第15話 女神さまの想い人

 ◆


 正妃さまとの話を終えたぼくは、急いでサロンを退出しする。そして、先に退出したアリサとエスミーのあとを追った。

 しかし結局、アリサの自室への経路で彼女たちに追いつけなかった。


 ――アリサのヤツ、走って帰ったな。


 アリサの自室の前にたどり着いき、ぼくはため息まじりに扉をノックする。この扉をノックするのは、本日二度目だ。

 すると今回も「はい、なのです」と返事がして、まもなく扉がひらいた。


 しかし、扉をあけて赤い瞳でぼくを見あげる少女の出で立ちは、一度目とはちがった。


「その格好、どうしたの?」


 言いながら、ぼくはエスミーの頭からつま先へとゆっくりと視線を移動させる。

 メイド服ではない。

 白いフリル付きのブラウスのうえから、膝丈の萌黄色のワンピースを身に着けている。

 髪型も変わっていた。後頭部でひとつ結びにしていた髪をおろし、左右の耳のあたりから後ろ髪の上部半分を一つに束ね、ハーフアップにしている。


「へ、へんでしょうか?」


 ぼくがまじまじと見たためだろう。エスミーは、居心地が悪そうだ。


「とても似合ってるよ! 商家のお嬢さまみたいだ」


 ぼくが褒めると、エスミーは頬を紅潮させ「ありがとうございます、なのです」と小さな声で応じた。


「カイ、遅いよ! はやく着替えて!」


 部屋の奥から声がして、アリサがこちらにやって来る。

 アリサも正装用にまとめあげていた髪をおろしていた。ただ、髪形は普段どおりにもどしただけだ。服装は、エスミーと似たよそおい。ドレスの色は髪飾りのリボンと同じ赤色を基調にしている。


「着がえる? ぼくも?」


 アリサとエスミーを交互に見ながら、ぼくは面食らってたずねた。


「当たり前でしょ。城下町に行くのよ。貴族服のカイを連れ歩いていたら、王族だってバレるじゃない」


 アリサのもっともな言いぶんに、ぼくはぐうのもでない。

 しかたなくアリサにしたがい、ぼくは彼女が用意してくれた町人風の衣装に着がえた。


 ◆


 城下町と魔法戦闘の演習場へは馬車でむかう。

 よって支度をおえると、ぼく、アリサ、エスミーの三人は、馬車の用意をたのんでおいた王城の東門へむかった。


「おや、なかなか似合っておるの。出かけるのかえ?」


 馬車の御者との待ちあわせ場所に居あわせたイリエンシスさまが、ぼくらにむかってほほ笑んだ。

 呼び止められ、ぼくはイリエンシスさまに目をむける。同時に、彼女がもつ果物の盛りかごが目に飛びこんだ。


 ――あのかご、どこかで見た気がする。


「ええ。城下町に行くんです」


 ぼくは果物籠を気にしつつも、返事する。

 するとイリエンシスさまは「楽しそうじゃの」と破顔した。


 本来なら『ごいっしょにどうですか?』と言いたいところだ。

 しかしイリエンシスさまにかぎっては、無理な話だった。


 なにせイリエンシスさまの具現化の力は、王城内でしか有効でないのだ。


 イリエンシスさまの言いぶんでは、カナルサテン王国の国民の信仰心が彼女に神としての力を与えるのだそうだ。

 そして国中の信仰心が集まる中心地が、王城内にあるイリエンシス神を祀る本殿。

 そのためイリエンシスさまを具現化できるほどの大きな力は、王城内でしか発揮できないらしい。

 よって、イリエンシスさまは王城の外にでかけない。


「いいの。わらわももっと世界的に信仰をあつめる神であったら、あるいは城下町へも……」


 イリエンシスさまが悔しがって言いよどむ。


「え? 神?」


 イリエンシスさまの発言をエスミーがいぶかしんで繰りかえす。


 ――まずい! エスミーにはイリエンシスさまが神官見習いに見えてるのに!


 不信がるエスミーを見て、僕は慌てた。

 そのときだ。


「アリサさま、お待たせして申し訳ありません!」


 謝罪しつつ、白髪の初老の男が近づいて来た。

 初老の男は白シャツに赤いベストを着ている。言葉にすると派手な印象の服装だが、精悍な顔立ちと年齢を感じさせない身のこなしの彼にとても似合っていた。


「ニコラスさま!」


 初老の男を見るなり、イリエンシス様が黄色い声をあげる。


 イリエンシスさまが『ニコラス』と呼んだ人物は、ぼくもよく知る人物だ。

 ニコラスはアリサ専属の御者で、今日の馬車での移動も彼が御者として馬車をあやつる。

 ちなみに先ほど、ニコラスを初老と表したが、そう見えるだけで実のところ、ぼくは彼の年齢を知らない。ただ、であったころから彼の風貌は変わらない。もしかしたら、かなりの高齢の可能性もあった。


「やあ、神官見習いさま。奇遇ですね」


 ニコラスはイリエンシスさまにほほ笑みかける。

 すると、イリエンシスさまの頬は見る間に紅潮した。


「あ、あ、あの! これ、いただき物なのですけれど、よろしければどうぞ」


 そう言って、イリエンシスさまは手にさげていた果物かごをニコラスに差しだす。

 イリエンシスさまが『いただき物』と言ったからだろう。ぼくの記憶は一気に鮮明になる。


 ――これ、礼拝堂の供物だ。たしかに『いただき物』にはちがいないけど!


 僕は心のなかで苦言を呈する。

 しかし、ぼくのの心中など知る由もない現実世界では、イリエンシスさまとニコラスの会話はつづいた。


「いつもありがとうございます! 果物、大好物なんですよ!」


 ニコラスは果物かごをうけとり、礼を言う。そしてイリエンシスさまに満面の笑みをむけた。


 ――いつも? もしかして、イリエンシスさまは礼拝堂のお供物をくすねる常習犯?


 ぼくはイリエンシスさまに疑いの目をむける。

 しかし、今のイリエンシスさまの眼中にぼくはない。


「!」


 なにかに耐えかねたらしい。イリエンシスさまは耳までまっ赤にし、ニコラスに背をむけると猛然と走り去ってしまった。


「な、なんだったのです?」


 走り去るイリエンシスさまを目をまるくして見つめ、エスミーがつぶやく。


「神官見習いさん、ニコラスがお気にいりなの。いわゆる、せんね」


 エスミーは「は、はあ」とあいまいな返事をし、黙りこんだ。

 イリエンシスさまの挙動不審な行動のお陰だろう。ありがたくも『神』発言へのエスミーの疑問は吹き飛んでしまったらしい。

 ぼくは安堵のため息をつき、上着のポケットから小さなメモ帳を取りだすと『カレセン』と書きとめた。


 ――あとで、言葉の意味をアリサに確認しよう。

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