第46話 肉のある家
「おや?」
遠くバタバタと石畳を蹴る気配に気付いたのは、先ほどの席で金勘定を任されていた、ヨハンという赤海蛇団の腹心だった。
団内の序列で言うとグリースとほぼ同格だが、主に内務を担当している。
腹心であり、悪ガキ時代からの幼馴染という奴だ。
「リー、俺ちょっと外す」
「ん? ああ、こっちは任せろ」
そう言って、舌なめずりするブラッドリーは、熱した鉄板にそおっと肉を置く。ジェフが言っていた、ずっしりと重い肉厚のそれが、じゅじゅわ~っと唸り、白い煙をもうもうと立ち上げる。
「うほっ!」
「へへ~。まあ、こういうのは強火で一気に焼きゃいいんだよ!」
ブラッドリーの傍らで、肉切り包丁片手に覗き込む様に眺めるジェイジェイ。ブラッドリーに負けない腕っぷしで、主に暴力担当。今夜の護衛役だったが、一転して三人で炎の調理人にクラスチェンジしてた処だ。
ま、ご近所様では強面の赤海蛇団幹部連の童心に返った姿を一瞥し、白いエプロンを手早く外しサッと壁にかけると、ヨハンはグレイの短髪を無造作に掻き分け、静かに厨房から退出した。
今や、その気配は肉の焼ける気配に倍して、夜陰の街並みに響き渡っている様に思えた。
嫌な予感がする。
「兄ィが! グリースの兄ィが!」
ダンダンと重い扉を叩くのは、グリースの下にいるベックに間違いない。
シャッターを開け暗がりを覗き見ると、その後ろにぐったりとした男の姿が、多分グリースだ。二人に両脇を支えられ、引きずられる様に立たされていた。
「どうした? 誰にやられた?」
「えっと……怪我しちまって……」
妙に口籠る。はっきりしない奴だ。
多少のいらつきを覚えながらも、ともあれ早く手当てを。
慌てて鉄製の重い閂を外し、扉を開けてやると、かなりの勢いで飛び込んで来た。これは、余程の怪我なのかと、グリースの顔を覗き込もうとして、そこでヨハンは固まった。
「や、どうも」
「なっ……」
重い扉は、他のギャング達からの襲撃を防ぐため。グリースを両脇から担ぐ二人も、当然普段から連れ歩いている手下の誰かだろうと思っていた。
が、滑り込む様、グリースの右肩を担いで入り込んだ男に、ヨハンは冷水を浴びせられたかの戦慄を覚えた。
「こ……これはこれは、隊長様……」
「グリース君を寝かせたいのですが、どこに!?」
「こっちです!」
ベックのバカが!
考え無しに、街の警備隊の隊長を引き入れるだと!?
悪態をつきたくても、当の本人を前にそれも出来ない。それどころか、兵士がもう一人。
ハッとして、外を見るが続く兵士はその若いの一人だけ。後にぞろぞろ続く様子も無く、とにかく慌てて扉を閉めた。
手入れじゃないらしい!
それだけが安堵の心境。
慌てて、ヨハンはグリースの寝室へ向かった。
三階だ。
赤海蛇団は、孤児が多い。本部に住み込みがほとんどで、ストリートギャングから成り上がって今のしのぎを手に入れたのだ。今や、ベイカー街を始め幾つかのストリートを縄張りに、港の一部で荷下ろし荷揚げ作業にも食い込み、日の出の勢いって奴だが、その中核メンバーが、ブラッドリーを中心とした、ヨハン、ジェイジェイ、そしてお調子者のグリース。グリースの担当はムードメーカーなんだが……
「大変、申し訳ない」
「ど、どういう事ですか?」
相手は、まかり間違えてもお貴族様だ。下手をすれば、こっちの首が飛ぶ。
だが、グリースの個室に飛び込んだヨハンを待ち構えていたのは、深々と頭を下げるゼニマール隊長の衝撃的な姿だった。
「いや、グリース君の怪我は、私が彼を挑発してしまった事が原因なんだ」
「ま、まあ、先ずは顔を上げて下さいぃっ!?」
そう言いながら、ヨハンは暗がりで手当てを受けるグリースの、赤く腫れあがった……異常に膨れ上がった額に思わず目を奪われた。
水をかければ、そのまま湯気になって蒸発してしまいそうだ。
「さるご婦人がおりましてね」
「女絡みですか?」
「えええまあ、そんな所です」
ヨハンの問いに、ゼニマールの目が泳ぐ。それをヨハンは見逃さなかった。
三角関係か、と……
「兄ィが! 兄ィが、その女に入れあげちまって! キスを迫ったら、おでこをパシンパシン!ってその度に! うわああああ!」
「俺達が止めてりゃ、こんな事には! 兄ィ! しっかりしてくれ、グリースの兄ィ!!」
軽いめまいを覚えながら、ヨハンは何となく推測出来た。
それはそれ。今はこの建物の内部構造を、警備隊に知られるリスクがキツイ。
「医者を呼ぶなら、治療費は私が持とう」
「いえ。それは結構です。怪我した仲間を連れて来て下さり、ありがとうございます。どうぞ、お引き取りを」
「いやいやそれは」
「いえいえお気になさらず」
「いやいや」
「いえいえ」
ゼニマールが懐からきんちゃく袋を取り出し、チャリチャリと言わせ出したところで、ヨハンの手がそれを制し、そこで押し問答となる。
赤海蛇団として、地回りのヤクザ者としての矜持がある。決して、取り締まる側からの金子を受ける訳にはいかないのだ。ゼニマールと言えば、ワイロの利かないやっかいな相手と裏の世界では有名な手合い。金に汚い相手ならいざ知らず、そんな奴から金を受け取ったと噂になろうものなら、犬と指さされ、この界隈でしのぎを得る大きな障害になりかねない。いやさ、他の組織から縁を切られ、総攻撃の的にされかねないのだ。
うかーつ!
