第40話 間宮 良介 act 20 絶望 中編
大した距離を走ったわけでもないのに、やけに息が切れる。
はぁはぁと息を荒くした間宮が交差点前に着くと、現場は結構な通行人が集まっていた。
「す、すみません……通して下さい」
人混みに影から道路が見える。
現場は信号の変化に関係なく、どちらの車線の車も停車していて動く気配がないどころか、車から降りて道路の真ん中に出来ている人だかりの中に向かう人影も見えた。
早くあの場に行かなければいいけないという危機感から、通せという言葉を無視した野次馬達が壁を崩さない事に、間宮は一瞬でブチキレる。
「どけっつってんだろ!!! 邪魔だ!!! どけえぇぇ!!!」
怒鳴り声を上げた間宮に野次馬達が睨みつけてくるが、その壁は瞬く間に開放される。
原因は間宮の形相だったようで、野次馬達はこいつと関わってはいけないと判断したからだ。
間宮はそんな野次馬に構う事なく、開けた道を駆け抜けて道路の真ん中に出来た人だかりを目指す。
この時に間宮は僅かな可能性に期待していた。
自分の早とちりで実際は想像とは違う展開を。
だが、そんな淡い期待を打ち砕く物が駆けつけている間宮の視界に入ると、途端に足の力が抜けてその場に呆然と立ち止まってしまった。
間宮の視界に入った物……それは見覚えのあるケースに包まれた画面が激しく損傷したスマホだった。
見間違えるわけがない物だった。
それはオーダーメイドで作ったお揃いのスマホケースだったからだ。
破損したスマホを震える手で拾い上げると、そのスマホは通話中を示す画面で、間宮は手に持っていた自分のスマホを見ると、こちらもまだ通話中の状態だったのだ。
この状態で周囲の音や声を拾っていたのだろう。
となればやはり――あの人混みの中心にいるのは……。
間宮は震える足を奮い立たせて、取り囲んでいる人だかりに今度は怒鳴らす事はしなかったが、怒り狂うという表現がピッタリな顔つきで強引に力ずくで人混みをかき分けて進む。
周りの人間はそんな間宮を見て息を飲み、無言で道を空けていく。
やがて人だかりの中心に出た時、間宮は雨で濡れたアスファルトの色が違う事に気付き、体が萎縮する。
透明の水が街灯や車のヘッドライトの灯りに反射されているはずのアスファルトが、そこだけ真っ黒になっていたからだ。
そして、真っ黒のアスファルトの真ん中には、雨に打たれて文字通り全身ずぶ濡れで、まるで黒い絨毯の上でうつ伏せに寝そべっている様に倒れている女性がいた。
血の気が引くという感覚を間宮は生まれて初めて知った。
全身が寒くなり、カタカタと歯が当たる音がやけにうるさい。唇が震えて言葉が出てこない。早く駆け寄りたいのに足が一向に前に進まず、まるで目の前の現実を本能が拒絶しているようだ。
そんな思考の間宮は極小の可能性に縋る思いだった。
目の前で血を流して倒れている女性が、優香ではない他の誰かという可能性に……。
だが、その希望は瞬時に打ち砕かれる。
暗くてよく見えなかった倒れている女性に何とか少し近づいた時、着ている服装をハッキリと確認したからだ。
ついさっきまで一緒にいた時と服装が同じで違う所といえば、綺麗に着こなされていた服が、今はずぶ濡れになっていて所々破れてしまっているという点だけだった。
見た間違えるはずがない。
今日、香坂が着ていた服は以前から欲しがっていて、誕生日の日に間宮がプレゼントした物だったからだ。
重い脚を引きずり倒れている女性の前に辿り着いた時、間宮の足の力が完全に抜けて崩れ落ちるように跪いた。
「――ゆ、優香?」
誰にも聞き取れない程の、消え去りそうな声で香坂の名を呼ぶが反応などはない。
周りを見渡すと、自転車を倒した若い男が頭を抱えて蹲っていて、恐らく女性を引いてしまった車の運転手と見られる男が大声で電話をかけていた。
その他の人間は周囲に集まってはくるが、出血の酷い女性に距離をとるたけで、特に何かしている様子はなかった。
