47 爆誕?新・悪役令嬢アイリス
正直ちょっと苦笑いが出るくらいに過激なニコルちゃんだけど、慕ってくれる姿はやっぱり可愛い。お姉さん危ない道にうっかり踏み込んじゃいそうよ。私は上機嫌でニコルちゃんの元を後にしたけど、ウィリアムはどこか不服かつ呆れ目だった。
そうして彼と二人、私はとうとうローゼンバーグ伯爵の書斎を訪れた。
読書家でもあるのか、窓と出入口以外はぐるりと書棚に囲まれた室内は、書斎というよりは書庫のようで、貴族の家らしく世代を超えて継がれてきた古い紙独特のにおいもした。もちろん新しい書物もあるとは思うけど。
書物を傷めないように気を遣ってもいるようで、窓に近い一部の書棚には布が下ろされている。
ウィリアムと一緒に書斎に入って実物のローゼンバーグ伯爵その人の顔を初めて拝んだ。緊張はしたけど、転生先の父親に会うって言うよりはどこか取引先の目上の男性に会うような気分だったってのが正直な感想ね。
まだそれくらいにはこの転生人生周辺の人間関係を他人事に感じているんだって、自分を再確認した。先入観もあるしアイリスとしてやっていくうちにもっと親しみを感じるようになるのかどうか、今は何とも言えなかった。
ただ端的に言って、イケオジだった。
髭はなく、真面目で実直そうな落ち着いた雰囲気がある。
日記情報だけだと鷲鼻に口髭の鋭い目をした気難しい男性ってイメージだったから、良い意味でちょっと裏切られたわ。きっと若い頃は文学青年だったんじゃないのかしらね。
思慮深そうで一見アイリスを捨て置くようには見えなかったけど、人って見た目と心は必ずしも一致しないからなあ。
まあ親子関係は追々考えるとして、今決着を付けるべきは一つ。
本革張りの一人掛けソファに私とウィリアムがそれぞれ並んで腰かけて、その向かいに伯爵が座る位置関係で、しかも伯爵の後方には白髪のお爺ちゃん執事が控えていた。
私たちの話を黙って聞いていた伯爵は、私と同じ薄茶色をした太い眉を寄せて首を横に振った。
「いくらウィリアム君の頼みでも、そのような馬鹿げたことは認められんよ」
へえ、殿下呼びじゃなくて君付けなんだ。
ほとんど未来の義理の息子決定だからか、本来身分が上のウィリアムへの過剰な敬語はないみたい。ウィリアムの方も不愉快そうにはしてないし、既に何度も会って気安い仲になってるのねきっと。……叩き起こせたのも何となく納得だわ。
「お父様お願いします。私と彼の結婚のお祝いだと思って是非」
「何度乞われても駄目なものは駄目だ。アイリス、この際ハッキリと言っておく。断罪されるも今も運よく命のあるお前を、この屋敷から出すわけにはいかんのだ」
苦い顔付きになる伯爵へと、私はついつい呆けた顔で問い掛けた。
「え、私の問題……?」
「そうだ」
「馬鹿げたことって……じゃあそれって私を世間に、外に出すことを指してるの?」
「そうだ」
間髪入れずの返答に、これにはさしものウィリアムも予想外の言葉を聞いたようにした。
家名にこれ以上の泥を塗られないようにってわけか。へえ、ふうん、伯爵はそこまでアイリスを煙たく思っているのね。
客観的に見ればそう思われても当然とは思うけど、実際に面と向かって言われると自分のせいじゃなくてもいい気持ちはしない。
「でも、ウィリアムと結婚したらここを出ないといけないんじゃ……?」
「その時はウィリアム君とマクガフィン家が、責任を持ってお前に目を光らせてくれるだろう。だから認めたのだ」
えー、監視が厳重って事? 自由がないも同然よねそんな結婚生活って。嫌だわそれー。でもウィリアムなら喜々として人一人くらい閉じ込めそうだし、やっぱ結婚したくないー。
まあそこは置いておくとして、私が駄目だから皆も駄目なのね。だったら……。
「じゃあ私はここに置いてってくれて構わないわ。慰安旅行も兼ねて皆で行ってくるっていうのはどう? たまの息抜きも必要でしょう?」
「アイリス、屋敷にお前を一人きりにするのは裏を返せば自由にさせるのと同義だ。伯爵家当主として、お前のような娘を野放しにはできない」
いくら素行に問題があるからってそんな言い方ってない……。
日記に書かれていた通りアイリスは本当に養女なんだわ。だから心ない言葉をいとも簡単にぶつけてくるのよ。
だけど、そんなに嫌ならさっさとこの家から追放でも放逐でも勘当でも何でもして関わりを断てばいいじゃない!
