第28話 瑞樹 志乃  act3 ~出会い~ side岸田  ・

 今日は久しぶりに晴れた。


 俺は登校途中に買っておいたパンが入ったコンビニ袋を片手に、教室を出て特別棟に向かい、そこの窓から見える景色を確認する。


「いたっ!」


 俺はここから見える中庭の花壇に沿うように設置されているベンチに目をやると、そこにはお目当てである瑞樹志乃が1人で座っていた。

 瑞樹は紫陽花の花びらを人差し指で触れならが、何か口を動かしているが、ここからでは全く聞き取れない。


「よし! 今日こそはいくぞ!」


 誰もいない廊下で1人気合いを入れた俺は、今度は駆け落ちるように階段を飛び降りていく。

 特別棟から中庭に出ると、やはり瑞樹1人が静かに弁当を食べていた。


 ――今日こそは、声をかけるんだ。いけっ!俺!


 この中庭までは何度か来たんだ。

 でも土壇場でビビってしまって、結局教室へ帰る事しか出来なかった。


 いつも誰かが周りにいる印象しかない瑞樹が、ゴールデンウィークが明けた頃から、ここで1人で昼食を食べているのを見かけていて、不思議に思っていた。

 だけど、今日その原因が分かった。


 今朝、登校中に俺のクラス全員が参加している、クラスのトークルームにある書き込みがあったからだ。

 その内容を見て驚いたのと同時に、中庭で1人でいる瑞樹の謎が一気に解けたんだ。


『3-1の瑞樹志乃の存在を一切認めるな! 空気のように扱え!』トークルームにクラスメイトの男がそう書き込んでいたのだ。

 すかさず他のメンバーが『何でそんな事をしないといけないの?』と書き込む。

 当然だ。これを見ている全員がそう思っていただろう。


 すると最初に書き込みをした奴が返信する。


『平田の命令だ』と。


 そういえばこの書き込みをした奴は、いつも1組の平田といる奴だった事を思い出した。

 平田といえば入学早々に学年を仕切りだし、入学当初は反発する奴も多かったのだが、1人また1人と減っていき、中学2年になる頃にはすっかり平田の学年になってしまっていた。

 勿論、裏では嫌われ者の王者でもあったが、正面切って抵抗する奴がいなければ、何の意味もなかった。


 とうとう平田に目を付けられたんだと、瑞樹の事を心配したのと同時に、内に秘めた汚い感情が表に出始めたのを感じた。


 俺は至って普通の男だ。

 成績も中の下、スポーツは水泳は得意だったが、その他は全然だ。

 見た目も平凡で、俺の事を一言で表すのなら『特徴がないのが特徴』どこかで聞いた言葉だけど、俺に相応しい言葉だと思う。

 そんな俺は学年どころか、学校を代表するような美少女の瑞樹に近付けるとしたら、こんな事でもない限り一生無理なんだ。


 卑怯な奴なのは自覚してる。

 瑞樹には最悪な状況でも、俺にとっては千載一遇のチャンスだ。

 平田に目を付けられるリスクはあるけど、殺されるわけじゃないんだし、このまま無難に中学生活を送っても、どうせ何も起きない地味な時間しかないんだ。

 なら! ここはこのチャンスを生かすべきだよな!


 俺の中から完全に迷いを消し去って、何度も引き返してしまった場所へ足を踏み入れる。


 心臓の音が煩い。

 足がガクガク震える。

 一瞬で喉が渇き、座っている瑞樹の隣にあるペットボトルのお茶を飲み干したい気分だ。


 瑞樹の前まで来たのに、何も反応がない。

 無視されてるかと思ったけど、どうやらイヤホンで音楽を聴いているみたいだった。


 俺はいきなり無視されたんじゃないと分かって胸を撫で下ろして、少し大きな声で話しかけてみる。


「お、美味しそうな卵焼きだね!」

「……」


 あれ?聞こえなかったのかな?


「み、瑞樹さん!」


 俺はガクガクと震える手にギュッと力を入れて、瑞樹さんの肩を壊れ物を扱うように、優しくポンと叩いた。

 ビクッと跳ねる彼女に、俺は条件反射で土下座して謝ろうとする体を必死に止めた。


「ヒッ!!」


 瑞樹さんは俺に気付くと、悲鳴のような声を上げた。

 その悲鳴は、俺の事が気持ち悪いからではないと信じたい。


「な、なんです……か?」


 敬語だ……同級生に敬語で話されるのは、何だかむず痒くなってしまう。

 それに他人行儀に感じてしまう。まぁ初対面の他人なんだけど……。


「あ、あぁ、突然声かけてごめんね。その……そう! 卵焼きが美味そうだって思ってさ」


 咄嗟に出た事じゃない。

 本当に瑞樹さんの弁当箱にある卵焼きが、とても綺麗に焼けていて美味そうだって思ったんだ。


 だが、その言葉が妙な誤解を生んでしまったらしい。


「こ、これは……私の食べかけなので……あげれない……です」


 おっと、それは普通に変態君じゃないか!

