38 フラグを折ったその夜に1
そう言えば、隠し日記を読んでわかったのは最後の本邸もろともクレーター魔法は一つだって点ね。
保険的な仕掛けはないと思う。他の魔法は発動を回避できる余地があったけど、これにはない。そもそも一つあれば私は爆死か失血死するんだし、二つも三つも仕掛けたって無駄なだけだもの。
まあワル魔法使いが無駄だと知りつつ重ねて仕掛けた可能性が皆無とは言わないけど、何となくそこまで不要な労力は使わないタイプだと思うのよね。
先走り過ぎたけど、まだ離れの魔法の件は終わっていない。
しばらくするとウィリアムが軽やかな着地の靴音と共に戻って来た。
廊下側からじゃなくてバルコニーに下りて来てくれて良かった。そうじゃなきゃ私はずっと夜通しでもここに居たもの。
無事な姿に安堵が堪え切れなくて駆け寄った。
だけど別れ際に喧嘩っぽくなったからどこか気まずかった。そのせいで恩人を前に開口一番何を言うか考えてもいなかった私は暫し言葉を探して視線を彷徨わせた。
向こうは向こうで、まさか私が外に出て待っているなんて思っていなかったみたいで意外そうに目を瞠ったわ。
「……ええとあの、お疲れ様」
「……ああ」
散々逡巡した挙句、出てきたのはそんな気の利かない言葉だった。
それだけじゃない、先の彼の告白染みた言葉の数々を思い出すと気恥かしくもあって、動揺を絶対に悟られたくないから表面上は落ち着いてみせた。
だってあれは彼にとって必要不可欠な「婚約者」に対しての扱いだと思うのよ。有難い事に誠実に接しようとしてくれているんだわ。
変な勘違いは禁物よね。
「中に入らないのか?」
「え、あ、入るわよ、うん……」
顔付きから彼はもう怒ってないんだともわかってホッとする。私だって喧嘩したつもりはなかったから良かった。
「ねえところで大丈夫?」
「ああ、ちゃんと魔法陣は破壊したよ」
「そっちじゃなくて、あなたの体調が!」
あああつい口調がきつくなっちゃった。だって彼自分の事には無頓着に感じたんだもの。
「ま、魔法陣はあなたなら確実にどうにかしてくれるってわかってたから、心配してなかったわよ」
誤魔化すように取り繕えば、ウィリアムはどこかむず痒いような面持ちになって「全然問題ない」と軽く肩を回してみせた。
どうやら彼の技量を少しばかり過小評価していたようね。チート君には何て事なかったってわけか。
だけど、良かった。
「何ともないならいいわ。尽力してくれてどうもありがとう」
心強いなって思ったのと純粋に安心したのとで自然と頬が緩む。それはきっと自分では意図していなかったけど、相手からしたらはにかみに近いような微笑に見えたのかもしれない。ウィリアムはどうしてか急に真顔になった。
「アイリス……」
頬に手を伸ばされ触れられた。だけど彼の指先は触れた瞬間ちょっと驚いたように僅かに離れると、今度はピタリと掌を当てられる。
「ええと何?」
「……いつから居たんだよ。だいぶ冷えてるじゃないか」
「あー、まー、夜風に当たりたい気分だったから?」
あなたが心配で居ても立っても居られなかったの……なんて馬鹿正直には言えなくて、目を泳がせて下手な誤魔化しの笑みを浮かべちゃったわよ。彼がどう思ったのかは知らない。
「ほら、部屋に入るぞ。こんな時にまた寝込む羽目になったらどうするんだ」
ここらは温暖とは言え夜は少し肌寒くなる日もあるみたいなのよね。ウィリアムは呆れたのかこいつ風邪引くつもりかアホだなとでも思ったのか、私の手を掴んで室内へと引っ張った。私も否やは無かったし素直に従った。
で、まあ、話をしたかったのもあって定番位置の応接セットに向かい合った。
それにしても、ウィリアムっていつ見ても座す姿一つさえ絵になるわ。もう彼の座る長椅子は「ウィリアム様の長椅子」って呼んだらいいんじゃないかしらね。ぶっちゃけそれくらいにしっくりはまってて、何だか恐れ多くてこの先もうそっち側には座れないわ。
彼は大丈夫とは言ったけど明るい場所で向き合えば、さすがにやや疲労の色が見てとれた。
