第17話 ~それぞれの目標~

「治りそうですか……?」

「ええ、大丈夫ですよ。」

 優しそうな眼鏡の20代程の男性が笑顔で答える。


 機械で覆われた部屋。

 精密危機の台に置かれた妖刀村正は、青い電子線からエネルギー補給をされているらしい。


「事情は聞いております。一晩で治りますよ。」

「本当ですか!?」

 思わず大きな声を上げて席から立ち上がってしまう。

「失礼……。」

 一応国の人間なので慎ましくしないと……。

 王殺しの罪を被せられ、その噂を広められた上で今更だが。


 でも最近は俺に対して住民の対応は普通だ。ほとんどの竜を還すという功績を遂げたのだからだろうか。


「大切なんですね……。」

「はい、そいつがいなきゃ……竜を還すどころか家族も仲間も守り切れなかったですから。」

 自分の手と見つめ、今度は刀を見ながら答える。


「だから、よかったです……。ありがとうございます。」

 素直に感謝を伝えると彼は頷いた。

「いえ、それが勤めですから。ただ……。」

 彼は最後の言葉を少し濁す。


「え……何かあったんですか?」

「今人間で言う脳や精神の休息を取らせているのですが、剣自体の耐久がかなり低いです。また同じことになる前に、打ち直しをすることをおすすめします。」

 彼は簡潔に現状を伝える。

 やっぱり研ぐだけじゃ補えない部分もあったのだろう……。


「この妖刀村正銘は日本で作られたものです。入った力を癒すことはできますけど、これを打った日本の職人に打ち直して貰わないことには……。」

 改善方法まで詳しく教えてくれる。


「外がボロボロじゃ中の力が漏れて、またこうなるどころか……。」

 彼は突然心配そうにこちらを見る。


 そんな目で見られても、分かっている。

 俺とこいつはあの日から一心同体。

 早く動くしか才能の無い俺に唯一託された力であり、絶対共に戦ってくれる仲間。


 共に死ぬ覚悟なんて当に出来ている。

 だけどまだ死ぬつもりなんて毛頭無い。

 だからといってジーニズだけ死ぬなんて許さない。

 こいつのまだまだあるであろう秘密を、どうして隠さなきゃいけなかったのか知りたい。


 世界の真理を知りたいだなんてことまでは思わない。

 でも仲間のことは知っておきたい。分かっておきたい。


「いえ、原因が分かっただけでもほんとありがたいです。」

 俺は来てよかったと安堵の息を漏らす。


「あ、治すのに気を使ってくださっているのでしたら明日10時以降に来てくだされば大丈夫ですよ。」

「え、あーそうですか。」

 流石に一晩ここにいるのは迷惑だ。


「じゃあ、30分だけ見たら……行きます。」



 一方、治樹は墓地にある華剛奈央と刻まれた墓標の前にしゃがんでいた。


「母さん……。」

 怒号どころか返事も返ってこない。

 だから何も言い返すことができない。


 母さんが死んだ理由、それは……。

 一年数ヶ月前の冬に起きた社内のクーデターだったそうだ。

 当時の僕は支え合う幸樹と未来を見て、嫌になり騎士団の船から逃げた。


 放浪していた場所の情報紙でそのニュースを知ったのだ。


 僕の母さんの思い出。それはいつも苦しいものだった。

 僕は当時、焦っていた。

 絶対能力を持つ光樹に……。

 絶対に盾で死守することのできる光樹に嫉妬していた。


 そのためにどんな方法でも強くなりたくて外でも平気で能力の練習を繰り返した。

 何か言ってくる奴なんて気にせず、ただひたすらに……。


 そうしたらある日家で母さんと大喧嘩になり……。

 厳しい母さんは僕を殴った。

 だから言った。

『俺の気持ちも分からない奴が親なんかじゃない!!』


 今思えば酷くて親不孝で嫉妬深い子供だった。


 線香をあげ、過去と割り切ることを決意し立ち上がる。


「謝れたか?」

 父親の優しい声が聞こえ、ハッとして振り返る。


 そこにはまた少し老けた父さんが立っていた。

 僕は目を逸らした。

「まだ。でも、今思えば僕は酷かったよ……。」


「だったら、父さんも一緒に謝ろう。」

 父さんはいつもそうだ。

