第2話 感謝の気持ち act 2

 元々底抜けに明るい加藤のテンションが、松崎にある罪悪感を壊していく。

 松崎にとってそれは心地の良い時間で、何時も以上に口が滑らかに動き加藤の笑顔が絶えさせる事はなかった。

 食後の珈琲を飲み、店内のBGMに耳を傾けて満足そうな笑みを浮かべた松崎が口を開く。


「それにしても、本当に美味いハンバーグだったよ」

「そう言って貰えたら、連れて来た甲斐がありましたね」

「愛菜ちゃんはここ初めてじゃないんだよね?」

「はい。今日で二回目ですかね。初めて来た時は志乃の誕生日会の時でした」


 加藤はあの時に見せた瑞樹の本当に嬉しそうな顔を思い出して、フフッと笑みを零した。


「高校生の誕生日会をここでって、それってかなり贅沢な事したんだな」

「そうですね。食後にさっきの西野さんにバースデーケーキを運んでもらったり、店内のBGMをバースデーソングに変えて貰ったりしたんです。他のお客さん達からも拍手してくれたりで、凄く喜んでくれました」

「それは忘れられない誕生日ってやつになっただろうけど、瑞樹ちゃんの性格を考えたらやり過ぎだとは思わなかった?」


 少し悪戯っぽくそう言う松崎に対して、加藤は小さく顔を振って口を開く。


「全然ですよ! 今年の誕生日だけは絶対に盛大に祝ってあげたかったから」

「それはどうして?」

「志乃は誕生日が夏休み期間中にあって、友達に祝って貰った事がなかったらしいんです。友達の誕生日会には欠かさず出席しているのに、自分は祝って貰えないって悲しいじゃないですか」

「それはそうだけど、高校生にもなれば夏休みだからこそ、お祝いとかして貰えるんじゃないの?」


 松崎がそう問うと、加藤の表情が少し曇る。


「そうなんでしょうね。でも、志乃は祝って貰いたい気持ちを押し殺して断わってたみたいですね」

「――その訳を訊いてもいい?」


 加藤の表情と話す口調で察した松崎の声に、さっきまでの明るさはない。


「詳しい事情は話せないんですけど、平田に色々と追い詰められた志乃は高校生になったらもう同じ二の鉄は踏まないようにって、周りの人間の顔色ばかり気にするようになって、同じクラスの仲間達に祝うって言われた事もあったらしいんですけど……」

「気にして断ってたのか。極力目立つ立場になりたくなかった?」

「……はい。でも、私が誕生日を祝うって言ったら、素直に受けてくれたのが本当に嬉しくて……だから、ずっと忘れられない誕生日会にしたかったんです。幸いにも結衣がここの娘だった事もあって、本当に盛大なパーティーが出来たって思ってます」

「瑞樹ちゃんは喜んでくれた?」

「はい! もう泣いちゃって大変でしたけどね」


 ずっと祝って貰えなかった今までの誕生日を取り戻したかったと付け加えた加藤の満足そうな笑顔に……他人の為に喜んでいるまだ高校生の加藤に松崎は驚きを隠せなかった。

 松崎もそういう事には敏感に反応して楽しい空気を作るのは得意だ。だが、それは上辺だけのもので本気で喜んだり、悲しんだりなんて出来ない。

 いや、出来なくなっていたと言うべきなのだろう。それは大人になったからではなく、意識的にそうしてきていつの間にか癖になったものだ。

 笑顔を振りまいている裏で、他人の事を信用しない。

 本当の自分を見せるのが怖い。

 もう……裏切られたくない。


 この世界は怖い物で形成されていて、心を許せる存在なんてほんの一握り。他は騙し合いの相手だ……。

 松崎が昔学んだ事。絶対に同じ過ちを繰り返さないと誓った事。


「そうか……。さて、そろそろ高校生がウロウロしていい時間じゃなくなるな」

「え? あぁもうそんな時間なんですね。それじゃ出ましょうか」


 加藤が腕時計で時間を確認すると、そう言って席を立ち松崎もあとに続いた。

 レジで西野が会計額を告げると、加藤が鞄から財布を取り出す前に松崎が「一括で」と西野にクレジットカードを手渡した。


「え? 何やってるんですか!?」

「愛菜ちゃんさ、世間体って言葉知ってる? こんな場所でいい年したおっさんが女子高生に支払わせるって絵面は流石にマズいんだよ」


「だからこの場はね」と片目を閉じて笑みを見せた松崎に、状況を察した加藤は黙った頷いた。



 ◇◆


「話が違うじゃないですか! 今日はお礼がしたくて私が御馳走するって言いましたよね!? さっきは納得してあの場での支払いは任せましたけど、ちゃんとお金を受け取ってもらわないと困ります!」


 店を出て駅に戻った時、改めてと2人分の食事代を松崎に渡そうとしたのだが、松崎は黙ってその手を押し退けた。

 当然加藤の責める様な眼差しと共に、猛抗議を受ける松崎だったが、押し退けた手を収める事はしない。


「その気持ちだけで十分なんだって。それに義弟おとうとの仕出かした事で正直参っててさ……。だから愛菜ちゃんのその気持ちで随分と気持ちが晴れたんだ。だからこそ俺がお礼をしないといけないくらいなんだから、今回は譲ってよ」


