第2話 あいたい

「――ふぅ」


 間宮にGETしてもらった大きなヒヨコのぬいぐるみをギュッと抱きしめながら、横になっているベッドの表面を2本の指でゆっくりなぞると、シーツの擦れる音が枕を伝って直接耳に響く。その指をまた元の位置までなぞる。

 この何の意味もないような事を、もう30分も瑞樹は繰り返していた。


 合宿から帰ってきて、まだ3日しか経過していないというのに、瑞樹の体内時計的には、一か月は経過している感覚で、とのかく一日、一日が本当に長く感じているようだった。

 

 合宿が終わってからも、受験勉強に取り組んではいるのだが、イマイチ捗らなかったようだが、間宮の講義がきっかけで好きになった英語だけは順調に進められていた。


 (――間宮先生……あ、間宮さんか。今頃どうしてるかな……)


 ゼミの講師ではなくて、本当は一般企業の社員だった事を知った瑞樹は、社会人の生活リズムなど知る由もなく、ただ予想するだけしか出来なくて、悶々とした日々を送っていた。


 受験生とはいえ、夏休みの期間だから時間は十分にあるのだが、間宮は社会人で夏休みといっても、両親のように短い盆休みがある事だけは知っている。


 自由な時間がある高校生と違って、毎日頑張って仕事に励む間宮に、どうすれば会えるのか、少しでも時間があると、ずっとその事ばかり考えてしまう。

 

 もっと色々な事に区別をつけて、何事も両立出来る人間だと思っていたのだが、とんだ思い上がりだったようで、間宮にたった3日会えなかっただけで、その自信が総崩れしそうになってしまっている瑞樹であった。


「――これじゃ、バカップル願望丸出し女みたいじゃん」


 (――――間宮さん)


 合宿での事を思い出そうとすると、間宮のあの柔らかい笑顔が見たくなる度にスマホを立ち上げて、加藤から送って貰った間宮との浴衣姿のツーショット画像を開く。

 間宮が着ていた浴衣の生地を見ると、祭りで抱きしめられたシーンが鮮明に蘇り、真っ赤に茹で上がった顔を隠すように、枕に顔を押し付ける。

 これが最近の瑞樹のルーティンになってしまっていた。


 (画像なんて見るんじゃなかった。余計にそわそわと落ち着かなくなっちゃったじゃん……もう!)


