第22話 瑞樹と初詣 act 3 先輩と呼ばせて

 こんなに強い口調で怒らせてしまった事があったか?

 そんな瑞樹に驚きすぎて思考が止まってしまい、立ち去る瑞樹を呼び止める事も出来なかった。


「……あ、しまった」


 思考が再起動した時はもう瑞樹の姿はなく、俺は慌てて通りに出て周囲を見渡す。

 通りは相変わらずの参拝客で当然パッと見渡しただけじゃ瑞樹の姿を見付ける事が出来なかった。


 元旦早々、駅前で立っているだけでアホ共に囲まれてしまう瑞樹の事だ。こんな所で1人にしてしまったら必ず寄ってくる男が後を絶たなくなるのは目に見えていた。

 俺は周囲に神経を尖らせつつ人混みをすり抜ける。

 こんな時にバスケで培ったフットワークと、普段の都心での外回り営業で鍛えられたすり抜け技術が生きるとは思わなかった。


 通りに出た場所から神社の出口の方に向かって、丁度通りの真ん中あたりに差しかった辺りだろうか。晴れ着姿を着た大勢の参拝客達の中に一際存在が際立っている後ろ姿を捉えた。


「いた!」


 目を見開いた先に、トボトボと歩く瑞樹を見付けた。

 夏祭りの時も思ったけど、人混みの中であっても瑞樹はすぐに見つけられる。それは彼女の存在感がそれだけ強いからなのか……それとも。


 そんな事を考える事に思考を巡らせていると、やはりというか瑞樹の後をコソコソと話し合いながら付けている3人組の男達も確認出来た。俺が止めていた足を再始動させて瑞樹の背後に近付こうとすると、周囲と足音のリズムが違う事に気付いたからだろうか、瑞樹が足を止めて振り返ろうとしたのを確認しながら俺は瑞樹の肩に手を置いた。

 瑞樹の肩がビクッと跳ねたかと思うと、すぐさま目線を上げた先にある俺と目が合った。


「なにやってんだよ! お前は!」


 瑞樹を怒らせた原因は俺にあると自覚していたのに、探し回ってやっと瑞樹を見付けた安堵感から、つい少し強い口調で彼女の行動を咎めてしまった。


「……だ、だって」


 瑞樹はそんな俺に強く言い返さずに、今にも萎んで消えてしまいそうな声で反論を試みようとしていたが、効果のほどは箕臼だった。

 よく見ると、彼女の目に薄っすらと涙が溜まっているのが見えて罪悪感が募るのと同時に、とりあえずと瑞樹の後を付けていた男達に視線を向けて。無言で牽制の意味を込めて睨みつける。

 俺の睨む視線と、狙っていた女に男がいる事を知った男達は怯んだ様子を隠せてはいなかったが、去勢を張るように舌打ちを打ち踵を返して男達は境内の方に姿を消した。


「とりあえず、こっちに」


 言って、俺は肩に乗せていた手に力を込めて、瑞樹を近くに会ったベンチに誘導すると、おずおずとベンチに座った瑞樹は終始俯いたままだった。


「えっと……ごめんな」


 気不味い空気ではあったが、とにかくと俺が瑞樹に謝ると、身勝手な行動をとって怒られると思っていたのか、キョトンと目を見開いている。


「軽率な事言った。別に他意はなかったんだけど、瑞樹がどう捉えるかまで考えてなかった……ごめんな」

「――ううん。私の方こそ急に怒ったりして……ごめんなさい」


 瑞樹が何故怒ったのか――実のところ理解出来ていない。

 決して瑞樹を怒らせる為の発言でなかったけど、この事を深く追求すると折角の合格祈願を兼ねた初詣にケチがつくと、俺はそれ以上何も言う事なく、この件を終わらせることにした。


