第89話 フルコン組手 美夜受麗衣VS大伴静江

「ゴメンナサイ! 本当にゴメンナサイ!」


 香織は何度も謝って来た。


「いや……躱せなかった俺が悪いから本当に気にしなくて良いよ」


 香織は自分が悪かったと思い、必死に謝るが、俺のスケベ心で蹴りを躱せなかった何て本当の事を言えず、少々心苦しい。


「本当に大丈夫ですか? お詫びに何でもしますから言って下さい!」


「何でもって……」


 俺は蹴られる直前に見た香織のハミパンを思い出してしまい、イカンイカンと慌てて首を振った。


 そんな怪しげな俺の挙動を胡散臭そうに見ながら、麗衣は香織に言った。


「お前は何も悪くねーから気にすんな。どーせコイツがエロいことでも考えていたんだろ」


「うっ……」


 麗衣に図星を突かれ、俺は反論すら出来なかった。


「それに、コイツは初対面のあたしの服を脱がしたような奴だぞ? 何でもするなんて言ったらどんなエロい要求されるか分かったもんじゃねーぞ?」


「「「「「えっ?」」」」」


 麗衣の話が聞こえたのか、香織だけじゃなく、大伴さんと吾妻さん、澪と恵まで一斉にこちらに視線を向けた。


「アレは不可抗力だったって何回言わせるんだよ……」


「え? アタシ……当然そういう要求をされると思っていまして……武先輩なら良いかなぁと……」


 もじもじしながら香織は恥ずかしそうにそんな事を言う。


 いや。正直嬉しいんだけどTPOってものがあるんで……とにかく麗衣を刺激するような事は言わんで下さい。


「武テメー……この短時間で何中坊達をたらし込んでいるんだ? 警察マッポにパクられる前にあたしにボコられたいのか?」


 アカン。

 麗衣が本気を出した時のサウスポースタイルでこちらに近寄ってくる……。


「ごっ……誤解だあああっ……ぎゃあああああっ!」



              ◇



 香織に蹴られた後、更に麗衣の拳骨で殴られ、頭がガンガンする。


 スケベ心を出したのはとにかく、全て俺が悪かったのか疑問だが、中学生の誘惑に負けていたら俺の身が持たない為、麗衣の行うテストに集中する事にした。


「まぁ、スケベな男子約一名がまともに見れていないから、受け返しの練習すっ飛ばして手っ取り早くスパーリングで実力を見させて貰う」


 麗衣は珍しく空手の拳サポーターを嵌めていた。


「いや、空手ならスパーリングじゃなくて組手か。お前等のベースのルールで良いぜ。えっと、巨乳ちゃん……じゃなくて、静江。お前、フルコン経験者だったよな?」


「ハッ……ハイ! フルコンタクト空手と琉球古武道をやっています」


 大伴さんは緊張気味に答えた。


「ヌンチャクも得意なんだっけ? それは見てみたいけど、たとえ珍走相手でも武器の使用はなるべく最終手段にしてーんだよな。それに何時も都合よく武器を持っているとは限らない。だから素手でも何処までやれるか、実力を見せて欲しい」


「はっ……ハイ! 分かりました」


「ところで拳サポーターは付けて練習していたけれど、足サポーターとチェストガードは無いのか?」


 足サポーターとチェストガードはフルコンタクト空手の試合で使われる防具で特にチェストガードは胸が急所である女子には必要不可欠なものである。


「えっと……澪ちゃんになるべく薄い格好の方が良いと言われて、拳サポーター以外は体操着とブルマしか持って来てません……」


「澪……お前ってアホなのか?」


 麗衣は心底呆れた顔で澪に言った。


「いやぁ~美人ぞろいの麗の皆さんですから、可愛さと色気もアピれるのも麗のメンバー入りの必須条件かと思いまして。あはははっ!」


「ここはAVの撮影所じゃねーんだぞ……しかし、参ったなぁ……足サポの代わりにレッグガードならあるけど、あたしのじゃ少し大きいし……、勝子。お前レッグガード持っていたっけ?」