中に入れただけで、大迂闊の大失態だ。
相手は、反対側の人間である。
「お~い、肉が焼けたぞ~!」
そこへ間延びしたブラッドリーの声が響いた。
先ほどから芳ばしい香りがしていたのだが、それどころでは無かったのだ。
「よ!」
「よ、じゃないです。今は来客中ですよ」
燭台片手に、のっそりと顔を出したブラッドリーに、間を遮る様に半歩横へずれたヨハンは、後ろ手にしっしと追い払おうとするのだが、そんな腹芸を無視して、その巨漢を露わにした。
「あれ? 隊長さんじゃないっすか? うちのもんが世話になってっす」
フッと笑みを漏らすブラッドリーに、ちょっとバツの悪そうなゼニマール。
「いやあ~、お邪魔してるよ。相変わらず、でかいなあ~」
「いやっはっはっは。お久しぶりぶりっすね」
何を隠そう、ストリートギャング時代から、色々悪事を働いては、たまに捕まって牢屋にぶち込まれる事しばしばの仲である。
孤児院時代から食い物盗んでは取っ捕まり、他の院との大げんかになっては取っ捕まり、路地裏でカツアゲしようとしては取っ捕まり、まあ色々やって結局は捕まった結果、学習してすれすれの所で捕まらない様に落ち着いた訳だ。
ある意味、腐れ縁である。
その当時はゼニマールからしても、警備隊に見習いからスタートした若い頃の話。
ギャングのボスと警備隊の隊長が、まるで昔からの友達みたいな。
頭の痛くなるヨハンであった。
隊長の部下も、目をぱちくり。
「あっ、良かったら肉喰ってって下さいよ。良い肉が手に入りましてね」
「え? いいのかい? 悪いなあ~」
「リー……」
天を仰ぐ心境のヨハンである。
「肉……」
やおら、むっくり起き上がるグリース。額から乾いた雑巾がぽろりと落ち、誰の目にもその異様に腫れ上がった額が明らかに。
これには、さしものブラッドリーも目を丸くして凝視した。
「お!? おめぇ、頭大丈夫か!?」
自分の頭を指さし、グリースの目を覗き込む様にして話しかけるブラッドリーだが、当の本人は……
「に、肉……」
「あ、兄ぃ!」
「しっかり! お供しやすぜ!」
「お、おうよ……お、お、おうよ……」
恐るべしは肉の魔力。下手すれば死人も蘇るやも。
まるでゾンビの様に、うつろな目のグリースはふらふらと立ち上がるものの、慌てた子分らに抱かかえられる様に、二階の広間へと降りていく。
他の大部屋からも、ぞろぞろと若いのが何だ何だと起き出しては、肉だ肉だと騒ぎ出す。
たちまち階下は大賑わい。
丸い大皿に盛られた正体不明の肉に、我先にと手が伸びては、少しでもでかい肉を得ようと鬩ぎ合った。
「いやあ~、すっかりご馳走になっちゃうね」
「い、良いんですか? 僕たちがこんな所に居て……」
「いいのいいの」
鼻歌混じり、広間の隅っこに陣取ったニコニコ顔のゼニマール隊長と、言われるままに付いてきていた第七大隊の新人サンチョスは、両手に抱える様にして、そこそこ大きな肉片をキープしていた。
例のデカハナ配下から、急遽第四大隊をクビになり、その場で第七大隊に編入されたW新人君のサンチョスは、未だおっかなびっくり。即クビの恐怖は、そう簡単に拭えるものでは無いのだ。
「みんな! そのまま、喰いながら聞いてくれ!」
ブラッドリーの話が始まった。
すると、あれだけ賑わっていた喧騒が、シーンと静まり返ってしまった。
「ぼ、僕たちは本当にここにいて良いんでしょうか?」
「いいのいいの」
急に声のトーンを落とし、ひそひそと声を押し殺すサンチョスだが、ゼニマール隊長は涼し気に首を横にふるだけ。
「そう大した話じゃないさ」
「今夜から、俺達赤海蛇団は、ベイカー街に開店予定の新しい肉屋には一切干渉しない! 手も出さないし、関わりも無しだ! いいな!!?」
「「「「「「「「「「うぉっす!!!」」」」」」」」」」
一斉に二十名程のむさくるしい男達が吠え、即座に手にした肉にかぶりつく。
しばし、むしゃむしゃと咀嚼音だけが辺りを支配する。
この空気に、若いサンチョスも慌てて手にした肉に食らいついた。
孤児院を出たばかりのサンチョスには、一食一食が貴重であり、難しい話は半分どうでも良かったのだ。
しかし、流石にゼニマール。隊長なだけに、ふと肉から口を離し、少し呟いた。
「成程ね。それでこの肉、という訳か……それにしても、ブラッドリー君。この肉は焼き過ぎだよ……」
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