「改めてお礼を言わせて。あなたのおかげよ、本当にどうもありがとう」
厄介事が一つ減って気持ちが明るくなるのは人の常。
残る最大の問題を忘れたわけじゃないけど、私はすっきり朗らかな声をウィリアムに向けた。
「今までだって全部、本当にどうもありがとう」
心からの感謝が湧き上がる。
彼は黙ったまま何も言って来ないから、感謝に照れてでもいるのかも~なんて思ったけど、私のお気楽予想はまんまと裏切られた。
だってウィリアムってば渋面を作ったんだもの。
フッこの男に可愛げなんて求めた私が馬鹿だったわ……。
「もっと強力な魔法がまだ残っているのに、まるで最後の別れみたいな物言いをするなよ」
「……へっ? ええと別にそんなつもりはないわよ。ちょっとした区切りのつもりだっただけで……」
ドキリとした。隠し日記を読んでの動揺が顔に出ていたかしらって。
「それに、君は色々と重要な情報を隠している。全てを明かせと強要はしないが、程度ってものがあるだろう? 当初罠は三つだと言っていたのに他にも悪質な悪戯のように魔法が転がっていただろう。君の様子を見るに、それも知っていたようだしな」
「ええと……」
違うのよそこは。途中から真相がわかったってだけで最初は知らなかったのよ……って言ってやりたいけど、話しちゃえばもっと詳しく事情を話さないといけないだろうから藪蛇になる。何も言えなくて、申し訳なさが咽を圧迫するようで苦しい。
「正直、もう少し歩み寄ってほしかった」
胸がズキリとした。
やや視線を下げるウィリアムには、だけど薄い落胆はあれ私を強く責める気配はなかった。それが逆に痛い。叫んでも誰にも聞かれない穴があったなら、私はそこに頭を突っ込んで沢山ぶちまけたと思う。誰かに聞いてもらいたい秘密は本当に山程あるんだもの。
両手を握り込んで弁解さえも言えないでいる私へと、視線を戻したウィリアムが静かに問いを口にした。
「もう一つ訊く。君はこの一連の犯人を知ってもいる。……違うか?」
「――っ!?」
びっくりした。
そこを勘付かれるなんて思ってなかったから。
でも私の不自然な態度からそんな予測が付いても不思議じゃなかったのかも。
ここで否定しても、きっとウィリアムは信じない。
彼の中には既にその確信があるんだと思う。
だから肯定した。
「――ええ。知ってる」
「やっぱりか」
「でも、誰かは言えない」
偽りは言わないけど、真実も明かせない。
何せ私の投獄如何に関わるんだもの。
「言えないけど、今はもうあなたを信用できないとか味方じゃないって思ってるわけじゃないのよ。そこはわかってほしい」
彼の献身は、私に彼への認識を変化させた。
真実を知ってもきっとこの人は掌を
私を売ったりしない。
私の味方のままでいて、私を助けてくれるんだろうなって思う。
だからこそ、アイリス自身が犯人だって事実を告げてはならない。
彼からの落胆や幻滅が怖いだけじゃない。
その事実を知った時点で、彼は共犯になってしまうから。
「伏せるのは、お互いのためなの」
追及されても応じないって気持ちで私は我知らず目に力を入れていた。
言葉を重ねた私の固い意志を感じ取ったのか、ウィリアムは半分目を伏せて憂うような嘆息を落とす。
「わかった。これ以上は訊かない」
渋々といった感は否めないけど彼は私の気持ちを尊重してくれるみたい。問い質されるかもしれないと薄ら思ってもいたから正直ホッと胸を撫で下ろした。
「ありがとう。そう言ってもらえて助かるわ。でも話せなくて本当にごめんなさい」
「いいよ。目下のところ明らかにすべきは本邸ごとどうにかなるトラップの場所や詳細、そして果たすべきはその解除にあるしな。やる事は案外多いんだ」
そう潔くも引いてくれたウィリアムには感謝しかない。
でも彼の言うように、やるべき事は結構山積みなのよね。
それ後、ニコルちゃんにお願いしている本邸調査の現在の状況をウィリアムから聞かされた以外は特にこれと言ったトピックはなくて、次第に交わす言葉も少なくなった。
互いにとうとう無言になって気付けばもう夜中の〇時過ぎ。もうこんな時間だったのね。
