第26話 仲間達との誓い……そして自分へのけじめ act 5

「もしかして、私達講師の為ですか!?」


 藤崎が講師達の気持ちを代弁するようにそう尋ねると、天谷がニッコリと微笑みながら肯定した。

 1次面接の時から感じていた違和感の正体は、優秀な講師の素質を感じるのに、取り繕った在り来たりな言葉だったと天谷は話し始めた。


 天谷はそれが不快でしかなかった。


 自分のゼミの正規雇用を狙った理由は、他社と比べて好条件のギャラだというのは理解していたし、それが悪い事とは思っていない。

 だが入社してしまえば、他社と同じやり方や考え方で、高収入が得られると勘違いされては困るのだと話す。


 当社では高額な報酬を支払う条件として、必ず当社が定めた合格ラインを常に超えていないと、問答無用で解雇するシステムなんだと、講師達に改めて当社のシステムについて説いた。


「ここまで話せば、理解出来ましたか?」


 講師達の厳しい表情を眺めた天谷は、そう問いかけて再び説明を続けだした。


 正規雇用だけを目的にすると、この合宿は選挙のようなものでしかない。


 実際の選挙に例えると、講師達が立候補者で、生徒達が選挙権を持った有権者という事になる。

 そんな事を試験内容にしてしまったら、講師達から見た生徒達はただの投票用紙にしか見えないだろうと、天谷は低いトーンで話し続ける。

 1票でも多く獲得する事を考える余り、生徒達の事を考える前に自身のパフォーマンスアピールばかりに気を取られていたはずだ。


 そんな間違った方法で採用されても、半年もせずに解雇されるのが目に見えていると話す天谷は、最後にそんな試験なんてやるだけ時間と労力の無駄だと言い切った。


「その為の、間宮先生だったと?」


 奥寺は思い当たる節がいくつも想像出来たが、天谷の口から最後まで理由を聞きたくて、確かめるように問う。


「そうです。昔学生時代に、間宮先生にはアルバイトとして当ゼミの講師をお願いしていました。当時私は専務という立場だったのですが、現場上がりだったからよく現場にも関わっていたんです」


 天谷は懐かしそうな眼差しを、間宮に向けた。


「そこで間宮君と知り合ってからは、色々と相談にのるようになって、大学を卒業した後は、間宮君のお得意様になったんです」


 天谷が昔の事に触れた事で、今度は間宮が語り始めた。


「当時色々お話させて貰っている時から、ずっと歯がゆい思いだと零されていた社長から今回のお話を頂いた時、昔からの社長の歯がゆさを解消出来るのは、現状では僕しかいない。そしてそれが恩返しになればと考えて、講師としての同行を引き受けたんですよ」

「何故、解消出来るのは、自分しかいないと思ったんですか?」


 藤崎は、間宮には珍しく自意識過剰ともとれる発言に、率直な疑問を投げかけた。


「それは生徒達が名付けてくれたstory magicを使えるのが、現状僕だけだったからです……現場に立てる人間はって意味ですけどね」

「どういう事ですか?」

「story magicが使える人間が、本当はもう1人いるって事です」

「え? あの講義を出来る人が、もう1人いる?」

「えぇ……いえ、ちょっと違いますね。その方がstory magicの発案者で、僕はその真似をしていただけに過ぎません」

「え!? story magicの発案者!? あれは間宮先生の講義法ではないんですか!?」

「えぇ。だから、本当はその方が自分で教壇に立って講義を行いたいはずなんです。でも立場が変わってしまい、それが叶わなくなってしまった……だから同じ講義法が使える僕に託す事にしたんでしょう」


 間宮の話を聞いた講師達は、story magicの発案者が誰なのか気付き一斉に天谷へ振り向いた。


「それでは、あのstory magicを発案されたのは……」


 藤崎が発案者を確認しようとすると、間宮はコクリと頷き口を開いた。


「そうです。皆さんがstory magicと呼ぶ講義法の発案者は、僕をこの場に呼んだ天谷社長なんです」


 間宮の正体に、story magicの秘密を暴露された会場にいる講師達は、驚きの連続だった。


 (じゃあ、本当に私が採用試験に合格したんだ……)


