第62話 ヒロインと私

 午前の講義が終わって私はいつものカフェテラスで、彼が来るのを待っていた。


 相変わらずここにいると、周りが私を見てくる。

 いつもならそんなの全く気にしないんだけど、さっきの津田さんとのやり取りが頭から離れなくて、向けられている視線が気になって仕方が無かった。


(どうしよう……。もしかして他の人達からも津田さんと同じように見えてるのかな……。もしそうなら、私はどうすればいいの)


「お、おまたせ……し、志乃」

「わっ!」

「えっ!?」

「あ、あぁ、ご、ごめんね。練習お疲れ様」

「う、うん」


 周りの視線に負けそうになってる時に、急に声かけられたからビックリした。

 勿論、私に声をかけてきたのは彼氏である岸田君なんだけど、どうやら昨日のアレから呼び始めた呼び捨てを継続するみたいだ。

 付き合ってるわけだし、別に嫌なわけじゃないんだけど……。

 ちょっと思ってたのと違うなと思った。

 一応私も想像した事があるんだよ。

 付き合ってる恋人に名前を呼び捨てにされたら、どんな気持ちになるんだろうって。『ドキッ』とか恥ずかしいとか思うのかなって思ってたんだけど……意外と普通に受け入れられた事がちょっと残念だったり……。


 いつもの場所に現れた岸田君は妙に低姿勢で向かいの席に座って、なんだか居心地が悪そうだった。


「どうしたの?」

「どうしたって……昨日の事、怒ってるんじゃないの?」

「昨日の事って? ――あっ」


 何を言っているのか理解できた途端、昨晩の彼とのキスシーンが鮮明に頭の中に映し出された。


 そうだった。今日大学に来るまではキスした事で頭が一杯で、彼にどんな顔して会えばいいのか悩んでいたんだった。

 なのに、津田さんとの事がショック過ぎて完全に飛んでしまってたよ。っていうか、こんなに簡単に飛んでしまう私のファーストキスの価値っていったい……。


「え、えっと……だ、大丈夫……だよ。全然怒ったりしてないっていうか、私が変な空気作っちゃったからだよね――ごめんなさい」

「い、いや! 俺がみず……志乃の隙を突くような真似をしたんだから、謝るのは俺の方だよ、ごめんな」


 お互いが謝り合ったんだけど、私と多分彼も昨日の事を思い出してしまったせいで、2人共顔が真っ赤になっていた。


「そ、その話は終わりにして、とりあえずお弁当食べようよ」


 私はこの話題を切る事にして今朝作ってきたお弁当箱を手渡した。

 お弁当を受け取った彼はまだ少し顔が赤いまま、嬉しそうにお弁当を食べ始める。きっと、厳しい練習でお腹がすごく空いてたんだろう。

 そんな彼にホッと胸を撫で下ろして、私もお弁当にお箸をつけながら思う。

 初対面の人に見抜かれた事は無視できない。

 私はもっと彼を意識して傍に立つべきなんだ。


 ◇◆


 午後からは講義がなかった私は、昼食を一緒に食べた彼と別れた後そのまま大学を出て、特に欲しい物があったわけじゃないんだけど、このまま家に帰ると余計な事を考え込んでしまいそうだったから、途中の駅近くにあるモールに寄る事にした。


 週末になると大勢の人で賑わっているモールも、平日の昼間だと比較的客足が少なくて過ごしやすい。私は特にアテもなく目についたショップを一通り周った後、通路に設置してある1人掛けのソファーに腰を下ろした。

 そして手持ち無沙汰になった手が鞄の中にあるスマホを取り出してトップ画面を立ち上げるんだけど、今日もお目当ての連絡が届いていない事に溜息をつく


 ここ数日、頻繁に携帯を気にしている。

 それは、ある連絡を待っているからだ。


(まだ連絡ない……か。もう買っててもおかしくないと思うんだけどな……。もしかして、私には教える気がない?)


 私が気にしているのは、あの人から新しい連絡先が届かない事だ。住所も知らないし、携帯番号やアドレスも知らない。

 まだ大阪の実家にいるのか、もう新潟で新しい生活を初めているのかさえ知らないのだ。

 以前使っていたスマホは会社の支給品で、異動する為に返却した事は前に松崎さんに聞いた。となれば、携帯がないと不便なんだから買っているはずなんだ。それなのに連絡がないという事は、私には教える必要がないと思われている可能性がある。


 あんな別れ方をしたんだ。

 怒っているかもしれない。

 東京と新潟で距離が離れてしまった以上、無理に私と繋がっている必要がないと思っているのかもしれない。

 そう考えると、胸にギュッと痛みが走った。


「……かえろ」


 私がそう独り言ちてソファーから立ち上がった時、「あれ? 瑞樹さん?」と声をかけられた。

 少し驚いた顔を呼びかけられた方に向けると、そこには直ぐに誰だと判断出来ない男の人が立っていた。


(まったく知らないとは思えないんだけど、誰だっけ――あっ!)