 え? 冗談で言ってるんだよね? 

 これはマズい!速攻で誤解を解かねば!


「え? ち、違うって! 別にそれが欲しくて声かけたんじゃないって! ほ、ほら! 自分の分はちゃんとあるから」


 俺はそう言いながら、手に持っていたコンビニ袋を見せると、ようやく少し警戒を解いてくれたようだ。


 そんなに物欲しそうな顔してたのかなぁ……。


 俺がそんな事を考えていると、瑞樹さんはハッと何かを察したような顔をして、慌てて広げていた弁当を仕舞いだした。


「ご、ごめんなさい。わ、私が邪魔なんですよね? すぐ退きますから」


 今度はそうきたか……。

 今の瑞樹を見てると、平田のせいでどれだけ苦しんでいるのかよく分かった。

 オドオドと怖がっている彼女を見ていると、何だか居たたまれない気持ちになる。


「え? あぁ! 違う違う! そうじゃなくて――その、良かったら一緒に食べていいって言いたかっただけなんだ」

「――あ、でも……わ、私と居たら……」


 自分がこんな状況だというのに、見ず知らずの俺の事を心配してくれるんだね。

 心をあんなに削られているのに、投げやりにならず変わらず誰にでも優しい女の子。

 皆が瑞樹の周りに集まってくるわけだ。

 何で平田あいつは、こんなに優しい女の子を追い詰めるような事をするのか――俺には全く理解できない。


 心が弱りきっている隙を狙って、彼女に近付こうとしてる俺も……大概だけどな。


「知ってる! でも、そんな事気にしなくても大丈夫だよ。って事で隣いいかな」

「あ、は、はい……どうぞ」


 後ろめたい気持ちはあったけど、こうして隣にいる事を許してくれた事に、心を躍らせている俺は……最低だ。


「ありがとう。あ、そうだ! 俺2組の岸田っていうんだ」

「わ、私は……み、瑞――」

「瑞樹さんでしょ? 有名人だもん! 知ってるよ」


 俺の名前なんて聞いても、絶対に知らないだろうな。

 でも、これから覚えてくれたら嬉しい。


 俺が有名人と言うと、瑞樹の表情が一段と強張った。

 どうやら有名人の意味を履き違えたようだ。


「違うからね」

「……え?」

「今、瑞樹さんが想像した意味の有名人じゃないから! 俺の言う有名人ってのは、俺達の学年っていうか、この学校で断トツに可愛い女の子って意味での有名人って事だから」


 うおぉ!

 どさくさに紛れて、断トツに可愛い天使って言っちまった!

 ……あ、天使は言ってないか。


 そんなアホな事を考えていると、瑞樹は頬を赤らめ俯きながら、チラッと俺の事を見ている事に気付いた。


 くそっ!ホント可愛いな!てか可愛すぎだろ!


「あ、あの」

「ん? なに?」

「わ、私……岸田君の事知らないんです……ごめんなさい」

「ははっ、何で謝るのさ。ここに入学してから、こうして話すのって初めてなんだから、俺の事を知らなく当然だよ」


 分かってるよ。

 当然の事なんだから、そんなにビクビクしながら謝らないでくれよ。


「えっと、そ、それじゃあ何で……その、わ、私に声をかけたんですか?」

「そ、それは――い、いつも1人だと気が滅入るんじゃないかって思って」


 俺は咄嗟の思い付きで、声をかけた理由を話した。


 そんなのが理由じゃない。

 まるで心配してるから、声をかけたみたいに言った俺自身に反吐が出る思いだった。


「あ、あれ? もう食べないの?」

「……はい。食欲がないので……お先に失礼します」


 突然弁当を仕舞った瑞樹さんは、スッとベンチから立ち上がり、小さく会釈して立ち去ろうとする。


 瑞樹がいなくなってしまう。

 やっと話しかける事が出来て、隣に座って飯を食べる事が出来たのに……。

 もし、この事で警戒なんてされたら、もうチャンスなんて巡って来ないかもしれない。


 ……いやだ。そんなの絶対に嫌だ!


