことがない。


 困った。


 どうしたらいいかわからずしばらく無言で手を振りあっていると、夏織ちゃんの額がゴンと机に落ちる。


「大丈夫?!」


 駆け寄ってみるも、夏織ちゃんは何事もなかったように再び眠りについていた。


 あれ?

 結構大きな音したけど、大丈夫なんだ。


 酔っ払いの観察機会としては絶好だけど、相手は夏織ちゃんだ。

 放っておくわけにはいかない。


 とりあえず水を飲ませた方がいいっていうのは知っているので、コップに水を入れて持ってくる。


 机に突っ伏している夏織ちゃんの肩をポンポンと叩き「夏織ちゃん水飲んで」と声をかけると、夏織ちゃんはむにゃむにゃ言いながら体を起こして両手でコップを受け取る。


 受け取ったコップの中身をジッと見て少し固まった後、ちびちびと水を飲み出した。


 ……なんか小動物を見てるような気持ちになる。

 これまた可愛い。


「おからり」


 そう言いながら、夏織ちゃんが俺に向かってコップをゆっくり突き出す。


 ……”おかわり”ってことだよな?


「わかった。ちょっと待ってて」


 コップを受け取り冷蔵庫から出した冷えた水を注ぎながら、この先のことを考える。



 もう寝かせたほうがいいんだろうか?


 でも、お風呂とか入った方がいいか?


 あ、歯磨きとか着替えとかも。



 うーん、やることはたくさんあるけど……俺が手伝えることなんてたかが知れてる。


 お風呂は……論外だな。


 服を脱がせて、体を洗ってあげて、なんて……とてもできないよな。


 だって、夏織ちゃんの裸が……。


 ゴクリと唾を飲み込む。


 ……酔っ払った後って記憶がないんだよな?



 って、いかんいかんいかんいかん、何を考えている。

 何も想像するな俺よ。


 理性がなんとか踏みとどまってくれた。

 これ以上夏織ちゃんを悲しませるわけにはいかないしな。


 おかわりの水を夏織ちゃんに渡して、しばらく観察しながら色々考えた。

 結果、俺ができるのは夏織ちゃんをベッドに連れて行くことのみだった。


 夏織ちゃんが水を飲み干し、再び突っ伏そうとする体を両手で倒れ込まないように支える。


「う〜ん?」


 体に力を入れず全体重を俺に預けながら唸り続ける夏織ちゃん。


「夏織ちゃん、ベッドまで行こう。そんなところで寝ると風邪ひくよ。ほら、立てる? 肩くらい貸すからさ。行こ?」


 また寝てしまわないように散々言葉を浴びせかけると、顔だけこちらに何か言おうとする。


「だっこして〜」


「え、抱っこ?!」


「うん。だって、もうあるけない」


 抱っこって、あれか? お姫様抱っこか?!

 そんなもんやったことありません!


「こっちでもいい? おんぶ」


「んーーーーーー。いいよ」


 俺が椅子の横に腰を下ろして夏織ちゃんに背中を向けると、「んしょ」と言って夏織ちゃんが俺に覆いかぶさった。


 よかった。

 思ったよりも重くないな。


 いや、よくないぞこれは。

 背中に柔らかいものが……おそらく二つ。


 これって、あれだよな……。


 抱っこを要求された流れで考える間も無くこんな状況になってしまった。

 けれどおぶってしまったからには、もう降ろせない。


 早くおろさねば。


 健全な理由から早足で夏織ちゃんの部屋に向かおうとすると、「もうちょっとゆっくりい」と唸り声が聞こえてきた。


 どうやら強く揺らしてしまったようだ。

 静かに歩くようにすると静かになった。


 ……夏織ちゃんが言うんだから、しょうがないよな。


 俺は背中に当てられる感触をありがたく享受しながら、ゆっくりと夏織ちゃんのベッドへ向かった。





「よいしょ、っと」


 ゆっくりと夏織ちゃんをベッドに下ろす。


 枕に頭が乗るように横にして、タオルケットをかける。


 ふう、良かった。

 じゃない、疲れた。


 ほんとは夏織ちゃんと話したいことがあったんだけどな。

 また明日以降に聞こう。


 ベッドに来て寝息がさっきよりも、落ち着いたみたいだ。

 すうすうと寝ている。


「おやすみ」と語りかけて部屋を出て行こうとすると、小さな声で「孝太くん」と呼ばれた。


「なに?」と聞き返すと、これまた小さな声で「ありがとう」と言った。


「どういたしまして。夏織ちゃんも、いつもありがとうね」


 そうお礼を言い返す頃には、寝息をたてて眠っていた。


 朧げな意識の中お礼を言ってくれた夏織ちゃんが可愛くて、ほっぺをつんつんとつつく。


「大好きだよ、夏織ちゃん」


 そう言い残して夏織ちゃんの部屋を出る。


 そして、音が鳴らないように扉を閉めて、大きく伸びをした。



「んーーーー」


 夏織ちゃんを寝かしつけたところで、もう一段疲れが重くのしかかる。


 でも、ようやくゆっくりできるな。

 まずは風呂の準備でもするかな。


 そう思い風呂場に向かおうとすると、玄関に誰かいるのに気がつく。


 知らない人だ。

 鍵はかけたはず、どうやって入ってきたんだ?


「だ……だ……」


 ……どうやら、まだ長い一日は終わらないようだ。


「誰よあんたーー!!?」


 玄関に立っている見たことのない女性がワナワナと震えながら、俺に大声を浴びせる。


 それ、こっちのセリフです。

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