第35話 天命を廻って
新品の馬車は低速で町中を進む。御者席にはヴィクトルとシナノガワ、その後ろの旅客スペースからソロモンが様子を窺っている。
「貴方の相方、馬車を操れるんだ? 便利ね」
「練習させたからな。まぁこの馬車に慣れさせるには丁度いい」
ヴィクトルは手綱を上手く操っていた。
「この馬車で何かするつもりなの?」
「帰るんだよ、帝国に。さっき買ったばかりの新車だぞこれ」
「へぇ、結構したんじゃない?」
面白そうに首を動かすシナノガワにちょっと自慢気に、
「金貨二枚と銀貨八百枚だったよ。一括で払った」
「お金持ち~、流石領主様は違うわね」
「まだ収入ゼロだけどな」
シナノガワはソロモンの現状を大まかに知っている。ミレイユ夫人から聞いていた内容にソロモンが補足する形で説明していた。
――その際、意図的にこちらの情報を伏せている。
例えば拠点にしているソロモン城の所在地。聞かれなかったし教えるつもりは最初から無かった。協力者の情報。魔装具の研究をしている事は言ったが、エウリーズを初めとした技術者や成果等の事は完全に伏せた。
シナノガワを信頼も信用もしていない。手を組むとは言ったが、どちらかといえばまだ敵対者の認識だ。
「で? 用件は何だ? 懐を探りにきたのか?」
「それもある」
ハッキリと答えた直後、
「本題はちょっと個人的な頼み事」
頼み事、か。狙いは何だ?
「内容と見返り次第だな」
ソロモンの返答に大してシナノガワは自分の頬に手を当てて、
「見返りは……そうね……お金って言いたいけどお金に困っていなさそうだからなぁ」
シナノガワは振り返ってソロモンを見ながら探るように口に出す。
「確かに金には困っていない」
一言だけの回答にシナノガワは予想通りとも言いたそうな顔。
「それじゃ、私の体で払う。それでいい? 私の胸は小振りだけど張りには自信あるのよね。それなりに男性経験はあるし、どう? 一晩ベッドのお相手してあげる」
胸元のボタンを二つ外しながら甘い声に変わったシナノガワに、ソロモンは眉間に皺を寄せた。
「本気で言っているのか?」
体で払うという言葉の意味を理解できる年頃の少年だが、ここはストレートに乗っていかない。性的欲求が無いと言うことでは無いし、実際ちょっと想像をしてしまったが。
「本気よ。なんだったら今からでも後ろでどう?」
上目遣いで這うように近づき誘惑するシナノガワ。ソロモンは客観的に見て男性からモテそうな顔の鼻先に、異世界式ハンドガンの銃口を突き付ける。
「お断りだ。思春期真っ盛りの少年をからかうなよ。この間も言ったがな、俺はアンタに触りたくないんだ。たとえ一糸纏わない全裸であってもな」
ソロモンは下半身に正直というよりは、性的本能を理性と生存本能が上手いこと宥めるようなタイプの人間。
生存本能が止める。相手の体に直接干渉する能力を持つ相手には極力近づくな。触れるな触れさせるな。
理性が囁いている。先日会ったばかりの女を抱くのか? こんな雰囲気も無いような所で? しかも胸が小さい女だぞ?
カチリ、とセーフティが外れる音がした。
「誘惑には乗らん。性欲を持て余しているなら余所でやってくれ。大きい町だ、ちょっと探せばそういう風俗店の一軒くらいあるだろう。それで、俺を落とそうという魂胆なら止めておきな」
睨む。シナノガワはそれに怯むこと無く残念そうに、
「貴方、思ってたより真面目で用心深いわね。女の体に興味があるお年頃でしょうに」
「手を組むとは言ったが信頼も信用もしていないのさ」
「これは厄介なプレイヤーね。色仕掛けは女の武器なのに効かないなんて」
ボタンを留め直しながら座り直して前を向くシナノガワ。ソロモンは異世界式ハンドガンを下ろす。
「もう一度聞く。用件は何だ?」
「もっと貴方と仲良くなりたかっただけよ。正直、怖いもの」
怖い? 俺がか? 意外だな。
思わず黒髪を掻いた。
「ゲームのルール上私達は敵同士。手を組むっていっても安心できない。――得体が知れないのよ。貴方が私に触れないようにしているのと同じ。能力が形となって見えている分尚更恐ろしい。戦って勝てそうにないなら、なんとしてでも味方に引き入れないと、ね」
「それで体を売るような真似をしようとする訳か」
「肉体関係を持って異性を落とす、昔からある戦略の王道じゃない?」
ソロモンは視線をシナノガワから隣の相棒へと移す。
ヴィクトルは御者席で静かに馬車を走らせている。危なげなく手慣れた手綱捌きで四頭の馬はゆっくりと進む。
この一年弱で様々なことを学んだヴィクトルは多芸。戦闘だけではないカタログスペック以上の能力を持っている。俺にとっては隣に居ることが当たり前の相棒であっても、他のプレイヤーから見れば付き従う危険な敵、そういう訳か。
――手を組むと言っても、俺と同じで味方だと考えられないのか。ま、当然と言えばそうか。数日前にあったばかりだしな。
ソロモンの頭の中で状況が繋がった。その上で再度解答を導き出す。