 ふと現れては全てを悟ったように語りかけ、前へ前へと導いてくれる。


 現にその道を歩んできたから僕の治癒魔法は胸を張れるようなものになった。


「もう酒も飲める年か……。」

 墓石の前に二人でしゃがむと父さんが話しかけてくる。

「まだ誕生日じゃないよ。父さん。」

「一緒みたいなもんじゃないか。でもそうじゃない。母さんもお前と仲直りしたかったんだよ。」

「え?」


 僕はそんな訳ないと思っていた。


「まず、他所から見てた俺の感想だが……母さんはお前のことを一番に分かってた。けど、過去の自分を見てるようで許せなかったんだ……。」

「な、だって……。」

 驚きが隠せない。だって母さんはもっと胸を張れるような……。


「母さんだって人間だ。お前が思うほど利口じゃなかったってことだよ。酒癖も悪いし、素直じゃない。でも……。」

 僕は父さんを見ながら続きを聞くことしかできない。


「俺なんかより男らしい熱い心で、お前らを愛してた……。」

 父さんは涙を流しながらも懸命に続きを話す。


「愛っていうのは相手の全てを想うこと。子供にとって一番大事なのは、未来を胸張って歩める成長だ。」


「すれ違いすぎたんだ……。それを止められなかった俺はお前を必死に導いた。だからお前は今未来を踏み出そうと決意をした。だけど……。」


「それじゃやっぱりダメなんだね?」

 僕は答えを確かめる。心の中にこれでいいのかと迷いがあったのも事実だ。


「そうだ。未来ばっか見ててもしっかり過去と向き合わなきゃ、人は成長しない。」

 涙を引っ込めた父さんは桶に入れた水を母さんの墓石にかける。


「きっと幸樹もお前と同じさ。お前を勝手にそうだと決めつけていても本心は分からない。」

 そんな訳ない。だなんて分からないってことだろう。


「謝って歩み直せば人は変われる。母さんだってそれの繰り返しで俺と出会えた。でもそれが互いにできなかったら変われない。」

「そう、だよね……。」

 変わるための答えにまた父さんが導いてくれた。

 謝る他にも、もう一つ伝えなければならないことがることに気付いた。


「ごめんなさい。産んでくれて育ててくれて、ありがとう。」



 思っているだけじゃ伝わらない。



 一方愛美も実家の目の前に立ち、インターフォンを押そうとしていた。


「うぅ……。」

 ここでうだうだしているうちに、太陽の色は夕日の色になりかけている。


 今日は比較的暖かいのに窓一つ空いてない。

 それもそうでしょう。母さん以外ここに来る家族は今のところいない。

 というかむしろ母さんは城に住んでいるかもしれない。

 だってその方がお世話付きで楽なはずだ。


「…………。」

 と思うとすごく虚しくなった。

 家族との楽しかった日々は消え、皆それぞれの未来を歩んでる。


「あっ……!」

 ハッとなってあることに気付く。

 そうなればあたしは城に出向かなければならない。


 城の方を見るが、頭をかかえてしゃがみこむ。

「うぐぅっ……。」


 唯一認められない家出をしたのは多分あたしだけ。

 そんなあたしが一人で城にふらりと現れる。

「もっと気まずいって……。」


「何してんの……。」

「ひぇっ!?」



 乱威智はジーニズを任せると、家へと帰る。

 二階建ての一軒家はまだあるはずだ。

 三月と変わり無ければ、母さんが休暇のために使っているだろう。

 掃除等は城の従者がしているらしい。


 家の前に着くとうずくまっている姉がいた。

「何してんの……?」

「ひぇっ!?」

 背を向けていたのに、こちらを向いて驚くばかりか尻を突いて体勢を崩している。


「母さんお化けより怖いか……?」

 疑問になって聞いてみる。思ったより難しく考えているようだ。


「そ、そんなことないし! てか漏らしてないし!」

「いやそこまでは聞いてない。されても困る。」

 最悪鍵は持ってるけど、酷いと泣き出すしいやだ。


「母さんそこまで気にしてなかったぞ? 早く顔を見せてくれって。」

 母さんが気にしていないということを少し誇張して表現する。


