第13話 悩める瑞樹 

 結局一睡も出来なかった。


 昨晩、間宮の意識が戻るまで付き添わせて欲しいと嘆願したが、規則だからと断られた瑞樹。

 病院から追い出されて、それでも粘るように病院の周りをウロウロしていると、間宮が病院に運び込まれた事を瑞樹が連絡した茜が姿を現した。

 茜とはクリスマスの夜に間宮のマンションで会った以来で、自宅まで送って貰った時、少し気まずい感じを残したままだった。

 だが瑞樹はそんな事を気にする余裕などなく、現れた茜に一緒に病院に入れて欲しいと頼み込んだ。

 茜はそんな瑞樹にただの盲腸なんだからと柔らかく断り入院の手続きを済ませた後、瑞樹を車に乗せて自宅まで送り届けた。


 帰宅させられてしまった瑞樹はションボリとした様子でシャワーだけ浴びてベッドに入ったのだが、間宮の事が気になって眠れなかったのだ。

 壁に掛けてある時計に目をやると、時計の針は10時10分辺りを指していた。岸田が駅前で10時に待っていると言っていたが、もう10分も過ぎている。

 というより、断っているのに強引に言い渡されただけなのだから無理に行く必要はないなと、瑞樹は横になっている体を起こす事もしなかった。


 元々乗り気じゃなかったうえに、間宮のあんな場面に遭遇してしまった心情を考えると、いつも周りにどう思われているか気にして生きてきた瑞樹であっても、動く気になれないのは仕方がないだろう。


「……はぁ」


 小さく息を吐く瑞樹が、枕元に置いてあるスマホに手を伸ばす。トークアプリのトップ画面を立ち上げると、昨日交換したばかりの岸田のアイコンに着信を知らせるマークが付いていた。

 アイコンを開くと白紙だった画面に『今日はありがとな。久しぶりに会えて嬉しかった。明日待ってるから』と書き込まれていた事に、今気が付いた。

 昨日の夜、岸田と別れた後、駐輪場で間宮の帰りを待っていた時に送られてきたようで、改めてそんな事も気が付けない程に余裕がなかったのだと瑞樹は思い知らされた。

 倒れている間宮を発見するまでは、まるで絶望の底に叩き落された気分だった瑞樹。

 どうやって心の整理をすればいいか見当がつかなかった瑞樹にとって、あの場に遭遇した間宮に必死の声をかけて救急車を手配しながら、本当は心の片隅でホッと安堵する自分がいたのだ。この駐輪場に帰ってきた間宮の姿が瑞樹にとって、最悪の事態が現実に起こらなかった事に。


(……あんなに苦しそうにしていた間宮さんを見て、ホッとするとか……最低だな私)


 激しい自己嫌悪が今になって押し寄せてきて、瑞樹は汚い自分に嫌気がさした。どうして私は間宮さんの事となると、こんなに嫌な女になってしまうのだと。

 そんな事に思考を巡らせていると、やはり岸田の元に向かう気にはなれない瑞樹は『昨日あれから色々あって帰宅したのが明け方で、殆ど寝ていないので今日は行けません。ごめんなさい』とまるで業務連絡のような文面を作成して、岸田に送信した。

 間宮の存在には触れていないが、嘘は書いていない。

 だが、岸田に変な期待を抱かせない為に、変な気遣いはみせずに自分の都合だけを押し付ける内容だったはずだ。これで今日は諦めてくれるだろうと、手にしていたスマホを枕元に投げ置いた瑞樹は、天井をジッと見つめながら思考を巡らせる。

 間宮はもう目を覚ましただろうか。お見舞いに行きたいけど、午前中に行ったりしたら術後だから迷惑かもしれないが、午後からならどうなんだろうか等。今日の自分の予定を頭の中で組み立てていくと、ようやく眠気を要してきてウトウトと意識が遠のきだした。

 しかし、そのまま意識を手放す事が出来ない事態になる。


「お姉ちゃん!!」


 意識を手放す直前に、相変わらずノックする事なく勢いよく部屋のドアが開かれて、希が叫びながら部屋に入ってきたからだ。


 刹那、一気に意識を戻された瑞樹は、ビクッと体が跳ねてベッドから飛び起きた。


「希……いつもの事だけど、入る時はノックしなさいって言ってるでしょ……」


 溜息交じりに抗議した瑞樹だったが、希は相変わらず気にする素振りもみせずに、なんだか鼻息が荒い。


「お姉ちゃん! 中学の時、色々と助けてくれた男子がいたって言ってたよね!? その人の名前って岸田じゃなかった!?」


 希の口から岸田という名前が出てきた事に、瑞樹は首を傾げた。


「?……そうだけど、それがどうしたの?」


 言うと、希は床を指差してこう言うのだ。


「だって、今ウチに来てるよ」

「……はい?」


 状況が呑み込めない瑞樹。

 慌てて投げ置いたスマホを手に取り確認してみると、さっき送ったメッセージに返信はきていなかったが既読の表示はある。という事は断った事は伝わっていないわけではないはずだ。