 頭の片隅にもなかった展開に、藤崎は今更ながらに身震いをしていると、天谷が構えていたマイクを降ろして、地声で話し始める。


「ふふ、何だか照れちゃいますね……でも、そうね! 本音を言えば、今でも自分が講義を行いたい気持ちでいっぱいです! でも仮に私が講義をしても、間宮君程の成果をあげる事は出来なかったでしょうね」

「僕に気を使って謙遜なんて、社長らしくありませんよ」


 苦笑いしながら間宮がそう言うと、天谷は首を左右に振り謙遜などではないと否定した。


 確かにあの講義方法は、自分が間宮に教えたものだが、その後間宮がその講義法を大幅に進化させて、オリジナルと言っても過言ではないものに生まれ変わっていたと天谷が話した。


「先程の最後の講義を見させて貰った時に、それを強く実感しました! 私にとって大切な講義方法をあのレベルまで育ててくれた間宮君には、本当に感謝しているのよ」

「……ありがとうございます」


 天谷の本音に触れた気がした間宮は、素直に礼を言ってお辞儀した。


 間宮と天谷から強い信頼関係を感じた藤崎は、合宿初講義前に間宮に向かって、天谷に贔屓されていると罵った事を心から恥じた。


「話しが逸れてしまいまたね。間宮君が同情心で辞退したという疑いはこれで晴れましたか? 藤崎先生」

「はい! くだらない事でお騒がせしてしまい、申し訳ありませんでした」


 小さな、本当に小さな自分に腹が立つ。

 自分は間宮先生の何を見てきたんだと。


 (この人は、本当の優しさを知っている人だから……好きになったはずなのに)


「それでは藤崎先生。今回の採用試験の結果を了承して頂けますか?」

「……はい……私でよろしければ、全力で期待に応えられるよう努力しますので、宜しくお願い致します!」


 藤崎は天谷に向かって、深く、深く頭を下げて感謝の気持ちとかける必要のない疑いをかけてしまった事を謝罪して、試験結果を了承した。


 そんな藤崎の姿を見た講師達から温かい拍手が送られて、さっきまでの雰囲気を消し去り、会場は最高潮の盛り上がりをみせた。

 この後、天谷が合格者にバッジを手渡す事になっているのだが、再びマイクを構えた天谷の口から出た言葉は、合格者を祝福する言葉ではなかった。


「これで本来なら、採用試験の結果発表は終わりだったのですが、もう1つ発表したい事があります」


 天谷の得意気な顔を見て、間宮の口角が上がる。


「特別推薦枠として本採用には届かなかったですが、研修講師として仮採用させて頂きたい先生がいます」


 天谷の突然の発表に、会場が騒めいた。


「とある人物から、是非にと推されたのですが、詳しく話を聞いて私も面白いと感じました」


 天谷がそう告げた後、隣に立っていた西山が再びマイクを構えて特別枠の講師名を発表する。


「特別採用枠の仮採用者! 英語担当 村田 直樹先生!」


 村田の名が西山の口からコールされた瞬間、会場に気味が悪い程の静寂が生まれた。

 あまりに予想外の採用者に、講師達は開いた口が塞がらないようだったが、1人だけそんな村田に、拍手を送る人物がいた。 


「おめでとうございます! 村田先生!」


 拍手を送る人物は、温かい祝福の言葉を贈る。

 呆然としている村田が、隣に立っている間宮に視線を向けると、ニッコリと微笑んで拍手を送っていた。


「……え?」

「村田先生が採用されたんですよ?」


 現状をまだ把握出来ていない村田に、柔らかい笑顔を向けた間宮は、改めて採用結果を村田に伝えた。


「……ど、どうして……」


 村田はそう呟きながら、天谷に説明を求めるように顔を向けた。


「お察しの通り間宮君に強く推されたのよ。といってもいくら間宮君に推されたからって、義理で採用したわけではありません。私も最終日の村田先生を見て、期待してみたいと思ったんです!」