「ツラ見せろって怖いし……。」

「なんでそうなる。」

 ぐだぐだ駄々をこね始め、こちらの目を見つめる。

 一緒についてきてくれるよね? と言わんばかりだ。


「そのうち待ってれば帰ってくる。」

 俺は家の鍵を開け、重いドアを開けた。


 ドアを押さえていても中々彼女は入ろうとしない。


「はーやーく……!」

「あたしあんな優しくしてあげたのになんでそんな……。」

「うっ、じゃあ後悔するなよ。」


 俺は家に入るのをやめ、愛美の横にしゃがむと彼女をお姫様抱っこする。

「ちょっ、バカっ!」

 赤面して胸板を叩いてくる。

(優しくしろとかバカって叩いてきたりとか何だよ……。)


 でも悪くない。

 唯一悪いところがあるとすれば、玄関に入っても下りようとしないところだ。


「ちょっと……。」

「優しくして。」

 彼女はふんぞり返って足を上げる。


「…………。」

「…………ねぇ。」

 俺は彼女の目を見ながらも無視する。


「や、優しく……脱がせてよ。」

 彼女は恥じらいながらも目を泳がせている。

「えっ。」

「ち、ちがっ! くつを!」

 また胸板を叩きながら必死に訴えてくる。すごい恥ずかしそうに。


「じゃあ脱がせるね。」

「いやあの……。」

 彼女は両手を胸に当ててあたふたしているが、スニーカーを……。


「ちょっ、これ……。」

 一度俺の右膝で彼女の足を支えなくてはならない。

 不安定な体勢のまま靴を脱がす。


「あ。」

 気になって脱がした靴を鼻に近付ける。

「ふンっ!!」

 彼女に右足で手を蹴られて靴は吹っ飛んだ。

 匂いは分からなかったからそんなに臭くはないのだろう。


 ただし彼女の右足は蹴られた右手でがっしりと掴んだ。


「ほ、ほんとやめなさいよっ!」

 彼女は俺に頭突きを食らわそうと上体を起こしてきた。

 俺も体を捻らせて後ろに仰け反りかわそうとする。


 だが仰け反ったせちで位置がズレて……。

「む!?」

「んうーー!!」

 唇と唇が重なりキスしてしまう。

(ま、またかよ……。)


「んまっ……! わざとでしょ!?」

「はぁ……。わざとするかよ。」

 お互いに変な意地の張り合いをしてるのが大体の原因だ。


「虚しいから下りないか?」

「別に頼んでないけど。」

(何これ? この俺が突っ走ったみたいな空気。)


『ガチャ』

 玄関の開く音がする。


「鍵閉めなさっ――。…………。」

 ドアを開けた母さんは俺達をじっと見ている。

 愛美と似た姿だが、少しだけ背は高く黒いワンピースを着ている。


「何してんの……?」

「足挫いたらしい。」

 怪訝そうに聞かれたので俺はとりあえず嘘をつく。

「挫いてねーよ! 下ろせっ!」


 俺は愛美の指示通りに下ろす。

「え……?」

 彼女は俺の行動に対する考えが分からないらしい。


 俺は玄関に向き直って自分の靴を脱いで直し、愛美の靴も直そうとする。

「いい。」

 手を後ろからがしっと掴まれる。

「チッ。」


「どこまで進んだか知らないけど、あんたはっきり言ってその嗅ぎ癖キモいわよ。」

「うっ……。」

 母さんに言われるのは愛美に言われるのと全然ダメージ量が違う……。


 愛美はいつの間にか俺の後ろに隠れている。

(ダメだこいつ……。俺もダメだけど。)


「母さん、話がある。」

 俺は真面目な表情に変え、母さんに話しかける。


「まあ、分かってるわよ。大体。」

 母さんは俺の左腰をじっと見つめてくる。


 歩きながら話しリビングに移る。


「これとは別だ。中央都市についてと……。」

 愛美の方を見ながらダイニングテーブルの椅子に座る。


「優華の報告、父さんの手掛かり、未来の状態、星の現状や新たな派閥について。俺からはこんくらいだ。」

 母さん達も座ったことでもう一度愛美の方を見る。


『うぉい。勇気出せ。』

 小声で右肘で愛美をこづいてタイミングを作る。

「…………。」


 数秒沈黙が続く。


「心配かけて、ごめんなさい……。」

「よろしい。」

(たった一瞬で終わるじゃんか……。)


