第47話 上書き
薄ぼんやりとした認識に、ああ久しぶりだなとシュルルは思った。
『これは夢だわ』
まどろみの中、普通ならばそうとは気付かずに、揺らぎの中に誘われ、沈みゆき、また浮かぶ。浅い眠りの見せる幻影。
『そう言えば、もうかなり見ていない気が……』
賢者の塔の門戸を叩き、最初に学ぶのが認識の領域。普段、目に見え、手に触れられる物と、その狭間にある夢幻と無限。
そこに意識という方向性で干渉する為に、無意識の下にある領域へと、アストラルとエーテルと、スピリッツの……そこから沸き起こるあぶくの様な記憶の断片を整理してしまったから……
『でもどうして……いまさら……』
次第に多幸感に満たされていくのが判る。それは幻想。幻想に浸る事は、耽溺する事は堕落。魔道に惑い、幻想に死す。
特に幻影魔道師として、幻覚を操る身となるなら、溺れぬ様に泳ぎを覚えるのと同様、先ずは顔を付けて息を止め、そこに留まる処から始める訳だ。
『ま、でも。たまにはこういうのも……』
だから自分は三流止まりなのよね~と自嘲しつつ、意識をあえて手放した。
暖かなイメージ。
懐かしいイメージ。
頬を、そっと熱い手が触れ、優しく撫でてくれる。
『ああ、あの人だ……』
懐かしいと、とても懐かしいと想った。
あの薄暗い蛇の穴。初めて姉妹以外の話せる相手と出会った。
母に脚を折られ、放り込まれた人間。
旅の錬金術師と……
苦しみながら、旅の話や……錬金術とは何かと教えてくれた……
後にして思えば、話をしている間は生きられると、そう思っただけなのかも知れない……
小さい自分達……
終わらせてくれと……
ああ……唇に触れたあの人の肌から命を……
『命を……』
何という甘美な。
生命のエキスを。
唇に温もりと。
全身で、受け止めるほとばしりは、身を内より貫いて、やがて広がり、まったくの一つへと溶けゆく……
……何か変……
『こんな感じの……夢……だった?』
あれは産み落とされてから、そんなに経ってない時期の思い出。それにしては、妙に艶めかしい様な……
ハッと見開いたシュルルの目には、にこやかなあの男のま・な・ざ・し、がっ!
頬を撫でられた時、何故か動けなかったのはっ!
唇が離れた瞬間、何故か自分からも唇を重ねてしまったのかっ!
そして、シュルルは夢で、妙にリアルな夢で、ゼニマールともう一度唇を重ねていた。
「はわわわわわっ!!?」
突然に夢から覚めた。
砂のベッドでのたうち回る自分。
「はっ!?」
周囲を見渡した。
自分だけだ。
誰にも、誰にも見られて無いよね!?
「くっ!!」
ダンと砂を叩く。叩いてから、ハッと我に帰って慌てて砂を掻き分けた。
そして、そこから4つの腕輪を手探りで見つけては、魔法で灯りを点けた。
赤い光りに浮かび上がる4つの輪。黄金が朱金を帯び、表面に埋め込んだ水晶は一点の曇りも無く、鮮やかな色彩を帯びて輝いていた。
「ほっ……自分で造って、自分で壊してりゃ、世話無いわよね」
見た目、大丈夫そう。
寝る前に、ちょちょいと創った変身リングは、指一本分の細さにした分、回路を多層構造にしてみた。例の海中で集めた黄金の玉から千切ってはくっつけ繰り返し、幾つか試したかった事を組み込んでみたのだ。
何しろ、金貨に使われていた金より、純度が全然高い!
柔らか過ぎて、怖いくらいに。
光に透かして見れば、リングが薄い四層構造になっているのが判る。
自己保持。収集。拡散。解放。そして……
汚れ、歪みの無い調和の産物。
「それに引き換え、私は……」
ごろり仰向けに寝転び、ゆっくりと渦を巻く様に尻尾を蠢かせ、その上へとせり上がった。
さらさらと流れる様な黄金の髪。
ピンと上向く乳房が、その下より露わになり、小刻みに揺れた。
「汚されてしまった……」
傷一つ残らぬ身体。これまで幾たびの戦いの中、死にかけもしたが、姉妹の様に醜い引きつりは見当たらない。
脱皮と共に、人間の大人のそれと同様に変わってしまったが、何が出っ張ろうが、くびれ様が、自らの肉体も探求の対象でしかなかった。
獲物を切り分ける事から始まり、錬金術を知り、物のあり様、動物の身体の仕組み、人の身体の仕組み、そして魔道へと至り、己が如何なるものなのかへと帰る。動物、人は子孫をもうけるが、自分達はどうなのか? その営みの中へと、答えを求めにここまで来た。
ぽろり。
頬を伝う涙の訳は……
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