98th Chart:Turning point


「中央左舷側に被弾!火災発生!」

「後部第4居住区大破!臨時救護所壊滅!」


 敵弾が作り上げる水の棺がその姿を現すごとに『ドレッドノート』が命中弾の激痛に身をよじるように金属質の悲鳴を上げた。幸いにも主砲塔は未だ全基健在ではあるが、艦の各所に配置された速射砲群はほぼすべてが鉄製のガラクタとなって崩れ落ちているか、砲座ごと吹き飛ばされて海の藻屑と化している。

 船精霊達が毎日ピカピカに磨き上げていた甲板は、被弾によって表層に張られていた木材を吹き飛ばされ、彼方此方がささくれ立って剣山の様になってしまっていた。辛うじて屹立した前後2つのマストと、彼方此方に凹みを作りながらも砲撃をやめない4基の主砲塔が、このズタズタに切り刻まれつつも航行する海上構造物を、戦艦と定義していた。


「ただ今の斉射弾、命中3!なれど目立った損害は確認できず」

「何故だ――」


 砲術畑出身の戦務参謀の口から、ほとんど喘ぎ声の様な小さくも困惑を押し隠した声が漏れる。


「これまでの斉射で、命中弾は20発以上。それなのになぜ、何故まだ戦える?何故、まだ沈まない?我々の弾薬庫にはポップコーンでも詰まっているのか?!」


 砲戦の距離は徐々に近づき、今では9000m程度だ。仰角は更に下げられ、主砲弾は低い放物線を描いて敵の舷側に命中の火花を散らしている。しかし、命中しても火花や小規模な爆発が起こるだけで、敵の足を止めるどころかその背に背負った主砲を沈黙させることも能わない。

 対して、『ドレッドノート』を始めとする第6戦艦戦隊はビーティーの第1巡洋戦艦戦隊と同様の運命をたどりつつあった。弾薬庫に命中弾を受けて轟沈する艦こそなかったが、凡そ40秒ごとに飛来する13.5インチの巨弾を前に損害を募らせていた。

 4隻の戦艦の舷側は相次ぐ被弾により彼方此方で歪が生まれ、執拗に蹴り飛ばされた一斗缶の様に波打ちつつある。甲板上には其処かしこに大穴が開き、どす黒い黒煙が空を汚し流れ、かつては上部構造物を形作っていた鋼材が瓦礫と化して堆積している。


「焦るな、戦務参謀。命中弾はこちらの方が多い」


 苦渋の表情を浮かべる戦務参謀を諫める首席参謀オースティン大佐ではあるが、彼の顔にも苦いものが浮かんでいる。彼とて現状は理解しているのだ、いくら命中弾が多くてもそれが敵の損害に繋がらなければ外れ弾とそう変わらない。目に見えて弱りつつある『ドレッドノート』と比較し、砲焔と水柱の向こうを航行する敵はまだまだ余力を残しているように見える。

 弱気になりつつある乗員を鼓舞するかのような主砲斉射の衝撃が艦を貫いた直後、彼方の敵も閃光と共に主砲斉射の砲煙に包まれる。もはや何度も見た光景であるのに、ソレを見たほぼ全員が直観的に体を硬直させ、手近なモノに手を伸ばした。

 虫の知らせ。胸騒ぎ。この動きを形容する言葉は幾つかあるが、当事者たちにとって、そんな言葉を思い出す暇は全くない。

 声を出す間もなく、海上を飛び越えた2発が立て続けに『ドレッドノート』に命中し、横殴りの衝撃が艦橋を大きく揺さぶった。前甲板に迸った閃光それ自体が質量をもったかの如く、防弾ガラスを粉砕し油と鉄の焼ける匂いが高温の黒煙と共に吹き込み内部を蹂躙した。床に転がされた将兵が咳交じりの呻き声を上げ、運悪く頭をぶつけた数人が沈黙する。

