第3話 瑞樹からの感謝の気持ち

 9月30日


 この日、文化祭で助けて貰った加藤達を自宅に招いて手料理を御馳走する事になっていた為、瑞樹は昼過ぎから下ごしらえに追われていた。


「お姉ちゃん、このお皿はどうしたらいい?」

「それは今作っている料理に使うから、そこに置いてて!」


 文化祭ですっかり仲良くなった先輩達が来るとあって、希も率先して手伝っていた。料理も手伝いたい気持ちはあったが、何せ料理なんて殆どした事がないの希には、こうして食器を運ぶ事しか出来ないからと姉の指示に的確に動き回っていた。


「てか希にもお礼したいんだから、手伝う必要ないんだよ?」

「いいの! 私がやりたいからしてるだけなんだし、今日は愛菜さん達とお泊り会なんでしょ!? もう楽しみ過ぎちゃってさ!」


 今日は丁度両親が揃って出張で家を空ける事になっていて愛菜達とのお泊り会の話をすると、2人だけを残すのは心配だったからその方が安心だと賛成されたのだ。


 手際よく下ごしらえを済ませた食材がキッチンにそろい踏みしたところで、インターホンが鳴った。


「きたっ!」


 インターホンを鳴らした相手をモニターから確認する事をすっ飛ばして玄関に駆けていく希に苦笑いを浮かべて、瑞樹も玄関に向かう。


「いらっしゃい! 皆さん!」

「おぉ、希! 一週間ぶりだね!」


 元気よく玄関を開けた希に加藤が満面の笑顔で両手を広げて迎えると、勢いそのままに希は加藤の腕に中に飛び込み大袈裟に抱き合った。


「どんだけ仲いいのよ……アンタ達」


 2人の抱擁に神山が蟀谷に指を当て呆れる姿に、佐竹が吹き出して4人で笑い合う。


 賑やかな笑い声が聞こえてくる。

 大切な仲間達の弾けるような声。

 その声を聞いて、瑞樹は無事にいつもの生活に戻れた事を改めて実感出来て、自然と口角が上がった。


「いらっしゃい。みんな」

「おっす、志乃! お世話になるよん! あ、これ手土産ね」

「そんな気を使わなくていいのに」


 今日は瑞樹がもてなして、皆に感謝の気持ちを伝える日だというのにと申し訳なさそうにそう言うと、加藤がそれを察して口を開く。


「気なんて使ってないって。だってこれ、希が食べたいって頼まれたやつだもん」


 言うと、抱き着いていた希の体がギクッと跳ねる。


「希!!」

「はいはい! ごめんなさ~い!」


 瑞樹の鋭い視線から逃げようと、加藤の後ろに回り込み平謝りする希に「まったく、アンタは」と盛大に溜息をつきながら、瑞樹は加藤達を家に中に招いた。


「おっじゃましま~す!」

「お邪魔します」


 張り切って案内する希を先頭に、加藤、神山が続いていき、最後に加藤達のテンションに乗り遅れてしまった佐竹が家に入る。