 両手を合わせてそう頼み込む松崎に対して、納得いかない顔をしていた加藤は口を尖らせて渋々と言った様子で頷いた。


「……分かりました。それじゃ、帰ります。ありがとうございました…おやすみなさい」


 言って加藤は軽く会釈をすると、松崎の反応を待たずに改札を潜ってホームに姿を消した。


 プライドというか加藤の気持ちを蔑ろにした形になってしまったのは、松崎も重々承知している。

 加藤に話した事だけが理由なら、松崎も加藤の気持ちを無視するような行動はとらなかっただろう。

 他に理由があったからこそ、松崎は自分の我儘を無理矢理に通したのだ。それが何なのかを悟らせる訳にはいかないと、松崎は加藤が立ち去った方を眺めながら唇を噛んだ。


 ◇◆


 加藤side


 ホームへ繋がる階段を半分くらい上った所で、歩いてきた道を振り返る。そこには仕事帰りと思われるスーツ姿の人が数人階段を登ってくるだけで、その中に松崎さんの姿はない。

 追いかけてくるかなと少し期待してたんだけど、どうやらそのまま帰ってしまったようだ。


 正直言って、始めた会った印象は悪かった。

 勿論、志乃を助けてくれるのに協力してくれた事は感謝してるんだけど、それとこれとは別なのだ。

 ヘラヘラしていかにも軽薄そうな感じ。間宮さんと親しいらしいけど、何か2人が一緒にいるのが似合ってないなって思った。


 だからと言ってお礼をしないでいい理由にならないと、私は思い切って松崎さんに会いに行った。

 会社の前で私が声をかける前の松崎さんは、どこか疲れているように見えたんだけど、仕事帰りなんだからと気にしないで声をかけた。

 相変わらずのヘラヘラ対応でくるものだと思っていたんだけど、私を見付けてからはどこか落ち着きがないようだった。

 まぁ、こんな場所で制服を着た私といる所を見られたら、流石の松崎さんもまマズイと思ったのだろう。

 とにかく、遠慮していた松崎さんと強引に結衣のお店に連れて行った。

 よくよく考えると、あんな場所で私が腕掴んで引きつれるとか、松崎さんに迷惑かけてしまったかもしれないと、ちょっと反省。


 店に入ってからはいつもの松崎さんだった。

 あまり好きではないけれど、楽しんでくれているようで良かったと思う。

 だけど、志乃の誕生日会の話をした辺りからかな? 松崎さんの私を見る目が少しだけ変わった気がする。

 口説かれるとか、身の危険を感じるって感じの変化じゃくて、何というか物珍しい?恐ろしい物?を見ている、そんな目に見えたんだ。

 って!誰が恐ろしいねん!


 それからの松崎さんの話に少しだけ、厚みというか重みを感じた。普段が軽い感じの人だから、余計にそう感じた。

 その事が気になりだした頃、松崎さんが時間を指摘しながら店をでようと言い出した。

 確かにそろそろ帰らないとヤバいかもと、私は松崎さんの変化が気になってたけど席を立った。


 ここから気にくわなさMAXの事件が起こる。

 なんと!私が御馳走するって言ってるのに、松崎さんがさっさと支払いを済ませてしまったのだ。

 文句を言ってやろうとしたら、世間体がどうのと頼まれたから一旦引いてあげる事にした……だけど、駅で支払おうとしたらここでも拒否された。

 女は奢ってやるのが当然とか思ってんでしょうけど、それは時と場合によるんだよ!


 感謝の気持ちを伝えたいんだから、今日だけは黙って受け取って欲しかったんだけどな……。


 それに帰り際に見た松崎さんの目。

 笑顔の中に拒絶の感情が混じってる気がした。

 って、どっかの作家が言いそうな事言ってんな私。


 そんな事を考えているうちに、ホームに電車が入ってきた。もう一度階段を方を見てみたけど、やっぱり松崎さんが追ってくる気配がなかったから、今日の所は諦めて電車に乗り込む。

 そう。今日は諦めただけで、日を改めてお礼は絶対にする。絶対にだ!


 家に帰ってすぐにお風呂に入った。

 松崎さんにお礼をしてスッキリした気分でお風呂に入りたかったけど、悶々した気持ちが増しただけだ。

 そういえば、私って男の人の事でこんなに考え込んだのって初めてかもしれない。

 佐竹の事は考えるというより、悩むって感じだからノーカンだ。


 お風呂から上がってリビングに向かい冷蔵庫からお気に入りのジュースをグラスに注ぐ。

 何かわかんないけど、このジュースを一気に飲んだらこのモヤモヤした気分もスッキリと流れてくれる事を期待して、グラスの淵ギリギリに注いだジュースを一気の喉に流し込む。


「あら、帰ってたの。愛菜」

「ぷはっ! うん。ただいまお母さん」

「……何かあったの?」

「へ? なんで?」

「顔が真っ赤になってるから。熱……とかじゃないわよね」

「――う、うん。お風呂上りだからじゃない?」


 言って私は慌てて部屋に戻って鏡を覗き込む。

 確かに赤い……もう真っ赤っかだ。

 そんなに長湯をした覚えはないんだけど……。


 ――ち、違う!違う違う!これはお風呂のせい!お風呂のせいなんだってばぁ!






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