第27話 夜に潜むもの
冒険者の襲撃に対し、やっぱり街の警備隊は関与して来なかった。
次第に夕暮れが近付き、街を赤紫色に染めあげ、やがて月や星の明かりにとって代わる。
屋上からにょっきり顔を出す煙突の上に登り、シュルルは辺り一面を見渡していた。
暗くなると、ぐっと人の行き来が減る。
街の灯りも少ないもの。蝋燭や燭台の油もタダでは無い。日の出と共に起き、日の入りと共に寝る。それが大概の人の生活。
そこかしこに、赤海蛇団の団員らしき若者達が立ち、冒険者が出ないか見張ってくれている。
「ふふ……グリース君。ちゃんと言いつけを守ってくれてるみたいね」
どういう訳か、三日月の大立ち回りの後、地回りのギャング、赤海蛇団の対応が至極丁寧に変わっていた。
冒険者は、金さえ払えば殺し誘拐、脅迫と何でもやる何でも屋。
地回りのギャングは、自分達の縄張りから色々と吸い上げるダニみたいな存在だけど、その分、縄張りを脅かす存在に対しては、ある種の防波堤になってくれる事もある。絶対じゃないけど。
どちらかと言うと、冒険者は根無し草。何か不味い事があれば、街から逃げ出せば、他の街、他の国で何とかやっていける。それに対し、地回りのギャングは、その地に生活基盤やしがらみが色々あるから、なかなか動こうとしないっぽい。
「どう~?」
下からジャスミンが様子を見に上がって来た。
「うん。今夜は大丈夫そうよ」
「良かった」
青白い光に、ジャスミンの笑顔がほころぶ。
「貴方こそ良いの? 彼、放っといて」
「うん。今、寝たトコ」
「そう」
器用に煙突に身体を巻き付け、もう一本の方へ腰をかけた。
「お疲れだったみたいね」
「うん。大分、気を張ってたみたい。もう、子供みたいに寝ちゃうんだから」
「どっちが子供~?」
ふふんと鼻で笑い、ジャスミンの顔を覗き込む。すると、目を大きく見開いて、目の玉が真ん中にきゅっと寄った。
「ばっ、馬鹿な事を~」
思わず、以前、姉妹に言われた言葉が口を突いた。石〇鉄男風に。
「ハル君。私達の事、判ってるの?」
「ううん。まだ知らない……」
「そう……」
「うん……」
「大変ね……」
「ハル君は、大丈夫、だと思う」
「あはっ。貴方って本当、直感的ね!」
思わずケラケラ笑うと、ジャスミンはふふんと鼻で笑って返した。こいつぅ~。
「受け入れてくれてるって判る。凄く真面目だし、一所懸命だし……明るいし……」
「はいはい、ご馳走様!」
「もう!」
多分赤面してるだろうジャスミンに、これ以上のろけ話にあてられるのはまっぴら御免と脱走を決め込むシュルル。背に背嚢を背負い、スッと立った。
「じゃあ、私、外に合図して来るから。ジャスミンは適当な所で三日月と交代して寝なさいよ」
「え~!」
「幾らムラムラしたからって、襲っちゃダメよ」
「襲わないから! ムラムラしないから!」
「あはははは~」
カっとなって立ち上がるジャスミンから逃げる様、シュルルの身体は煙突を蹴って、一瞬で夜空を舞った。
人間の数倍の重量。
なだらかな弧を描き、月光を背に伸びやかな跳躍。その先へと、尻尾をくねらせうまい具合に衝撃を殺して着地すると、通り向かいの屋上へと立った。
「行ってくるわ~!」
左手を大きく振って、くるり。その身を夜空へと、再度躍らせた。
その後、街の大門にこっそりよじ登って、そこから合図を送った。
カンテラのシャッターを開閉しての光信号。