 麗衣が大伴さんと同じくらいの身長の勝子にレッグガードがあるか尋ねると、勝子が返事をする前に大伴さんが遮るように言った。 


「ひ……必要ないです」


「防具無しでやるっていうのか? でもよぉ。フルコンの試合でもヘッドガードと足サポーター、女子の場合チェストガードを着用するだろ?」


「で……でも、喧嘩する時にそんな物を付けていないだろうし、実力もちゃんと見て欲しいんです」


 一見気が弱そうなのに芯は強いのか、あるいはこう見えて強さに自信があるのかも知れない。


「そう言う事か……OK分かったぜ。防具無しのフルコンのルールでやろうか?」


「ハッ……ハイ! 宜しくお願いします」


 こうして、先ずは大伴さんから組手を始める事になった。



              🥊



 麗衣と大伴さんは予め認識の違いが無いようにフルコンタクト空手を基本とした今回のルールを簡単に打ち合わせた。


 ・時間は2分。

 ・胴以下への突き、蹴り、肘打ちは有り

 ・顔面部は上段蹴りのみ有り。但し膝蹴りは反則。

 ・反則は手技による首から上への攻撃。股間蹴り。頭突き。背中への攻撃。倒れた相手への直接打撃。ひっかけ、掴み、投げ等。掌底。相手を押す。頭、胸、おなかを付けての攻撃。逃げ回る。


 本当は技ありや有効など細かいルールがあるのだが、今回は実力を測るのが目的で勝ち負けは目的ではないので、そこまで見ないとの事だ。


 また、試合の場合時間は高校生以下や女子の場合、本来1分30秒だが、体力を測る意味もあって成人男子と同じ2分にするとの事。その代わり、勝ち負けが無い為、延長は無しという事にしたらしい。


 審判は硬式空手以外にフルコンの経験もある澪が務める事になった。


「正面に向かって礼!」


 試合式の礼をさせようとする澪に麗衣は突込みを入れた。


「あたし達しかいねーんだし、それは良いだろ?」


「あはははっ……それもそうですね。じゃあ、お互い礼をして」


 二人が向き合い、立礼をすると澪が開始の合図を行った。


「始め!」


 二人とも両足を肩幅に開き、歩く幅で足を前後に開いた所謂基立ちの姿勢でジリジリと接近する。


 麗衣はフルコン時代はオーソドックススタイルだったとの事で、キックの時のサウスポースタイルではなくオーソドックススタイルに構えていた。


「セイッ!」


 先に仕掛けたのは麗衣だった。

 左斜め前に踏み込むと、ムエタイ風の右ミドルを叩き込む。


 空手の様に正面から廻し蹴りを放ち、脇腹を打つのではなく、相手の横側に踏み込んで蹴りが正面に当たる様に打つのがムエタイのミドルキックの基本だ。


 よく蹴りがパンチに合わせやすいと言われているのは正面から廻し蹴りを打ってしまうのが原因であり、斜め前に踏み込み、相手の横側から蹴るだけでもカウンターを喰らうリスクが軽減するのだ。


「うっ!」


 キックボクサーとの対戦経験は無いのだろう。


 大伴さんは麗衣のキックを腕で受けてしまい、顔色が変わった。


「力は六、七割ぐらいにセーブしているから骨折の心配はないけど、腕で受けてるとイテーかもよ?」


 そう言って、麗衣は二発、三発と高速ミドルを連発した。


 大伴さんが後退したので、麗衣は大伴さんを追うと、水月にめがけて左拳の裏突き、正拳突きとは逆に手の甲を下に向けたボクシングで言うボディーアッパーを打った。


「うっ!」


 麗衣としては加減したのだろうけれど、大伴さんの体は大きくくの字に曲がり、大きめのお尻を突き出していた。


「どうした? そんなんじゃあ、暴走族相手に喧嘩なんか出来ねーぞ?」


 更に麗衣は右拳の鉤突き、ボクシングで言うボディーフックを大伴さんの少しふくよかな脇腹に突き刺す。


「つううっ!」


 まだ30秒も経っていないが、堪らず大伴さんは膝を着いた。


「あちゃー……」


 審判であるにも関わらず、澪は頭を抱えた。

 これじゃあ、大伴さんの実力が分からないよな。


 麗衣が強すぎるんだろう。


 澪はそんな風に思って困ったような声を上げたのかと思ったら、予想外の事を言い出した。


「ヤバいです。麗衣サン今すぐ逃げて下さい」


「え? 何でだよ?」


 麗衣が澪の方を見て、大伴さんから目を放した瞬間だった。


 大伴さんはあたかも獲物を狩る肉食獣の様な勢いで跳躍しながら麗衣に襲い掛かった。


「ぐふうっ!」


 まるでハードパンチャーがボクシンググローブで打ったような拳サポーターとは思えない重い音と共に口を大きく開いた麗衣が苦痛の声を上げた。


 立ち上がった大伴さんの鉤突きが麗衣の脇腹に減り込み、身体が浮き上がり、麗衣は俺が見た事の無い様な真っ蒼な表情をしていた。


「このクソビッチがぁ! 調子に乗りやがって!」


 これは麗衣の台詞ではない。


 あの大人しそうな大伴さんの台詞だったので、俺は一瞬自分が聞き間違えたのかと疑ったが。


「くたばれや! このクソズベタがああっ!」


 そう言いながら怒涛の如くパンチのラッシュを掛ける大伴さんの姿を見て、聞き間違えではなかった事をようやく理解した。


「ヤバイ……久々に静江ちゃんのスイッチが入っちゃった」


 大伴さんが放つ重い突きのぶつかる鈍い音が響き渡る中、香織が俺に戸惑い気味に言ってきた。


「え? スイッチって?」


「あの子、普段大人しいんですけれど、その……過去に激しい暴力を受けていた事がありまして、それがトラウマになっていて、組手で苦戦するとその時の記憶がよみがえるみたいで、たまにブチ切れて理性を無くすんですよ」