 じっとしている事にストレスを感じた瑞樹は、ベッドにうつ伏せのまま両足をパタパタと交互に動かして、息を大きく吸い込んだ。


「会いたい! 会いたい! 会いたい! 今すぐ会いた――い!!」


 枕を抱え込んでいる手に力を込めて、大きな声で自分の願望を叫んだ。


「――何やってんの? キモイんだけど……」


 完全に自分だけの世界に入っていると、突然部屋の入口付近から声がかかり、一気に現実に戻されたと同時に、慌て過ぎてしまいドスンとベッドから転げ落ちてしまった。


「イテテ……」


 お尻を摩りながら部屋の入口に目を向けると、呆れ顔で自分を見下ろしている妹の希が立っていた。


「――ちょっ! 希! 部屋に入る時は、ノックしなさいっていつも言ってるでしょ!?」


 ノックをするのがマナーだと訴えたが、希は溜息をつきシレっと両手の人差し指を部屋のドアと、自分が立っている場所を指す。


「ノックはしてないけどさ。これ見てみ?」


 希にそう促された瑞樹は、全開に開けてあるドアと、入口のど真ん中に仁王立ちしてる希の足元を見る。


「ね? こっそり覗いたんじゃくて、ここまで堂々としてるのに、全く気が付かないお姉ちゃんも悪いと思わない?」


 まさかの責任転換に瑞樹はあんぐりと口を開けて、言葉が出てこなかった。


「あ、あんたねぇ」


 今日という今日は、少しお説教をしてやろうと、打ったお尻を摩りながら立ち上がると、希が先に口撃を開始した。


「それで? 何に悶えてたの?」

「うぐっ!――別に何でもないわよ」


 白々しいとは思いつつも、瑞樹は懸命に誤魔化そうと視線を逸らしてそう話す。


「ふ~ん――私はてっきり眼鏡のちょっといい感じのお兄さんの事でも想像して、あんなに悶えてたんだと思ったんだけど?」


 ニヤリと笑みを浮かべる希に、瑞樹の背筋がゾクッと冷えを感じた瞬間、気が付けば希の手を引き、ベッドに押し倒していた。


「いや~ん! 私、お姉ちゃんに押し倒される趣味ないんだけどぉ」

「何で希が、間宮さんの事知ってるのよ!?」


 妹に間宮の事を知られた事に、動揺が隠せない瑞樹は、呼吸を荒くして押し倒した希にそう問いただす。


「へぇ……あのお兄さんって、間宮っていうんだ」


 テンパってしまい、余計な情報を与えてしまった事に気付いた時は、もう手遅れと言わんばかりに、希のニヤついた顔が深みを増した。


「何でって合宿から帰ってきた時に、玄関先まで一緒に帰ってきたじゃん」

「――あんな時間まで起きてたんだ……」

「まぁね! お母さんから聞いてた時間になっても、全然帰ってこないから心配してたんだよ?」

「希が心配しているのは、私じゃなくてお土産の心配でしょ?」

「――ん、まぁそうとも言うかな」


 瑞樹は頭痛がするように、額に手を当てて溜息をつく。


「で!? あの間宮さんって人が、お姉ちゃんの彼氏なの!?」


 (だよね……。そうくると思ったから、この子には知られたくなかったのに……)


「違う! 合宿でお世話になった講師だよ。偶然、最寄り駅が同じで駅前でバッタリ会ってね。遅い時間だったからウチまで送ってくれたんだよ」

「ふ~ん……そうなんだ」


 瑞樹の返答につまらなそうな表情をしているのが、妹の瑞樹 希。

 瑞樹の2つ下の妹である。

 本来無理して進路変更しなければ、瑞樹も通っていたはずの上野高校の1年生で、面倒臭がり屋で甘え上手。基本的に世の中を他力本願で渡っていくと、割と真面目に言ってしまう困った女の子だ。

 だが、妙なところで芯が強くブレない性格で、いつも揶揄ってばかりいる姉である瑞樹志乃を実は尊敬していたりする。


「それで? 何か用事があったんじゃないの?」

「あっ! そうだった! 合宿から帰ってきて悶えるばっかりで、全く外に出ていない引き篭もりのお姉ちゃんに、外の空気を吸わせようと思ってさ。近くのモールにお買い物に付き合ってよ」

「実の姉をニートみたいに言わないでよ。買い物がしたかったら友達と行けばいいじゃん――私は勉強で忙しいの!」

「――まるで受験生みたいな事言ってるね」

「立派な受験生だからね!?」

「そんな事言っていいのかなぁ?」

「何よ!?」


 話に意識が向いた為、希を押さえつけている力が緩んだ隙に、希はマウントポジションから脱出して、部屋のドアを勢いよく開けた。


「おか~さ~ん! 合宿から帰ってくるの遅かったのって、男と――モゴフガ!」


 瑞樹は母親に間宮の存在をバラそうとした希の口を、慌てて塞ぐ。


「わ、分かったから! ショッピングでも映画でもご飯でも付き合うから、余計な事を言いふらさないで!」

「ふっふ~ん。おけ! リビングで待ってるから、支度して降りてきてねん!」


 片目を閉じてピースサインを作った希は、軽い足取りでリビングへ降りて行った。


 あの子は受験勉強を頑張っている姉に対して、応援しようという気持ちは持ち合わせていないのか……と、溜息をつきながら、支度を済ませた瑞樹は希を連れてモールへ向かった。


