23 噴水の女神像

 廊下の角を曲がって部屋が見えなくなったところで、私はようやく足を止めた。


「はあ、はあ、はあ、離れのくせにこの廊下思ったより長かったあ~。本邸から追放も同然の扱いなんだし、もっと小じんまりとした所に軟禁でいいのに。無駄に大きいだけ探す場所も増えるじゃない、全くもう」


 肩で息を切らしつつ悪態をつく私は、ちょっと振り返って走ってきた角の向こうの物音に耳を澄ませる。よかった追いかけては来ていないようね。

 逃げて来ちゃったけど、当事者同士で一度は話した方がいいと思うし、大丈夫よね。

 ウィリアムってば冷たくあしらったりしないわよね。それが実はちょっと心配だったりするけど、今更戻るのもねー。

 昨日ウィリアムがニコルちゃんとの婚約破棄をローゼンバーグ伯爵に告げたらしいけど、ニコルちゃんは昨日も何故か離れのメイドをやっていたから、たぶんまだウィリアムとは直接話してなかったんだと思う。

 彼女泣いちゃったし、ウィリアムも乙女の可憐な涙で思い直してくれればいいんだけど。


「ふう、にしてもニコルちゃんって聖女って感じの令嬢だと思ってたけど、ちょっとイメージ違ったわねえ。まあ撫で回したいくらい可愛いのは想像以上だけども」


 もっとこう、ふわっとして清楚だけどお日様みたいに明るくて庇護欲をそそられて、ティンカーベルみたいなキラキラした粉とかを無意識に周囲に振りまいてる子だと勝手に思ってた。

 でも実際は仮面装着とか、これが乙女ゲームだったらちょっと社運を懸けたも同然の変わったヒロインデザよね。


「何にせよ、ニコルちゃんと仲良くできるといいんだけど」


 老婆心ながらも放置してきちゃったのを怒っていないといい。でもまあ私は私のすべき事をさっさと始めないとね。

 自滅フラグを折らないと姉妹仲良しの未来も消滅だもの。

 前方に目を戻せば、先には短い廊下と階段が見える。窓から向かいを見れば長い廊下を挟んだ反対側にも階段だろうなって部分が見えた。

 この建物はホッチキスの芯みたいな形をしているらしい。上下の横棒部分が短いコの字型の建物って言い換えもできるけど。


「まだこの離れって一度も見て回ってなかったからちょうどいいわ。一通りざっと回ってみようっと。庭にも出たかったし」


 そういえば日記は部屋に置きっぱだった。


「きっと死んだ日記のふりしてるだろうし、しばらく放置してても別にいっかな」


 まずは自力で探そうと息巻いてお気楽にそう決めた私は、階段を下りて踊り場や階下の廊下に置かれた花瓶や壺の中を覗き込んで、まずは目に見える形での不審物がないかをチェックした。

 花瓶や壺の他に、どこの芸術家が作ったのか知らないけど小ぶりなオブジェや胸像なんかも沢山あって、きちんと小さな台座の上に置かれている。絵画は壁に掛けられて、ピカソがこっちの世界にもいるのって思ったほどの奇抜な作品もあった。


「はー、貴族の離れだけあって無駄にこういう物が多いわね。これじゃあ本邸なんてどれだけの数あるんだか」


 毎日の埃を落とすだけで一苦労よ。美術品だけじゃない、ここって私しか住んでないのに無駄に空室があるし、部屋の維持にしてもニコルちゃん一人じゃ土台無理な数だわ。でも見る限り手は行き届いてるみたいだし、掃除はどうやってるんだろうなんてどうでも良い事まで考えながら庭に出た。


「見える所には魔法陣とか爆発物っぽいものはなかったわね。ああでも胸像の鼻の穴の奥に詰められてたら見落とすわ。うーん、後でもう一回見てみよう」


 ほらポスターの鼻の穴やら両目に画びょうとかってよくあるじゃない。それと一緒の悪戯心理で仕掛けてないとも限らないしね。アイリスってその手の幼稚な悪戯も愉快な蔑みの目で平然とやっていたみたいだし。まあでも綺麗な令嬢が愉快な蔑みの目でポスターとかに画鋲をぶっ刺すシーンを想像すると「え、どういう状況?」って感じだけど。


 誰もいない静かな庭先からは微かに水の音が聞こえてくる。


 噴水からねきっと。

 離れの敷地には、敷地の真ん中に建物があってその建物を囲むように庭が広がっている。建物の造りは廊下の両側に部屋が並んでいる仕様だから、私の側の部屋からだと噴水は見えなかった。噴水は一つしかないみたい。

 だから水の音を頼りに気になってたそこを真っ先に目指しつつ、庭を散策していく。


「上から見た時も思ったけど、やっぱりこの庭って楽しいわよね。命の危機が去ったら思う存分満喫してやるんだから。ああそこもあそこも死角になってそう。じめっとして一人になりたい時には持って来いかも」


