第15話 遅れた脱出

 沈没するまで十分な時間があった。馬車を引く馬は兎も角、乗客全員が脱出することは時間的に可能な事だった。しかし現実というのは理想と希望通りになることがそうあるものではない。


 海難事故に遭う、か。元の世界じゃ船に乗ること自体無いからなぁ。この世界に送り込まれなきゃ、経験出来ないことだな。


 沈没のカウントダウンが進んでいく船の、転落防止用の手摺りに体重を預けて海原を眺めていた。その先には波で離れていく救命ボートの姿がある。


 人間から見捨てられた筈の船から怒りの声が聞こえる。悲しみの声も聞こえる。希望を失った人間達の声が何も無い海原の空へ消えていく。


「逃げ遅れ、結構いるな」

 ソロモンが最後の一人という訳ではなかったらしい。ざっと見ても二十人は居るだろう。


 その中で不自然な落ち着きを続けている。今の状況を客観的に見れば異質だ。


 ――実の所自分が助かるとは思っていない。救命ボートに乗れたとしても、助かる可能性はかなり低い。沈没確定の船に乗り続けることに比べれば高いだろうが、その差は所詮誤差レベル。そんな考えが怒りや嘆きの声を掻き消している。


「ヴィクトルが戻ってくれば俺も助かるけど、船が沈みきる方が早いし見つけられないだろうしなぁ。仮に間に合ってもリーダー達が……だしな」


 全員助けられるほど自分の能力は便利なチートじゃない。このゲームに勝つ目的の為なら、迷わず自分だけ脱出すれば良かった。


 ――でも選んだ選択肢は安全から最も遠い。自分の命を諦めた訳ではないが、自分一人だけ生き延びようとする考え方が気持ち悪かった。納得して選んだのだから結果に後悔は無い。恨みつらみが心の奥底から湧いてくる事も無い。


 異世界サバイバルゲームで勝とうと命がけで戦ってきた人間にしては、些か矛盾しているような行動とも言える。しかし明確な敵が相手の戦闘と原因不明の海難事故とでは、認識が違う。


 見知らぬ道を歩いた。人助けが縁を結んだ。盗賊なんて輩と戦った。初めて人を殺めた。古城の主になるなんて夢にも思わなかったし、魔物と戦うなんてロールプレイングゲームみたいな事をやった。


 領地に帝国貴族、他のプレイヤーとの戦い、内乱状態の国に行った事もあった。遠方のお嬢さんが休暇で訪れた。兵器を作る研究に手を貸した。


 その隣には命無き使い魔、ヴィクトルが居た。自己再生能力と非生物の特性を持つスケルトン。喋れない、けれど大体の意思疎通が出来る不思議な相棒。


 二人で歩んだ十ヶ月間の出来事。普通なら絶対に有り得なかった人生。


 ――俺の人生はここで終わるのか。そうでないのか。


「うん? 沈み方が変わったか?」

 船体が大きく動いた。船首側が持ち上がったように浮き上がる。咄嗟に手摺りを両手で掴んだ。


 甲板に居た他の乗客はパニックを起こし再び騒ぎ出す。ソロモンのように手摺りにしがみつく者も居れば、海へ投げ出された者も居る。


 船の断末魔のように軋むような音が、取り残された乗客達の不安と絶望を膨れ上がらせる。


「さて……そろそろ動くか。こっからが運命だぞ」

 手摺りから片手を離し不気味な声の中を見渡す。船首側が更に浮き上がり、それに比例して足下も傾く。下り坂に近い角度になっていく。


 まだ動き回れるな。――やってみるか?


 ゆっくりと船首まで歩いて行く。足を滑らせる程の角度にはまだなっていないが、それも時間の問題だ。


「船の上で出番があるとはね。今回はホントに頼むよ」


 一言お願いして抜く。海原に降り注ぐ真昼の太陽の光を、飲み込んでいるかのような漆黒の剣身が露わになる。


 その剣で船首付近を切断しにかかる。魔物を綺麗に真っ二つにする刃は、木製の船にいとも簡単に入り込む。一振りでとは勿論いかないが、何度も何度も刃を入れていれば、船首部分を切り離す事は可能だ。


「流石は魔剣、斬るって事に関してはヴィクトル以上に頼りになるぜぇ」

 切り離された船首側に飛び移る。乗った衝撃で大きく揺れて少々沈んだが、浮力は十分あるようだ。波で揺られて沈没確定の船体から少しずつ離れていく。


「思い返せばこの吸血剣ブロジヴァイネ、この世界来た次の日に買ったんだよな。確か銀貨五十枚だったか。騙されたと思って笑っていたら、本物の魔剣で焦ったな」


 買い取って以来ずっと持ち歩いている。他のプレイヤーにトドメを刺した事もあった。


「お前のお陰で助かってる。なぁ吸血剣ブロジヴァイネ、お前も俺にとっては相棒だ」


 どんなに磨いても決して輝く事の無い剣身を鞘に収めた。


 周囲を一瞥してから仰向けになる。あと四人くらいは余裕で乗れるスペースがあるが、流石に他人に声を掛ける時間は無かった。


 天気は快晴。海風はやや冷たいが、冬場のブリザードに巻き込まれた時に比べれば全然余裕で耐えられる。助かるか助からないかの運試しはまだ続く。


 ジタバタしてもしょうがない。一休みしよう。


 緊張の糸が完全に緩み眠気がやってきた。どうせ待つだけなので昼寝モードに即移行。漂流していて命の危機、という点に目を瞑れば割と気持ち良く寝れる。その証拠に意識が沈み込んでいくのに時間が掛からなかった。

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