「もしかして、佐竹君?」

「もしかしなくてもそうだよ。てか酷くね!? 俺の印象ってそんなに薄かったの!?」

「あっはは、違くてね。あまりにも私の知ってる雰囲気じゃなかったから」

「間宮さんのお見舞いに行った時に会ったじゃん」


 確かにあの時、愛菜達と一緒にいたのは覚えてる。

 でも、あの時は自分のせいであの人を生死に関わるような大怪我を負わせてしまって、正直愛菜とさえ何を話したのか覚えてない。


「あー……あの時は……ね」

「まぁ、あの時は仕方ないよね。間宮さんがあんな状態だったし」


 そう言って苦笑いを浮かべる佐竹君を改めて見てみる。

 卒業旅行の時より体つきがガッシリしていて顔つきも精悍さがあった。なんというか、自信が自然に滲み出ている。そんな感じに見えた。


「ふふっ」

「なに? どうかした?」

「ううん。男の子って何だか不思議だなぁって思って」

「どゆこと?」

「何か1つきっかけがあれば、ここまで変われるんだなって。勿論、いい意味でね! 今の佐竹君すごくカッコいいって思うもん」

「あ……あ、ありがとう」


 こういう所は変ってないんだね。これも勿論いい意味で――ふふ。


「瑞樹さんって今時間ある? よかったらお茶でもしない?」

「おやぁ? 結衣という可愛い彼女がいるのに、親友の私と浮気ですか?」

「え!? い、いや、そんなんじゃなくて!」

「あははっ、冗談だよ。いいよ、いこっか」


 佐竹君の反応に満足した私は、モール内にあるカフェに向かった。


 私達は案内された席に着くと、すぐに注文を済ませた。


「瑞樹さんって珈琲好きなんだね」

「ん? 女の子はミルクティーだろって?」

「いや、そういうわけじゃないんだけど」

「ふふ、紅茶が嫌いなわけじゃないんだけど、私は昔から珈琲党なんだ」

「へー! なんかカッコいいね」


 そんな他愛のない話題で会話を楽しんでいると、つい一年前には考えられない事だなと思った。

 あの時の佐竹君はとてもオドオドしていて、まるで自分の存在を消したいのかと体を小さく縮こませている男の子で、私は私で男を近寄らせないように睨みを利かせている女だったからね。


 そんな事を考えてながら、運ばれてきたホット珈琲を一口喉を潤すように飲むと、向かいに座っている佐竹君が声のトーンを少し落として話しかけてきた。


「間宮さんの事、大変だったね」

「……うん」

「後で加藤に聞いただけなんだけど、意識が戻って本当に良かったよ」

「うん……そうだね」


 彼の話になると急激に手が冷たくなるのを感じて、まだ温かいカップに両手を当てて掌を温めた。


 すると、佐竹君の声色がまた変わった。


「何かあったの?」


 その声色は本当に優しいものだった。


(こういう声で話せるようになったんだね)