「うん。じゃあちょっと冷めたけど、これ!」


 言って、食べようとしていたたこ焼きを瑞樹に差し出した。


「……うん。いただきます」


 まだ引きずっているように見えた瑞樹だったけど、とにかくたこ焼きに手を伸ばしてくれたのを見て、俺も1つ口に放り込む。

 冷めだしたのは表面だけで、中身はまだ熱くてトロッとした食感が口に広がり、ハフハフと熱を外に出しながら蛸の食感を楽しんで喉に通す。

 瑞樹も食べたいと言っていたたこ焼きがやっと食べられたからか、さっきまで沈んでいた雰囲気がなかったかのように笑みを零している。


「うん! 美味いな」


 モグモグと食べ進めながらたこ焼きの感想を口にすると、瑞樹はそんな俺を見て懐かしそうに微笑んで口を開く。


「こうしてると、合宿の夏祭りを思い出すね」


 それはついさっき俺も思った事で、あの夏祭りが瑞樹にとっても思い出深いものになっているのかと、嬉しくなった。


「そうだな、あの時は色々あったよな。誰かさんが大泣きしたかと思えば、いきなり特大のぬいぐるみ欲しがったり」


 夏祭りの事を話す瑞樹を姿が、何だか儚く見えて心臓を激しく打たれた事を悟られまいと、揶揄って誤魔化すとペチンと肩を叩かれた。


「もう! そんな事は思いださなくていいの!」


 瑞樹は耳まで真っ赤にして抗議してくる。きっと大泣きした事を思い出したんだろうな。

 思い返せばあの頃と比べたら、瑞樹は色々な表情を見せてくれるようになった。出会った頃は冷静沈着って言葉がピッタリといった感じだったが、A駅の駐輪所での謝罪から彼女は変わったと思う。


 瑞樹の過去にあったトラウマは知っている。

 解消するのは容易ではないトラウマだ。

 そのトラウマに正面から向き合い、かなり無茶な事をしたけど1人で乗り越えようとした。

 その結果、瑞樹が元の女の子に戻れたのかは、俺には分からない。

 だけど、瑞樹が今の自分を好きになってくれていたのなら、素直に嬉しいと思う。


 だからなのかもしれない――今の瑞樹が俺の決断をブレさせる。


 俺は何を期待してるんだろう……。

 俺は彼女に何を求めているんだろう……。


「ね、ねぇ……」


 声をかけられて意識を表に戻すと、そこには揶揄った時より更に真っ赤な顔をした瑞樹がいた。


「ん? なんだ?」

「さっきから、何で何も言わずに……その、私をジッと見つめてるの?」

「……え?」


 迂闊だった。確かに瑞樹の事を考え込んではいたけど、無意識のうちにずっと彼女を見つめていたらしい。


「あ、悪い! さ、さて! 早いとこたこ焼き食っちゃって出店巡りしようぜ。他にも色々食べるだろ?」

「う、うん……そう……だね」


 俺達は残ったたこ焼きを平らげて、出店が立ち並ぶ通りに戻った。それからは夏祭りの時と同じように、色々な物をシェアして食べ歩き、時間が経過する度に瑞樹の元気が戻ったようで内心で安堵の息を吐いた。


「うそっ! ここってメロンパンカステラ売ってないのか!?」

「あっはは、あれはかなり珍しいと思うよ。もしかしたらあのお祭り限定だったのかもね」


 ショックで項垂れていると、瑞樹が本当に可笑しそうに笑っていた。

 そうだ。沢山笑ったんだ。

 思えば2人でこんなに笑ったのは何時以来だろうか……。

 すぐにそれが思い出せない程、昔の事のように思える。


 これまでの分を取り戻すように笑った俺達は、神社を出て駅に向かった。

 遊びだした時は恥ずかしそうに俺のコートの袖をチョコンと摘まんでいた瑞樹だったけど、何時からか気が付けばお互い手を握り合っていて、今も変わらず俺に手の中に瑞樹の白くて小さな手が収まっている。

 勿論、人混みで逸れないようにという大義名分にのっとった行動ではあったけど、瑞樹はともかくとして、俺は本当にそれだけで手を繋いでいるのかと自問自答を繰り返しながら駅に向かっていた。