 目的地に到着すると、希は早速お目当てのショップへ瑞樹の手を引いて移動する。


「お姉ちゃんどう? 私的にはツボってんだけど」

「この前、似たようなシャツ着てなかったっけ?」

「あれ? そうだっけ?」


 瑞樹はまたかと溜息が漏れる。

 瑞樹は昔から希は可愛いのに、お洒落に関して無頓着なところがあり、もっと欲を出してとびっきりの女の子になりなさいと、常々口にしていたのだ。


「というわけで、宜しく! お姉ちゃん」

「はいはい。分かった、分かった」


 仕方ないなと溜息なんてついてみた瑞樹だったが、ホントは愛する希のコーディネートをするのは大好きだった。もう趣味といっていいほどに。

 それにここの所、受験勉強ばかりで希に構ってあげれてなかった事もあり、瑞樹は何時も以上に気合いを入れる。


「それじゃ、久しぶりにお姉ちゃん本気だしちゃおうかな!」

「うんっ!!」


 (なんだか希がいつもより楽しそうに……というか嬉しそう?――に見える)


「ん? 何かいい事でもあった?」

「へ? 何でもないよ! お姉ちゃん! にしし!」


 何でもないようには見えないけど――まぁ、いいかと、深く考える事を止めた瑞樹は、チェックしておきたいショップを何軒か回った後、頭の中で希コーデのイメージを固めて、スマホでショップの名前と揃える服をトークアプリに書き込み、希に送信した。


「そのメモ通りに揃えたら、可愛いと思うよ」

「おっけ! それじゃ買ってくるね!」


 手をブンブンと振りながら駆けていく希を見送った後、近くにあったベンチに休憩をしようと腰を落として、時間を確認しようと腕時計を見た。


 高校の入学祝で買って貰った、お気に入りの腕時計だ。でもベルトが随分と痛んでいる事が気になり、丁度近くに腕時計の専門店があったから、待っているのも暇だからとショップでベルトでも物色しようと向かう事にした。


 ベルトはどこかと店内を物色していると、ショップの中央に設置されたショーケースが気になった瑞樹は、ケースの中に展示している時計を覗き込んだ。


 「これいいなぁ。格好いいデザインだけど、どことなく可愛い感じもするのがいい! ユニセックス系の時計かぁ。このブランドこんなデザインの時計売ってたんだ」


 ショーケースの中には数種類の時計が展示されていたが、その一点の時計に心を掴まれたようで、瑞樹の目がキラキラと輝く。

 でも――何だか初めて見る気がしなくて、首を傾げて少し考え込んでいると――


「それって、間宮先生が使ってた時計だよね?」

「――え?」


 聞き覚えのある元気な声が、突然隣から聞こえてきた。


「おっす! 志乃!」

「――愛菜!」

「こんにちわ。瑞樹さん」

「佐竹君もいるじゃん!」

「あはは! 偶然だね。まさか志乃に会えるとは思わなかった」

「だね! 合宿が終わってまだ3日しか経ってないのに、久しぶりな感じがするよ」

「それな! 1週間ずっと一緒にいたからね」


 思わぬ親友との遭遇にテンションが跳ね上がり、まだ3日ぶりだというのに、まるで同窓会に参加したように盛り上がっていると、愛菜の後ろから佐竹がわざとらしく咳き込む。


「あ、佐竹君も合宿ぶりだね」

「――お、おう」


 ニッコリと微笑むと、自分に微笑むなんて初めてだった佐竹は、顔面の筋肉が引きつり、歯切れの悪い返事しか出来なかった。


「佐竹のくせに、なに緊張してんのよ」

「佐竹のくせにってなんだよ。つか、別に緊張なんてしてないし」


 瑞樹と加藤から目線を逸らして、頬を掻きながら志乃が喰いついていた時計に視線を落とすと、そんな佐竹を瑞樹と加藤は声を殺して、クックックッと可笑しそうに笑っていると、佐竹は意地悪そうに笑う2人に口を尖らせて話題を変えた。