「どうして?」

「何となく……ね」


 そうやって気を使えるイケメンさんになったんだ。

 結衣と出会えたのは、君にとって本当に転機になったんだね。


「……瑞樹さんが今抱えている問題と、最近結衣の口から瑞樹さんの名前が出てこない事と……何か関係ある?」


 佐竹君の質問に、ズキッと胸が痛んだ。


「……結衣から何も聞いてないんだ」

「うん」

「……そっか」


 結衣が何故、佐竹君に私の事を話さないのかは分からない。

 だけど、きっと結衣は私のとった行動を怒っているのだろう。


「俺でよかったら、相談にのるよ?」


 以前の佐竹君なら、絶対に話そうとは考えなかったと思う。

 だけど、今の佐竹君からはあの人に似た雰囲気があった。

 それだけ、佐竹君もあの人の影響を受けたんだろう。


「……それじゃ、少し今の私の気持ちを含めた話を聞いてくれるかな」

「うん。聞かせて」


 ◇◆


「――という事なんだ」


 私は佐竹君に今の現状に至った経緯を話した。


「驚いたな」

「……でしょ?」

「うん。瑞樹さんは間宮さん以外の男と付き合うなんて、絶対にないと思ってた」

「……前々から気になってたんだけど、私の気持ちっていつからバレてた?」

「え? そんなの合宿の時からだよ。間宮さん本人だってきっと気付いてると思う」

「そ、そっか……なんか恥ずかしいね」


 佐竹は窓から見えるモール内を歩くお客を眺めて、何かボソボソと呟いたように見えた。


「え? なに?」

「ん? いや、なんでもない」

「そう?」


 お互いのカップが空になりそうになった時、佐竹君は何かを思い出したみたいで鞄を漁り始めた。


「丁度良かった。借りてた本返すよ」

「そういえば卒業旅行の打ち合わせの時に読み終わったから、貸してたんだったね」

「そう。いつ会えるか分からなかったから、ずっと鞄に入れて持ち歩いてたんだ」


 私は受け取った本がどんな内容だったか思い出そうとして、パラパラとページを捲った。


「この本どうだった?」

「うん、面白かったよ。でも……」

「でも?」

「借りた時はそうは思わなかったんだけど、今の瑞樹さん達の状況とこの本に出て来る主人公達って似てない?」


 この本は私的にはそこまでお薦めって感じじゃなかった。

 確か卒業旅行の打ち合わせで集まった時、私が来るのが早過ぎて時間潰しにたまたま読んだいた本だったんだ。

 本を読み終えたタイミングで佐竹君が来て、私が本を読んでたから最近読んでないって話になって、読み終わったからってこの本を貸したんだっけ。


 この本が面白いからと薦めて貸さなかったのは、ラストの終わり方だった。三角関係のヒロインが最終的に選んだのが離れてしまった本当に好きな相手じゃなくて、自分の事が好きだって追いかけていた男の子と付き合う選択をしたからだ。

 離れてしまった人を忘れる為に追いかけられていた男の子と付き合ったヒロインは色々な感情に押し潰されそうになったけど、彼と一つ一つ乗り越えて次第に気持ちを通わせる事ができた。

 そしてラストシーンは数年後に離れてしまった男の子と再会した時、お互いのあの時の心境や現在付き合っている人の事を笑顔で話し合っている場面で終わった。


 私はそのラストシーンでモヤモヤした気持ちになった。

 どうしてヒロインは本当の気持ちを貫かなかったのか。

 どうして離れてしまった男の子は、自分の気持ちに反してしまったのか。

 この本を読んでいた時、私ならずっと追いかけるのにって、スッキリしなかったからお薦め出来なかったんだ。


 なるほど……。言われてみれば、結局このヒロインと同じ選択を私も選んだんだ。

 選んだ仮定は違うけれど、結果的に私はあの人と離れる選択をした。

 何がずっと追いかけるのに……だ。あの時を自分を鼻で笑ってやりたくなった。

 もしもの話だけど、あの人と彼、そして私の関係を文章化されて色んな読者に読まれたとしたら、私が選択した事をどう感じるだろう。この本を読んでいた頃の私みたいに、モヤモヤした気持ちになるのだろうか。それとも共感して応援してくれるのだろうか……。


 そして私は彼の気持ちを全部受け入れて、数年後あの人と再会した時、私はあの人と笑顔でそんな話が出来るのだろうか。


「瑞樹さん?」

「あ、うん……。ホントだね。確かに似てるかもしれないね」


 本のヒロインの心境と今の自分の状況を重ねていると、佐竹君の呼びかけに意識を現実に引き戻された。


 ――そして、佐竹君は少し迷った表情を浮かべた後、私にこう問うのだ。


「この物語ではこういう結果になったけど、瑞樹さんの方はどう?」

「どうって?」

「本当にこれでいいと思ってる?」

「…………思ってるよ」


 自分自身では即答したつもりだったけど、すぐに言葉が出てこなかった。それに気付いたのか佐竹君は小さく溜息をついて、何も言わずに席を立って伝票を手に取った。


「それならいいんだけどね。そろそろ出ようか」

「……う、うん」


 言うと佐竹君が支払いを済ませちゃったから、店を出たところで自分の支払いをしようとしたんだけど、誘ったのは俺だからと断られてしまった。


 モールを出て最寄り駅の改札で、私達は上り線と下り線で別れてしまう。本来であればA駅の隣駅が佐竹君の最寄り駅なんだけど、これから結衣と会う約束があるらしい。2人が順調みたいでなんだか心が温かくなるのを感じた。


「それじゃ、付き合ってくれてありがとう。楽しかったよ」

「ううん。私の方こそ話聞いてくれてありがと。お茶も御馳走様でした」


 言って改札を潜ったところで私達は別れたはずなんだけど、不意に佐竹君の足が止まって「あ、やっぱりちょっと待って」と私を呼び止めた。


「なに?」

「あー、えっと、余計なお世話だとは思うんだけどさ」

「うん?」

「瑞樹さんはあのヒロインのようには、なれないと思うよ」

「……どうして、そう思うの?」

「あのヒロインはさ。気持ちが本物になるまで寂しいとか、悲しいって感情を乗り越えたんだと思うんだ」

「……それで?」

「今の瑞樹さんはあのヒロインと違って、ただ単に辛そうにしか見えない。そのせいかな、少し痩せたでしょ」

「――――」


 ショックだった。

 いくら大切な仲間とはいえ、男の子に見破られるとは思っていなかった。

 あの中学の事件から身を守る為に演じてきた偽りの私を、佐竹君にあっさりと見破られたのだから。


「あ、ホント余計なお世話だよね。ごめんね」

「……ううん、大丈夫」


 私達は今度こそお互いのホームに向かい別れた。


 電車に乗り込んだ私はシートには座らずに、ドアの窓から流れる景色をぼんやりと眺める。


 あの本の物語は、最後に再開したシーンで終わっている。

 佐竹君に辛そうと言われた私は、その物語の先が知りたくなった。


 ――あの笑顔の先に、2人にとって本当の幸せがあったのかを。

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