 何だよそれ?

 切れたからって落差が激し過ぎないか?

 あるいはジキル博士とハイド氏じゃないが、二重人格なのか?

 とても信じがたいが、こちらの理解が追い付く間も無く、目の前にある大伴さんが麗衣を激しく打ちのめしている光景は現在進行形の事実である。


「死ねや! 死ねや! 死ねや!」


 油断をしていた麗衣のダメージが回復しきらないうちに大伴さんは容赦なく捻り突き、裏突き、鉤突きを麗衣の腹にぶち込み続ける。


「静江ちゃんは『重戦車パンツァー』の異名があって重い突きとローキックでガンガン押して来て、一度ラッシュすると相手が倒れるまで審判が止めても止まらないんですよ」


 女子のパンチ、しかも拳サポーターとは思えない重い音が絶え間なく部屋中に鳴り響き、打たれる度に麗衣の表情は苦痛で激しく歪み、ダラダラと全身から流れる汗が伝わり足から大量に滴り落ち、僅か1分余りの間にも関わらず、マットレスをびしょびしょに濡らしていた。


「ねぇ! ちょっとやり過ぎじゃない!」


 恵が見ていられないとばかりに止めに入ろうとすると勝子が恵を押さえた。


「なっ! 周佐さん! あんな凄いパンチ貰い続けたら美夜受さんが危ないよ!」


「まだ1分ぐらいしか経っていないよ。それにアレが危ない? 貴女、麗衣ちゃんと戦った事があるならあの位で負けると思う?」


「でも……明らかにウェイトの差があるし、私とはパンチの重さも違うよぉ……」


 身長は大分麗衣の方が上だが、ぽっちゃり系の大伴さんの方が背が低くても明らかに胴回りが太く、時折鉈を振り下ろす様な重そうな下段廻し蹴りを放つその脚も細身の麗衣より太かった。


 細かい階級に区切られているキックボクサーの麗衣が自分よりも体重が上の相手と同じルールで戦う不利は火を見るよりも明らかだが、勝子は気にも止めていない様だ。


「そうかしら? 麗衣ちゃんはもっと強い男子相手にも幾ら殴られても立ち上がり続けた事があるんだよ? ほら、見て見なよ」


 勝子が麗衣を指さすと、麗衣は勢いで壁際まで追い込まれ、打たれ続けながらも時折裏突きや下段廻し蹴りを打ち返し始めた。


 そして、最初は単発の返しだったのが、二発、三発と連打を返し始め、押されっぱなしだった状況が互角になり、麗衣が優勢になり部屋の中央まで押し返すと、お互い足を止め、蹴りを打つのを止め、突きのみで胴を打ち合い始めた。


 それは突き以外の攻撃をしたら負けだという意地の張り合いの様にも見えたが、1分50秒ぐらいが過ぎた頃に、意外な事に、我慢比べで先に折れたのはパンチ力が上と思われる大伴さんの方だった。


「ぐっ」


 大伴さんは下段廻し蹴りで麗衣の太腿を打った。


 だが、あたかも鉈で振り下ろす様な下段廻し蹴りも麗衣に効いた様子はなかった。


「おらあっ! どつきあいはもうお終いかい!」


 麗衣はムエタイ風の鋭く重い丸太を叩ききる様なローキックで大伴さんを打つと、今度は大伴さんの顔色が変わった。


「蹴りはあたしの独壇場だぜ!」


 大伴さんも下段廻し蹴りの威力には自信があったのだろうけれど、相手が悪すぎた。


「ぐふうっ!」


 麗衣は右足の膝を深く折り曲げ、膝頭を下から突き上げる勢いで水月を蹴ると、体重で上回る大伴さんの体が浮かび上がった。


「止めだ!」


 麗衣はサイドへ軽く踏み込み、身体を斜め前に倒し、左手を振りながら大伴さんに左ハイキックを放つと、こめかみの部分に直撃した。


 大伴さんは糸の切れた人形の様に、その場に崩れ落ちた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る