何度か送ってから暫くすると、遥か彼方から光の瞬きが返って来た。
<開店準備完了・肉送れ・武器送れ・集合B地点・求む応援>
予め取り決めておいた信号を小分けにして送ると、向こうからも了解の信号が。
「よしよし。姉妹はうまくやってくれている」
そう呟くと、シュルルはカンテラの灯りを指でじゅっと消し、手早く畳んで仕舞い込む。
こうとなれば、長居は無用。
誰が、今の信号に気付いたか判ったものではない。
特に最初の夜みたいに、変な隊長さんがしゃしゃり出て来たら面倒だし。
「いや、もうあんなのはゴメンだし」
目の前で、男に止めを刺した、デカハナの気配を思い出し、ゾッとするシュルル。
実際、酷い目に合ったのは、後から出て来たゼニキチやら何やらの方だけど、醜悪さでは断トツ! 今夜は、もう二度と下には降りないつもりで、外壁から屋根伝いに移動を開始した。
遠く、巨大なコウモリ達が舞っている。
幸いにもこちらに気付いた様子も無く、自由気ままな獲物探しと言ったところ。
「もしかしたら、連中も……」
裏の世界で、人間と吊るんでる可能性は捨てきれない。
そう考えれば、今も自由気ままにこの街の空を跳梁跋扈、飛び回っていても不思議ではない。冒険者ギルドと吊るんでいれば、退治される事も無いだろうし、腐れ坊主の居る教会関係と吊るんでいれば、これまた安全この上無いだろう。
「わくわく謎解きアドベンチャーだね、まったく」
苦笑しつつ、もう少し夜の街の様子を探ってみようと、ぺろりと舌なめずり。
左肩の大銅貨が妙にじりっとするけれど、好奇心が勝り、シュルルは少しだけ夜の散歩を楽しむ事にした。
屋上から感じる、夜の潮風は清々しい。
この数日、ずっと大人しくして過ごしていたから、こうも飛び回るのは楽しかった。
誰かに見られているのではと、警戒しつつの移動は、ちょっとだけスリリング。
気が付くと、街を縦断し川辺のスラム街へと出てしまっていた。
丈夫な屋根の建物は、その手前で終了。その先は、如何にも安普請のバラック小屋がぎっちぎちに密集している。
「あらあら。酷い匂いが……」
風に乗って、糞尿の臭いが。
港町だけあって、街の大半には網の目の様に下水が張り巡らされているみたいなのだが、その出口は港を避けて川沿いにある。川の水の流れが、沖合へと押し流してくれるという寸法なのだが、そこの低湿地に人が住み着いている。
主に、川船への荷の積み下ろし人足達の住居であり、仕事場でもある。
シュルルはその光景を一望し、その逞しさに呆れると共に、失望も感じた。
自分達の子供に、こういう生活はさせたく無いと……
それは、もし自分達に子孫を残す術があるならの話。それを調べる為の潜入でもある。
「あら?」
寝苦しそうな呼吸音が、スラム街全体から立ち上る中、一際苦しそうな小さな息がシュルルの耳へ滑り込んで来た。
「どこかしら?」
聞き間違いか?
そう思って、この場を後にしようとするものの、後ろ髪を引かれ、思い切ってスラム街へと降り立つ事にした。
下手すると、シュルルの体重では簡単に踏み抜きそうな、半分腐った感じの薄い渡り板。
それを恐る恐る進みながら、耳をそばだてていると、確かに辛そうな息が。
その息の正体は、野外に放置された、小さな子供だった。
苦しそうに身悶えする子供。
これはどういう事?
持って行っても良いって事かしら?