「あ……ありがとう……ございます。精一杯頑張らせて……頂きます……本当にありがとう……ございます」


 村田は崩れ落ちる様に膝を床に付けて、大粒の涙を流しながら感謝と決意を天谷に伝えた。

 ここでようやく結果を受け入れる事が出来たのか、周囲から拍手が沸き起こった。


 涙を流して本当に喜んでいる村田を見た藤崎は、思わず涙ぐんで自分も頑張ろうと、決意を改にして目の前にいる天谷に向き合った。


 奥寺から発表された順に、天谷が声をかけながらバッジを手渡していく。

 講師が1人1人バッジを受け取る度に、不採用になった講師達やスタッフから温かい拍手を送られた。


「間宮先生! どうですか? 似合ってますか?」


 受け取ったバッジを、早速サマージャケットの襟元に付けた藤崎が嬉しそうに駆け寄ってきた。


「えぇ、とても似合っていますよ。これで念願の正規社員の講師ですね! 頑張って下さいね!」

「はい! 間宮先生に教わった事を胸に、全力で務めさせて頂きます!」


 藤崎は敬礼のポーズをとり、満面の笑顔で力強く言い切った。


 全力で頑張る。


 それは勿論、生活の為であり自分自身の為だ。


 でも、今はそれだけではない。この合宿で自分を変えてくれた間宮の期待に応えたいと藤崎は強く思う。


 尊敬していて、大切だと思える人物。

 間宮良介の期待に。


 

 結果発表の賑やかさが一段落して落ち着きを取り戻し始めたところで、村田も間宮の元へ向かい、そっと手を差し出した。

 感情が高ぶり溢れ出した涙は止まり、今の村田の目は強い決意と穏やかさが同居していた。


「間宮先生、本当にありがとうございました!」

「いえ、同情心でやった事ではなく、本当に村田先生なら天谷社長の期待に応えられると思いましたし、ここで貴方を手放したらゼミにとって大きな損失だと思ったから推しただけですので」

「間宮先生にそう言って貰えるのは、僕にとってこれ以上ない光栄な事なんです!」

「ははっ、大袈裟ですよ。頑張って下さいね」

「はい! ありがとうございます!」


 間宮と村田がガッチリと握手を交わす。


 男同士の余計な雑念のない、純粋なエールと感謝の交差を見せられると、女の自分には出来ない事だと、藤崎には少し村田が羨ましく思えた。


「おめでとうございます! 藤崎先生!」


 間宮と村田を微笑ましく眺めていた藤崎に、奥寺がそう声をかけてきた。


「奥寺先生こそ、おめでとうございます」


 奥寺も間宮達に視線を移して、フッと笑みを浮かべた。


「正直、間宮先生の正体には驚きました。藤崎先生はご存知だったのですか?」

「いえ! 私もさっき知って驚きました」


 村田が興奮してこれからの展望を熱心に、ニコニコしている間宮に話し込む姿を見て、奥寺は眩しいものを見るように目を細めた。


「本当に不思議な人ですよね」

「えぇ、私もそう思います」

「敵わないはずですよ……」


 隣にいる藤崎に視線を落として、清々しい表情で奥寺は完敗を認めた。


「あの人には、勝つとか負けるとかの概念が箕臼なんだと思います」

「なるほど……分かる気がしますね」

「いつも笑顔の印象がありますが、私にはいつも自分を罰しているように感じるんです」

「罰する……ですか」

「はい。それが何なのか解りませんが、私は間宮先生のその影の部分に惹かれているんだと思います」


 あの時、中庭で私の事を叱った時の間宮先生のあの目は、怒りではなく深い悲しみが滲んでいるように見えた。


 その悲しみの奥にある優しさを見た時、藤崎は間宮という男に惹かれている事を自覚したのだ。


 だから、今は少しでも間宮先生に追い付ける努力をして、隠している事を話したいと思って貰える人間になりたいと、藤崎は新たな目標を掲げた。


「もう1つ! 大切なお話があります!」


 藤崎が自分のこれからの事を考えていると、突然発表を終えたはずの天谷の呼びかける声がスピーカーを通して響き、食事を再開していた講師達の手が止まった。


「間宮君!」

「はい、なんでしょうか」

「貴方さえよければ、当社に正規の講師としての特別枠があるのだけれど、正式な講師としてゼミへ来てくれないかしら?」


 天谷のサプライズに、会場が「おぉ!」と湧きあがる。


「え?」


 天谷の言葉に藤崎は目を大きく見開いて、目の前にいる間宮を見つめた。


「貴方にはチーフの席を用意する準備がこちらにはあります。年収など細かい数字は後日別に席を設けるけど、今の年収を上回る事だけは約束します! どうかしら? 悪い話ではないと思うのだけれど」