 玄関に入ると、瑞樹がそっと「これ使って」と来客用のスリッパを佐竹の足元に用意した。


「お、お邪魔します。えっと、僕まで招待されて良かったのかな」

「勿論だよ。佐竹君にも助けて貰って凄く感謝してるんだからね」


 そう言って微笑む瑞樹に佐竹の心臓がドキリと跳ねる。


「そ、そっか。たいして役にも立てなかったのに……ごめんな」

「何で謝るかなぁ。あ、でもお泊り会は流石に招待できないんだけどね」

「そんなの当たり前じゃん」

「だね。それじゃ私は料理を進めるから、佐竹君達はリビングで寛いでてね」


 すでにソファーに座って加藤達が盛り上がっているリビングに佐竹を案内した瑞樹は、食卓の椅子にかけてあったエプロンを手に取りキッチンに入り料理を再開する。

 女の子らしいエプロンに身を包み、トントンと子気味いい音を鳴らせる瑞樹に姿に、佐竹は意識を奪われた。

 同世代で瑞樹のそんな姿を見て、心を奪われない男はいないだろう。

 それは加藤に意識を向けている佐竹も例外ではなく、案内されたリビングに背を向けて瑞樹に歩み寄った。


「えっと、僕も何か手伝おうか」

「ん~? 何言ってるの。佐竹君はお客さんなんだから、愛菜達と待っててね」


 いつかこうして料理をしている瑞樹の隣に立っている奴がいる。

 それは決して自分ではないのだと、もう諦めたはずなのにとギュッと唇を噛む佐竹は、リビングから向けられる加藤の視線に気付かなかった事を後に後悔する。


「みんなぁ! おまたせ!」


 食卓に瑞樹に出来る最大の気持ちを込めた料理が所狭しと配膳された所で、リビングにいる加藤達を呼ぶと「まってました!」と加藤の号令と共に瑞樹が心から信頼している仲間達が食卓に着く。


「ヤバい! これ絶対美味すぎるやつじゃん!」

「こら! なにいきなり食べようとしてんのよ!」


 席に着くなり目の前に並べられた御馳走に、今にも飛び掛かりそうな加藤を絶妙なタイミングで制止にかかる神山。

 この2人も文化祭を経て更に近しい存在になったようだ。


「そんじゃ愛菜さんが暴れだす前に、主催者のお姉ちゃん挨拶よろぴく!」

「あははっ、うん。そうだね」


 加藤と神谷の様子を嬉しそうに眺めていた瑞樹は希にそう促されて席を立ち、ジュースが注がれたグラスを持つ。


「えっと、文化祭の時っていうか、中学の時から引きずってた事を皆のおかげでやっと乗り越える事が出来ました。ホントはずっとこのままだって諦めてたんだよね。だから……嬉しかった。私に明るい未来をくれたのは皆だよ。本当にありがとう……ございました」


 文化祭の目玉イベント、カリスマロックシンガー神楽優希の凱旋ライブの迫力あるサウンドを背に、校舎裏で平田達に襲われた事。絶体絶命の時、加藤と希が体を張って駆け込んできた事。

