第5話 背中越しの再会

 7月7日 期末テスト最終日



 キーンコーンカーンコーン



 昔ながらの鐘が鳴り響き、全教科の期末テストが終わった事を告げた。

 担任が後ろの席から答案用紙を集めるように指示を出す。

 テストから解放された生徒達の疲れ切った声が、教室を埋め尽くしている。


 手応えがあった者、すでに現実逃避している者と様々だったが、期間中にあったピリピリとした空気が無くなり、いつもの雰囲気を取り戻した。



 瑞樹も例に漏れず、上半身を机に突っ伏して「ふぅ」と溜息をついていた。


「志乃! おつかれ!」


 後ろの席から、背中をツンツンと突かれながら声がかかる。

 背中を突かれた瑞樹はピクッと反応して、慌てて後ろの席に振り返ると、そこには悪戯な笑みを浮かべている女子がいた。


「お疲れ様。麻美」


 私はそう応えながら、突かれていた手の甲を軽く摘まんだ


「痛い! 痛いって!」


 軽く摘まんだだけなのに、大袈裟に騒ぐのは遠藤えんどう 麻美あさみというクラスメイト。

 1年の時から同じクラスで学校にいる時は、殆ど一緒に行動している女の子だ。

 少しウエーブをかけたボブカットの髪型に白いヘアバンドが目に付く、活発なイメージを持った、瑞樹の大切な友達の1人。


「ねぇ! どうだった?」

「う~ん……全体的にはまあまあって感じかな。ただ、やっぱり英語がヤバいかも」

「私は全体的にヤバいかも……もう受験だってのに、本気で予備校探そうかなぁ」


 ずっと予備校を避けてきた遠藤の口から、予備校を探そうかと言い出して驚いた。


「予備校行く気になったの?」

「行きたくはないんだけど、このままじゃ受験ヤバいしね……あ! 志乃って1年の時から予備校に通ってたんだよね? どんな感じなの?」

「悪くないと思うよ? 全然授業についていけなかった私でも、何とかなってきたからね」

「そうだったね! でも志乃の塾ってO駅じゃなかったっけ?」


 遠藤は学校から自宅の方向と逆方向だった事に気が付き、頭を抱えて項垂れる。

 真剣に予備校の事を考えている遠藤を見ていて、本格的に受験なんだと実感した。


「ところで、志乃はこれからどうするの?」

「ん? どうって?」

「私はこれから摩耶達とカフェで、ランチしようって話してたんだけど」

「それいいね! 私も行きたい! カフェで反省会だね!」


 遠藤はもう当分勉強の事は考えたくないと、項垂れるているのを見て笑った。

 この高校に入学して、もう3年生になった瑞樹達は受験と向き合いだしている。


 (……あれからもう3年が過ぎたんだな。

 私はあれから変われただろうか)


