第70話 人、それをギャップ萌えと言う! (デカハナの場合)


 どうしてこうなった~っ!!?


 人々が去った後に残されたのは、呆然と這いつくばるデカハナと、その部下たちであった。


「子爵様、そろそろ……」


 危機は去った!


 部下に促され、ゆっくりと立ち上がるデカハナの身には、複雑かつ奇妙な想いが満ちていた。安堵はある。だが、何だこの身をよじらせんばかりの衝動は!?

 じっと、僅かに震えの残る手を見る。


 ついほんの少し前、そこにあった暖かな、それでいて溶け崩れる様な感触が今は無い。

 この喪失感。まるで抜け殻の様に空虚だ。

 果たして、今夜、彼女は現れるのか?

 思考がそこへ流れ込む衝動。

 否!

 今はその時か!?


 俺はっ!!


 不安。

 焦燥感。

 胸の内が、焼き焦がれる感覚。

 これが、ほんの数刻前までは、怒りと憎しみと殺意すら覚えていた相手に抱く感情だろうか!? 首を絞め、はらわたを引きずりだそうとさえ想った相手への……


 友への誓いはいずこへ?

 貴族の埃はっ!?


 悪夢と信じたい。

 そう! 今はまだ夢を見ているのだ!

 ありえない!!


 安易な答えに飛びつきたくなる情けなさ……


 確かに。

 相手は。

 シュルルという女は、初めて目にした瞬間から、こちらへの敵意を露わにし、何者にも突き崩し難い強固な意志を示していた。

 その筈だった。


 そこらの平民なら、泣いて赦しを請わんばかりの恫喝を前に、びくともしない精神性。詐欺師とそう大した差の無い、錬金術師の女房という如何にもな素性も納得の厚顔無恥ぶりだ。

 その心をねじ伏せる!

 その筈だった……


 それが豹変した!


 何故あの様な目で俺を見れる!?

 何故抵抗しない!?

 トリックだ!!

 詐欺師の手管だ!!

 小賢しい!!


 女とは!!

 嘘つきで!!

 意地悪で!!

 陰湿で!!

 邪悪な!!


 陰で俺をあざ笑う!!

 見た目が醜いから!!

 そうだ、俺は醜い!!

 誰からも愛されない!!

 良いだろう!!

 俺は愛などいらん!!


 そう想っていたのに……


 何故、嘘が無い……

 何故、嘘の匂いがしない……

 この醜い俺を前に、包み込もうとする?

 その無垢で柔らかな笑みで……香りで……温もりで……


 あの舌は、まるで蛇の様だった……

 あの女は人では無かった。

 あの素振り、まるで森の生き物たちの様じゃないか?

 あの……


「は、はは……」


「大隊長殿?」


 思わず口より自嘲が漏れた。

 それを部下達が奇妙な目で見るが、それがどうした?


 確かにあの時、あの女の命は我が掌中にあった。

 そこにあって悉く急所をさらし、心の臓の鼓動も緩やかに、死すらも問題では無いかに委ねて来た。

 それを前に、俺は余りに無力だった。


 負けた。


 確かに、俺は負けたのだ。


「蛇ならば、大地母神の眷属。

 豊穣と神秘の……そういう事か……」


「はっ?

 何を仰って……?」


 次には、いつもの気難しい気分屋の上司が、さも面白くなさそうな顔で一瞥をくれて来て、兵士達は慌てて口をつぐんだ。


「行くぞ!」


「はっ!! 撤収~っ!!」


 副官の号令に、兵士達が整然と列を成したその時、門の向こう、街中から盛大な歓声が響き渡った。



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