「そんな事より、この時計がどうしたの?」

「あぁ、そういえばそうだったね。愛菜、やっぱりこの時計って」

「うん。これ間宮先生が使っていた時計と同じ物だよ。私も可愛くてお洒落だなって見てたから、間違いないよ」


 やっぱり!と瑞樹はさらに展示されている時計を、食い入るように眺める。

 そうなると、自分がこのレディースモデルを付ければ、間宮とペアウォッチになる!?そう考えると、嬉しくてドキドキする反面、それを使っている事に気付いた間宮が、迷惑そうな顔をしたらどうしようと不安にもなるのだ。


 (もしそんな顔をされたら、立ち直れる気がしない……)


 そんな事を想像しながら、時計の値札に視線を移すと――58000円の数字が飛び込んでくる。――到底、高校生に手が出る値段ではなく、余計な心配だったなと苦笑いを浮かべるしかなかった。


「えぇ!? 58000円もするの!? 1万円以内ならプレゼントにって思ったのに、高過ぎだって! 間宮先生ってやっぱりお金持ちなんだね」


 加藤も時計の値段を見て、頭を抱えていた。


 フフ。考える事は同じ高校生だから一緒だと、瑞樹はクスクスと笑みを零す。――


(ん? プレゼント?)


「愛菜。この時計を誰かにプレゼントしようと思ってたの?」

「誰かって、志乃にプレゼントしようとしてたに決まってるじゃん! 今月誕生日だったよね?」

「へ? 私に? いやいや! 確かにそうだけど、この時計が1万円だったとしても、そんな高価なプレゼントなんて受け取れないよ」

「う~ん……そっかぁ。それじゃ、今日ここでプレゼント探してくるから楽しみにしててね! 丁度荷物持ちもいる事だし」

「僕は荷物持ちですか……」


 佐竹の苦笑に、瑞樹と加藤は可笑しそうに笑いあった所で、加藤と佐竹が一緒にいる事を今更のように意識した瑞樹は、ニヤニヤと笑みを浮かべて加藤の腕に肘をツンツンと当てた。


