第16話 再会

 ――夢を、見た。長い顎髭の男が、笑っている。その様子を少し離れたところから黒髪の男が見ていた。


 長い顎髭の男は老人といっていいだろう。皺が目立つ顔と長い白髪だ。

 黒髪の男は長いマントを羽織っている。そのマントをゆっくりと揺らしに向いた。


『お前も妙な星の下に生まれてきたものだな。見ろ、更に可笑しい話に巻かれているみたいだぞ?』


 マントの男は親指を老人へ向ける。その老人は狂った様に笑う。狂気が張り付いた顔に光る双眸があるモノを見つめていた。老人の手にある一振りの剣だ。


『これで我が人生にやっと価値が出来た。ブロジヴァイネよ、お前は天命を廻りて何時の日にか聖女ラシュテルに出会う。その時お前の使い手は、聖女を守る者か敵対する者かは分からない。ワシの望みは敵対する者の手にお前が居ることだ。お前の力を持って聖女ラシュテルを討ち、ブリンガランの聖女達を斬れ。それがワシ等の償い――』


 妙にリアルな夢は途中で溶けるように消えていく。完全に消えれば真っ黒な闇。その闇に光が差す。目が醒めた事に気が付くのに時間が掛かった。


「何だったんだ……今の夢は……」

 体を起こし、鞘に収まったブロジヴァイネを見る。何かが変わっているわけでもない。


 ――ブロジヴァイネの記憶? いや……まさかね……。


 それにしても妙な夢だったな。ハッキリと覚えているしな。


 黒髪を掻いて左手の腕時計を見やる。昼寝を始めて一時間程しか経っていなかった。寝直すかと再び背を付けようとした時、即席の揺り籠が揺れた。


 誰かが乗り込んで来た。その誰かは全身を鎧で包み、左腕に大型の盾、顔には黒い仮面を貼り付けている。首からは『助けに来ました、船まで運びます』と書かれた木版がぶら下がっていた。