「ママー!」

 愛美は席から立ち、母さんにハグして甘えている。



 俺は地球で分かっていることの報告を粗方済ませる。


「んで、そのライバルちゃんには勝てたの?」

 母さんはニヤニヤしながらテーブルに肘を突いて聞いてくる。


「そーよ。結局どんな感じだったのか詳しく聞いてないんだけど。」

 愛美も同じように母さんの態度を真似しながら聞いてくる。

(謝った直後に真似は怒られろ。)


「剣の技量がすごいのは確かだ。ただジーニズのことがバレて剣を吹き飛ばされれば俺に再生の手段はない。」

「本当にそれで負けたの?」

 母さんは真面目な表情で本心を突いてくる。


 挑発に負けて勝負を放棄したなんて……。


「あんたはそんないくつか悪いことが積み重なった位で崩れちゃうの? 諦めるの?」

「まあ……。」

 俺は目を逸らしてしまう。

 勝負は楽しかった。でも戦う意味が分からなくなってしまえば今まで手にしてきた力もその勝負では無意味だ。


「確かに次の一歩を踏み出すために帰ってきたのは分かるわ。ただ、それってどうすればそうならなかったかなってしっかり考えた?」

「分かってやってやれなかった……。」

 はっきりとしている原因は互いにやれることを意識し過ぎて、お互いのことを無視していた。


「そしてその積み重ねが、敗北に直結した。そりゃそうよね。あなたは鈍感だから仲間の信頼を失おうが真っ直ぐ走れる位強い。」

 俺の弱点は母さんによって明らかにされた。

 それが決め手になったのではなく、最初からそこが弱かった。


「だったらどうするの?」

「俺はそこの覚悟が足りなかっ――。」

「違うっての。」

 母さんに片手で両頬を掴まれる。


「もうぐちぐちはいいから。帰ったらどうするの?」

 母さんは手を離して俺の答えを待つ。

「打ち師に――おじいさんに聞いてみる。」

「そうね。それでも良いわね。」

 軽く睨まれる。もっとやれることがあると言いたいのだろう。


「調べる。」

「そうね。本当に叶えたいなら全力で考えなさい。」

 俺が叶えたいことは……。

 未来からジーニズの兄の宿る刀を取り出し、自らの手で自分の心臓に突き刺すこと。

 そうすれば未来とジーニズを助けられる。


「で、あなたはいつまでその現地妻ごっこを続けるつもり?」

「ぎにゃうッ!?」

 愛美が変な声を漏らす。

 俺も苦笑いしてしまう。


「笑ってないであんたもシスコンやめなさい。」

「はい。」


「あと中央都市のことだけど……。」

 俺は頼むように母さんに話しかける。

「はいはい、調べとくわ。」


 これで母さんに伝えるべきことは全て果たした。

「じゃあ俺は。」

 俺は席を立ち上がり二階に行こうとする。


「ちょっと待ちなさい。」

「え。」

 愛美の向こうから母さんが手を伸ばして俺の肩を掴む。


「仲直りしたの?」

 母さんは怪訝そうな表情で聞いてくる。

(え、何で知ってんの?)


「そーだそーだ。」

 愛美も同じような様子だ。


「…………。」

「知ってるに決まってるでしょ。あんたの周りはあんたが大好きな人がいっぱいだもんね~?」

 母さんの言葉に愛美の顔がポッと沸騰する。


「分かってはいるけどタイミングが合わないと……。」

「中々会えないと?」

「うん……。会いに行こうとしないと。」

 ずっと友達ばかりとつるんでいたら、中々どうにもできないだろう。


「あんたの周りには誰がいるの?」

「へ?」

「頼れってことよ。」

 母さんはそう言うと手を離す。


「あんたは一人で解決しようと思うばかりに、人から手を出されないと助けを求めようとしない。タイミング位作ってもらったってバチ当たらないでしょ?」

 まあ母さんの言う通りだ。


「で、それはこの子からじゃなくあんた自身から話すことよ。」

「分かった……。」

 俺は頷いて部屋に戻ろうとする。


「で、部屋戻って何するの?」

「別に何も。」

「はぁ……。」

 母さんはポカンとしている。俺にだって一人の時間は必要だ。せっかくの休暇だしな。


「へぇ~。やっぱりあたしは鬱陶しいと?」

 愛美がニヤニヤしながら煽ってくる。

(こいつ……!)


