第27話 乗り越えるべき壁

 ――死んでたな、これは。


 ソロモンは仰向けで肝を冷やしていた。体の僅か数センチ横に巨躯を支える太く堅い足が叩きつけられている。


「こんなのに踏み潰されたら一巻の終わりだ」

 ソロモンは慌てて体を起こす。同時に真横の巨大な足が地面から離れた。


「一旦離れねぇと」

 必死に地面を蹴る。ランガートルの緩慢な動きのお陰で、踏み潰されることなく距離を取る事が出来た。


 体を回転させるように少しずつ方向転換し、ソロモンに正対する姿を見れば、疑いようがない。間違いなく敵として認定された。


 ブロジヴァイネは刺さったままだ。このまま粘って時間を稼ぎ続ければ勝てる。


 そう考えた直後、再び何かが両足にぶつかり体勢がぐらつき尻餅をついた。


「またか……なんなんだ今のは……あっ!? クソッ!!」

 地面を砕くような轟音と共に突進をする巨躯を躱すべく右方向へ走り出した。直撃を避けられたのは、巨体が故に小回りが利かないからか。


 普段以上に息が上がる。もし躱しきれなかったら? という想像がジワジワと恐怖心を呼び寄せる。


「ヴィクトル! ヴィクトル!!」

 無意識に恐怖から離れようとしているのか相棒の名を叫ぶ。不死の相棒は健在で、ランガートルの背後からこちらへと走ってくる。


 その相棒をランガートルの尻尾が跳ね飛ばした。振り子のように動く堅さと重さを兼ね備えた尻尾は、全身を防具で覆ったヴィクトルを一撃でダウンさせる。

 その光景を直視したソロモンは全身から熱が消え去ったかのように震えた。


 ヴィクトルだったからまだいい。少し待てば再生するからな。俺が今の一撃を俺が食らっていたら――。


 息が乱れていく。心臓が押し潰されるような感覚が全身に広がって、体の自由を奪い始める。足が止まっている間にもランガートルは緩慢ながら動き続けている。ソロモンを探すように反時計回りで地面を踏みつけながら方向を変える。


 再び巨躯から伸びた頭部がソロモンへ真っ直ぐに向き少し下がる。再び攻撃態勢を取った証だ。


 逃げねぇと……。一発でも食らったらお終いだ……。


 この場から離れようと必死に足に力を入れる。最初のフットワークの軽さも自信も失った。それでも逃げようと足掻く。

 その愚か者に慈悲が与えられる訳も無く、ソロモンは無様な姿を晒して岩場に倒れ込んだ。先程から何度も愚か者の動きを止めている、『正体不明の何』かだ。


 巨躯が、迫ってくる。真っ直ぐに、敵と見なした、小さな愚か者へと向かって。


 討伐はたった一度だけ。その言葉の本当の意味を、碌に考えなかった思慮の浅さ。


 進行方向を変えるだけで討伐を考えない、立ち去るまで待とう。その選択が正しいと考えた人々を、ないがしろにした事の応報。


 ソロモンは逃げ切れなかった。咄嗟に股下へ滑り込もうとしたが、ランガートルの顎が肩にぶつかり、更に巨躯を支える左前足に跳ねられて岩場に転がる。

 防具越しに伝わる衝撃が体全体に伝搬し、唸り声を吐き出させた。


 後ろ足に踏み潰されなかったのは、身の程知らずの愚か者に、幾らかの運が残っていたからだろう。


「死ぬな、これは」

 地べたに背をくっつけて空を仰ぐ。乱れた呼吸が、激しく血液を送り出す心臓と連動して体に重りを乗せたように動けなくする。


 ――明らかに遠距離攻撃を飛ばしてから突進を仕掛けてるじゃねぇかよ。何飛ばしてんのか分からねぇし。有り得ねぇよこんな魔物。ヤバい魔物に喧嘩を売ってしまったな……。


 体は動かないが、頭はまだ正常に動いている。


 死ぬかもしれない。でも死にたくはないし、俺にはこの世界でやるべき事がある。

 自分が任されて手を出した事への落とし前も付けねぇとだし。異世界サバイバルゲームで勝つ。勝って、生き残って、元の世界に帰る。それが一番の目標。


「やっぱ……死ぬ訳にはいかねぇな」

 死の気配を感じ取っても、自分が死ぬ想像をしてしまっても、ソロモンは自分の死を受け入れはしない。それはソロモンの性格と心の奥に立つ『芯』の一つ。


「認識を改めよう。狩猟だなんて、そんな上から目線の戦いは止める」

 上半身を起こす。不思議と先程までの重さは感じなくなり、呼吸も心臓も平常に戻り始めていた。


「ランガートル、アンタは強い。俺が狩ってきた魔物達とは格が違いすぎる。こっちから売ったケンカで悪いが、ここからは狩猟じゃなく大物食いジャイアントキリングだ」

 立ち上がり、灰色の巨躯に正対する。


「ここで死ぬつもりは無い。生き延びて異世界サバイバルゲームに勝つ為には実力が必要だから――」

 腹に力を入れて、右の拳を左手で覆う。


「魔物に負けるようじゃ俺はこの世界で生き残れない。未知の攻撃に対応出来なきゃ他のプレイヤーには勝てない」


 新たな答えを導き出す。迷っても、悩んでも、苦しくても、決して失わない。ソロモンが世界と向き合う人間としての核。死に直面する度に、より堅くなる戦う者としての本質。


 緩んだ心を締め直して再び相対する。思考が戦いに向き、全身が戦うスイッチが入ったかのように力が戻る。


 冷静になれよ、俺。ランガートルの動きは決して対応できないほど早くはない。ヴィクトルの戦線復帰はもうすぐだろうから、選択肢は増える。


 問題は遠距離攻撃……。予備動作無し、音や光といった兆候無し。何かが足に当たったような気がするが正体は不明。俺の頭や胴体に飛んでこないのがヒントか。


 戦意が籠もった鋭い眼光が巨大な魔物に向けられている。

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