言うまでもなく、この夜はいつになく安心安全の極み。
「ウィリアム。立って」
「何だ?」
私も椅子から立ち上がると、訝る彼の方へと回ってぐいぐいと背中を押しやった。
そうして続き部屋のすぐ前で止まると慇懃にも見える動作でドアを開けてやる。
「結構遅い時間だし、安眠出来る夜なのは間違いないし、ここら辺で解散しましょ。明日からは……ええともう今日って言った方が適当かしら、とにかくもっと大変になるかもしれないんだし、ぐっすり眠って疲れを取ってね? お休みなさいウィリアム」
状況的にある意味一段落ってなわけで、彼には満面の笑みでさっさと続き部屋にお引き取り願ったわ。
「俺もこの部屋で寝るよ」
だけどまあ、この男が大人しく退散するわけもなかった。予想通りではあるものの浮かべていた笑みがピクリと引き攣る。
「不審者が現れても俺が責任を持って撃退するから、安心して眠っていいぞ」
「不審者は目の前に居ますけどね! さっさと自分の寝床に帰れ。せっかく運び込んだあなたのベッドが寂しがってるわよ」
「なら二人で一緒に慰めてやろう」
「馬鹿言ってないで。破廉恥行為も禁止!」
「わかった。じゃあ俺は俺の破廉恥基準を鑑みて無難に行動するとしようか」
「あっあなたの無難なんて私からすれば全部アウトよ!」
「どうだか試してみようか?」
「みません!」
ぐぬぬぬ、と歯噛みする私を面白そうに見据えて、ウィリアムはいきなり私を魔法で浮かせた。
落ちると言うか下ろされると言うか、着地は柔らかだったから乱暴には感じなかったけど、視界が急にくるりと反転したから何が起きたのか一瞬ううん三瞬くらいはわからずに、びっくりして呆然と目を瞠ってしまった。
見慣れた天蓋の内側が見えるー……って事はベッドに横にされたのね。
そしてそれを背景にして視界に入ってきたのは、ウィリアムのバストアップ。
え、え? ええ? ええええ!?
「これからは君の隣が俺の寝床だ」
「なっ……!?」
「君に絶対に後悔はさせない」
「はいいっ!?」
これはまさかの腕力と魔法力とに物を言わせたアプローチ!?
そんなの反則! 絶対太刀打ちできないじゃない!
私の顔の横に手を付いて見下ろすウィリアムは狼君にしか見えない。
肉食動物が獲物を定めたような眼差しに、ごきゅっと咽が鳴る。
心臓が早鐘を打つのも動転すらするのも、自分の感情だってのはちゃんとわかる。
だけど私ってばいつからウィリアムを見て頬を染めるようになったのよ!
有り得ないーッ!
だって葵に失恋したばっかなのよ?
転生したって言っても体感時間は寝込んでたのもあって失恋数日なのよ?
だから絶対違うわ。これはきっとあれよ、ウィリアムが超絶イケメンだからよ。
乙女なら誰だって神の如きイケメンに微笑まれればドキッとするでしょ、それよそれ。
「あああっあなた少しは遠慮ってものを覚えたらどうなの!? 今まで周囲からどうチヤホヤされてきたか知らないけど、王子だからってイケメンだからって何でも許されると思わないで! 大体ねえっ、あなたは魔法をもっと世の中の役に立つ方向で使いなさいよ! この人チート魔法使いでーすって世間に暴露してやるわよ!」
抗議をぶつければ、ウィリアムはフッと小さな吐息に笑みを含ませた。
「もしそんな面倒になったら、君を攫って人の居ない場所まで逃げようか」
「下手な冗談はやめて!」
「本気だと言ったら?」
「渋々託宣を実行するような人が、わざわざ人生棒に振ったりできるの?」
「君の返答次第では」
「私の? そんないつ見つかって連れ戻されるか冷や冷やの強制駆け落ちになんて応じないわよ。私はのんびり生きていきたいんだから」
「誘拐じゃなく駆け落ちだと思ってくれるくらいには、俺に好意を抱いてくれたと思っても?」
「こ・と・ば・の・あ・や・よ!」
ウィリアムはまた小さく笑った。
……この人本当は割かし柔らかに笑うのよね。初日の冷笑はすっかり鳴りを潜めている。
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