 秘密基地を作るようなわくわくとした気分で歩いて程なく、位置的にはこっち側の庭の真ん中辺りかなって所にあった噴水にようやく辿り着き、私は「あっ」と声を上げた。

 ヨーロッパの庭園でよく見かけるような円形の浅い噴水は、小さな飛沫を煌めかせて瑞々しい水の気配に満ちている。

 その中央部分には白い彫刻があって、噴水の新たな水はそこに通された管を通って噴出しているようだった。

 きっと何もない時に見たなら、この世にも立派な大噴水に感激しただろう。


 だけど私は、噴水中央部に屹立する女神らしき彫刻に視線を縫い止められたまま、戦慄していた。


 古代ギリシャ的なたっぷりとした布の衣装から覗く、その豊満過ぎる胸やむちむちした太ももに目が行ったのは否定しないけど、それより何よりその女神像の周辺に括りつけられている物体に純粋に驚いたせいだ。

 平素はくびれているはずの腰回りには三段腹のようにそれらが括りつけられ、天へと伸ばされた右腕の先には重そうなそれらを載せている。

 よく重さで腕がボキッと折れなかったと思うくらい、これでもかって程に山盛りだ。


 ―――爆弾が。


 硬質な真っ黒い球体から導火線がピヨンと一本伸びた形状だったから、私にもそれが何なのかすぐにピンときたのよね。


「よく重心取れてるな~……って違う違う違あーう! 普通爆弾ってダイナマイトとかだと筒状じゃないの? そんな安直なイメージしか持ってないけど、それでもボン○ーマンはないでしょ。何でそれなの!? アイリスは確かに黒い色が好きだったみたいだけど、爆弾まであの黒黒とした方じゃなくて良くない? ってかそもそもこの世界にあの形状の爆弾ってあるんだ!?」


 どこの世界も突き詰めれば似たような形になるのかもしれない。まあ蝋燭一つとっても同じだもんねえ。

 しかもどんだけ盛ってんのよ、フルーツ盛り合わせじゃないんですけどそれ!

 あわあわとする私は一人頭を抱えた。屋敷内には目に見える形としてはなかった爆弾が、今はこれでもかって程にある。

 よもやこんな野外に物凄~くわかりやす~い形で存在するとは思わなかった~。


 私の恐慌なんて鼻で嗤うかのように、爆弾女神の彫像は朝の日射しを浴びて優雅に微笑んでいる。


「爆心地ウェルカム~……じゃないわっ!」


 ああもしかしてだから私はここに来ちゃったとか?

 爆心地に転送されるって話だけど、その前に誘蛾灯よろしくここに引き寄せられちゃったんじゃないの?

 ゾッとした。

 今ここで爆発したら間違いなく、死ぬ。

 素人目に見てもそれくらいの威力がある分量だってのはわかるもの。

 もしこれが第二弾だったとしても、まだ発動日じゃないって思いが念頭にあるから咄嗟に逃げ出したりはしないけど、一刻も早くウィリアムに知らせないといけない。

 私じゃあどう処理すべきか全くわからないんだもの。


「でも万が一目を離した隙にポロッと一個落ちて衝撃でチュドーンってなったらヤバいかもしれないし、ここを動いても大丈夫かな」


 急に不安が押し寄せて、私はもたもたとしてその場を立ち去れずにいた。

 さわさわとした水音だけがこの庭の常の長閑さを嫌味な程に伝えてくれている。


「よ、よし、一度戻ろう。私が来るまで何ともなかったんだしね。そうよそうよ」


 やっと決意して踵を返しかけた時だった。

 やや強い風が吹いて髪を乱され押さえた私は、視界を遮った長い髪の隙間から見えた光景に肝を潰した。

 風のせいか、女神像の手の上の爆弾の一つがぐらぐらと揺れたのだ。


「ひいーッ、いやいやいやいやちょっと待ってちょっと待って固定甘過ぎでしょーッ!」


 一瞬で蒼白になると焦って地を蹴って脇目も振らずにザブザブと噴水の中に入った。

 ドレスが濡れるのなんて構わず、必死こいて中央の彫刻まで辿り着く。

 見上げる高さにある女神の右腕の上の爆弾は、まだぐら付いている。

 神様の意地悪のように風は止まず、むしろ余計に強くなってさっきよりも威力のある突風が吹き付けた。


 ぐら、ぐら、ぐら。


 三、二、一。


 丸くて黒い危険物が頭上から一つ転がり落ちてくる。


「ダアアアーーーーーーーーッッ!」


 無意識にプロレスラーな気合いの声を上げ、結果から言えば私は生への執念で見事両手キャッチに成功した。

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