間宮は力なく着ていたスーツを脱いで、倒れて全く動かない香坂に脱いだスーツをかけようとした時、見守る事しかしていない人間から「今は下手に動かさない方がいい」と声をかけられたが「うるせえよ」と無視してスーツの上着を香坂にかけた。
すると、さっきから交通整理を精力的に行っていた男が間宮に近付いてくる。
その男はどうやらこの事故の一部始終を見ていたようで、愕然として動けずにいる間宮に何が起こったのか話を聞かせ始めた。
元々の事故の発端は、雨降りだというのに傘を肩にかけてスマホを弄りながら自転車を漕いでいた男が原因だったという。
男はまともに前が見えない状態でスマホなんて弄っていたせいで、目の前に信号待ちをしている香坂がいる事に気が付かずに、衝突してしまった。自転車が転倒する程の衝撃だった為、香坂はその反動で車道に押し出されてしまったのだ。
押し出された道路はいつも交通量の多い道で、押し出された香坂に走っていた車の運転手が急ブレーキをかけたのだが、間に合わずに引かれてしまい、香坂はかなりの距離を飛ばされたのだと話す。
間宮は事故の目撃談に頷く素振りすら見せずに、仰向けになった香坂の上体を抱きあげて、優しく包み込むように体を密着させた。
医学的には悪手なのだろうが、間宮は少しでも香坂の体温の低下を遅らせようとしたのだ。
すると僅かに意識が戻ったのか、香坂が掠れた小さな声を発したのだ。
「……りょ……ちゃ……」
「!! あぁ! 俺だ! しっかりしろ! 直ぐに救急車が来るからな! 頑張れ優香!」
間宮は自分に鞭を振るう様に、努めて声を張り、香坂を元気付けようと懸命に声をかける。
「……わ、わた……わた……し……ね……」
「も、もういい! 出血が酷くなるから今は喋るな! 喋らないでくれ!」
間宮は必死にそう声をかけながら、傷口と思われる箇所に手を置いて少しでも止血をしようと努める。
「こ、これ……を……」
香坂は間宮の言う事を訊かずに、手に持っていた間宮の財布を震える手で差し出してきた。
「ば……か……そんなのどうだっていい……だろ」
あれだけ車に跳ねられても、間宮の財布だけは手放さなかった香坂を震える腕で抱きしめた。
間もなく救急車とパトカーが現場に到着して、被害者の香坂を救急搬送する為にストレッチャーに乗せて、救急車に運び込まれた。
その際、間宮は被害者の身内だと説明して、香坂と共に救急車に乗り込み救急車は再び大きなサイレンと共に走り出した。
車内では救急スタッフが慌ただしく動き回り、その動きで香坂が危険な状態にあるのだと同行した素人の間宮でも、それがよく分かった。
直ぐに緊急搬送する病院が決まり、救急車は静まり返った暗い道を最短距離で激走する間、素人の間宮は少しでも香坂を元気つけようと声をかけ続ける事しか出来ない自分の無力さを呪った。
あと僅かで病院に到着する距離まで来た時、香坂の手がゆっくりと間宮に向けて動いたのを見て、慌ててその手を両手でしっかりと握った。
香坂を勇気つけようとしないといけないというのに、香坂の手を握った両手の震えが止まらない。
「優香! もうすぐ病院だからな! 絶対に大丈夫だ! 大丈夫だからな!」
震える手に力を込めて、香坂を励まそうと必死に声を絞りだすと、香坂は痛みに耐える表情で震える口を小さく動かした。
「……良ちゃ……ご、ごめ……ん…………ね」
「――え?」
言うと、香坂の手から力が抜けて、指すら動かなくなった。
救急隊員の動きが激しくなる。
「――ゆ、ゆう――か?」
僅かに開いていた瞼がゆっくりと閉じていくと、急激に顔色が青ざめていくのが分かった。
「優香! 優香! 優香ぁ!!!!!」
搬送先の病院に到着して香坂は救急治療室に運ばれたのだが、間も無くして死亡が確認された。
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