「はぁー遊んだねぇ! お腹もいっぱいになったし」

「はは、本当によく食べたよなぁ。正月太り一直線って感じか?」

「むっ! 私は基本的に太らない体質なんですー!」


 勿論冗談で言ったんだけど、晴れ着はスタイルの良い悪いを見分けるのが困難だから、とりあえずこれ以上は触れないでおこう。


「沢山遊んだし、三が日はお休みするけど、お正月が終わったらすぐにセンターだから、頑張らないと!」


 言って、駅に着いた瑞樹はこれで楽しかった時間は終わりだと、小さな握りこぶしを作って「よし!」と気合いを入れていた。


「そっか、もうセンターなんだな。受験勉強の方はどうなんだ?」

「順調だと思う。模試の結果も良かったしね! だからって油断は禁物だけど、絶対に現役でK大に受かりたいから」

「やけにK大に拘るよな。教授の事は聞いたけど、それだけなんだろ?」


 受けたい講義があって、入りたいゼミがあるのは以前聞いた事がある。だけどそれだけでここまでK大に拘る事に疑問をもった俺は、いい機会だから他に理由があるのかと訊いてみた。


「初めは本当にそれだけの理由だったんだけど、それから色々と理由は増えたかな」

「そうなのか。例えば?」


 そう訊くと、瑞樹は得意気な顔で繋いでいる反対の手の人差し指で俺を指差した。


「例えば、間宮さんの後輩になりたいから……かな」

「……は?」


 何だその理由は。確かにK大に瑞樹が受かれば、俺はOBとなり大先輩って事になる。大先輩って響きが悲しくなるけど、実際そうなんだから仕方がない。


 間抜けな声をあげた俺の繋いでいる手を離して、瑞樹は俺の正面に立ち少し照れ臭そうな顔で、こう言い放つのだ。


「K大生になれたら、間宮先輩って呼ばせてね」

「は? せ、先輩!?」

「それとも――パイセンの方がいい?」

「なんでやねん!」


 瑞樹の揶揄いに、俺は思わず関西弁でツッコミを入れてしまった。

 瑞樹は俺のそんな反応がツボったのか、体を苦の字に曲げて苦しそうに笑う。


「なぁ、瑞樹」


 ツボに入った笑いが落ち着いてきた頃を見計らって、俺は笑い過ぎて大きな目に涙を溜めた瑞樹に声をかける。


「え? なに?」


 ふぅと気持ちを落ち着かせて短い返事を返す瑞樹に、俺は小さな紙袋を差し出した。


「ん? なに? これ」


 言って紙袋を受け取った瑞樹は首を傾げる。


「開けてみ」

「うん」


 開けろと促すと、瑞樹は素直に言われた通り紙袋から中身を取り出すと、中から赤い生地のお守りが瑞樹の手の平に乗った。

 中身がお守りだと確認した瑞樹は、俺を見上げる。


「初詣をここにしたのは、この神社って学問の神様で有名だったから。普段から受験勉強頑張ってるのは知っているし、油断さえしなければ大丈夫だって俺も思ってる。だけど、実力以外の事で何が起こるか分からないから、最後の最後は神頼みってのも必要かなって思ってな」

「――嬉しい。ありがとう間宮さん! あ、でもいつの間に買ってくれたの?」

「あぁ、おみくじ引いた後にちょっと……な」

「あぁ……トイレじゃなかったんだね」


 大した事のないよくあるプレゼントのつもりだった。

 だけど、瑞樹は凄く大きなサプライズを受けたみたいに、頬を緩めて受け取ったお守りを眺めている。


「ふふ、間宮さんが選んでくれたって感じのお守りだね」


 そう言う瑞樹の気持ちは理解出来る。

 昨今、こういった神社で用意されているお守りも多種多様化されて、いかにも女の子ウケしそうな可愛らしいデザインのお守りが多数並んでいるのだが、俺は昔ながらの『いかにも』といった感じの武骨なデザインのお守りを手渡したからだ。


「なんかチャラいやつだとご利益薄そうだったからな」

「あっはは、うん、うん。間宮さんらしいね」


 馬鹿にしてるのか、喜んでくれているのか微妙なところだが、とりあえず俺は「おう」とだけ返した。何が「おう」なのか分からないが。


「瑞樹に……その、先輩って呼ばれるの楽しみにしてるよ」


 かなり照れ臭かったが、K大を目指す理由の1つに『それ』があるのなら、少しでも瑞樹のモチベーションをあげようと、照れ臭かったがそう言ってみた。

 そんなエールを受けた瑞樹は、手に持っていたお守りを胸の辺りでキュッと包み込むように抱いて、胸を張って俺に宣言するのだ。


「うん、楽しみにしてて! 絶対に先輩って呼ぶから!」







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