 間宮先生と、これからも一緒に仕事が出来る。

 藤崎は、間宮の正体を知ってから、諦めていたそんな未来の展望を想像した。


「間宮先生!」


 藤崎が期待を込めて間宮にそう声をかけると、村田も同じように喜びの声をあげた。


「大変素敵なお話ありがとうございます。尊敬している社長にそんな期待を寄せて頂き、本当に光栄に思います」


 間宮が天谷にそう告げると、藤崎は目を輝かせて間宮の腕をギュッと掴んだ。


 だが、間宮は表情を崩す事なく口を開く。


「――ですが……申し訳ありませんが、お断りさせて下さい」

「え? ど、どうして……」


 間宮の腕を掴んだまま、断ると言った間宮の返事に表情が強張った。


「理由を訊かせて貰っても、構わないかしら?」


 天谷は厳しい顔つきになり、誘いを断られた理由を求める。


「社長の下でまた仕事が出来るのは嬉しいですし、遣り甲斐も感じています」


 間宮は天谷の目を真っ直ぐに見つめて、率直な気持ちを話した。


「それなら――」


 縋る様に腕を掴んでいた藤崎が、そう呟くと間宮は僅かに藤崎に視線を移して再び口を開いた。


「僕にも目標があって今の会社にいるんです。そんな僕が生徒達に散々目標や夢を説いておいて、目標を否定する事は出来ないという事と、僕自身が目標を諦めたくないからです」


 そう話す間宮の目は藤崎にはとても力強く見えて、掴んでいた腕を思わず手放した。


「ふふ……そうですか。少しでも迷う仕草を見せたら、無理矢理にでも獲得してやろうと考えていたのですが、そこまでブレずに断られたら、もう私には何も言えませんね」


 天谷は真っ直ぐな間宮の気持ちを聞かされて、大人しく白旗を振るしかなかった。


「社長のご厚意を無下にしてしまい、本当に申し訳ありません」

「いいのよ、気にしないで。目標を強く持っている人に、これ以上無理強いは出来ないもの」


 一歩、また一歩と間宮の腕を手放した藤崎は、何も話す事なく間宮から離れていく。


「藤崎先生? どうかされましたか?」

「だって……これから間宮先生と仕事が出来ると喜んでたのに……」


 間宮が離れていく藤崎に声をかけると、ブスっと拗ねた表情で落胆する気持ちを話した。


「そうでしたか……僕も藤崎先生とこれからも一緒に仕事が出来るのは楽しそうだとは思うんですけどね……すみません」


 藤崎は膨れっ面のまま、黙って頷いた。


 凛として、いつもカッコいい藤崎しか知らなかった奥寺は、そんな子供の様な藤崎を見て思わず頬を赤らめながら、手に持っていたビールジョッキを煽った。

 その後、再び打ち上げを再開させた講師達は、間宮を取り囲み講師の誘いを断るなんて勿体ないと、猛烈な説得を続けたが、間宮は首を縦に振る事はなった。


「残念でしたね……藤崎先生」


 そんな間宮を取り囲む輪から、少し離れた場所で寂し気に輪の中心にいる間宮を見つめていた藤崎に、奥寺がそう話しかけたきた。


「そうですね……でも、それが間宮先生の望んだ道なら、仕方がありません」


 クルクルと手に持っていたグラスを回して、そう話す藤崎の横顔に奥寺は言葉を詰まらせていると、司会進行を務めていたスタッフの声がスピーカーから流れてきた。


「そろそろお開きの時間が近づいてきましたので、最後に社長の挨拶で締めさせて頂きたいと思います」


 スタッフが参加者にそう告げて、マイクの回線を天谷に渡した。


「皆さんお疲れ様でした。残念ながら今回の採用テストを不採用になってしまった方で、また次回挑戦するぞと言う方がいましたら、楽しみに待っています! 採用された皆さんは、これからが本当の勝負です!気を引き締め直して出社してきて下さい! それでは参加してくれた講師達の皆さん、裏方のスタッフの皆さん! ありがとうございました!」