 強烈な音波に耳鳴り交じりの無音が意識を支配する中、わき腹を抑えながら立ち上がったオルダーソン艦長の目に飛び込んできたのは、変わり果てた前甲板の姿だった。


畜生Fuckッ! 」


 真横から飛び込んだ二発の13.5インチ砲弾は、砲身も焼けよとばかりに撃ち続けていた1番砲塔に真正面から命中した。1発目が2本突き出した砲身の間に命中し防盾を大きく凹ませた直後、間髪入れずに2発目がごく近い位置に着弾した。艦の中でも最も分厚い装甲板が大きく拉げ、2本の砲身が助けを求めるかのように天を突き内側から膨れ上がった紅蓮に1番砲塔は跡形もなく爆砕された。立ち上った火柱が黒煙の柱に代わり、弾け飛んだ砲身や装甲板が至近弾の水柱に叩き付けられて、諸共に波間へと消え去る。

 砲弾の入射角が浅かったせいか、弾薬庫への誘爆と言う最悪の事態こそ免れたが、これで『ドレッドノート』は主砲火力の4分の1を失ったことになる。


「艦長、無事か?」

「イイのを貰いましたが、まだまだいけますよ。――こちらも相当叩き込みました、そろそろ足に来てもいいはずですがね」


 ジェリコーを始めとする司令部の無事を確認し、レンズにひびが入った双眼鏡を敵へと向ける。全身を被弾による痛みが包み込んでいるが、不思議と脳内はクリアだ。アドレナリンによって、集中力が維持されているのだろうか。

 両者の間に横たわる水柱と黒煙で見づらいが、敵の艦影も徐々に変わりつつある。海神の主要装甲を打ち抜くことはできていないようだが、それ以外の上部構造物と呼べる部分は灰燼に帰しつつあると見ていい。誇らしげにつき立っていた背部のマスト状構造物は2本ともへし折り、主砲以外の構造体はその全てが瓦礫に代わっているように見える。

 しかし、何とデタラメな装甲だ。

 オルダーソンは内心で簡単交じりの悪態を吐き出した。

 自分の知る限り『ドレッドノート』の55口径12インチ砲は世界最強の艦砲だ、そしてそれを操るのは最良の鉄砲屋集団。当然の様に数えるのもバカらしくなるぐらいの命中弾を与えてはいるが、それでもまだ戦闘能力を保持し続けている。

 敵は未だ5隻とも健在であり、主砲の火力に衰えは見られない。それに対峙する王立海軍の4隻のドレッドノート級と2隻のインフレキシブル級も浮いてはいるが、徐々にその戦闘能力に陰りが見え始めた。

『ドレッドノート』は先の攻撃で1番砲塔を失い、『シュパーブ』は主砲の損傷こそないものの後部艦橋付近を中心としていたるところに火炎を背負っている。最後尾の『ベレロフォン』は艦後部に命中弾が集中した結果、5番砲塔が旋回不能に陥り、後部艦橋が予備射撃指揮所を収めたマストごと跡形もなく吹き飛んでしまっている。唯一『テメレーア』だけが、先頭グループから遅れた2隻の敵艦が、反対舷側を進む第1巡洋戦艦戦隊に全力砲撃を掛けていたため被害を免れていた。

 その第1巡洋戦艦戦隊は、敵1番艦との距離を保ちながらじりじりと前進を続け、全門斉射が可能なポイントへと遷移しつつある。まもなく、『インヴィンシブル』の3,4番砲塔と『インドミタブル』の2番砲塔も砲撃に加わることができるだろう。都合20門の長砲身12インチ砲の集中砲火をもってすれば、このじり貧な戦いも好転するだろうか。

 オルダーソンの願望染みた期待をあざ笑うかのように、不意にレンズの端が光り、乱反射した閃光が鏡筒の中を跳ねまわった。しばしの時を置いて艦の後方から聞こえてくる大音響に、歴戦の艦長の口から呻き声が漏れる。