 俺は席に戻る。そんな変な疑いをかけられるんだったら一人の時間なんていらねぇ。


「何よ。戻らないの?」

 怪訝そうにしている母さんを横目にリビングのソファーに向かう。

「じゃあソファーでだらだらする。」

 別に愛美と一緒でうざったい訳ではないが、日夜一緒だとちょっと……。

 ベタベタしてきてめんどくさい。


 最近の愛美はめっぽう俺にも甘えてくるようになった。

 少し異常だ。

 帰りに二人になったら手を繋いでくるし、ホテルに帰ったら帰ったでどこに行くにも移動の際は手を繋いで同行。


 今は母さんがいるからしないだろうけど、部屋にいる時は座れば膝枕と言って頭を乗っけてきたり背中におぶさってきたり……。


 昔の優華や結衣も恥ずかしがってそんなことはしてこない。

 彼女達は二人きりの時に意識してしまうのは分かるけど、愛美は意識しないのにも程がある。


 俺は彼女に対する不満を考えていたらいつの間にか寝ていた。



『つんつん。』

 なんかつつかれている。

「ん?」

 目を覚ますと愛美がほっぺをつついてきてる。

(彼女か兄弟かお前は。いや兄弟だよ。)


「ご飯だってよ。」

「うい。」

 正直周りにもこんなことしてたら完全に男たらしだ。

 一人でトイレに行けなさそうだしな。



 ――深夜三時――

「ねえ、起きでぇ……。」

 深夜、また誰かに起こされる。


「んだよ……。」

 青いネグリジェワンピース姿の愛美が俺の肩を揺すっていた。


「ねぇ……! トイレ行きだいのに……。うぐっ、ママ起きでぐれない……。」

 花の十七歳がえづきながらガチ泣きしている。

 ホテルの部屋のトイレでもそう。俺が起きなければ電気が点き、えづく声と水音が聞こえるのだ。


「はぁ……。早く済ませろよ。」

「ありがとう……。」


 毎回トイレに行くときと変わらず、俺がいても怖いのかすごい密着してくる。



 ほんとにこいつ男にすぐ襲われそうだな。


「離れないでよ……?」

「はいはい。」

 同じ胸も毎日押し当てられれば何とやらだ。

 俺も反応はするが、それよりか情けない姉がともかく情けない。


「え、ねぇトイレの電気が点かないよ……!」

 俺も放っておくべきなんだろうこういうのは。

 仲間と旅してた時はどうしてたんだ?

 女の子か焔が人柱になっていたのだろうか?


「ねぇったら……!」

 また半泣きだ。

「一緒に入ればいいのか?」

「え、いやその……。」

 とても恥ずかしそうにしている。暗くてあんま分からないが。


「早くしてくれ。」

 一緒にトイレに連れ込み、俺は背を向ける。


「音、聞かないでね……?」

(ホテルでも毎回聞こえてるんだよなぁ……。)

「はいはい。」

 耳も塞いで待つ。


 しばらくすると背中をちょこんとつつかれる。

 耳を塞ぐのをやめると……。

「終わった。」

「はい。」

 俺は振り返るとまだトイレに座っている。


「何やってんだ……。早くしてくれ。」

「いや、その……。」

「トイレットペーパーがないのか?」

 俺は手探りで戸棚からトイレットペーパーを取り出す。


「ねぇ……?」

「ちょっ、お前っ……!」

 お腹をちょこんとつつかれ、バランスを崩す。

 トイレットペーパーは取ったが、彼女の足に半分股がって乗っかり抱き締めるような形で着地する。


「探してるときにやめてくれ。」

「ごべぇん……。」

 また半泣きだ。


 俺はその場から離れようとする。

(やべっ、まあいいか。)

