第100話 哀しい嘘のつけるひとでなしのラミア


 何が起きたか、自分でも良く判らなかった。

 あの方の横を通り過ぎる瞬間、くいと軽く左腕を引かれただけで、くるり世界が一転。目の前にあの大きな大きなお鼻が。シュルルはそれをきゅっと眼を寄せて凝視していた。

 傍から見ると、あっさり男の腕の中で、マグロみたいにあお向けになってる間抜けな状態だ。



「女は、いつも狡い嘘を吐く」


 なぬ?


 いきなりのとんでも発言だ。思わずびくっと全身が硬直した。


「だが、お前の嘘には哀しみの匂いがする。何故だ?」


 ずっきゅーーーーーーーーーーーーーーーん!!


 ふわああああああ!!?


 やっべ、鼻から何か出そう!


 萎れたサボテンみたいなってた心が、じゅんじゅわあって!


 なんか心なしか、キラキラ妖精さんが1尾と1人の周りを舞ってるみたいな。

 そんな不思議空間が生じた気がした。きっとメッチャ疲れてるからだわ。そうでなかったら、これ無意識の内に幻覚魔法使ってない?


 きゅっと縮こまっていた身を……身を……

 そこで初めて自分の状態を認識した。

 幻覚で服を着ている風に見せていたから、うっすい力場で守られているとは言え、すっぽんぽん……その上、腕の中であおむけになってるんだから……


 こ、こ、これは、絵物語に出て来る『お姫様抱っこ』という奴ではあーりませんか!?


 ひゅーんと音がした様な、頭に血が昇る感覚に、慌てて上体を起こそうと、デカハナの顔に急接近。ダメだ、これ以上近くで目を合わせていられませんわ!


「ひゃぁん!」

「うえあっ!?」


 どっから出たか判らない程の奇声をあげ、か~っとなった顔を彼の胸に押し当て隠すとほぼ同時に、彼も変な声を上げてわたわたと手足をわななかせた。


 落ちちゃう!


 そう咄嗟に思ったシュルルは、手と尻尾、全部を使ってデカハナにしがみついた。



「あ~あ……すっかりバレちゃったね?」


 そんなとぼけた声が掛けられたのは、どれくらい経ってからだろうか?

 恐る恐るに顔を合わせ、ゼニマールの声も虚ろに、どれだけの時間を過ごした事か。

 互いの体温の心地よさ、触れた肌の、触れた鱗のそれ……


「やっぱり人じゃ無かったんだな」


「はい。ラミア、という種族らしいのですわ。ああ、デカハナ様……」



 もうどうなっても良い。そう思ってごわごわとした相手の肌に腕を絡め、頬を寄せた。

 もしかしたら、このまま討伐されてしまうかも知れない。だって、私は人でなしの怪物だから。

 今は胸いっぱいに、この方の香りを……



 うっとりするシュルルを挟む様、つかつかと歩み寄るゼニマールは、少し意地悪い笑みを浮かべ、デカハナを眺めた。


「で、どうする?

 お前は、彼女をその汚い手で抱けるのかい? 金と欲に塗れた大隊長さん?」


「五月蠅い! 金っ、金っ、手前ぇはいっもそうだ!

 どこに、金策に苦しまねぇ奴がいる!?

 いっつも、へらへらしやがって! そうやって、他の奴らも見下してんだろうが!!」


「わかってんじゃないの」


「何ぃっ!!?」


 正に両雄角突き合う雰囲気。

 そんな男たちに挟まれて、シュルルはちょっとびっくりしたが、目を血走らせ武器を振り回して殺しに来る冒険者に比べれば、大した迫力では無い。

 何となく、初めて2人と遭遇した時の事を思い出してしまい、懐かしくさえ感じた。


 激昂するデカハナに、ゼニマールはいつもの調子で漂々と。


「俺には判るんだよ。お前とそいつは相容れない。

 そいつは正真正銘の金蛇だ。

 汚れた金を手にするお前は、そいつを殺すよ」


「うえっ!?

 けっ!! 下らねぇ~こと、ぬかしやがって!!

 手前ぇ~みたいに、ふらふらしてる奴に、何が判るってんだっ!!?」


「判るさ……俺にはな……判るんだよ……」


「むむむ……」


 みるみる顔色がどす黒くなる、その異様な熱さを、彼の腕に抱かれながら、シュルルはひしひしと感じた。

 汚れた金?

 さっきも言ってた気がする。汚れた手とか……

 そんな、薄汚い商売をする方には思えないのだけれど。

 彼からは、大地に根差す何か不思議な気配を感じる。荒野の洞窟。山岳の礫の原。

 野味のある、古い巨木のうろ。


 徐に、ゼニマールは懐から、1枚の輝く銀色のコインを取り出して見せた。

 大判の、例のミスリル銀貨。魔法のコイン。


「俺は生まれた時から、これを手にしていたそうだ」


「何をふざけた事を~……それがどうしたってんだ!?」


「俺にはな、判るんだよ。運命の流れって奴が。

 感じるんだよ。

 今夜が、大きな分岐点だってな」


 そう言って、真っ直ぐにデカハナを見据えたまま、強風の中でぴ~んとそれを指で弾いて見せた。


「ああっ!?」


 思わずその光を目で追うデカハナ。

 くるくると闇夜の空に、白銀の光を放ち、そのコインは強風に舞った。

 少しの間、空で回っていたそれが、ひゅっと落ちて来る。

 それは、前を見たままのゼニマールの手の中へ。


 無言。


 ただ、ひたすらコインを指で弾くゼニマール。その都度、海辺にも関わらず、風に吹かれながらも幾度とて彼の手の中へと舞い戻る。


「お前は『馬鹿言ってんじゃねぇ』と言う」

「ば、馬鹿言ってんじゃねぇ! うえっ!?」


 シュルルには何だか良く判らないが、激しく動揺したのが感じられた。

 胸の内に不安が渦巻く。

 頑張って! 私の為に、頑張って! そう強く願った。


「判っただろ? お前には、その資格が無い!

 このまま、シュルルを置いて消えるんだな」


「ト、トリックだ! こんなの子供だましだっ!!」


「そう思うかい?」


 ゼニマールの問いに、歯を剥きだしにがなるデカハナだったが、シュルルはその腕の力が、徐々に抜けていくのを肌で感じてしまった。

 ゆっくりと、腕が下がっていく。


 汚いお金を手にしてても良い!

 裏で酷い事をしてても良い!

 自分だって、ゲスな冒険者を何人地獄へ叩き落したか判らない!


 今、この瞬間を諦めないで!!


 だが、デカハナの腕が、完全にだらんと下がった。


 下がってしまった。


 シュルルも絶望のあまり、地べたに転げ落ち、彼の足元にへたり込んだ。


「どうして!?」


 誰も答えない。


「どうして、簡単に諦めちゃうのよぉっ!!?」


「ぐはっ!?」


 髪を振り乱し、絶叫するシュルルは全身をも振り乱し、呆気なくデカハナの巨体をもなぎ倒してしまった。暗い、暗い、ブラックサンの海に。


 だっぱ~ん!


「あれ?」


「そ~れ!」


 だっぱ~ん!


 あれれ? 今、なんか、ゼニマール様も自分から飛び込まなかったかしら?

 メッチャ笑いながら。


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