第44話 『肉挽』ジェフ
薄暗いカンテラの灯りに浮かび上がる様、路地に停車中の馬車の周囲には、複数の男らが静かにたたずんでいた。
軽薄な言葉の響きなど一切無い。
まるで薄氷の溶解を息をのんで見守るかの、冷ややかな呼吸のみが、吹き抜ける風に運ばれ行く。
やがて重い扉が開かれる。
先ずは護衛と思しき男が。続き、目深にローブを羽織った細身の男が。
恭しく、外に待機していた者の手で馬車の扉が開かれ、イキリ屋の使い、ジェフの姿がタラップを軋ませ、ゆっくりと中へ。
扉の間口には、見送りの男が数名。そこに、赤海蛇団のボス、ブラッドリーの姿は無い。
「若い、な……」
その一言に、護衛として最も長くジェフと行動を共にしていた手代のユアンは、僅かに感情の帯びた、その溜息にも似た一言に、ふと意外なものを感じ、そっとその表情を盗み見た。
馬車は既に動き出し、ガラガラと石畳に揺れていた。
交渉が上手く進み、これで一段落と気が緩みもするのだろうと、イキリ屋内でその辣腕を振るうジェフの、『肉挽』ジェフの人間臭い一面を覗き見た気持ちになった。
「上首尾でしたね」
「さて、どうだろうね?」
そういって、懐から葉巻を取り出しては、端を噛み切った。
「野良犬みたいなもんだからねえ~……躾が上手くいく事やら」
その口調、上手くいかない方が良さそうですね、と言いたい気持ちになりながらも、ユアンは懐から小さな火口箱を取り出し、ふうっと息を吹きかけ、火種を赤く栄えさせると、ジェフはスッと葉巻の先を押しやり、スパスパと吹かし火を移す。
そして、満足げに身を背もたれに預け、身を伸ばすと、やがてゆっくりと紫煙を吐き出した。
「いいかい、お前たち」
「「「はい」」」
向かいに座る、外で護衛に立っていた者達二人も、ユアンと共に呼応した。
「最低、2名は見張りに付けな。おかしな真似をしない様にね。これは念のためだよ。良いかい?」
「「「はい」」」
時たま、田舎者が自分ならもっと上手くやれると勘違いして、このブラックサンでうちに対抗する何らかの商売を始めようとする者が現れる。
船に降ろす干し肉や塩漬け肉に街の外で妙な肉を加工して持ち込もうとする手合い、病気になった荷馬を安く引き取って加工し差益で儲けようとする下衆、ドブネズミの肉を混ぜて水増しするド下衆、とにかく薄汚いインチキ野郎どもが手ぐすねひいて狙って来るのが、この大都市ブラックサンの市場だ。
「いいかい、お前たち。今度のたまは、これまでとはまた一味違う、とんでもない連中だよ。よりにもよって、おかしなギルドを立ち上げ、肉食を通じて人々の健康を~とか、またとんでもない詐欺師どもだ。今のところ、近隣の農場で家畜をかっさらおうって妙な連中はいないみたいだし、船で運び込む動きも無い。となると、後は少し離れた場所で加工した、質の悪い肉をこっそり他の荷物に紛れて運び込む事が考えられる」
「その点はぬかりなく」
「そうかい? なら良いんだけどね」
悪い芽は早い内に摘み取るに限る。
ところが、今回はそう上手くいかないのだ。
手配した冒険者ギルドの面々が、次々と撃退され、敵の全貌が一向に見えてこない。
今回そのギルドに許可が下りた内容は、肉の加工販売と、肉屋ギルドの活動内容と丸被りなのだ。
加工販売の部分で、飲食業ギルドにも協力を求めたが、飲食の為の座席を持たないと明記されている為に、彼らの業態とは被らないとの事で実は結ばなかった。
現状、屋台等食べ物の路上売りに規制はほとんど無い。
市場以外の場所で誰が何を売ろうと、そこは敢えて規制されはしない。店舗前以外の路上では市場ギルド、乞食ギルドが定めた範囲外で、誰が何を売ろうと禁止麻薬以外なら基本自由である。
「肉食推進ギルドは、その隙間に、グレーゾーンにすうっと滑り込んで来おった。裏で糸を引いている奴が必ず居る筈だよ。牝ギツネ共め、必ず尻尾を掴んでやる」
ぐっと手を握り、改めてジェフがその意志を吐露すると、護衛の1人がスッと右手を挙げた。
「何だい?」
「連中、荒野育ちと登録している様ですから、拠点は荒野にあるのでは?」
人間の領域は、主に沿岸や河川沿いに張り付く様に広がり、良い水源の少ない荒野への入植は、あまり進んではいなかった。
建国100年目の若い公国は、未だ広大な未知の領域に囲まれているのだ。
「荒野か……我々人間には、未だ厳しいエリアだね。何か目立った動きでも?」
「実は一つ……」
肉屋ギルドも、この新しい商売敵の登場に、冒険者ギルドに丸投げしてさぼりを決め込んでいた訳では無い。
方々に人をやっては情報収集に動いていた。
「行商人?」
「ええ。街を出た記録はあるのですが、隣の宿場町に立ち寄った記録の無い者が何人かおりまして」
そう言って差し出された羊皮紙に目を通したジェフは、もっと灯りを寄越せと、揺れる馬車内で目を細めた。
「ほお……」
「で、こちらがこの街に入った折の、課税記録の写しで……」
「ほお~……ほお~~」
傍らでその表情を眺めていたユアンは、背筋に冷たいものがすうっと走るのを感じ、差し出したカンテラの灯りが揺れるのを、とても大きく感じていた。
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