 俺は大事な部分が当たってても気にせず離れて、トイレットペーパーを設置する。


「ね、ねぇ……?」

「何だ?」

「今さっき固かったのって……。」

「ああ、そうだが何だ? さっさと拭いてくれ。」

 俺は再度背を向ける。


「いや、別に何も……。ごめん……。」

 なんか謝っている。それよりその拭く音も耳塞がせろよ。もっと意識してくれ。


 トイレの流す音に紛れて何か聞こえる。

「その……。トイレするなら中で待つからね……?」

 そんなことをされても理性が保たないだけだ。


「シなくていいの?」

 俺のイライラはピークに達して立ち上がった彼女をトイレの壁に壁ドンする。

「ひゃんっ……!」

「いい、やめろ。」


「そこまでは余計なお世話だ。」

「あの……。」

 彼女はまた恥ずかしそうにしている。


「何だ。」

「まだパンツ穿いてない……。」

 俺は背中を向け、また待つ。


 終わったら終わったで背中に引っ付いてくる。

 なのに歩くペースが遅い。


「遅い。おぶるぞ。」

「うう、はい……。」

 俺は彼女の足に手を当てる。


「ひゃあっ……! な、なな何か足に触った! 人の手ぇ……! ひ、ひえぇぇん!!」

「うるせぇ全部俺の手だ。いい加減にしろ。」

 覇気もない言葉で説得して彼女を持ち上げる。


「あうっ……。」

 また悲鳴をあげて肩を叩いてくる。

「何だ? 今度は。」

「ちょっと漏れた……。」

「報告するなそのまま寝てくれ。」

 別に今さら尿や血の一つ染みててもどうでもいい。

 早く寝かせろ。


 母親の部屋まで連れていこうとした時。

「待って……。」

「今度は何でしょうか?」


「一緒に寝てほしい……。」

「なぜ?」

「ママたぶんまた……おきてぐれない。」

 また半泣きだ。


「シングルベッドだぞ。」

「もう別にいい……。ぐすっ……。」

 こいつもこいつなりに必死なようだ。

 未来のお婿さんは大変そうだな。

 それで襲うなり好きにしてくれ。


 部屋に戻ってベッドに彼女を下ろして背を向けると……。

 また引っ付いてくるだけではなく、手を回して抱き締めてきた。


「何。」

「怖いから……。」

 結局人がいても怖いという。気の紛らわしに俺は付き合わされたのか?


「えっ、お前どこ触って……!」

 手の回し方が左手が胸板で右手が下腹部。

 範囲が離れすぎだろ。

「この方が温かくて落ち着く……。」

「温かいじゃなくて熱いだから。やめてくんね?」

「うん……。」

 やめようとしないし、それどころか寝ようとしてるしこいつ……。


「もう分かった。」

 俺はもう気にしないことにした。

 手で触られるくらいなら……。

 俺は愛美の方に向き直り、抱き締めて背中をとんとん叩く。


「あーそうさ、お前には救ってもらった恩があるからな。」

「よろしい……。すぅ……。」

 やっと寝たか……。


「あ、眼帯。部屋に置きっぱ。」

「起きて取りに行けばいいだろ……。」

 愛美はホテルの部屋やプライベートな場所でしか黒い眼帯を外さない。

(あ、そうだ……。良いこと思い付いた。)

 俺は悪どい笑みを浮かべた。



 ――翌日――


「うぁ……。」

 いつの間にか寝ていたようだ。

 隣に愛美がいない……。

「まあいっか……。」

 別に眼帯の匂いなんてホテルにいても嗅げる。


 ベッドから下りようと足を下ろす。

『むにゅ。』

「は?」

 気付いて下を見ると右足で愛美の下腹部を踏みつけていた。


「うわ。」

 驚いてしまい、右足を上げる。

 愛美はベッドから逆さまに落ち、足をかっぴらいて寝ていた。

 ネグリジェが腹まで捲れている。おめでとう花の十七歳。腹筋が少したるんできたんじゃないか?

