2 目覚めて早々の厄介事
「アイリス……?」
ショックと気まずさMAXで押し黙った私の様子が不可解だったのか、彼は怪訝に片眉を上げ、顔を近づけてくる。
途方に暮れた私の顔が彼の綺麗な青灰色の瞳に映り込んだ。
無駄にイケメン過ぎて私の中の乙女な部分が見惚れたけど、それも束の間、彼の瞳に映る自分の姿に眉間を寄せた。
「え、あの……鏡ある?」
思わず勢い込んだ私だったけど、逆に接近されてやや驚いた青年が「何だか色気がなくなった?」とかほざきやがった。
「いや、夕べは媚薬のせいでそう見えていただけか?」
うっさいわ! ってかマジでホント媚薬って何だごるあああッ!
言葉が通じてるのは有難いけど、だからこそ言葉を選んでくれないかしらホント!
そんな時だった。
前置きもなくバーンと両開きの重そうな木の扉が開いたのは。
まさかホテルの客室をノックも遠慮もなしにぶち開ける人間がいるとは思わなかった。常識の欠如と音にビックリして肩を強張らせて振り向けば、そこにいたのはメイドの格好をした女性たちだった。
よくドラマとかだと相手の恋人とか妻がこんな風に乗り込んでくるけど、まさかの従業員?
先頭は私と同じ二十代だろう女性で、その後ろに十代と思しき少女たちが付き従っている。
彼女たちは私とその隣の青年の姿を認めると、
「いやあああ!」
「そんなあああ!」
ムンクの名画「叫び」よりも絶望的な顔になった。
「何てことでしょう何ということでしょう! アイリス様あなたはどれ程の悪女なのですか!!」
「へ? 悪女? よくわからないけど客の了承もなく部屋に入るのはどうかと思うわよ。その手のホテルなんだろうしまだイチャこいてたらどうするのよ」
横の青年がまたもや怪訝な顔で私を見た。私何か変なこと言った?
「アイリス様余裕ぶっこいて楽しいですか? ご自分が何をしでかしたかおわかりなのですか? こんなこと人の道に
「話が飲み込めないんだけど。アイリスって私よね。その私がどうしたって?」
とりあえず自分アイリスねーハイハイと受け入れる私へと、メイド達は非難の眼差しを解かず尚も睨みながら指を突き付けてきた。
「堂々と妹君の婚約者を寝取っておいて、何をすっとぼけたことをぬかしているのですか!」
「…………え? はいぃ~?」
何となく即座には考えたくなくて、私は豪勢なベッドの上で小首を傾げてみせた。
ええと今このメイドさん何て言った? 妹の婚約者を寝取った? 私が?
「ちょおーっと待って、私には兄と姉はいても、妹や弟はいないんですけど?」
「何をおかしなことを仰っているのです。アイリス様は二人姉妹の長女であらせられますのに。そのたった一人の妹君の婚約者を横取りするなど言語道断!」
「だぁからあ~、妹も知らんがその婚約者なんてもっと知ら……」
ハタと何か重要な現状を思い出し、私は恐る恐る隣を窺った。
寝取ったかどうかは別として、直近で致したと思しき相手なんて一人しかいない。
「あの、あなたがまさか私の妹って子の婚約者だったり……?」
どうか違っていてくれという願いも虚しく、彼はすんなり頷いた。
「俺以外に誰がいるっていうんだ?」
「ノオオオオオオーーーーッ!」
ヒステリックな甲高い声はメイドたちだ。
いやいやいや悲鳴上げたいのはこっちだから。
先を越されてかえって冷静になっちゃったわ。だけどそんな私の態度が傲慢に見えたのね。うわ視線が突き刺さるう~、濃厚な殺意さえ感じるう~。
「あなた様がいくら主家のご令嬢でも堪忍袋の緒が切れました。ニコル様お助け隊のこのわたくし共の矜持に懸けて、ウィリアム様をニコル様の元に取り戻してみせます!」
隣の彼の名前はウィリアムで、いつのまにか出来た妹の名前はニコルか。
でもいつまでマッパのまま会話をしないといけないの。一応胸の上まで毛布は引き上げてるけど背中がスースーして寒いわよ。
思わずクシュンとくしゃみをすると、ウィリアムとやらがこれ見よがしに溜息をついた。
「もう無駄だ。こうなってしまっては俺はニコルと婚約解消する。そしてアイリスと婚約をし直す」
「ウィリアム様、ご自分が何を仰っているかわかっているのですか!? 昨晩アイリス様に一服盛られて寝室に連れ込まれて何か断れない弱みを握られたとか、洗脳系の黒魔術を掛けられでもしたのですか?」
私が主犯と目されているのはわかったけど、蚊帳の外感が半端ない。
「私宴会芸的なちょっとした奇術くらいはできるけど、魔術なんて使えないわよ。そもそも黒魔術とか本気でそんな非科学的なこと言ってるんじゃないわよね?」
突飛な言葉でも聞いたかのようにウィリアムが小さく噴き出した。
「まあそういうわけだ、伯爵夫妻とニコルには後で直接俺から説明に出向く。とにかく今は出てってくれないか。着替えたい」
色気駄々漏れの流し目にメイドたちは一気に「はうっ」と立ちくらみ者を続出させる。
こいつ罪な男ねー。
ただ一番歳上のメイドだけは我に返って、ウィリアムを責めるように見据えた。
「ウィリアム様、被害者のあなた様には同情を禁じ得ませんが、敢えてこの断罪の好機にこちらが退くと思っ…」
「――下がれと言っているんだ、俺は」
ピシャリとした声だった。
直前までのどこか飄々とした雰囲気が一変して、冷たい目が彼女へと向けられている。命令し慣れた人間の絶対的優位の心理がそこにはある。
明らかに怖気付いたような顔になっているのを見て同情した。職務熱心で主人に忠実なだけなんだろうに気の毒に……ってそんな場合じゃない。
「ちょっと待って。私別にニコルちゃんとやらからこの人奪おうなんて思ってないわ」
「そんな破廉恥な姿で言われても全く以って説得力がございません!」
「あー……」
その後メイドたちはこれ以上彼の勘気を被る前にとそそくさ退散していった。
パタン、と微かな音だけを立てて入ってきた時とは正反対の丁重さでドアが閉められる。
騒々しさが去ると自然と溜息が零れた。
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