「アイリス」
プッツンしそうになった矢先、隣のウィリアムに手を握られハッとした。神妙な面持ちの彼の目には気遣いの色がある。私の胸中をわかっているようだった。
気持ちを静め、出かかった文句を呑み込んで食い下がってみたけど、結局何度頼んでも伯爵はにべもなかった。
そのくせ、要望を容れられなくてウィリアムに申し訳なく思ってるみたい。だけど私へは譲らない眼差しで「駄目だ」の一点張りだったわ。腹立つ。
「仕方がないアイリス、ここは諦めるしかなさそうだな」
ウィリアムの言葉には、強制的に彼の魔法で全員転送すればいいって潔いのか気楽なのかよくわからない意が込められている。
でもまたそうやって自分だけ頑張ってくれようとするのよね、あなたって。
私は私が情けないわ。
「……ふう、考えが甘かったのね」
俯き加減に私がボソリと呟くと、ウィリアムが
関係ない屋敷の皆に知られず、恐怖を与えず、円滑に……なんて土台無理だったのよ。
屋敷の皆を救うためにも、良い子でいようとするのはやめるわ。
だって私はアイリス・ローゼンバーグだものね。
「わかった……もういい」
唐突に表情を消した私の菫色の目は、この時ばかりはさぞや寒々しい色合いに見えた事だろう。伯爵や執事は勿論、ウィリアムでさえちょっと気圧されたように僅かに目を瞠った。
「折角、死にたくなければとっとと荷を纏めて屋敷から出ていけと、情けをかけてあげましたのに」
口調も日記の中のお嬢様言葉を意識した。
――だって悪役令嬢にはお決まりの言葉遣いでしょ?
「死!? なっ、どういう意味だ!?」
革張りのソファからゆらりと立ち上がった私は、ちょうど良い高さにあったローテーブルをお行儀悪くも片足で踏み付ける。現代っ子だった私の感覚じゃあ膝小僧さんがこんちはーって丸見えでも恥じらいなんて微塵も感じないわ。
「こ、こらアイリス何とはしたない……!」
全然淑女じゃない私の行動に伯爵は怒ってみせたけど、想定内。だから何って感じね。
「お父様~、わたくしねえ~、実はこの屋敷に破壊魔法を仕掛けたんですの。悪い魔法使いに頼んで大きなクレーターが丸々出来てしまうくらいの威力のものを」
目を眇め、唇を歪めて、この可愛らしい顔で醜悪な顔を作るのには苦労する。
「んななな何だってえええ!?」
「うふふ予想通りのリアクションどうもありがとうお父様。言っておくと冗談ではなくてよ? ホント今までよくも離れに押し込めてくれましたわね。わたくしその復讐の機会をずっと窺っていましたの」
「だっだからと言って生家を破壊しようなど正気の沙汰では……」
「……生家? とは生まれた家という意味ですわよね? ふふっ冗談はおよしになってお父様、わたくしを娘だなんて思ってもいないくせに……!」
「な、ど、どういう意味だアイリス……?」
「ともかく、わたくしに世間一般の常識を当て嵌めるだけ無意味ですわ。それに何より、わたくしに縁もゆかりもない生家など不要!」
「……っ」
こっちの裂帛の発言に息を呑む伯爵の様子を眺めながら、実に愉悦に満ちた表情を意識して貼り付け続ける。
だけどここで豹変ぶりを見兼ねたのかウィリアムが小声で「少々やり過ぎだ」と私の腕を引いた。
そのすぐ後には疑問を浮かべたけどね。
「ところで君は何を言っているんだ? 自ら仕掛けたって……君が命を狙われているんじゃないのか?」
「……ああそれですの」
フッと鼻で嗤ってやった。
あたかも、私の中で人物像が出来上がっている悪役令嬢そのもののように、この世で最も悪辣に。
結婚する気がなくなるようにいっその事ここで全部種明かししちゃいましょうかね。
真相を聞いてアイリスを嫌いになってニコルちゃんと一緒に逃げてくれればそれでいい。
……そうすれば、あなたをこれ以上巻き込まなくて済むわ。
顔も見なくて済むだろうしね。
だって、いい加減うんざりだったのよ……私の中の葵を消されそうで。
「ええそうですわ、わたくしは命を狙われてますわ、――わたくし自身にね。ですから仕掛けられたのも、仕掛けたのもわたくしなんですわ。犯人は、わたくしなのですわ!」
「何だって……?」