 最後の挨拶を済ませた天谷は、参加者に向かって深くお辞儀をして感謝の気持ちを伝えると、拍手が沸き起こり色々な事があった今年度の合宿が惜しまれながらも、無事に全日程を消化して終わりを告げた。


「正規採用された講師の皆さんは、正式な手続きに入りますので、明日午前10時に当社の事務局までお越しください!」

「はい、分かりました。宜しくお願いします!」


 最後にスタッフが連絡事項を合格者全員に伝えると、講師の代表として奥寺が返答して解散の流れになった。


 打ち上げ会場から続々と参加者が出てくる中、奥寺達合格者は店の前で間宮が出てくるのを待っていた。

 打ち上げの最中に、合格者だけを集めて祝杯をあげようと、奥寺が講師達に呼びかけていた席に、間宮も招待しようとしていたからだ。


 勿論、参加を即決で決めていた藤崎は、店の奥の方へ目を凝らすと、間宮は天谷と握手を交わしながら何やら話し込んでいるようだった。


「では一週間後の8月10日に、御社へ伺わせて頂きます」

「えぇ、本当はもう少し早くプレゼンさせてあげたかったのだけど……ごめんなさいね」

「いえ、気にしないで下さい。それに、それだけ期間があればプレゼンの内容を詰める事が出来ますから。ご期待に沿える資料を準備して伺います」


 天谷と間宮の師弟コンビが、数年後に営業と得意先になるなんて、何が起こるか分からないものだと話て、握手を交わしながら2人で笑い合った。



「間宮せんせ~い! こっちです!」


 間宮が店を出ると、藤崎がピョンピョンと跳ねて、大きく手を振って呼びかけていた。

 帰宅するつもりだった間宮は、首を傾げながら藤崎の元へ向かうと、奥寺が手を差し伸べて声をかける。


「お疲れ様でした! 間宮先生!」

「お疲れ様でした。合格おめでとうございます」


 間宮は差し伸べられた奥寺の手を握り、力強く握手を交わした。

 そんな2人を見て、藤崎はこれから採用者だけで2次会をする事になったのだと口を挟み、その席に間宮も同席して欲しいと告げた。


「え? 僕は採用者じゃないですけど?」


 間宮は頬をポリポリと掻きながら、誘われた原因に首を傾げていると、藤崎がニッコリと微笑んだ。


「間宮先生は私達を導いてくれた恩人なんですよ? だから皆で先生も誘おうという事になったんです! 是非、私達にお礼をさせて下さい!」


 藤崎が皆の気持ちを代弁すると、他の講師達も間宮に笑顔を向けた。


「……それは嬉しいお誘いなのですが、先ほど話した通り僕はただの会社員でして、明日から通常通り出社しないといけないんです……それに会社を離れている間に仕事も溜まっているでしょうから、早朝から出勤するつもりだったので、残念ですけど今日はここで失礼します」


 間宮は申し訳なさそうに、頭を下げて藤崎達の誘いを断った。


 そうだった……と、藤崎はハッとした。


 間宮は会社員で、明日から日常の生活に戻る。

 塾の講師をする藤崎達と、会社員の間宮では生活リズムが大きく異なる。

 ついさっき知らされた事だが、実感が湧かずに忘れてしまっていたのだ。


 藤崎は露骨にガッカリと肩を落としていると、奥寺がそういう事情なら無理には誘えないと諦めると、藤崎は俯いて肩の力が抜けてダラッと立ち尽くし、まるで身近な人間のお通夜にでも行くような暗いオーラを背中から滲ませていた。