そう思いながら近付くと、すぐ目の前のバラック小屋に目が止まる。
中からは、すやすやと5、6人の寝息が。
そこで、ああそうかと合点がいった。
「病気を移さない為に、野ざらしか……」
病気になっても医者に診せるお金も無い。
薬を飲ませるにもお金が無い。
身内に移されると困るから野ざらしに。
身にまとうのは、下着の布一枚。
「まあ、確かにそうかも知れないけれど……」
そう呟きながら、シュルルはそっと掌をその子の額に充てた。
熱がある。多分。
くいっと瞼を開き、眼球の様子を見ながら、残る手で手首をつまみ、脈を診る。
あの村の子供らと比べたら、何と肉付きの悪い事よ。
病気の性もあるだろうけれど、肌の張りも艶も、ぐにゃりと力無い四肢、カサカサした手触り。
呼吸音に、異常は感じられないから肺ではない。
四肢の節目に、腫れも無い。
そういう感じに、一つ一つ検分していき、ぽっこり突き出している腹部で、何か違和感を感じた。
指先でトントンと軽く叩きながら、上から下へと内臓の具合を調べていると、どうも小腸大腸辺りが妙に膨らんでいるみたい。
「便秘? それとも虫かしら?」
俗に言う、寄生虫という奴だ。
野山の獣を解体していても、大なり小なり巣くっているもの。丁寧に洗い、火を通さなければいけないのだけれど、この場合はお腹を開いてという訳にはいかない。
下腹部の汚れ具合からして、便秘はなさそう。虫の方が怪しいと当たりをつけた。
シュルルの医療知識は、長年獲物を解体して来た経験をベースに、商人から購入した人の身体に関する医術書の類を読んだ程度。
実際に、人間の医者みたいに治療行為をした事は無かったが、冒険者との死闘の末に、相手を喰らった際、人体の内部構造についてある程度覚えがあったので、本で得た知識がなるほどと素直に受け止められていた。
「苦しい?」
その問いかけに、薄っすらと目を開け、闇の様に暗い瞳で小さく頷いた。
「待ってなさいな……確か、虫くだしになるのが……」
背嚢を下ろしガサゴソ。思いつく手持ちの中から、数本のガラス瓶を取り出し、月明かりにすかして確認していく。
血止めになるものや、何かしら効能があるものを、乾燥、粉砕し、かさばらない様に細長いガラスの管に入れ、木の栓で密閉してなるべく変質しない様にしておいたもの。
その中から、呑むと酷い下痢を引き起こすものと、虫が嫌がるものをと選び出し、少量左の掌に乗せた。
それから、子供の背後に回ると、少し上体を起こしてあげる。
「良い? 少しずつ飲んでみなさい」
そう言ってから、その子の口元にその掌を寄せた。
異臭にうっと表情を歪める気配。さもありなんと口元を綻ばせながら、シュルルは呪文を唱えた。
すると、掌にゆっくりとだが水が湧き出て来る。実際は、この大気中に見えない形で存在する水を、招き寄せ、凝結させているだけなのだが、それが傍らからは掌から水が湧き出て来る様に見えるのだ。
海辺という事で、湿気は十分。ただ、子供の呑めるペースを考えて、今回はゆっくりとした反応に抑えてある。
ガホッ ゲホッ
酷い苦みと異臭に、思わず吐き出してしまう。
だが、口の中は最初からカラカラ。次第に薄まる酷い味に、やがてゆっくりとだが飲める様になったらしく、こくこくと小さな喉を鳴らし始めた。
「ちょっと、お腹が痛くなるけれど、大丈夫。思いっきり出しなさい」
そう囁きながら、右手で子供の腹部をさすってあげる事、僅かばかり。
効き目が現れるのに、そう時間はかからなかった。
「うあっ、あっ、あああ……」
苦しそうに身悶えし出したと思ったら、その場でぶりぶりとひり出す。
その中に、如何にもグロテスクに蠢く長細い触手の様な生き物が。この小さな体のどこに、それだけの物がと呆れるくらいに流れ出て来た。
「これはこれは、立派なお虫さまだこと」
シュルルは笑いながら、出し切ると同時に焼いて洗い流した。
それから、消耗しただろうその子に、もう一度水を飲ませるのだが、今度は塩と、蜜を溶かしたものに変えてあげる。今の手持ちでは、これが精一杯。
暫くすると、容体が落ち着いて、静かな寝息を立て始めた。
額に浮かんでいた脂汗はすっかり乾き、カサカサの唇を小さな舌先がペロリと舐める様を眺めながら、シュルルはその小さな掌をつまむ様に握ってあげていた。
これまた小さな指が、弱弱しく握り返して来るのを楽しみながら、複雑な笑みを浮かべて。
「やれやれ……人間さまも大概大変よね……」
「……か……あちゃ……」
「はいはい。君のお母ちゃんは、あっちの小屋で、呑気に高いびきよ」
くすりと笑いながら、そんな子の小さな鼻を少しつまんでみたりすると、寝ているのに嫌々と顔をしかめて抗う素振り。
これくらい元気があれば、大丈夫かと安堵した。
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