「アンタの戦略には乗らない。だが人助けという点ならそっちの能力の方が適正が高い。元々人助けを続けているアンタを斬るのは気が引けていたからな。手を組むと言ったんだが……『不可侵条約』って事にしないか?」
「お互い干渉しない、ということかしら?」
「そういうこと。こっちの根城の正確な場所は伏せているし、そっちの根城も俺は正確な場所は知らないしな。中央大陸を挟んだ北と南、離れているから基本的に会わないだろ?」
落とし所を提案する。協力しようとするよりも互いに関わり合わない方が良いという考えだ。実はシナノガワは聖アドレット教会に住んでいるという話は聞いていたので、ソロモンは嘘をついている。
シナノガワはしばし考えた後、
「いいわ不可侵条約。結びましょう」
二人の意見が一致した。これで話は終わり、と思いきやシナノガワは続けて物騒なことを言い出した。
「もう一つの用件、貴方が無事にこの国を出られないかもしれない話だけど」
「…………は?」
不意の言葉に困惑するソロモン。
「それはどういうことだ?」
「これは元々私には関係の無い話なんだけど、ルナリスの事よ」
黒髪を掻きながら頭の回転数を上げる。思い当たる節は一つ。
「ブリンガランの聖女絡み、か。ということはこのブロジヴァイネの縁だな」
腰に収まっている剣に指先で触れる。吸血剣の異名を持つこの剣をルナリスはソルガディアスの剣と呼んだ。
「詳しく話して欲しい」
「単刀直入に言うとルナリスは貴方と戦うつもりよ。本気でね」
「……やっぱりそうなるのかねぇ」
「予想はしてた?」
「あの印象最悪な態度を見ればなぁ。――ま、対価を払う時が来たということかねぇ」
夢で見た。天命を廻って聖女に出会うというブロジヴァイネの記憶。あの時は信じていなかったが、今は完全に信じている。
「対価って何?」
「この剣は本当に凄い剣だ。素人でも手練れを殺すことが出来る程の特異な力を持っているからな。俺はこの剣に助けられた。助けられ続けてきた。未熟で弱い俺の命を幾度となく繋いできた。人間と魔物の血と命を食らい続けて、俺を生かし続けてくれている。ランガートルの時もそうさ。この剣が無ければ俺はここには居なかっただろうよ」
鞘から漆黒の剣身を半分だけ出す。相変わらず光を拒絶しているような妖しい雰囲気を醸し出している。
「世話になりっぱなしなんだ、ブロジヴァイネにはさ。だからブロジヴァイネに対価を要求されてるような気がしてさ」
「魔剣には代償を、かしら?」
「ファンタジーな世界にはよくある話だろ? 普段はデメリットの無いただの黒い剣だけどさ」
ブロジヴァイネを持ち歩いて何か身体に異常が出たとかそういうことは一切無かった。
「ハッキリしておきたいことがある。ルナリスは俺がブロジヴァイネを持っているから、持ち主と戦うという事なのか?」
「そうらしいわ。ルナリスが言うには貴方は『天命の人』だって」
「天命の人、か。大層な呼び方だな。それが聖女の敵対者か」
「敵対者というよりも……そうね……なんて言えば良いか分からない。でもルナリスから聞いた話だと、聖女ラシュテルの前に現れた人の神ソルガディアスはこう言ったそうよ」
シナノガワは一度言葉を切って深呼吸をしてから続ける。
「力を受け継いだラシュテルの子孫の前に、神同士の因縁に決着をつける者が現れる。その者はソルガディアスの剣を持つ。どの剣かは分からないがそれは天命を廻って時代を超える、と」
何本かある内の一本がブロジヴァイネだった訳か。――俺の人生、退屈しないよ全く。
「俺に含む所は無い。が、どのみち戦いは避けられないんだろう? 逃げても無駄だろうし受けて立つよ」
「良いの? 彼女は普通じゃないわ、魔法とは違うし私達の能力とも違う力を複数持っている。実際に見たことは無いけどどれも戦闘向きの力らしいわ」
力の神ブリンガランから与えられた力のことだ。
「……戦意が折れそうな情報をありがとう。……それでもやるしかないよ。向こうから来るんだしさ」
「いっそその剣を手放してしまえば?」
「その選択肢は無い」
即答した。ブロジヴァイネをヴィクトルと同じく相棒と思っているからだ。
「相手になるが条件が二つある。一つは町と街道から十分に離れた場所で戦うこと。もう一つはヴィクトルも参戦させること。最低限それを呑んで欲しい」
「ルナリスに伝えておくわ。九分九厘両方呑むと思う」
その後はシナノガワの指示でとあるホテルへ移動。そこはシナノガワとルナリスが宿を取っている場所だ。ホテルの前に止めた自前の馬車の中で待つ事三十分。シナノガワが戻ってきた。
「条件は両方呑んだわ。今から戦える?」
「ああ、いいぜ」
「それじゃ、私が戦う場所に案内するから行きましょう」
シナノガワの先導で馬車は町から離れて郊外へ。そこは街道からも十二分に離れた見通しの良い開けた土地だ。
「ここで待ってて。もう少しで来るから」
「あいよ」
ソロモンとヴィクトルは雑草が少なく地肌が見える地面に両足を付けた。
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