「いや、でもさ! もう会えなくなるわけじゃないんですから……ね!」


 そんな藤崎を見兼ねた奥寺が必死にフォローに回ったが、奥寺の言葉が耳に入っていないようだった。


「O駅までご一緒しませんか?」


 間宮が困った顔でそう提案すると、採用組達が駅へ向かって歩き出すのを見て、奥寺に優しく背中を押された藤崎もトボトボと歩き出した。


 ネオンの光に照らされて歩いている間宮の姿を見て、伊豆で月明かりとランタンの優しい灯りに照らされた間宮の姿を思い出す。


 もうあの時間は終わり、明日から別々の日常が始まる。


「それではここで失礼します。皆さんのおかげでこの8日間は本当に楽しかったです」


 O駅に到着して改札を抜けた所で、上り線と下り線に別れてしまう為、間宮は講師達に別れの挨拶を始めた。


「こちらこそ! 間宮先生のおかげで色々な間違いに気付く事が出来ました。先生がいなかったら間違いなく不採用になっていました……感謝しかありません! 本当にありがとうございました!」


 奥寺が感謝の気持ちを伝えて、間宮に握手を求めた。


 間宮はニッコリと微笑みながら握手に応えると、他の講師達からも手を差し出された為、順番に握手を交わしてお疲れ様でしたと伝えて回った。


 最後に藤崎の前に立った間宮は、他の講師と同様に手を差し出して握手を求めた。


 だが、藤崎の手は間宮の手の手前で止まり、握りこぶしを作ってグッと力を込めながら、手を引き戻して間宮に背を向けた。


 藤崎は間宮に背を向けたまま、「お疲れ様でした」とだけ言い残して、1人で上り線のホームへ歩き出した。


「あれ? 何だか嫌われてしまったみたいですね」


 頭をガシガシと掻きながら、間宮は苦笑いを浮かべて立ち去る藤崎の背中を見送った。


「いやいや! あれは嫌うっていうか……拗ねたんだと思います」


 慌ててフォローをいれる奥寺に、間宮は藤崎に宜しく伝えて欲しいと伝言を頼んで、下り線のホームへ向かい始めた。


「はい! お疲れ様でした!」


 奥寺が立ち去る間宮にそう言うと、間宮はもう奥寺達の方に振り向かず、手を小さく上げ挨拶に応えてホームへ続くエスカレーターに姿を消した。


 ◇◆


「藤崎先生! あの態度は駄目ですよ!」


 先にホームに立っていた藤崎に追い付いた奥寺は、間宮に対する態度を注意した。


「いいんですよ! あんな奴!」


 奥寺にそう注意された藤崎は、そっぽを向いてそう言い捨てる。


 素直じゃないなぁと奥寺は内心思ったが、口に出すと面倒なのでそれ以上何も言わずに、電車を待つ事にした。



 俯いている時、藤崎はこの合宿での出来事を思い出していた。

 初日から、天谷の推薦で参加した間宮に勝負を挑んだ事。

 その夜に負けを認めると、間宮に叱られた事。

 いつの間にか、間宮が自分の目標になっていた事。

 どんなに批判されても、動じる事なく自分を貫いた間宮に憧れた事。

 そしてその憧れが日を重ねる度に、恋心に変わっていった事……。


 藤崎の拗ねて尖らせた口の口角が上がり、クスっと笑みが零れた。

 顔をあげた藤崎は、下り線にもまだ電車が到着していない事に気付く。


 (――まだ間に合う!?)


 頭の中でそう考えた瞬間、隣に立っていた奥寺に話しかけた。


「あの! 奥寺先生! 2次会のお店ってなんて店ですか?!?」

「え? あぁ、M駅前の海王って店ですけど?」

「海王ですね! すみません! 私、忘れ物をしてしまったみたいなので、後から追いかけますから先に行ってて貰えますか!?」


 藤崎は切羽詰まった様子で、そう話すと奥寺は色々と察したのか「はは!」と笑みを零した。


「分かりました! では先に席を温めておきますね」

「すみません! 必ず向かいますので、宜しくお願いします!」


 そう言った藤崎は、スーツケースを勢いよく引っ張り、ホームを降りて行った。

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