第23話 棚から牡丹餅 前編
よし、準備完了。
体育館に行くか。
シューズなど部活の用意を持って部室を出る。
怪我を負いながらの部活動二日目。
痛みは少し引いたが今日も手を使った練習はできそうにないので、アップとフットワーク練習までが終わると俺は別メニューだ。
別メニューの効果は凄まじい。
昨日、帰る頃には下半身を物凄い疲労感が襲った。
今日も同じような別メニューが俺を待っていると思うと少し億劫だが、けれどいいこともある。
昨日この話を夏織ちゃんに話をしたら、なんと足のマッサージをしてくれた。
「頑張った人にはご褒美を授けねば」
とのことだ。
足の回復はもちろん、翌日のパワーもチャージできた。
今日だって、辛いメニューもクリアすれば楽しいことが待っているかもしれない。
こうして、夏織ちゃんは辛いことも乗り越えられる力を俺に与えてくれているんだ。
完全に天使。
少しにやけながら体育館に移動していると、後ろから肩をポンポンと誰かに叩かれる。
「なあ孝太、ちょっと……」
声をかけてきたのは高木だ。
要件については見当がつく。
おそらく昨日お願いした”作戦”についてだろう。
「昨日頼まれた件、とりあえずあの子には伝えたぞ」
「それで? 協力してくれるって?」
「ああ、孝太の言った通りにしてくれるらしい。ただ問題が一つあってだな……」
「問題? なんだよ」
「いや、作戦には支障ないんだけどな。あの子に話すときに——」
修斗が言いかけたところで、体育館の方からの大きい声で修斗の声がかき消される。
「高木ー! 朝倉ー! そんなとこで立ち止まって何してるー。後お前らだけだぞー」
「やべ! 部長だ! 行くぞ孝太!」
「おい、問題ってなんだよ?!」
「部活終わったら話すー!」
くそう。気になるところで……。
”あの子に話すときに……”なんだ?
何かあったのか?
……まあ、考えてわかることでもないしな。
作戦には支障はないらしいし、今は作戦に集中しよう。
高木の後を追うように、走って体育館へ向かった。
◇◇◇
——ガヤガヤ。
ウォーミングアップを控えて、部員が一箇所に集まる。
ここからジョギングを開始し、ダイナミックストレッチ、各種ステップ、ダッシュと移行していく。
それぞれメニューの開始と終了時、それに数人ごとで行うステップやダッシュはグループごとに開始の合図をマネージャーが笛を吹いて行う。
そのマネ仕事を今年度はずっと木村さんがやってくれていたのだが……。
「おい、あの子誰だ? 新しいマネさん?」
「今日は木村さん休み?」
「おい、あの子も可愛いぞ」
「俺好みだわー!」
今日そこには木村さんはいない。
代わりにソワソワと立っているのは前髪をヘアピンで止め、眼鏡をしていないミドルヘアの可愛い女の子だ。
……まさかここまでとは。
「部長も人が悪いなー! 新しい子が入ったなら教えてくださいよー」
「お前ら何言ってる? あそこにいるのは坂本だぞ。今日木村は担任の先生と話すことがあるとかで遅れるらしい。だから坂本にお願いした」
「えっ……」
「「えええーー!!」」
俺と高木を除く部員全員が見事にハモる。
どうやら修斗の奴、ちゃんと木村さんに話してくれたみたいだ。
木村さんが遅れるのは偶然ではない。
昨日高木から木村さんに伝えるようお願いしておいたのだ。
”明日一日だけ坂本さんに選手のサポートを変わってくれないか”って。
一日でも、坂本さんにも楽しく部活をしてもらいたかったから。
……けど、俺はあんなイメチェンをするようにお願いはしていない。
一体誰がそんなことを……。
誰だか知らないけど、グッジョブ。
部員は一斉に坂本さんを凝視し、坂本さんはモジモジし始め視線をこちらに決して向けようとしなくなった。
「すみません、木村さんじゃなくて私で……。木村さんがくるまで我慢してください」
ようやく坂本さんの口から声が聞こえると、部員連中はそこにいる女の子が坂本さんなんだと確証したようだ。
