第5話 疑惑を向けられた2人

 同日の9月30日


「んじゃお疲れさんっと!」


 ジョッキをガシャンと突き合わせて、キンキンに冷えた生ビールを喉に一気に流し込み、プハッと息をついたのは休日出勤を終えた間宮と松崎だった。


 丁度帰る時間が重なった2人は一杯やるかと、駅前の居酒屋に来ていた。


「やっぱ仕事終わりの一杯はたまらんなぁ!」

「益々その台詞が似合ってきたよな。お前」

「うっせ! そんなもんお互い様だろ!」


 仕事終わりの一杯を旨そうに飲む姿が日に日に様になってきた松崎をそう揶揄うと、お互い様だと笑い飛ばす。


「この前はありがとな。正直、助かったわ」


 間宮はあの乱闘の後に松崎が平田を謝罪に回らせたおかげで、完全に吹っ切れたとトークアプリで瑞樹から聞いていた為、松崎の配慮に感謝した。


「別に礼を言われる事なんてしてねぇよ。それどころか俺はお前達に謝らないといけない立場なんだからよ」

「別にお前が悪いわけじゃないんだから、謝る必要なんてないだろ」

「あるって! 義理とはいえ弟がやらかした事なんだからよ」

「そういや、お前に義理の弟がいるとか驚いたわ」

「存在を隠したいくらいの奴だったんだよ」


 適当に頼んでいた料理に舌鼓を打ちならが、平田のその後の事や仕事の事などを話し合ったりと、相変わらず仕事は忙しかったがそんないつもの平穏な日常に戻っていた。


「そういやさ。今日って瑞樹ちゃんの食事会誘われてたんだろ?」

「あぁ。一生懸命に誘ってくれてたから行きたかったんだけどな……でも今はちょっと無理だろ」

「だよな。天谷さんとこの納品が最優先だもんな」

「そういう事だ。つか、お前だけでも行ってくればよかったじゃん。どうしても休出しないとって感じじゃなかったんだろ?」

「間宮が行かないのに、俺だけ行くとか流石に無理だろ。それに本当に礼なんて言われる事してないんだからよ」


 どうあっても、今回の事件は平田と共犯という意識を消すつもりはないようだと、間宮は苦笑いを浮かべた。


「……今だから言うけどさ。間宮が高校生と関わりだしたって聞いた時、正直何考えてんだって思った」

「ん?」

「今のガキなんて常識とかなくてさ。まともな言葉使いも出来ない馬鹿ばっかってイメージだったから、よくそんな連中と関わるよなってな」

「……あぁ、言ってる事は理解出来るよ」

「でもさ……瑞樹ちゃん達は違ったわ」

「何かあったのか?」


 松崎は助けてくれたお礼に食事を御馳走すると、会社に加藤が会いに来た事を話して聞かせた。

 正直、何かしてもらうのは当たり前で、いちいち感謝なんてしない人種だと決めつけていた松崎にとって、それは十分に驚く出来事だったと付け加えて。


「そうか。加藤がなぁ……あいつらしいっていうか。でも、お前の事だから払わせなかったんだろ」

「当たり前だろ! 二つや三つじゃなくて、俺達ってあの子と一回り年上なんだぞ? いくら何でもそんな事させられないっての。そういう義理堅い事されたら……余計にな」


 松崎の主張は間宮にも十分に理解出来る事で、同じ立場なら同じ事をしていたと頷く。

 だが、松崎は「ただ……」と続ける。


「愛菜ちゃんが別れ際に見せた表情が何となく気になっててさ。だから、俺だけ行くなんて気まずいなんてもんじゃないから行きたくなかったんだよ」

「はは、それが本音か。なら、今度は気持ちを酌んでやれよ」

「……って言われてもなぁ」


 そんな時、テーブルに置いてあった間宮のスマホが震えた。

 画面を立ち上げると瑞樹から画像が送られていて、その画像を覗きんだ間宮の口元から笑みが零れた。


「ほらっ! お前が守った笑顔だ。こんな笑顔を曇らせる大人になっちまったのか?」


 間宮は説教臭い言い回しをしつつ、スマホの画面をそのまま松崎に見せると、画面には今行わているであろう笑顔で一杯の食事会の様子が映し出されていた。


 その画像を見せられた松崎からも、優しい笑顔を零れる。


「そうだな。今度、愛菜ちゃんに謝る事にするわ」

「ん。それがいいだろうな」


 言って、2人はもう一度グラスを突き合わすのだった。


 適度に酔いが回り気分が高揚してきた頃、間宮がウイスキーをロックで飲みながら、話すつもりなどなかった話を松崎に始めた。


「実はあの文化祭の夜さ」

「あぁ」

「俺のマンションに瑞樹が来たんだ」

「……は?」


 間宮は自宅に瑞樹を上げるまでの経緯を話した後、あまりに無防備だった瑞樹の考えが理解出来ないのだと松崎に話した。


「そんな事があったのか。そりゃ混乱するよな……」

「あぁ、どう思う?」

