第75話 澪と姫野先輩
「馬鹿! 姫野! もう少し大人しく寝てろ! 無理するんじゃねぇよ!」
麗衣は声を荒げながらも、その台詞と表情は憂いと気遣いを感じさせるものだった。
「僕はもう大丈夫だよ。君こそ結構ダメージがあるんじゃないのか?」
「あたしに十戸武みたいなお嬢様のへなちょこパンチが効くかよ。それよりかテメーの心配していろ」
「喧嘩の度に殴られて毎回毎回顔を腫らしている君が言う台詞かい? まぁ、僕に関しては小碓君のおかげで大分楽になったから本当に心配しなくても大丈夫だから……それよりか話を聞かせて貰ったけれど、その子が麗に入りたいんだってね。良いんじゃないか?」
姫野先輩は澪に一度視線を向けてから麗衣に視線を戻しながらそう言った。
「澪達にゲリラ攻撃を仕掛けた時、お前は居なかったけれど澪の事は知っているのか? それとも、さっきの喧嘩を見ての判断か?」
麗衣達が
「勿論喧嘩の様子は見ていたけれど、それ以前に澪君の事ならば僕が硬式空手の試合に出場した時に対戦した事があるから旧知の仲であるよ。まさか、
「え? そうだったのか?」
この事実には麗衣も驚いていた。
「押忍! 織戸橘先輩! お久しぶりです!」
澪は拳を握った状態で両腕を体の前で十字に交差させ、左右の拳を耳の横まで持っていき、両耳の脇に置いた拳を目の前で十字を切りながら腰の高さへ振り下ろしながら元気よく挨拶をしていた。
硬式空手とは防具を付けたルールの空手で、伝統派空手と違い防具の部分へ強打を打ち込む事が可能であり、フルコンタクト空手とも違い、スーパーセーフと呼ばれる面を付けた顔面への突きも許可されている。
門戸が広く、フルコンタクト空手や寸止め空手、少林寺拳法などの他、日本拳法の選手も試合への参加可能である為、澪は姫野先輩と対戦した経験があるという事だろうか。
「打撃のみで組技は出来ないとはいえ、日本拳法とルールが似ているから硬式空手の大会にも出た事があるんだけれどね。その時、澪君と対戦したんだよ。ギリギリ僕が勝てたんだけれど、まさか三歳も下の中学生に苦戦するとは思わなかったよ」
「いやいや。織戸橘先輩。スーパーセーフの上からでもモロにハイキック効かされましたし、滅茶苦茶強かったっスよ。先輩は硬式空手初めてで慣れないルールだったはずなのに、俺の実力じゃ勝てねーなって感じましたからね。奇しくも麗衣サンと戦った時、織戸橘先輩の事思い出しましたモン。レベルが違うって」
「打撃だけで見れば麗衣君は僕よりも上なんだけれどね。そう言って貰えて光栄だよ」
二人で麗衣を礼賛したのでこそばゆい気分になったのか?
麗衣は照れながら言った。
「おだてるのは止めろよ。全然相手にならなかった中坊の頃よりは少しは差が縮まったかも知れねーけど、今でも姫野の方が総合的にみればあたしよりもずっと強いだろ?」
「いや、最近はガチンコでやり合ってないから女子会でのマススパーリングから想像すると、僕は打撃だけじゃ今の麗衣君には勝てないだろうし、組技まで使って辛うじて勝てるぐらいじゃないか? でも、そんなに高く評価してくれてありがとう。それよりか、僕は澪君の実力は知っていたからね。麗に入ってくれるというのならば僕からもお願いしたいぐらいだけれど」
「勿論、実力的には申し分ねーよ。だけど、あたしや武の事が好きってだけで暴走族狩り何て危険な事させちまって良いのかよ?」
「何を今更言っているんだい? 皆麗衣君が好きだから君に従っているんだろう? 僕の気持ちと障害を知った上でも僕を仲間にした君の言う台詞じゃないだろ?」
姫野先輩の台詞には余程深い意味でもあったのか?
麗衣は顔を赤くして、姫野先輩から目を背けた。
「皆あたし何かに勿体ねーけどなぁ……。OK。分かったぜ。澪は麗に入れてやるよ」
麗衣に麗入りを許可されて、澪は喜色満面にあふれんばかりで麗衣に抱き着いた。
「うわぁ~! ありがとう麗衣サン! 一生ついて行くよ! いや、結婚しようよ!」
そんな事を言いながら、澪は麗衣の頬に頬ずりしていた。
「こ……こらっ! チョーシ乗んな! 引っ付くなよ!」
微笑ましい光景と言いたいところだが、俺の隣に立つ勝子の殺気を受け、寒気と共に全身に鳥肌が立っていた。
うん。
ここはいち早く勝子の側から避難した方が良いな。
俺は勝子の側から離脱しようとすると、がしりと腕を掴まれた。
「何処へ行くつもりなの?」
「あ、いや。クロカンの中に置いた水でも取りに行こうかなぁ~と思って……あはははっ」
「そう……じゃあ行って良いけれど、あとで伝えておくことがある。解散後に少しだけ時間くれないかな?」
ん?
やけにあっさりと解放してくれた。
一体何の要件だろうか?
どうせロクな事じゃない気がするけれど、勝子を断る勇気は俺には無かった。
「ああ。分かった」
俺はそう言って、姫野先輩のクロカンに行く途中十戸武がこちらへ戻って来たので声を掛けた。
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