「我慢なんてとんでもない!」
「ぜひお願いします!」
変わり身の早い奴らだ。
口々に坂本さんのネガティブ発言を否定する。
……木村さんの時と雰囲気があまり変わらないじゃないか。
盛り上がる部員を、部長が「そろそろ始めるぞー」と言う一声で締め直す。
「それでは行きます」
——ピーーーッ
久しぶりの坂本さんの合図でウォーミングアップがスタートした。
◇◇◇
「ファイトー!」
「アザース!!」
アップの始めは、去年にはなかった男からの歓声やリアクションに戸惑っていたみたいだけど、坂本さんの声も出るようになってきた。
まあ、去年ずっとやってくれてたわけだし。
男からの声に少し慣れてきたのかもしれない。
男子のおふざけにも笑うようになってきた。
……少しだけど。
——ピッ
「アップ終了です。次、フットワーク練習です」
ウォーミングアップの終わりを坂本さんの笛が告げると、次の練習に備えて部員が一箇所に集まる。
……しかし、前髪をあげて眼鏡を外すだけて、坂本さんがこんなにも変わるなんて誰が予想できただろうか。
おかげで俺たちの新しいモチベーションが生まれました。ありがとうございます。
皆、汗をぬぐいながら次の号令を待っている。
と、その時。
「おー。木村ー! そんなところで何やってるんだー? 用事はもう済んだのか?」
予想外。聞こえたのは部長の声だった。
部長の視線の先を追うと、体育館のドアを少し開けてこちらを覗いている木村さんがいた。
隙間って言っても、二十センチあるかどうかだけど。
部長の千里眼には心底驚かされる。
木村さんも見つかるつもりはなかったのだろう。
あたふたしながら上半身だけ体育館に乗り出してきた。
「す、すみません! 遅れちゃって。用事は終わったのですぐ着替えてきます」
そう言って体育館を去ろうとする木村さんに、ものすごい勢いで近づいていく人がいる。
坂本さんだ。
坂本さんは、驚く木村さんの片手をがっしりと掴み話し始める。
「木村さん! ちょうどよかった、今アップが終わったところだから変わってくれない?!」
「えっ?!」
高木には、一日坂本さんと変わってくれって伝えてもらってある。
それがあってか木村さんは困ったように俺と高木の方を見る。
俺と高木で、すぐさま木村さんに伝わるだけの小ささでバツマークを作る。
もうすでに坂本さんに楽しんでもらうと言う目標は達成できた気もするけど、せっかくだし一日選手の手伝いをしてもらおう。
……別に可愛くなった坂本さんをずっと見ていたいからじゃないぞ。いや見たいけど。
「いや、でも私着替える間、皆を待たせるのも悪いですし……」
「それくらい、この人たちは待てます!」
……この人たち。
坂本さん、意外と食らいつくな。
木村さん、頑張ってくれ。
部員連中はその攻防を固唾を呑んで見守っている。
「それに、私も裏の仕事覚えたいと思ってましたし、今日は坂本先輩にこっちはお願いします!」
「う……。そう……?」
「はいっ! じゃあ着替えてくるので。練習頑張ってくださいねー!」
木村さんの勝利。
体育館を去っていく木村さんと取り残された坂本さん。
……木村さん、うまいことやってくれたな。
坂本さんは諦めたように、ゆっくりこちらに振り返る。
「それじゃあ、続きも私の方でやらせてもらいます」
そう言いながら坂本さんが頭をぺこりと下げると、部員連中は再び盛り上がる。
「「よっしゃーー!!」」
「ぜひ頼むぜー!」 「坂本さん最高ー!」 「早く始めようぜー!」
どっちが担当になってもこの歓声が上がったことは容易に想像できる。
やっぱり男って単純だな。
……俺もだけど。
「うおーーー!」
なにせ俺も皆と一緒になって大歓声を作り上げてる口だからな。
坂本さんは馬鹿騒ぎする男子を見て、再び少し笑った。
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