「ふふっ、今まではバレると色々と面倒ですし、やっぱり死にたくない一心であなたを頼っていましたけど、もうあなたの協力は必要ありませんわね。五体満足で生きていたいのでしたら、今すぐ領地に帰った方が身のためですわよ?」
「……」
青灰色の瞳をじっと私に向けてくるウィリアムは、騙されていたって理解して言葉もないみたい。
いつも余裕で人を食ったような態度のくせに、案外純粋な部分もあるのかも。
「ああそうでしたわ、これも教えて差し上げますわ。実は件の破壊魔法はわたくしの血で簡単に解除もできますの。ですからこの屋敷を生かすも殺すもわたくしの心一つなんですわよ。今の所は殺す一色ですけれど、ね?」
「……それは本当なのか?」
それって言うのがどの部分を指しているのかハッキリしなかったけど、今の話全般を肯定しとけば間違いないわよね。
「ええ本当ですわ。あなたに魔法具をねだったのも、仮に血を使って醜く傷でも残ったら嫌だからですわ」
優雅に毒々しく微笑んで、わざとらしくやや顎を上げて彼を見下ろした。
彼は演技過剰って思ってもいたでしょうけど、私の告白の全部が全部演技ってわけじゃないのは気付いているはず。
これで極め付けよ。決裂決定よ。
「今まで私の演技にまんまと騙されて下さって、心からどうもありがとうございます、ウィリアム・マクガフィン殿下」
敬称にもかかわらず不敬にも程がある物言いに聞いていた伯爵は青い顔になったけど、ウィリアムの方は特に表情を変えるでもなく私を見上げたままだ。
ややあって、彼は一度軽く目を伏せ嘆息した。
「そうか。事情はわかった。……君には負ける」
「……どういう意味?」
やけに冷静なままの彼に不審を覚えて眉をひそめたものの、その前に伯爵が慌てふためいて立ち上がった。
「アイリス、今すぐ魔法を解きなさい!」
「お父様、わたくしがこの絶好の復讐の機を逃すとでも? ですからさっさとお逃げになっては如何です?」
「アイリスッ」
「五月蠅いので怒鳴らないで下さいません? ホホホ後は野となれ山となれ~ですわ」
「お、お前という娘は……!」
「ハッまだ娘扱いですか? お父様にとっては娘はニコルだけでしょう?」
冷淡な声で返せば、怒りのせいなのか伯爵は目を見開いて絶句する。
殴り掛かってくるかと思いきや、少しして肩を落として呟いた。
「お前を修道院に入れてしまえば良かった。改心するかと期待してそうした私の選択はどうやら間違っていたようだ」
「……それはお気の毒様」
そこは激しく同感ね。そうしていればこんなハタ迷惑な死亡フラグを立てる展開もなかったんじゃないかしら。
「トムソン、今すぐ皆に荷物を纏めてこの屋敷から出るように通達を出してくれ」
伯爵はこの場に控えていた白髪の執事にそう命じると、自分も執事と共に急いで部屋を出て行った。伯爵夫人にでも知らせに走る気なのねきっと。
「……あなたも早く逃げたら? 私の気が変わらない限りここはお終いよ? まあ痛い思いをして自分の血を使うのはやっぱり嫌だから気なんて変わらないけどね」
ウィリアムは真実を告げなかった私の裏切りに心底失望しているはずよ。態度も悪く腕組みして眼球だけでじろりと冷めた目で睨め下ろせば、彼は静かな所作でソファから腰を上げた。
「後は君の好きなようにすればいい。俺もそうする」
「……そう」
にこりともしない彼から、すれ違い様にそんな言葉が掛けられた。
突き放したのはこっちからだけど、逆に突き放されてチクリと胸の奥が痛んだ。
私ってば望む結果を得られて何を嘆く必要があるのよね。しっかりしなさいよ自分。
そんな意固地さを保って心のズキズキが小さくなるまでしばらく独り伯爵の書斎に佇んで感情を整理した。
次第に騒然となるローゼンバーグ伯爵家の喧騒を傍らに、孤軍奮闘の覚悟を決めた私はグッと下唇を噛みしめて不安を押し込め毅然と顔を上げる。
「これはもう、――新・悪役令嬢アイリスの誕生ね」
誰もいない書斎に、冗談めかした自分の声が滑稽な程に響いた。
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