「よし! そうと決まれば、行こっか! 志乃!」

「え? あ、うん! そうだね!」


 ホームルームを終えた2人は教室から廊下に出ると、他の生徒達もテストが終わった余韻を楽しんでいるのか、いつもより賑やかだった。

 隣を元気に歩く遠藤を見て、ふと考えてしまう。

 (麻美は昔の私を知ったら、どう思うのだろう)と。


 2人は学校を出て、待ち合わせしているカフェに向かった。


 カフェの店内に入ると、瑞樹達に気が付いた2人の女子が手を振っている。


「おーい! 麻美! 志乃! こっちだよ!」


 呼ばれた瑞樹達は、先に座っていた女子達の元に歩み寄った。



 ふんわりした長い髪を綺麗に一つに結ってリボンで飾った髪型で、少し垂れ目の大きな瞳が特徴的な、ほんわかとした雰囲気をもった女の子が仲見なかみ 絵里奈えりな


 肩までの長さで艶がある綺麗な黒髪で切れ長な瞳、ちょっとたらこ唇が妙に色っぽさを感じさせるのが本庄ほんじょう 摩耶まや


 この2人も1年の時から一緒にいる大切な友達だ。


 4人が同じテーブルに集まって、順にハイタッチを交わす。


「おつかれー!」

「おつか~!」


 テストの解放感から、笑顔がはじけ飛ぶ。


 それぞれランチメニューのオーダーして、待っている間にテストの出来栄えの報告会が始まった。


「ねぇ! 麻美と志乃はテストどうだった?」


 遠藤はテストという単語を聞いて、顔がみるみる青ざめていく。


「訊かないで……。志乃とも話してたんだけど、今回はシャレになってないと思う」

「あらら。でも私も今回のはキツかったかな! 1問解き切るまでの時間がかかり過ぎちゃって、後半駆け足だったもん」


 本庄も溜息をつきながら、今回のテストを総括する。


「わかる! 私もそんな感じだったからね。後半絶対にケアレスミスしている気がするもん」


 仲見が本庄に同調して、苦笑いを浮かべながらそう話した。




 2人がそう話している脇で、遠藤は楽しそうにスイーツのメニューを眺めている瑞樹に、羨ましそうな目線を送りながら話しかける。


「その点、志乃はいいよねぇ! 今回も悪くなかったんでしょ?」

「え? う、うん……なんとかね」


 恨めしそうな表情の遠藤を見て、スイーツの世界に入り込んでいた瑞樹は慌てて視線を遠藤達に合わせて、苦笑いを浮かべる。


 遠藤の問いに本庄と仲見も続く。


「だよね~! 確か2年になってからだっけ? 志乃の成績が急に伸びてきて、今じゃ学年の成績順位も20位以内だもんね! 肖りたいんですけど」


「あっ! 今度志乃先生に勉強教えて貰おうよ!」

「えぇ!? 偉そうに教えてあげられる成績じゃないって! ここに入学して自分がどれだけ馬鹿なのか、思い知ったくらいなんだよ!?」


 仲見達の無茶ぶりに、慌てて両手をブンブンと交差させながら、2人の自分への評価を否定した。


「またまたぁ! 謙遜しなくていいってば! 確かに前はそうだったかもだけど、今は全然違うじゃん? 私だったら自慢しまくるけどなぁ」


 遠藤が瑞樹の肩をポンポンと叩いて、遠い目をしながらそう言う。


「自慢なんて無理だって! 英語なんて相変わらず苦手だし」

「苦手科目なんて誰にでもあるっしょ! 麻美なんて苦手科目の方が多いんだから」

「うるさいな! そこで私を引き合いに出さないでよ!」


 本庄が遠藤をそう揶揄うと、瑞樹達のテーブルが賑やかな笑いに包まれた。

 この空間、この空気、そしてこの雰囲気が今の自分には本当に大切なものだと瑞樹は思う。

 この時間を取り戻したくて、私は誰も知り合いがいないこの学校を受験したのだから、勉強程度の苦労なんて大した事ではなかった。


 もう二度と失いたくないのだと、瑞樹は楽しそうに笑い合う3人を見つめる。


 (だから、私は私を変えたんだ)


 一通り食事を済ませた4人は、お茶をしながら女子トークに花を咲かせていると、テーブルに置いてあった本庄のスマホが震えた。

 スマホを立ち上げて、内容を確認している本庄の表情が曇っていく。


「はぁ……テストが終わった途端に猿モードですか……」


 本庄は溜息交じりに呟く。


「なに? なに? 前に言ってた大学生の彼氏かな?」


 本庄の表情で心情を察した仲見が、気の毒そうに問う。


「そう……テスト終わったんだから、ウチに来いってさ」


 本庄の言っている意味くらいは、瑞樹にも理解出来た。


「い、忙しいんだね……摩耶」


 モジモジと顔を赤らめてそう話す瑞樹に、本庄が少し驚いた顔を見せた。


「志乃がこういう話に絡んでくるなんて、メッチャ珍しいじゃん!」

「それな! 私もそう思ってたんだ!」


 遠藤が本庄の意見に同意して、身を乗り出して目を輝かせている。


「もしかして……」


 3人が同時に瑞樹に疑惑の目を向ける。


「違うから! そんなんじゃないから!」


 瑞樹は全身を駆使して、3人が言いたい事を全否定する。

 

「とか言って~!?」


 ニヤニヤ3人組は、瑞樹の否定を無視して、更に意地の悪そうな顔を並べてくる。


「しつこい! ホントに怒るよ!」


 本当はたいして怒ってはいなかったのだが、向けられた矛先を変えたくて、少しムッとした表情を作って見せた。

 そんな瑞樹の意図を酌んでくれたのか、仲見は「ごめん! ごめん!」とクスクスと笑みを浮かべて、平謝りする。


「……でもさ」


 本庄は利き手の指を顎に当てて、マジマジと瑞樹を眺めながら続ける。


「志乃ってやっぱ超可愛いじゃん?」

「へ?」

「小顔で白い綺麗な肌にパッチリ二重の大きな目、スッと通った鼻筋に少し小ぶりな艶のある唇……」

「へ?  へ?」

「それらがシャープな輪郭にバランスよく収まって、顔面偏差値は東大医学部レベル! それに落ち着いた色の痛みを知らないような、綺麗なサラサラストレートの髪で……」

「ち、ちょっ!  え? なに?」

「手足も長くて体つきはスレンダーなのに出るとこはしっかり出てて、まさに黄金比ってやつだよね」

「ちょ、ちょっと! 何言ってるの? 摩耶」

「同じ女から見ても、志乃って完璧なんだよね!」

「は? はぁ!? いきなり何言って……」


 瑞樹は摩耶の突然の褒め殺しに、顔を真っ赤に染めて俯いた。

 そんな瑞樹を見て、遠藤はビシッと瑞樹を指さして本庄に続く。


「そう! それ! そのビジュアルでそんなリアクションを見せたら、大概の男は魂抜かれてるって! 絶対!」

「……人を悪魔みたいに言わないでよ」


 瑞樹と遠藤のやり取りを見て、本庄が瑞樹は知り合った頃から、男に対しての対応が冷たくて、時々ケンカ腰になる時すらあった程、自分の周りに男を近づけさせなかった理由を訊いてきた。