 今にも心が折れそうになった時、もの凄いスピードで飛んできた神山に立ち向かう勇気を貰った事。

 佐竹がボロボロになるまで、皆を守ろうとしてくれた事。

 あの時に起こった事を鮮明に思い出すにつれて、瑞樹の言葉は段々と掠れていく。


「そんな辛気臭い挨拶はいらないよ。もう終わった事なんだから、これからの事を考えようよ! 例えば、目の前にある御馳走の事とかさ!」

「アンタはホントに色気より食い気だよね」

「そんな愛菜さんが大好きです!」


 しんみりする空気を嫌って場を盛り上げようと茶化した加藤に、神山と希が茶化す。


「あはは、ごめんね。それじゃ食べよっか」


 明るく務めて瑞樹は手に持ったグラスをテーブルの中央に向けると、加藤達も席から立ち上がってグラスを向ける。


「皆ありがとう。これからも宜しくね! 乾杯!」

「かんぱ~い!」


 それぞれのグラスが中央に集まり全てのグラスが合わさる音が鳴り、パーティーが始まった。


「うわ! 滅茶苦茶美味い!」

「このローストビーフも自家製ってマジ!?」

「料理の盛り付けもいちいち綺麗で、お店で食べてるみたい!」

「でしょ! うちのお姉ちゃんはすぐにでもお嫁にだせるんですよ!」

「ア、アンタは何言ってんの!」


 美味しそうに食べてる加藤達を嬉しそうに見ていた瑞樹も箸を運んだ。


 食事中は料理や瑞樹達を写真に撮ったり楽しく食事をしていて、笑い声が絶える事はなかった。

 そんな空気が一段落した時、加藤が思い出したように口を開く。


「あのさ。今更なんだけど、文化祭のお礼って事で集まってるのにさ。主要人物が2名足りなくない?」

「愛菜さん……ホントに今更ですね」

「間宮さんと松崎さんは招待しなかったの?」


 呑気な事を言う加藤に突っ込む希と適当にあしらう神山。


「間宮さんには連絡したんだけど、仕事が詰まってて行けないから気持ちだけ貰っとく……て」


 シュンと俯きながらそう話す瑞樹を見た加藤は思う。

 浮沈艦や鉄壁城塞とまで言われた瑞樹が変わってしまう前までしか知らない知り合いが今の瑞樹を見たら、目を疑うだろうと。

 今、仲間達に見せている表情からはどこにも刺々しさなど無く、どこにでもいる恋する女の子の表情をしている瑞樹に、加藤は嬉しそうに微笑んだ。


「そっか。まぁ松崎さんにはこの前お礼言ってきたから、間宮さんの方は志乃に任せるね」

「――は?」


 何気なく言った言葉に、佐竹の表情が凍り付く。


「お、おまっ! 松崎さんに礼をしにいったって、2人だけで会ったのか!?」

「え? うん。志乃を助けてって言いだしたの私なんだし、私がお礼するのは当然じゃん。まぁ間宮さんは志乃の方が喜ぶだろうから任せるけど」


 加藤は当然の事をしただけだと言い張るが、佐竹にしてみれば加藤の言い分に対して、素直に頷く事など出来るはずがなかった。


「気持ちは解るけど、不用心だろ! な、何もされなかった!?」

「――は? 松崎さんみたいな大人の人が、私なんて相手にするわけないでしょ! とっても紳士だったよ。紳士過ぎてご飯代をどうしても払わせてもらえなかったけどね」


 不満顔でそう言う加藤に対して、責任感が強く筋を通そうと行動した事と、自分の気持ちを知っていながら他の男に会いに行った事が入れ交じり、佐竹はその時どんな顔をていたのか分からなかった。


 食事を終えた瑞樹達は加藤が買ってきたケーキを食べながら珈琲を飲んでいると、時計の針が22時を回ったいた為、食事会はお開きとなり佐竹が帰り自宅を始める。


「あの佐竹君。なんだか追い出すみたいでごめんね」


 洗い物を手伝うとキッチンに入った加藤達を横目に、1人帰り支度をする佐竹に瑞樹は申し訳なさそうに声をかける。


「え? あぁ、大丈夫だよ。元々その予定だったんだし、流石にこれ以上この場に男がいるのはマズいしね」


 支度を終えて鞄を背負い立ち上がった佐竹は苦笑いを浮かべてそう言うと、キッチンから加藤が指を指し声を張る。


「そうだ! そうだ! 志乃の手料理を堪能出来ただけで十分でしょ! アンタは早く帰って大人しく寝てろ!」

「受験勉強の時間を割いて来てくれた佐竹君に何でそんな酷い事言うの! 謝りなさい、愛菜!」


 悪乗りしたような愛菜の言葉に、瑞樹はまるで母親のような口調で加藤を叱る。


「へいへい。すまんね」


 調子に乗った事を自覚した加藤は大人しく謝ったのだが、瑞樹が謝り方が雑だと指摘すると、洗い物を切り上げて加藤は1人二階にある瑞樹の自室へ姿を消してしまった。


「ごめんね、佐竹君。愛菜には後でキツく言っておくから」

「はは、気にしてないよ。加藤があんな感じなのは今に始まった事じゃないしね」


 洗い物は引き続きキッチンの残った神山と希に任せて、瑞樹は佐竹を玄関先まで見送ろうと佐竹の後ろを歩く。


「それじゃ、今日は御馳走様でした。本当に美味しかったよ」

「喜んでくれたのなら良かったよ」


「それじゃ」と玄関のドアを開けたところで、佐竹は動きを止めた。


「あ、あのさ……松崎さんって付き合ってる人っているのかな」

「え? 松崎さん? さぁどうなんだろ。彼女がいてそうな気もするけど、訊いた事ないなぁ」

「……そっか。変な事訊いてごめんな。それじゃ、おやすみ」

「あ、うん。おやすみなさい。気を付けてね」


 どうして松崎に彼女がいるのか訊いてきたのか流石の瑞樹も気付いていたのだが、何も言わずに玄関を出て行く佐竹を見送る事しか出来なかった。









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