「な、なによ」

「荷物持ちとかいって、本当はデートだったり?」

「ち、違くて! 佐竹が遊びに行こうってしつこかったから、仕方なく付き合ってやってるだけだし!」


 ニヤニヤする瑞樹の顔に、若干の苛立ちを覚えた加藤は身振り手振り、必死にデートという事を否定した。


「しつこいって――酷くね?」


 あまりの言われように泣きそうな顔で落胆する佐竹を見て、瑞樹は加藤を厳しい表情で戒める。


「愛菜! 佐竹君は頑張って愛菜を誘ったんだよ? そんな言い方は流石に失礼でしょ!」


 まさに自分の事は棚に上げてとはこの事だろう。

 偉そうに加藤にそう言ったが、ブーメランだからねと加藤は思ったに違いない。

 だが瑞樹の言っている事自体は正論だと、加藤は佐竹に頭を下げる。


「言いすぎた――ごめん。佐竹」

「う、うん。いいよ、大丈夫だから」


 加藤が素直に謝るなんて思っていなかった佐竹は、少し慌てた様子で加藤の謝罪を受け入れた。


「そういう志乃は1人? もしかして?」


 少し頬を赤らめた愛菜は、話題を変えながらニヤリと笑みを浮かべる。

 瑞樹は加藤が何が言いたいのか察して、溜息をつく。


「そんなわけないじゃん。妹に無理矢理付き合わされてるだけだよ」

「妹? 瑞樹さんって妹がいるんだ」

「そういえば、妹がいるって言ってたね。どこにいるの?」


 そう言って佐竹と加藤は、周囲を見渡して希を探し出した。


「今はショップを回って、服を買い漁っているところなんだよ――」

「おりょりょ?」


 希の事を説明していると、不意に加藤と佐竹の背後から惚けたような声が聞こえた。


「あれ? お姉ちゃんの友達?」


 各ショップのロゴが入った袋をぶら下げて、見知らぬ2人を交互に見返した希がコロコロと笑顔を見せて立っていた。


「そうだよ。さっき偶然会ったんだ」


 そう言った瑞樹は加藤と佐竹の隣に立つ。


「紹介するね。同じゼミで合宿にも参加してた、佐竹君と加藤さん。で!こっちが2つ下の私の妹の希」


 瑞樹は簡単にお互いの紹介すると、希は何かスイッチが入ったように一歩前に出た。


「はじめまして。姉がいつもお世話になっています。妹の希といいます」


 そう挨拶してお辞儀をする希を見た瑞樹は、ポカンと口を開けて固まり――おいおい、君は誰だ?と本気で問いたくなる程、別人にしか見えない外面の良さに溜息が漏れる。


「こんにちわ! こちらこそお姉ちゃんにいつもお世話になってる加藤愛菜っていいます。宜しくね! 希ちゃん」


 加藤は相変わらずの明るさで、希との距離を詰めた。


「こ、こんにちわ……さ、佐竹っていいます。その、よろしく」


 姉に負けず劣らずの美人な希を見て、佐竹は思わずドギマギしてシドロモドロに挨拶を交わした。


「こんにちわ! 佐竹さん、加藤さん。宜しくお願いします」


 元々人当たりの良い加藤と、天真爛漫な希が打ち解け合うのに、大して時間は必要なく、すぐに談笑に花を咲かせ始めた。


「そうだ! これから皆さんでお昼食べに行きませんか?」


 両手をパンと合わせて、希は目をキラキラと輝かせながら、そう提案したのだが、瑞樹がすぐに待ったをかける。


「希――愛菜と佐竹君のデートを邪魔しちゃ駄目じゃない!」

「デ!? 違うって言ってるじゃん! いいね! ご飯行こうよ、希ちゃん」

「はいっ、決定ですね! やったぁ!」


 両手を万歳と上げて喜ぶ希を横目に、瑞樹は溜息をつき佐竹に頭を下げる。


「佐竹君……本当にごめんね。言い出したらきかない妹で……」

「い、いいよ。本当にデートとかじゃないんだから」


 手を左右に軽く振りながら、佐竹も加藤と同様にデートを否定した。


 それから4人は適当な店に入り、ランチを済ませた後お茶を楽しんでいた。


「あ、そういえばさ! 昨日ゼミの帰りに間宮先生と会ったんだよ」


 間宮という単語に、瑞樹姉妹がピクッと同時に反応する。


「そ、そうなんだ――間宮さん元気だった?」

「うん。何か仕事が溜まってて忙しいって言ってたけど、元気そうだったよ」

「そう! それです!!」


 間宮についての2人の会話に、希が鼻息荒く割り込んできた。


「な、なに? 希ちゃん」

「希! 余計な詮索はしないで! 愛菜もこの子に何を訊かれても答えなくていいからね!」


 加藤が希のテンションに驚いていると、すかさず瑞樹が希の介入を拒否する。


「え~!? 何でよ! やっと間宮って人がどんな人なのか解ると思ったのに~」