 だが瑞樹は辛そうな顔をして「……ごめん」とだけ返して訳を話す事はしなかった。

 僅かに4人の空気が重くなったのを、いち早く察知した仲見が手をポンと叩き、自分に視線を集めてから口を開く。


「そうそう! 今まで何人の男子が撃沈していった事か! 志乃はまだ好きな人とか、そこまでいかなくても気になってる人とかいないの?」


 仲見は気を利かせて、自然に話題を変えてくれたのだが、自分にとってこれもあまり訊かれたくない質問だった。


 その質問に対する答えに、興味津々だと言わんばかりに3人は瑞樹に詰め寄った。


「う、うん。そんな人いないよ」


 この言葉に嘘はない。


 今までどんなに冷たい態度をとって相手を怒らせたりしても、後悔した事も気にしないように努めてきた。

 中途半端に気を持たせる行動をとったら、また同じ事を繰り返してしまうかもと、心の底から恐れている為だ。

 また大切な時間を失ってしまうかもしれない。

 そうなってしまう事が、今の瑞樹には一番怖い事だった。

 だから、絶対に男の人を勘違いさせてしまう事はしない。


 誰も好きになるつもりもないと、ずっと心に決めていた事だった。


 (……なのに)


 あの時の事だけは、今でも瑞樹は後悔している。

 何故なんだろう……どうしてなんだろうと、あれからずっと考えてきたのだが、今の瑞樹には答えを導く事が出来なかった。

 

「もし好きな人とか出来たら、秒で私らに報告してよね!」


 遠藤達に「これは決定事項だから!」と、強制的に約束をさせられてしまったのだが、どのみち誰かを好きになんてなる予定などないのだからと、適当に頷いた。


「さて! 諸君! 明日から試験休みだぜ! というわけでどっか遊びに行こう!!」


 遠藤が小さい握り拳を作って、高々と突き上げた。


「おいおい! テストの結果がシャレになってないアンタが、そんな事言ってていいのかぁ?」


 ニヤニヤと笑みを浮かべた本庄が、揶揄うようにそう返す。


「ウグッ! それを今言うのかね……」


 突き上げた拳が、弱々しく下がっていくのが可笑しくて、3人は顔を見合わせて笑った。

 だが遠藤は負けじと反論を開始する。


「受験生にも息抜きは必要じゃん! 夏なんだし、1回くらいどっか行こうよ! ね! 志乃!」

「……うん。行きたいんだけど、終業式の翌日からゼミの合宿があって、明日から色々と準備しないとなんだよ」


 3人は綺麗に声を合わせて「え~~!?」とブーイングが起こった。


「合宿から帰ったら、また誘ってくれる?」

「そっか! 成績がいい志乃がそれだけ頑張ってるんだもん! 私達はもっと頑張らないとだね!」

「それな!」

「よし! とりあえず遊ぶ事はひとまず置いといて、私達も頑張るか!」


 どうにかブーイングが収まったところで、瑞樹はこの話題を締めようとする。


「うん! 皆頑張ろう!」と小さな拳を上げた。

「でも夏休みに入ったら誘うからね!」


 この流れでも遊ぶ事を忘れないのは、流石だなと思わず吹き出す。


「うん! 分かった!」


 テスト明けの楽しいランチタイムが終わりを告げて、4人は駅へ向かう。

 下り線で帰るのは瑞樹だけだった為、改札を抜けた所で皆と別れてホームへ向かった。

 ベンチに座って電車を待っている時、ふとある事に気付く。



 そういえば今日は七夕だったと、気付く。

 彦星と織姫が1年に1度だけ会える日だ。

 織姫がこんな生意気で可愛くない私みたいな女でも、彦星様は会ってくれるのだろうか……と、乙女チックな自虐が入った妄想をしていると、テスト勉強で寝不足だったせいか、ウトウトと居眠りをしてしまっていた。


 意識が途切れそうになった時、ギシッときしむ音が聞こえた。

 どうやら背中合わせになっているベンチに、誰かが座ったようだ。

 座った人の声が聞こえる。

 どうやら電話中みたいだ。


「もしもし、天谷社長、間宮です。いつもお世話になっています。あの社長……例の件なのですが、会社からOKが出ましたので、お引き受けさせて頂きます」


 (仕事の電話なのかな……社会人も大変だよね)


「はい! わかりました。では、18時に御社にお邪魔させて頂きますので、詳細は後程……はい! 失礼致します」


 (何かいい声だった。優しい低い声で、耳に馴染む声……心地がいい)


 そこで瑞樹の意識は完全に途切れてしまった。


 暫くして、駅のアナウンスで目を覚ました瑞樹は、ぼんやりとした顔で時計を見ると、どうやら完全に居眠りをしてしまったらしく、電車を1本乗りそびれた事を知って、溜息をつく。


 背中越しに聞こえていた、心地よい声の持ち主も、いつの間にかいなくなっていた。



 ――今日は七夕、彦星と織姫が会う事が出来る日。

 その日、生意気で可愛くない織姫と、傷心の彦星が背中越しに再会した日であった。

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