「『シュパーブ』に直撃弾!前部マスト、倒壊します!」


 瞑目し艦の後方に向けられた双眼鏡の一つに意識を通せば、今まさにその観測機器のレンズに移っている光景が脳裏に現れる。

 炎上する甲板から突き立った堅牢な三脚楼は、砲弾の命中によって足の1本を爆砕され、もう1本をへし曲げられ傾斜してしまっている。残った1本のマストが最後の踏ん張りを見せるが、泣き喚く金属の断末魔が収まることは無い。箱型の射撃指揮所からヒトガタの影を眼下の火炎地獄へと零れさせながら、『シュパーブ』の統制射撃を支えていた頭脳と目が、落城しつつある城の櫓の様に燃え、砕け、火の粉とともに頽れた。

 凶報は続く。『シュパーブ』の後方に位置する『ベレロフォン』の艦後部が水柱に包まれる直前、白く盛り上がりつつあった稜線の向こう側に閃光と火炎が迸った。奔騰した海水の杭に対抗するかのように、真っ赤な槍が下から上へと天を貫く。紅蓮の穂先には打ち取った敵の御首を誇示するかのように、5番砲塔のモノと思われる残骸が突き刺さっていた。


「『ベレロフォン』より連絡!【五番砲塔内、弾薬誘爆、鎮火ノ見込ミ無シ。ナレド航行二支障ナシ】」


 旋回不能に陥り放棄された五番砲塔を打ち抜かれ、砲塔内と揚弾機上の弾薬が誘爆を引き起こしたようだ。もし、弾薬庫に注水をしていなかったのであれば、『ベレロフォン』は浮いては居まい。

 その報告に誰もが胸を撫でおろそうとした瞬間、対峙する1番艦の斉射弾が降り注ぎ、冷や水と共に鉄と熱の暴風を叩き付けてくる。辛うじて甲板上に留まっていたクレーンが反対舷側の海面へと突き刺さり、側面に風穴を開けられた煙突から不揃いな黒煙が吐き出され始める。

 レンズの向こうを進む海神に、思わず恨みがましい目を向けてしまう。連合王国王立海軍の軍人として、最新鋭の戦艦を任された艦長として、数的有利を確保したこの状態で撃ち負けつつあるのは歯痒いと言う他ない。この海戦で死ぬのだからと、神が人の一生分の不幸の帳尻でも合わせに来ているのかと疑いたくなった。

 ここで自分たちが敗れれば、この悪神を阻む術は無くなる。30隻近い戦艦を叩き付けたにもかかわらず、真正面から敗北しつつある現状。新たな国王の消息すらつかめず、場合によっては目の前の敵こそが仇であるかもしれない。

 それ以前に、世界最強を自負している王立海軍がこれほどの損害を負って敗北したとなれば、故国の国際的地位は失墜する。海軍によって繁栄した王国が、海軍によって衰退するなど、軍人としての矜持が許さない。許してはならない。

 例え、ここが己の武運の果てであったとしても、ここにいる5隻のケーニヒ級はどんな手を使ってでも仕留める。それが、最新鋭艦を預けられた自分に課せられた最低限の責務だ。

 敵の1番艦が『ドレッドノート』の斉射弾が作り出す白の壁へと捕らわれる。今回も数発の命中弾を与えたように見えたが、十数秒後、オルダーソンの視界の先にはさほど形状を変えていない戦艦が海上を進んでいた。背中に感じる乗員や司令部の落胆の視線に歓喜するように、1番艦の艦上に斉射の業火が現れる。

 軍人の矜持を燃料に沸騰する焦燥と、その矜持が負け犬の遠吠えに近づきつつあることを冷静に分析する理性が鬩ぎ合う中、オルダーソンは自らを痛めつける敵1番艦から視線を逸らすことはしなかった。