「あ、あのさ!」

「何ですか?」

「えっと、よかったら……携帯番号の交換とか……しない?」


 何か言おう、何か言おうと考えた挙句、口から出たのが番号交換とか……何リア充気取ってんだよ。


「同情や哀れみならいりません。それに、私に関わったら同じ目に合いますよ――それじゃ」

「ちょ、ちょっと――」


 今度は呼び止めようとしても、振り向くどころか足すら止めてくれなかった。

 警戒心の塊になってしまっている瑞樹に、いきなり番号交換とか……何やってんだよ――俺。


 同情とか哀れみなわけないだろ。

 まだそっちの方が、自分に酔っていられる分、救われたかもしれない。


 そんないいものなんかじゃない。

 俺は姑息で卑怯で、最低な男だ。

 それを全部知ったうえで、それでも彼女に近付きたい。


 ここまで腐った行動をしてきたんだ。

 一度や二度相手にされなかったからって、諦められるわけないだろうが!


「あ、明日もここで待ってるから!」


 俺は声を張ってそう言って、瑞樹の反応を待たずに中庭を走って逃げた。


『迷惑だから』とか、『気持ち悪い』とか、もっとシンプルに『無理』とか言われるのが怖かったからだ。


 体育館前にある水道の蛇口を捻り、がぶがぶと水を飲みはぁはぁと息を切らせてズルズルと地べたにへたり込む。


 俺……何がしたいんだろう。



 ◇◆


 瑞樹に拒否された翌日からも、俺はこの花壇のベンチで彼女が来るのを待った。

 2日、3日と日にちだけが過ぎ去っていく。

 来てくれる保証どころか、拒否されたんだから、望み薄なのは分かってる。

 だけど、瑞樹の事だけは諦めたくない。


 俺は自分自信に、彼女には迷惑なだけかもしれない誓いを立てて、予鈴が鳴るまで待ち続けた。


 そんな生活が始まって数日後、梅雨らしい激しい雨が朝から降っていた。

 その雨は昼休みになっても止む気配を見せずに、まるで俺をあの場所へ行かせまいとしているように、降り続けている。


 雨なんかに負けると思うなよ!


 俺は雨が降り続ける中、中庭の花壇にあるいつものベンチに向かい、傘で雨を遮ったベンチにタオルを敷いて座り込む。

 この天気で外に出ている人間は俺だけだ。

 校舎の方から、数名の視線を感じるが気にしてなんていられない。

 こんな雨に中、瑞樹が来るわけがないのは分かってる。

 でも、どこからか今の俺を見てくれていたら、俺の本気が伝わるかもしれない。


 ――俺は絶対にこのチャンスを諦めない。



「……あの」


 それから数日後、いつものようにベンチで待っていると、声をかけられた。

 久しぶりに聴く声だったけど、聴き間違えるはずがない。


「――来てくれたんだね」

「何時まで経っても、本当に諦めないみたいだったので……」


 やっぱりどこかから、この場所を見てくれていたみたいだ。

 頑張って毎日待ち続けた甲斐があったというものだ。


「あ、はは……諦めはいい方だと思ってたんだけどね」

「それに訊きたい事があったので」


 なるほど。本命はそっちか……俺に会いたくなったわけじゃない……のか。


「訊きたい事?」

「はい。あの……隣いいですか?」

「え? あ、あぁ! うん。どうぞ!」


 俺は慌てて座っている場所をずらして、空いたスペースの埃などを手で払うと、彼女は静かに腰を下ろした。

 ただそれだけの事なのに、瑞樹が隣に座ったという現実に、緊張という感性が全身に駆け巡り、気が付けば背筋を伸ばしていた。


「どうかしましたか?」

「いや、別に……何でもないよ」


 虚勢を張ってはみたものの、誰が見ても嘘だとバレる演技しか出来ない自分が情けない。


 瑞樹が弁当を広げるのを見て、俺もコンビニ袋からサンドイッチを取り出して飲み物の準備も済ませた。


「いただきます」

「い、いただきます」


 瑞樹はこんな状態でも行儀が良く、合掌する姿に不自然さが全くなかった。

 俺は包装されているビニールフィルムを解き、サンドイッチを頬張りながら、箸を口につけている彼女を横目でチラっと見ただけで気付いた事があった。


「……な、なんか」

「なんですか?」

「瑞樹さん……痩せたんじゃない?」


 ヤバい!言ってから気付いた。

 殆ど面識のない俺がそんな事に気付いている事を知ったら、気持ち悪がられるだろ!