「どうって言われても、お前の事を男として見ていないとしても、そんな無防備な事をする理由にはならないしなぁ」

「そうなんだよな。俺がそういう気分になったら、瑞樹が俺の事をどう見てるかなんて関係ないわけだしな」

「で? 瑞樹ちゃんは実際何しに来たんだ?」


 そう問われた間宮が口を紡ぐと、何かを察したのか松崎は返事を待つ事なくジョッキのビールを煽った。


「瑞樹の個人的な事だから詳しくは話せないんだけど、あいつの過去の話をちょっとな」

「そっか」


 義弟である平田に問いただせば分かる事だったが、松崎がそうする選択がなかったのは平田が原因であるのは確認するまでもなく、その詳細を知ってしまうと自分の中にある罪悪感に押し潰されそうだったからだ。


 それは間宮も分かっていて、瑞樹のプライバシーを守るのと当時に、松崎の心を守ろうとしたのだ。


「うっし! 今日はガッツリ飲むか! 支払いは今度は俺の番だから好きなだけ飲めよ」

「ははっ、そういえばそうだったな。んじゃ、遠慮なく!」

「おぅ!」


 前にこうして飲んだ時から、随分と色々状況が変わった。

 嫌な気持ちにさせられた女子高生と合宿で再会して、少しずつ瑞樹の事を知った。

 気の強さの裏にあるボロボロの心。

 その脆さを間宮に見せる度に、瑞樹の表情が変わっていった。

 それはいい変化なのかそうでないのか、あの時の間宮には分からなかった。

 だが、文化祭の危機を救った間宮の元に現れて、2人きりの部屋でトラウマになっていた事を話してくれた瑞樹の表情を見て、これはいい変化なんだと言い切れるまでにはなった。

 これから先は瑞樹次第で間宮に出来る事はもうないのだろう。

 だから、間宮は見守ろうと考えている。

 それは似たような傷が心に刻まれている者同士の親近感と言えばいいのだろうか、とにかく間宮はこう思うのだ。

 自分と違って瑞樹のそれは未来さきを見る事が出来るものなんだと。

 瑞樹の未来を照らす事が出来たのなら、それだけで自分が存在する価値があったのだと。


 あの時、自暴自棄にあったあの時。

 大雨の夜。お互いの怒りをぶつけ合った夜。

 あの日の出来事に意味を持たせる事が出来た事実に、間宮は口角を上げて喜んだ。


(あいつはもう大丈夫だ)


 安堵が混じる息を吐き飲む酒は、とても美味くて心地の良い気分にさせてくれた。


「お前、昔の事考えてたろ」

「……松崎ってエスパーだったんだな」

「あほか。んなもん、昔の事知ってる奴なら気付くっての」


 昔の事。

 松崎は間宮の過去を知っているうちの1人だ。

 だから同じようにトラウマを抱えている瑞樹を放っておけなかったと、松崎はこの時までそう考えていた。


「なぁ」

「ん? なんだ?」

「お前って瑞樹ちゃんの事……好きなのか?」


 言った瞬間、グラスに触れている指先が僅かにピクっと反応した事を見逃さなかった松崎は、間宮の返答を待たずに口を開く。


「俺はいいと思う。あの子は何というか……」

「……言わなくていい」

「だな……悪い。忘れてくれ」


 松崎が何を言おうとしていたのか、間宮には察しがついていた。

 あの夜、眠っている瑞樹の唇を奪おうとした事実に目を背けようとしていた間宮にとって、その話題は耳にしたくない事だった。


「すみません。お会計お願いします」


 その後の出来てしまった変な空気を松崎が壊した後は、楽しい時間を過ごしてた。酔いもかなり回ってきたところで時計を見ていい時間になったからと、近くを通りかかった店員に会計を告げる。


「本当に奢って貰っていいのか? 調子にのってかなり飲んだぞ?」

「いいよ。前に言ったろ? 今度は俺が奢るから好きなだけ飲めってさ。だから遠慮なしに楽しんでくれたのなら満足だ」


 間宮は店員に飲食代を支払いながらそう話して、2人で店を出た。


 土曜日のオフィスビル街にある店の前は人気ひとけが少なく閑散とした雰囲気の中、間宮と松崎はフラフラと千鳥足で駅に向かう。


「今度は俺の番だな! 偶にはチャンネーがいる店でもいくか!?」

「いかねーよ。興味ないし、俺はお前とシッポリ飲んだ方が楽しいわ」

「……えっ!? お、お前まさか……」


 言って松崎は両手を自分の両肩に回して、間宮から少し距離をとる。


「あほか! お前に手を出すくらいなら死んだ方が10倍マシだっての!」

「焦ったわ、マジで! わははっ!」


 駅前に松崎の大笑いする声が響かせていると、不意に聞き覚えのある声が間宮と松崎に耳に入って来た。


「随分と賑やかですね。間宮さん、松崎さん」







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