第38話 御招待 前編

 瑞樹達がゼミ仲間と三度詣に出かけている同日の夕方。


 間宮のマンションのロビー前に不審な動きをする人物がいた。

 その人物はニット帽の上に着ていたダウンジャケットのフードを被り、マスクに眼鏡をかけていて不審者を地でいくような出で立ちだった。

 如何にも怪しさ満点の人物は壁に設置されてあるオートロック式のインターフォンの前を行ったり来たりを繰り返している。

 時折部屋番号まで打ち込むのだが、呼び出しボタンを押す事が出来ずに、またウロウロと歩き出すというおかしな行動が目立っていた。


 そんな不審な行動を5回程繰り返した後、何か覚悟を決めたように再びインターフォンの前に立つ不審な人物は何やらブツブツと呟きだした。


(お、押していいだよね?いつもみたいに強引に突撃するわけじゃなんだし……。そ、そうだよ!今日は呼ばれて来たんだから、ここに招待されたんだからビビる必要なんかないよね!――でも何で今までそんな事してくれなかったのに、今になって誘ってくれたりしたのかな……。もしかして結論が出て、正式に断る為に呼ばれたんじゃ……)


 不審な人物は間宮の部屋番号を入力して、また最後の呼び出しボタンを押す直前に悶々とそんな事を考え込んで動きを止めてしまう。

 指がボタンに触れるか触れないかの距離でプルプルと震わせていると。


「あの、まだですか?」


 そんな不審者の背後から、このマンションの住人らしき人にそう声をかけられて「ひゃい!」といきなり内部に向けていた思考を外部に戻した反動で、止まっていた指が呼び出しボタンを押していた。


「――あっ」


 リンゴーンと耳に心地良い音が鳴ってしまったが、ここで逃げてしまったら並んでいる人や何より間宮に迷惑をかけてしまうと、ある種諦めに似た気持ちでスピーカーから間宮からの応答を待った。


「はい」

「あ、私……」


 間宮が反応したのと同時に、後ろに並んでいる人に見えないようにカメラに顔を近付けてマスクをずらして一言だけそう返す。


「よう! よく来たな。入って」

「う、うん」


 間宮がそう言うと正面の自動ドアが静かに開き、待たせてしまった住人らしき人に会釈して足早にロビーに入った。まっすぐにエレベーターに乗り込んで8階のボタンを押してエレベーターのドアを閉める。


「……声色はいつもと変わらなかったな」


 エレベーターが8階を目指して昇っていく間、間宮の口調がいつもと変わっていなかった事を独り言ちる。であれば、そんな神妙な話をする為に呼ばれたわけではないのかもと考えていると、エレベーターが8階に到着してドアが開いた。


 エレベーターを降りて間宮の部屋の前で再び設置されているインターフォンを押すと「ちょっと待ってて」と間宮の声が聞こえて、少ししてから玄関のドアが開いた。


「いらっしゃい、優希」

「う、うん。こんばんは」

「駅に着く前に連絡くれたら迎えに行くって言ったのに」

「あ、あぁ、うん。ごめん、忘れてた」


 間宮のマンションに訪れたのは神楽優希こと、香坂優希だった。

 彼女は大晦日にここへ強引に訪れた後、自己嫌悪に陥っていたのだが、昨日間宮から誘いの電話を受けて恐る恐るやってきたのだ。

 駅まで迎えに行くという話だったのだが、忘れていたと嘘をついたのは優希にも言い分があった。

 間宮から誘いを受けたのは勿論嬉しい事ではあるのだが、この場合優希にとって悪い想像しか思い浮かばない案件だったからだ。

 恐らくは間宮の中で自分との関係をどうするか答えが出たのだと察するには十分な状況だったからで、それも優希にとって悪い結果しか想像出来なくて、その結果を受け止める覚悟が決まらなかったからだった。


(だって良ちゃんから誘ってくるなんて今まで一度もなかったし、嬉しいより不安しかなかったんだから……察してよ)

 優希は心の中でそう独り言ちて、間宮を恨めしそうに見た。


「? 外寒かっただろ。さ、入って入って」

「……お邪魔します」

「はは、何か今日はしおらしくて調子狂うな」


 人の気も知らないでと呟きながら、間宮に案内されて部屋に入って行くと、外とは別世界の暖かくてホッとする空間が優希を迎えてくれた。


「はぁ~。あったか~い」


 強張った表情をしていた優希だったが、リビングの暖かさに思わず顔が緩む。


「もう少しで出来るから、適当に寛いでて」

「……え? 何が出来るの?」

「何がって、晩飯一緒に食べないかって言わなかったか?」

「聞いてないけど? え? 何か話があるとかじゃないの!?」

「話? 特にないけど?」

「――――」


(はぁぁぁ!?本当に訊いてた通りだ!自分への周囲の気持ちに鈍感で、意味深な行動を意味もなくとるから、周囲の人間が振り回されるって、茜さんが言ってた通りだった! そしてそれは私も例外じゃなかったって事!?)


 ずっと肩に入っていた力が溜息と共に抜けていく。

 それならそうとちゃんと伝えて欲しいと、寿命が縮まる思いだったと、優希は呟いて体重をソファーの背もたれに崩れるよう預けた。


(あ、上着……)


 緊張のあまり上着を脱ぐのを忘れていた事に気付いた優希が、ソフォーから立ち上がって上着を脱いで辺りも見渡す。

 これだけ寒い日なのだから鍋でもするのかと思っていたのだが、どこにも土鍋やコンロが見当たらなかった。


(ん? ホットプレート?)