 ああ……引いてる……引いてるよ……。


「あ、はは……気持ち悪いよな……ごめん」


 もう瑞樹の顔が怖くて見れなくなってしまった。


「それで、訊きたい事があるんですけど、訊いてもいいですか?」

「そ、そういえば、そんな事言ってたな。うん! 何でも訊いてくれよ」


 よ、よかった……何でかは知らんけど、スルーしてくれたみたいだ。


「あの、知ってたら教えて欲しいんですけど、皆が私にしている嫌がらせの発端者って誰なのか知ってますか?」


 ――全然良くなかった。

 そんな事を知ってどうするつもりなんだろう。

 それに虐めを始めた張本人の事を知りたがっている人間の顔だとは思えないほど、今の瑞樹さんの顔は不自然な程に穏やかな表情をしていて、それが逆にその事を知りたがっている彼女の考えが怖くなってしまった。


「それを知ってどうするの?」


 復讐なんて考えているとしたら、あいつの事だ。何をしでかすか分かったものではない。

 瑞樹の身が危険に晒されるのが分かっていて、軽々しく教える事なんて出来ないと思った俺は、知ってどうするつもりなのか確認をとる事にしたんだ。


「別にどうもしませんよ。文句なんて言っても、返り討ちにあうだけですからね」

「じ、じゃあ知らなくても良くない? 知っても余計に辛い想いするだけかもしれないしさ」


 自分の口から瑞樹を傷つける事なんて言いたくなかった俺は、何とか気持ちを宥めようと試みた。


「……いえ。知っているのなら教えて欲しいです。もしかしたら、私に非があってその人を怒らせてしまったかもしれません。もしそうなら、謝りたいなって思ってるんです」


 実際、瑞樹がどうしてこんな虐めを受けているのか、理由は知らない。

 でも、こんな目にあっているのに、その相手を恨むんじゃなく非があったのなら謝ろうとしている子に、原因があるとは思えなかった。

 彼女がそういう気持ちで知りたがっているのなら、隠す必要はないよな。


「――平田だよ」


 俺が平田の名前を出したのに、瑞樹は驚く様子もなく、小さく頷くだけだった。


「……そうですか――やっぱりそうだったんですね」

「やっぱりって事は、こうなった原因に心当たりがあるの?」

「……はい。ゴールデンウィーク前に平田君に告られて……」

「えっ!? 平田が瑞樹さんに!?」

「――は、はい。平田君の気持ちは嬉しかったんですけど、その気持ちに応えられる気がしなくて、ハッキリと断ったんです」


 平田が普通に告るなんて、想像すらした事がなかった。

 傲慢で俺様野郎で有名な奴だったから、てっきりもっと強引に迫る奴だと思ってたから、意外だったな。


「そしたら、睨みつけながら舌打ちして、立ち去って行ったので……」

「……そうか。フラれた腹いせに、こんな事を始めたのか。あの馬鹿マジで信じらんねぇ」

「今思えば、傷付けない方法があったのかもって……後悔してるんです」

「何言ってんの! 告白されたって受けないといけない訳じゃないし、それにフラれた奴が傷つかない方法なんてないよ! フラれた時の覚悟がないのなら、告るなって話なだけだ! だから、平田のケツの穴がミジンコ並みに小さいってだけで、瑞樹さんが気にする事じゃない!」


 多分、平田もマジで瑞樹の事が好きだったんだろう。

 だから、典型的な告白なんて形をとったんだと思う。

 それでも、叶わなかったからって、瑞樹にあんな酷い仕打ちが許されるわけがない。


 ――何とかこの状況から助ける方法はないのかな……。


 って、おいおい! 何考えてんだよ俺は! 平田がこんな状況を作ったから、俺にもチャンスが巡ってきたって喜んでたんだろうが!

 それなのに、今更キレイ事とか……バカ過ぎんだろ……。


「ミジンコって――フフッ」


 え? 今、笑ったよな!


「やっと笑ってくれたね!」

「――べ、別に笑ってなんていません。そ、それじゃ」


 少し頬を赤らめながら、否定する瑞樹……。

 なに?この可愛い生き物はって言葉がピッタリハマるんだけど。


 瑞樹は慌てて弁当を仕舞い、俺の前から立ち去ろうとする。


 初めて話した時と同じ状況なのに、前とは全然違う感じがする。

 少しだけ……少しだけだけど、距離が縮まった気がして……多分、俺は相当ニヤけてて、かなり気持ち悪い顔だったはずだ。


「明日もここで待ってるから!」


 この言葉を言うのも2回目だけど、慌てて訴えかけた1回目と違って、今回はきっとここに来てくれる自信が籠っていたと思う。



 ――だが、瑞樹との距離がやっと縮まり始めたと喜んでいたのに、それを許さないと言わんばかりに、新たな事件が起こったのである。

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