第68話 それぞれの状況

 岡本忠男を倒した俺は現状を確認する。


 勝子に関しては、まぁ予想通り相手に地面を舐めさせていたけれど、姫野先輩は―


「なっ! 姫野先輩!」


 既に姫野先輩は長野に倒されていた。


 やはり男子でも規格外の強さを誇るらしい、長野を倒すのは『麗』で最も多彩な技を使う姫野先輩でも難しかったのか?


 そして、麗衣は十戸武にマウントポジションを取られていた。


 どうするべきだろうか?


 やはり麗のメンバーで長野を倒せるのは勝子しかいないのだろうか。


 いや……無理だ。


 恐らく勝子でも一人では勝てないだろう。


 麗衣、姫野先輩、勝子の三人でかかれば勝てるかもしれないけれど、既に姫野先輩は敗れている。


 そして麗衣も絶体絶命だ。


 どうすれば良いのか迷っていると、勝子から俺に声を掛けてきた。


「下僕君。聞いて。あのデカブツは私が戦うから、まずは麗衣ちゃんを助けてあげて」


「でも、あの長野って奴と一人でヤルつもりか? 幾ら勝子でも無理だろ?」


 こんな言い方をしたら勝子は怒るかも知れない事は分かっていたけれど、俺の思う以上に勝子は冷静だった。


「うん。それは分かっている。でも、今は頭数ではこっちが勝ち越しているから、さっさと十戸武恵を倒して、私達三人でデカブツに掛かれば勝機も出てくるよ。だから、私が先ずは足止めと、少しでもダメージを与えておくから早くしてね」


 この最強の女があっさりと長野の方が強いと認めたのに驚いたけれど、この冷静さで俺も決心した。


「悪いな……負けるなよ!」


「私を誰だと思っているのかな? 良いから早く麗衣ちゃんを助けてあげて」


 勝子の言葉に押され、俺は麗衣を助けるべく行動を起こした。


 なるべく十戸武に気付かれぬよう、わざと遠回りし十戸武の視界に入らぬよう注意しながら背後から接近し羽交い絞めした。


「きゃあっ! もしかして小碓君!」


 十戸武はびっくりしながら叫んだ。


「こんな事は止めるんだ十戸武! 友達同士で殴り合うなんて良くないぞ!」


 今更な事を言いながら、俺は十戸武を無理矢理麗衣から引き離した。


「随分紳士的だね。私はマウントポジション取るのに必死で、周りに注意を払う余裕がなかったから、小碓君が簡単に後ろから接近出来たんだろうけど、背後から攻撃したら私を倒せたんだよぉ?」


「そんな事出来るか! 俺だって友達なんだから!」


「うーん……私としては美夜受さんが友達だとは思っているけど小碓君はクラスメイトの一人って感じだったね。御免ねぇ~」


 いや、十戸武が興味あるのは麗衣だけで俺がおまけ扱いなのは薄々気付いてましたけどね……。


 ここまではっきり言われると一寸ショックかも。


「武! テメーあたしの邪魔してるんじゃねーよ!」


 マウントポジションから逃れられた麗衣は何故かキレ出した。


「え? でもこの喧嘩はタイマンじゃないんじゃ?」


 タイマンじゃないから既に忠男を倒している俺は麗衣の助っ人をしても良いはずだが。


「そんなのかんけーねーよタコ! これはあたしが勝手に決めた十戸武とのリーダー同士のタイマンなんだ。つまんねー横槍入れてるんじゃねーよ! それよりか勝子の手を貸してやれ! オイ! 十戸武!」


 十戸武も俺を叱る麗衣の反応が想定外だったのか?

 目をパチクリさせていた。


「もう一回あたしの上に乗れ! さっきのポジションからやり直すぞ!」


 麗衣の言葉に対して、思わず俺と十戸武は声を揃えた。


「「え? わざわざ不利な体勢に戻りたいの?」」


「そんな訳ねーだろ! 只、フェアじゃねーし、こんな事でお前に勝てても納得しねーからだよ」


「いやぁ……この状況だったら小碓君と二人掛かりで私を倒して周佐さんを助けに行くべきだと思うけれどね……周佐さんを見捨てる気なの?」


「何言っているんだ? 勝子はあのデカブツに勝てねーとしても負けもしねーよ。あたしが一人でさっさとお前を倒すから、その間勝子が粘ってくれれば良いんだよ」


「……だったら猶更二人で私を倒すべきなのに……ますます意味が分からないけれど、ますます美夜受さんの事が好きになったよ♪」


 十戸武は夢見がちな少女があたかもアイドルを見るかのような眼差しを麗衣に向けていた。


「あと、ペナルティでマウントポジションから、あたしを二、三発殴らせてやるよ。正拳だろうが手刀だろうが鉄槌だろうが好きに殴りな」


「いやいやいや。別に反則とかじゃないし、そんなサービス受けられないよ。別にこのままでも良いよ? また地面に倒せば良いだけだし」


「いや、十戸武の投げ何てもう二度と喰らわねーし良いハンデだろ?」


 十戸武、お前馬鹿にされているんだぞ?