「ひゃ……。すぅ……ぴぃ。」


 すぅぴぃじゃないんだよな。

 彼女を見るとどうやっても黒いパンツが目に入る。

 ホッとした。白だったりしたらもう一度驚くところだっ――。


『ちょっと漏れた……。』

 昨日の言葉を思い出す。今の俺のかかとには……。

 自分の右かかとをじっと見る。


「流石にそっち系の匂いはいらんわ。」

 俺だって香りと愛美の嫌がる素振りを見たいだけで、臭い匂いはごめんだ。


 別の場所から下りて一階に下りる。

 眼帯もなんかどうでもよくなった。

 洗面所に顔を洗いに行く。


 なんと洗面器の端に黒いブラジャーと眼帯が置いてあった……。

「あいつやば。」

 恐怖心は羞恥心に勝つらしい。


 ブラジャーを先に取って洗濯かごに……。

 花のような甘い香りと酸っぱい香り。

(これ昨日ってことは黒好きだなほんと。)

「ハッ! 俺は何をして!」


 洗面所の入り口を見ると、愛美が息を荒げてドアを開けてきた。

 同タイミングでそれをかごに投げ込む。


「おはよ。」

 冷静にまずは朝の挨拶。

「お、おお、おはっ!」

 なぜ俺じゃなく愛美がどもっているのかは分からない。

 髪はいつもよりボサボサ。あんな格好で寝てたらそりゃそうなる。


「ブラジャー知らない?」

(知らんって言っとくか。)

「見てないけど。てか着けてないの?」

「別に関係ないでしょっ……!」

 ツンデレで会話を断ち切ってくる。


「そうか。はい。」

 俺は眼帯を渡す。

「あ、ありがと……。」

「昨日着けてたんなら、母さんの部屋か俺の部屋かトイレか廊下じゃないの?」

 彼女の左目は失明している。眼帯を付けないとスイッチが入らないだろう。知らないけど。


 無言で彼女はリビングに出て、階段をかけ上がっていく。


「あっぶね……。」

 そして俺はもう一度洗濯かごを見る。

 黒いブラジャーの真ん中部分がかごの端に引っかかっている。


(こ、ここからは流石にライン越えだ……。)

 見ていると魔が差してきそうなので、顔を水で洗って考えをリセットすることにした。



 ――午前10時10分――

 アピルバーグ社の研究施設、神器専用研究室を訪ねた。

 愛美と一緒に向かったら、途中で治樹さんと合流した。自分の用は片付いたから着いてきてくれるようだった。


 研究室のインターフォンを押すと、昨日会ったメガネの研究員の佐々木さんがドアを開ける。

「勢揃いですね。」


「どうも。」

「久しぶりだね。」

 治樹さんは面識があるようだ。


 中に入ると妖刀村正は回復施設のような容器に入っている。

 佐々木さんは容器から取り出し、水分を拭くと俺に手渡してくれる。


「ありがとうございます。」

「んあ?」

 礼を言ったらジーニズの腑抜けた声が聞こえる。


 治樹さんのタクシーや、愛美のトイレとかブラジャーの時みたいにもっと良いタイミングは無いのだろうか? と考えてしまう。


「おはよう。」

「おは、ふぁぁぁ……。」

 ジーニズは朝の挨拶をしたのに欠伸をしている。


「おはって何よ。」

 愛美は小言を垂らした。

「おはって何だよ。」

 俺もその言葉をそっくりそのまま返す。


「い、いやあれはまあ……。」

 そんな愛美は無視して佐々木に問う。

「やっぱり早く打ち直さないと同じようなことに……?」

「そうだね……。一ヶ月保てば良い方かもしれない。」

 妖刀村正を、その中にいるジーニズを見つめる。


「ジーニズ、打ち師って覚えてるか?」

「ああ、分家か本家の人で間違いない。」

 俺は疑心など取っ払うことにした。

 優華に対してもそうだ。

 そんなことしていたらいつになっても心を開いてくれない。


「探して打ってもらいに行こう。今の人が無理なら、ティアスに協力してもらおう。」

 俺は当分の目標をジーニズに伝えた。

「そう、それでいい……。」

 彼は安心したような声でそう答えてくれた。


 あとは目標に向かって、考えながらも走ることだけ。

 簡単なことだ。

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