 激しく抗議する希をサラッと交わしていると、スマホにセットしていたアラームが鳴りだした。


「あ、もうこんな時間か。私この後ゼミだから帰らないとなんだ」

「志乃は土曜日だったもんね。あれ? それじゃ佐竹もそうなんじゃないの?」

「そうだよ」


 瑞樹と佐竹はそう言って席を立った時、希の目がキラリと光る。


「希も帰るでしょ?」

「う~ん――あ、愛菜さんってこの後何か予定あったりしますか?」

「私? 特にはないかな」

「それじゃ、私ともう少し遊んで貰えませんか?」


 希は上目使いでそう提案すると、瑞樹が加藤も受験生なんだから無茶言わないと叱ったが、加藤は希の事を気に入ったのかその提案を受け入れた。

「やったぁ!」と喜ぶ希に、溜息をつき迷惑をかけないように念を押して、瑞樹と佐竹は加藤達と店の前で別れた。


 瑞樹のジト目に苦笑いを浮かべて、完全に姉の姿が見えなくなるのを見届けてから、加藤に向き直る。


「さてっと、邪魔者は退散しましたね!」

「邪魔者て――」


 加藤は希の言い分に苦笑いを浮かべていると、希は改めて「加藤さん」と声のトーンを少し落として、今までとは打って変わり真剣な表情を見せる。


「なに? てか愛菜でいいよ」

「では愛菜さん。これからが愛菜さんを誘った本題なんですが」

「うん?」


 加藤は単にブラブラとウインドウショッピングをするものだと思っていたのだが、どうやら違うようだと気付き、加藤もまた表情を引き締めた。


「愛菜さんに確認したい事と、お話したい事があります」

「確認と話?」

「はい。といっても立ち話もなんなので――」


 突然、希は加藤の手を引いて走り出した。


「え? ちょっ!?」

「下のフロアにミルフィーユが超美味しいカフェがあるんですよ! そこでお話しましょうよ。あっ因みになんですけど、私は服を買ってしまってお財布スッカラカンなので!」

「はい!? え? それって私に奢れって事!?」

「はい! ゴチになります。愛菜お姉ちゃん!」

「はは――は。志乃が手を焼く理由が分かった気がするよ」


 瑞樹の苦労が少し理解出来たが、それでも憎めないと思える事も同時に理解した。外見は姉と同様の美形だが、性格はまるで正反対だ。

 でも、中身の芯の部分は同じで優しい子なのだろう……加藤は苦笑いを浮かべながら、そうだといいなと呟いた。


 ◇◆


 瑞樹は一旦自宅へゼミの用意を取りに戻り、ゼミがあるO駅で電車を降りてゼミまでの道を歩いていると、スマホが震えて電話に出ると、クラスメイトの麻美からだった。


「もしもし?」

「あっ志乃? 合宿から戻ってるんなら、連絡くらいしてよね!」

「あはは、ごめんね。帰ってからも少しバタバタしてて忘れてた」

「もう! まぁ、いいけどね。でさ、志乃は登校日って学校に来る?」

「登校日? あぁ、確か週明けの7日と21日――だっけ?」


 世間では登校日がなくなった学校も多いようだが、ウチの学校では未だに登校日という概念が残っていて、しかも2日も存在するのだ。


「志乃ってば忘れてたんでしょ!」

「う、うん。忘れてたっぽい」

「しょうがない子だなぁ! それで、どうする?」

「どっちも月曜日だし、ゼミもないから雨が降ってなかったら登校しようかな。麻美は?」

「私は面倒臭いなって思ってたんだけど、登校日の放課後に文化祭の打ち合わせするんだって。だからサボると面倒臭い係を押し付けられそうな気がしてさぁ。だから私も登校するつもり」


 瑞樹が通う学校はかなりの進学校で、毎年3年には参加、不参加の決定権が与えられていて、各クラスで決を採り不参加なら自宅学習をする決まりになっている。


「そういえばそんな事言ってたね。なら、私も天気が悪くても登校しないとだね」

「でしょ! じゃあ7日にね! バイバイ」

「うん。バイバイ」


 スマホを切り鞄に仕舞った瑞樹は、少し物思いに耽て足を止めた。


 「文化祭か――今年は最後なんだし、クラスの出し物以外でもちゃんと参加して回ってみたいな――1.2年の時は当番の時間以外は、ずっと人気ひとけのない所に隠れてたもんね……」


 高校最後の文化祭。

 何の根拠もなかったが、今年は素敵な事がありそうな予感がする。

 そんな想像をするとワクワクしている自分に気付き、歩き出した瑞樹は自然と口角の角度が上がっていた。

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