 悔しいなら断れ。


 そう願ったが、意地を優先させるメンタルが男に近い麗衣とは違って、十戸武の方は意地よりも勝利を優先した。


「ふーん……じゃあお言葉に甘えて、そうさせて貰うよ。頭数的にはこっちのが不利な状況だし」


 地面に横たわる麗衣の上に十戸武はマウントポジションを取った。


「わりぃけど武は姫野を見てやってくれ……何、さっさと終わらせるから勝子の事は心配するな」


 確かに姫野先輩の事は心配だけれど勝子の加勢をしろとは言わなかった。

 俺が加勢しても足手纏いなのは分かるが、この場合仕方ないと考えるべきか?


「ああ。分かった」


 俺は急いで姫野先輩のもとへと駆け寄った。



              ◇



 姫野先輩は天網側のバイクのライトの光を受け、蝋人形のように青白い表情で気を失っていた。


 このままコンクリートの地面に横たわらせておくわけには行かず、俺は姫野先輩の頭を腕で抱え、軽く身を起こしながら声を掛けた。


「姫野先輩! しっかりしてください!」


 声を呼び掛けても反応が無い。


 俺は所謂御姫様抱っこで姫野先輩のクロカンまで運び、ドアを開けるとシートに横たわらせた。


 車の中の俺の荷物から水入りのペッドボトルを取り出し、ハンカチを濡らすと姫野先輩の額に乗せ、ペッドボトルは枕代わりにした。


 ペッドボトルは俺が口を付けてしまったものだが……緊急事態だから許してもらおう。


「うっ……」


 姫野先輩は僅かに目を開き、俺の姿を確認する。


「あっ! 姫野先輩! 大丈夫ですか!」


 大丈夫な訳が無いが間抜けな質問をしてしまった。


「武君か……僕は……どうなっているんだい? ……そうだ! 皆は大丈夫か! 長野君は……痛っ!」


 慌てて身を起そうとした姫野先輩がおでこに乗せたハンカチを落としながら後頭部を抑えた。


「姫野先輩! まだ休んでいてください!」


「武君……現状を教えてくれないかい?」


 姫野先輩は少し冷静になって俺に尋ねてきた。


「勝子は岡本依夫を倒して今は長野と戦っています。麗衣はまだ十戸武と戦っています」


「そうかい……君は岡本忠男君に勝ったんだね」


「あ、ハイ。何とかですが」


 姫野先輩は俺の勝利を祝福する様に微笑んだ後、すぐに無念そうに唇を噛みしめながら言った。


「ふふふっ……僕だけ早々に負けてしまって申し訳ないね。せめて、長野君の片腕ぐらい持って行こうと思ったのだけれど、流石『殺し屋』。全く歯が立たなかったよ……」


 姫野先輩は腕で目を覆うと悔しそうに話を続けた


「あれが超一流の男子の実力か……。悔しいね」


 俺は男子との性差による体格や体力の違いを口にしかけて、口を噤んだ。


 何となくだけれど、1ヶ月程の付き合いで、この先輩が性差の話をされるのが嫌いである事に気付いていたからだ。


「武君……僕はもう大丈夫だ。麗衣君も気になるところだけど、勝子君を見守ってやってくれないか」


 加勢ではなく、見守れと姫野先輩は言った。


 言外に俺では足手纏いという言葉が込められているのか、それとも他の理由があるのか?


 俺は姫野先輩に尋ねた。


「見守れ……加勢じゃないんですか?」


「状況によっては加勢して欲しいけれど、多分君が見守ってくれるだけでも勝子君は今以上に強くなれるんじゃないのかな?」


「何で俺が見守ると勝子が強くなるんでしょうか?」


 俺は勝子先輩の言う意味が分からず、首を傾げた。


「幾ら強くても麗衣君に依存しきっていただけの勝子君が君のおかげで変わりつつあるんだよ……このままじゃダメになると思っていたけれど、君は麗衣君だけじゃなくて勝子君まで助けられるかも知れないって期待しているんだよ」