 ならば余計に、今この家に来ている事が理解出来ない。

 断わった事に何か言いたいにしても、それこそ時間がないはずだ。普通に考えれば電話やメッセージで事足りるだろう。

 なのに、何故家にまで来たのか。

 確かに中学時代に何度か家まで送って貰った事があるから、場所は覚えていたかもしれない。だからといって家まで来る理由が思い当たらない瑞樹だった。


「とにかく! 外は寒いと思って、玄関で待たせてるから早く行ってあげなよ」


 ブツブツと状況を整理しようと思考を巡らせていると、希に岸田の対応を促された瑞樹は、とりあえず話を聞こうとベッドから降りて部屋を出ようとした。


「お姉ちゃん! そんな恰好で出て行くつもり!?」


 希にそう指摘された瑞樹は自分の恰好を自室に置いてある全身鏡で見てみると、髪の毛はあちこち跳ねていて、そもそもパジャマ姿のままだった事に気が付いた。


「希! ちょっとそれ貸して!」


 言って、瑞樹は希に有無を言わせず手首に巻かれていたシュシュと奪い取り、短時間では纏まりなさそうな髪の毛を後ろに束ねた。パジャマ姿は着替えている時間がないと、机の椅子に掛けてあったカーディガンを羽織り岸田が待つ玄関に向かう。

 階段を降りている最中に纏まらない前髪をどうにかしようと試みた瑞樹だったが、どうにもならないと諦めて岸田の前に羽織っているカーディガンの胸元を閉めて裾をグッと引っ張りながら顔を見せた。


「えっと……こんな格好でごめんね」

「い、いや、寝てたの知ってていきなり押しかけたの俺だし……なんかごめんな」


 パジャマ姿で現れた瑞樹に目のやり場に困って慌てて、目を逸らしながら謝る岸田。


「ううん、気にしないで。それより今日行けなくてごめんね」

「強引に誘ったんだし、それにそんな事情じゃ仕方ないよ」


 トークアプリで断った事だが、瑞樹が改めて謝ると岸田も気にしてない様子をみせた。


「それでさ。今日14時まで大学にいるつもりなんだけど、名古屋に帰る前に少し話したくて、大学の後にちょっと時間貰えないかなって思って」


 午後から間宮の見舞いに行くつもりだった瑞樹だったが、わざわざ自宅まで来て大学の誘いも断った事も重なり、間宮の存在とは違うが岸田も大切な人だ。その恩人の誘いをこれ以上断る気にはなれなかった。


「うん。いいよ」

「ホントか!? それじゃ駅前のカフェで15時に待ち合わせでいいか?」


 満面の笑みで待ち合わせ場所を告げる岸田に瑞樹は黙って頷くと、時間が押し迫っているのか「それじゃ、あとでな!」と言い残して岸田は駅に向かって走り去って行った。


 バタンと玄関が閉まる音が響くと、瑞樹は作った笑顔を崩して軽く息をつく。


「なんか前に訊いた話と印象が全然違うんだけど。もっと弱々しい大人しいイメージだった」

「盗み聞きとか、趣味が悪いんじゃない? 希……」


 何時の間にか玄関に通じている廊下の壁に凭れていた希が呆れ顔でそういうものだから、瑞樹も負けじと嫌味で返す。


「いやいや! リビングに居ても聞こえてたからね!?」


 「本当に?」とジト目を向ける瑞樹だったが、希が抱いていた岸田の印象の違いには同意で、頷きながら口を開く。


「まぁ私も昨日のクラス会で会った時は、あまりにも変わってたからビックリしたよ」

「だよねぇ。つかさ、そんな溜息つくなら断ればよかったじゃん?」

「やっぱり盗み聞きしてたんじゃん!」


 ギクリと肩を跳ねさせた希は「珈琲淹れるね」と目を泳がせながらリビングに消えて行った。瑞樹も呆れ顔で「ホントにもう」と溜息をつきながらリビングへ向かうと、希がそそくさと珈琲を淹れる準備に取り掛かっている。そんな希を横目で見ながらソファーに腰を下ろして息をつくと、やがて珈琲のいい香りがリビングに届けられた。

 大好きな香りに癒された瑞樹は、さっきの希の質問に答えようと重い口を開く。


「別に岸田君が嫌なわけじゃないんだよ。ただ、お昼から出かけたい所があったから、少し困っただけ」

「ふ~ん。そっか、はいどうぞ」


 希は相槌を打ちながら、淹れたてで湯気が立ち込めるカップを2つテーブルに置いた。


「ありがと」


 希に礼を言い、猫舌の瑞樹は入念にカップに息を吹きかけてから珈琲を口に含んだ。冷えた体を中からじんわりと温めてくれる感覚が心地よい。

 やはり寒い朝は淹れたての珈琲に限るなと、香りを楽しみながら瑞樹は口元を緩ませた。


「その予定を崩してまで会う事にしたのは何で?」

「予定って言っても誰かと約束したわけじゃないし、それに岸田君は今日名古屋に帰るから断るのも悪いかなって――それに」


 その先の話をする時、瑞樹の表情は少し真剣なものに変わる。


「私も岸田君にはちゃんと話さないといけない事があるから」

「……そっか」


 希は何かを察した様子で、カップの珈琲を見つめている瑞樹に相槌を打つのだった。











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