 代わりに食卓の上に置かれているホットプレートに首を傾げていると「よし! できたぞ!」とキッチンに向かっていた間宮が振り返った。

 それから手早くキッチンから豚肉やイカや海老等をテーブルに置くと、最後に大きなボールを両手でしっかりと固定しながら、得意気に運んできた間宮にポカンと口を開く優希。


(……これって)


「お好み焼き?」

「そう! 正解!」


 三が日の最終日とはいえ、正月らしい献立ではない事を不思議に思うのは当然だろう。


「我が間宮家では古来より、1月3日はお好み焼きをするという伝統があるのだよ」


 何故か可笑しな口調でそう話す間宮に、思わず吹き出した優希。


「それホントに!? ていうか古来っていつからの伝統なの!?」

「おう! 昔流れてたCMでもあっただろ? おせちのいいけどカレーもねってやつ。ウチではカレーじゃなくてお好み焼きなんだよ」

「あっはは! それってわりと最近じゃん!」


 やたらとお好み焼きを推す間宮の言い回しが可笑しくて、さっきまであった不安などどこ吹く風と、優希はお腹を抱えて笑った。


「んじゃ! 早速焼きますかね」


 間宮は手慣れた手付きでホットプレートに生地を広げて次々と具材を盛っていくと、次第に広がっていく香ばしい香りが優希の食欲を刺激する。


「ほい! 間宮家特性お好み焼きの出来上がり!」


 手際よく2枚のお好み焼きを作った間宮は、冷蔵庫からキンキンに冷えた缶ビールを取り出して優希に手渡した。

 席に着いた2人はプシュッとプルタブを開けて缶を構える。


「それじゃ正月最後の恒例行事、間宮家お好みパーティーに乾杯!」

「ふふっ、乾杯」


 2人はビールで喉を潤して、早速焼きたてのお好み焼きに箸を付けた。


「!! え? なにこれ! ホントに美味しいんだけど!」


 口元に手を当ててもぐもぐと咀嚼する優希が特製お好み焼きを絶賛すると、間宮はドヤ顔でまた缶ビールを流し込んで喉を鳴らす。


「ふっふーん! うまかろ? そこらのお好み焼き屋には負けない自信はあるんだ」


 得意気にそう言い切る間宮に、優希は「うん!」と間宮が焼いたお好み焼きを見ながら頷いた。


「何が違うんだろ。出汁……かな」

「またまた正解! 出汁の正体は間宮家秘伝だから、身内以外は口外禁止なんだけどな」

「あっはは! 何そのアニメに出てきそうな台詞」

「いいじゃん別に! さぁ、タネはまだまだ沢山作ったから、ジャンジャン食べてくれよな!」

「うん! いただきます」


 美味いお好み焼きにビールがすすんだ2人は、つい最近まで確かにあった気まずさなどなかったかのように、色々な話に華を咲かせた。


「ふぅ、御馳走様でした。もう食べれないよ」

「お粗末様でした。気に入ってくれたみたいで嬉しいよ。今珈琲淹れるからリビングで休んでてくれ」

「そのくらい手伝うよ」

「前に優希の家に行った時、何も手伝わせてくれなかっただろ? その御返しだ」


 ニッと笑みを向けられた優希は、顔を真っ赤にして黙って俯く事しかできなかった。


 リビングに向かってソファーに腰を下ろす。キッチンの方から食器を洗う音が聞こえてきたかと思うと、暫くしてコポコポと耳障りのいい音と珈琲のいい香りがリビングまで届いてきた。

 以前、掃除をしに来た時にサイフォンが置いてあったのを思い出す優希。サイフォンで珈琲を淹れた事がない優希は珈琲メーカーを使ったのだが、これがあるという事は相当な珈琲好きだというのは分かっていた。

 腕の良し悪しがモロにでる代物で、優希も購入を検討した事があったのだが、調べれば調べるほど自分には使いこなせないと諦めた経験があった為、手慣れた感じでサイフォンを扱う間宮から目が離せなかった。


「おまたせ」


 間宮もリビングに戻り、湯気が立ち込めるカップをテーブルに置いた。


「ありがとう。凄くいい香りだね」


 カップを手に取り顔に近付けて珈琲の香りを楽しむ優希に、間宮は嬉しそうに微笑む。


「ありがとう。冷めないうちにどうぞ」

「うん。いただくね」


 優希は軽く数回息を吹きかけて、珈琲を口に含むと僅かな苦みと芳醇な味、それと鼻から抜ける香りに目をキラキラと輝かせる。


「美味しい。本当に美味しいよ」

「口に合ってよかった」


 淹れた人間に似たのか、優しい香りと味が優希の味覚を刺激したようで、ホッと肩の力が抜けてソファーの背もたれに体重を預け、改めて向かいのフローリングに置いてあるクッションに座って珈琲を楽しんでいる間宮を見つめる優希。


 やはり訊かないといけない気がした。

 本当に食事を御馳走する為だけに呼ばれたとは思えない。

 自分の事をフル類の話をする為ではなさそうだが、間宮の真意を確かめないといけないと優希は決心する。


「……ねぇ」

「ん?」

「本当にお好み焼きを御馳走する為だけに、私をここに呼んだの?」

「あぁ、そう言っただろ? まぁ強いて言えば……」


 やはり他に理由があったと、優希の顔が強張る。


「……なに?」

「前に話しただろ? 優香の元婚約者の俺じゃなくて、ただの俺を見て欲しいって」

「――え?」


 確かにあの夜、優希のマンションで間宮に別れを告げられた日にそう言っていた。だが、優希にはそれと今日の事にどんな関係があるのか理解出来ない。


 間宮は困惑した様子の優希を見てクスッと笑みを零して、今日優希を招待した理由を話し出した。








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