「いや、自殺未遂した時からそうですけど、俺の方が麗衣にも勝子にも世話になりっぱなしで何も返してあげれて無いんですが……」


 特にこの短期間で岡本忠男を倒せる程強くなれたのは勝子との訓練の成果によるものが大きい。


 ジムに行っていただけでは百パーセント忠男には勝てなかっただろう。


「勝子君と一緒に居るのがあの子にとってどんなに大きいか、君の想像以上だと思う。多分、勝子君の感情も以前とは大分違うんじゃないかな?」


 まぁ、親しくなる以前は赤銅鍾磨あかがねしょうまをぶっ倒した時の印象が強烈過ぎて、怖いイメージしかなかった。


 でも、話してみると変態だけど、結構面白い奴だし何時も悪態を垂れながらも実は良い奴である事は十分伝わってきていた。


「分かりました。勝子の所に行ってきます!」


 俺はクロカンから外に出た。


 最後にそっと車内に横たわる姫野先輩の姿を見ると、その瞳には僅かに光るものがあった。


 きっと俺にはその姿を見られたくないだろう。


 俺は急いでその場を離れた。



              ◇



 勝子はクラウチングスタイルで顎を引き、視線を上に向け、左右の肘を体に付け、オープンフィンガーグローブも顔に付け長野と向き合っている。


 左のフックもボディもガードで防げる構えだ。


 勝子はジャブをダブルで放ちながら距離を縮めた。


 これは長身の相手に単発だとジャブの刺し合いで負けるので必ずジャブはダブルで入れと勝子に教わっていたが、それを実践していた。


 二発目のジャブを長野の前手に軽く当てると、ステップインし、右ストレート、左ストレートのワンツースリーを長野の掌の上に叩いた。


 これは相手を錯乱させ、ガードを上げさせる為の布石で、パワーよりもスピードを重視した打ち方でダメージは無い。


 ワンツースリーのリズムでガードを上に意識させると、フォーのタイミングで膝を曲げながら体を捻り、小さなジャンプで回転しながら左ボディを長野のボディにぶち込んだ。


 ジャンプ回転したのは踵を捻るだけでは遅すぎる事と、左フックに更にインパクトを出す為だ。


「フンッ! フンッ!」


 長野も返しで触れれば首がげんばかりの勢いで左右フックが勝子に襲い掛かるが、予め返しを想定していた勝子はU字に二回ウィービングしながらパンチを掻い潜った。


 この時、返しが怖くて下がってしまうと相手の距離になってしまう事と、また接近するのは大変な為、攻撃の距離に入ったら攻撃を躱しながら自分の攻撃をするように言っていたが、実戦で俺に見事なまでの手本を示してくれている。


 勝子は左右フックを躱し終わった後、体を左に傾けながら長野の心臓に向け鋭い右ストレートを放つ。


 そして、打ち終わった右手を挙げ、長野の左手を掴み、左のショートパンチを水月に打ち込む。


 だが、勝子のパンチですらあまり効いていないのか?


 長野は左の膝頭を突き刺すように前方に出しながら右の軸足を返し、踵を真横に向け、上体を反らせるように腰を入れながら、蹴り足の指先を下に向けた膝蹴りで返してきた。


 勝子は長野の手を離し、左斜め前にステップインし、鉄球の如き膝蹴りを避けながら体重を左側にかけ、両膝を少し曲げて腰を落とすと、腰と左肩を右に回転させながら、左肘を伸ばした力強いスウィングで長野の頬を狙い撃つ。


 身長差がある相手には有効なスウィングだったが、長野は頭を少し後ろにずらすスウェーで躱すと、長野は前足から後ろに引き、次に後ろ足を引きながらバックステップし、勝子の攻撃圏から逃れた。


「ちいっ!」


 勝子は長野の攻撃を警戒し、彼女もまた同じ歩法でバックステップして距離を取った。


 二人のバックステップは勝子が教えてくれたメキシカンのボクサーが使うというツーステップのバックステップバージョンとでも呼ぶべきもので、後ろ足からバックステップするより前足からバックステップした方が長い距離の後退が出来るのだ。


「ハァ……ハァっ……」


 勝子は激しく息を切らせていた。


 見た限りの攻防では勝子が押しているはずだが、大きく息を切らし余裕がない表情をしているのは勝子の方であり、逆に何発か良いボディに喰らっている長野の方が平然としていた。


 無理もない。


 恐らく勝子は一撃でも喰らったら終わりという重圧プレッシャーの中、戦っているのだろう。


 勝子の神がかり的なディフェンス力で何とか攻撃を凌いでいるようだけれど、『後の先の麗人』と呼ばれる位ディフェンス力が高い姫野先輩ですら倒されてしまったのだ。


 恐らく耐久力と体力では勝子を上回る姫野先輩が倒されてしまっているのだから、幾ら勝子とは言え重圧が半端では無いのだろう。


 やはり俺も加勢すべきだろうか?


 俺が迷っているその時、俺達『麗』にとっても『天網』にとっても予想だにしないイレギュラーな事件が発生した。

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