 覗き込む誰かの正体はすぐにわかった。


「ヴィクトル! 何だ、思ったよりも早すぎるじゃないか。背中が空いているという事は無事に送り届けたのか」

 乗り込んできたヴィクトルはソロモンに抱きつく。海風に晒されて冷たくなった鎧のひんやり感が伝わってくる。


 離れたヴィクトルは人差し指を向ける。その先に早かった理由があった。


「あの船に助けられたのか!」

 沈没した客船と同じくらいの大型船だ。甲板上に木箱が積まれているので、恐らく貨物輸送船だろう。


 ヴィクトルは背中を向けて膝を折る。その意味を察して背中に飛び乗る。


 海上を走る相棒は気のせいか何時もより足取りが軽い。あっという間に大型貨物船に近づいていく。縄梯子が降りているのでそこから乗り込める。


「うわっ揺れるな~」

 ヴィクトルが海面に立ち縄梯子を掴んでくれているが、一段上る毎に左右へ揺れる。下は見ずに必死に昇っていく。


「ふぅ……何とか昇りきったぜ」

 体力的にも精神的にも疲労しその場で座り込む。その様子を見つけた船員が駆け寄って来た。


「大丈夫か? 立てるか?」

「ええ、何とか。水を貰えませんかね?」

「わかった。こっちに来てくれ。向こうで救助した人達の対応をしているんだ」


 ヴィクトルはソロモンの五倍の速さで縄梯子を昇りきり、汗を拭いながら移動中のソロモンの背後に立つ。船員が気付いても騒がない辺り、協力者と認識されているようだ。


「ヴィクトル君は捜索活動を続けてくれ」

 ヴィクトルはソロモンを見た。


「悪いヴィクトル。まだ救助作業が終わっていないみたいだ。引き続き協力してやってくれよ」

 敬礼をしてからヴィクトルは船から飛び降りた。心配する声は出ない。


 救助者達は甲板の一角に纏まっていた。そこで水を貰い一気に喉に流し込む。


「お名前をお伺いしても?」

「ソロモンといいます。あ、水のお替わり貰えます?」

「ええ! 勿論ですとも! 少々お待ち下さい!」


 船員は駆け出した。急に喜び明らかに態度が変わった船員に眉を顰める。

 戻った彼の手には水がたくさん入った容器。


「どうぞお飲み下さいませ!」

「お……おう、ありがとう」

 水の追加を喉に流し込む。態度が接客モードになった理由がイマイチ分からない。


「ソロモン様! よくぞご無事で!」

 それは少女にしては大人びていて、大人にしては幼さが残る女性の声。ソロモンが確実に一人は助けるとヴィクトルに命じた女の子。


 長い金髪をなびかせ駆け寄ってくるベルティーナは、ノンストップでソロモンに抱きついた。豊かで柔らかい胸が薄手の防具越しに、意図せずソロモンの胸元に押し当てられる。


「ずっと心配で……良かった……本当に良かった……」

 震える声を出す。目に涙を浮かべているのがハッキリと分かる距離。


 ――泣いた顔、ちょっと残念な感じだよ。


「ベルティーナさんも無事で良かった。ほら、これで顔を拭いて」

 ハンカチを取り出して渡す。何を勘違いしたのか彼女はソロモンの顔にハンカチを当てた。当てられた方は盛大に吹き出した。


「違うよ、ベルティーナさんの為に渡したんだよ」

「あっ……ごめんなさい。私ったら……」

 照れて目を伏せる。顔色を窺うように無意識に上目遣いになった彼女に自然に笑いかけてあげたら腫れた目元が少し緩む。


 ベルティーナが涙を拭く間に、年配の男性が近づいてきた。そして船員の態度急変の理由が判明した。


「失礼。貴殿がソロモン様ですね? 私はこの輸送船の船長を任されていますハンストンと申します。この度はオーナーであるハルドフィン家の御令嬢、ベルティーナお嬢様を救って頂き誠にありがとうございます」

「いえいえ。自分がしたいと思ったことをやっただけです。それよりこの船、ベルティーナさんの所の船だったんだ。偶然だね」


 実は名乗らなくても初見で役職は分かっていた。白い手袋、バッジがいくつも着いている制服、帽章付きの制帽とくれば役職は簡単に絞られる。


「海上を移動中に船が見えたので助けを求めたのですが、それが丁度当家が所有している船だったのです。救助をお願いしたら応じてくれました」

「ええ。それに私めも海に生きる身ですからな。困った時はお互い様というものです」

 そりゃあオーナーの御令嬢の頼みなんだから、下手に断る訳にもいかなかっただろうしなぁ。ま、なんにせよ助かったのならいいけどね。


 リーダー達が乗った救命ボートは既に回収されており全員無事。再会を喜んだ。

 御令嬢の威光(?)が効いているのか、彼等は四人用の船室を三部屋も宛がわれていた。そしてソロモンは個室に案内されるという、特別待遇を受けた。


 その後も救命活動は続けられ、幸運な人々が助け出されていく。その功労者はヴィクトルであった。海上を縦横無尽に走り回り、要救助者を多数発見している。その様子はソロモンにとって衝撃的だった。


「おいおい……そりゃあないぜ……」

 ヴィクトルは救命ボートに繋がったロープを、右肩で背負うようにして引っ張っていた。


 喋れないヴィクトルに聞いてもしょうがないので適当な船員を捕まえて聞く。どうも救命ボートに乗っていた船員がロープで引っ張れないかと試した所、上手くいったらしい。それ以降ヴィクトルは見つけ次第、遭難者達を輸送船へ救命ボート毎運ぶようになったという。


 ――この発想は出なかった。確かに地面の上よりも海の上の方が抵抗が小さくて、少ない力で動かせるが……ヴィクトルに救命ボートを引かせる考えには至らなかった。


 実際は確実に一人、ではなく一隻は確実にだったようだ。今更いってもしょうがないことだが。


 日が落ちてもヴィクトルは捜索活動を続けた。沈没した船の周囲を低速で動く輸送船の位置を見失いさえしなければ、疲労知らずと暗視能力で夜間の捜索は可能だからだ。船員達もローテーションを組んで、二十四時間態勢を取る。


 船に搭載されている大型照明――サーチライトみたいな魔力式――の光と、方位磁針を頼りに付かず離れずの距離を動き回る。魔力式ランタンを持たせ、要救助者達から見つけられるように。

 実際夜間に二隻発見し救助に成功。沈没した船の船長が乗っていた。


 朝方日が昇る前のこと。


「ハンストン船長、星が見えなくなりました。それに風が出てきました」

「そのようだな。救助した船長の話では後四隻だそうだが……。波が高くなり始めている」

「荒れそうですね……どう致しますか?」


 顎に手を当てて空と海の様子を窺う船長の横で、部下の船員達が判断を待つ。旗をなびかせる風が船上の彼等を横から押す。


「――ヴィクトル君か。海の様子はどうだったかな?」

 丁度縄梯子をよじ登ってきたヴィクトルは首を横に振った。そして自分の足に指を差して両腕でバツ印を作る、を繰り返して報告とする。


「波が大きくて動きにくくなっているということなのかな?」

 ヴィクトルは何度も頷いた。更に風で揺れ動くロープを指差して、両腕でバツ印を作るを繰り返す。


「ふむ、風が強くてということかな?」

 再び頷く。ハンストン船長は腰に両手を当てて、

「やむなし。捜索活動は中止だ。この後天候は悪化するだろうからな。あちらの船長には私の方から話しておく。各部署に通達、直ちにサンフォーンへ引き返す。各員もうひと頑張りしてくれ。ヴィクトル君もご苦労様、助かったよありがとう」


 船員達は了解、と迅速に行動する。船は瞬く間に進路を変え暴れ始めた風と共に帰路へついた。この船がサンフォーンの港に着いた時には、大雨が追加されていた。

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