 だからこそ、彼はこれまでの海軍史が粉砕される瞬間に遭遇する。





 至近弾と直撃弾の衝撃に大きく揺さぶられる『ドレッドノート』の艦橋で、彼だけが、海面を赤く照らす紅蓮の槍が敵艦の中央部を穿ち、天へと突き上がる様を目に焼き付けた。










命中Jackpot!」


 ビーティーが待ちに待った叫びと共にパシンと左の掌に右の拳を突き合わせた音は、艦橋に爆発した歓声にかき消されてしまった。左舷を航行する敵艦から一方的に射弾を浴びせられながら、数十発モノ主砲弾を海中に叩き込んだ末の漸くの命中弾に、『インヴィンシブル』のみならず後続する『インドミタブル』の艦橋でも同様の光景が見られた。

 水平線上に浮かぶ敵1番艦の背甲から天空へと十字架の様にそそり立った紅蓮の火柱は、内側からにじみ出る様にあふれた一回り大きな黒煙に飲み込まれてしまう。同航する『ドレッドノート』の砲弾をものともしなかった巨体は、それまでの忍耐が嘘のように大きくよろめき、伸びあがった首は苦悶に打ち震えているように見えた。


「敵1番艦に少なくとも命中弾1!敵中央部で大火災!行き脚止まります!」

「まさか………一撃で?」


 荒ぶる神の伝説のままに、王立海軍の誇る新鋭艦を蹂躙しつつあった敵のあっけない最期に、航海参謀が呆然とした声を上げる。敵の巨弾から逃れ味方へ誘導するため、最適な回避運動を模索し艦長に指示し続けた彼にしてみれば、今までの苦労は何だったのかと言いたくなるような光景だった。


「なるほど、確かに急所だ」


 双眼鏡を下ろした砲術参謀が、目の前の事象を噛締めるかのように二度三度と頷く。自然と、航海参謀の目は歳の近い砲術参謀の方へと向けられていた。彼の視線に気が付いたのか、砲術の専門家は「なんでこんな単純なことに気が付かなかったんだろうな」と肩を竦めるそぶりを見せた。


「基本的に軍艦も海神も、主要装甲帯は喫水線付近に重点的に張られている、そこを破られれば艦内に浸水が発生し沈没するから当然だ。だがそれは同時に、横から飛んでくる砲弾しか想定していないと言う事になる。逆に言えば、にはほとんど無防備と言う事だ」


「あ」と小さく航海参謀の声が漏れる。その後ろで、「我が意を得たり」とビーティーがほくそ笑み、自分たちに向けて1歩踏み出した。


「『インディファティガブル』と『インフレキシブル』が教えてくれた」


 そう得意げに言葉にする彼の眼には、先に散っていった男達と新鋭艦への寂寥と敬意が確かに含まれていた。


「射程の限界付近にまで飛ばせば、砲弾の落角は必然的に大きくなり真横では無く斜め上方から目標に突入する。乱暴な言い方をすれば、主要装甲帯の頭を飛び越して柔らかい腹――いや、背中に命中するのさ。音速よりも早く突入する850ポンド386㎏の鉄の塊を、脆弱な生体金属で受け止められると思うかね?」


 納得したような顔の幕僚から、再び視線を水平線上へと向け一つ感嘆の唸り声を上げた。

 ジェリコー率いる4隻のドレッドノート級が散発的な砲撃を繰り返し、回避運動を挟みながら敵との間に徐々に距離を取りつつある。王立海軍の宿将は、先ほどの『インヴィンシブル』の戦果を見て戦術を躊躇なく切り替える決断を下したらしい。この作戦には致命的な弱点があるが、そこも加味しての判断に違いなかった。4隻の傷ついた巨獣が、仕切りなおすように退いていく。逃げるわけでは決してなく、自分を散々痛めつけてくれた【王】に復讐の刃を突き立てるために。

 一方、先頭艦を一撃で行動不能に陥れられた敵は何処か浮足立っているように見えた。2番艦は左へ、3番艦は右へと僅かに針路を変えて、減速しつつある1番艦を回避しようとしていた。2隻の距離が開き、戦闘集団として勘定できる艦隊では無く、ただ2隻が寄り添っているだけの「群れ」へとなり下がりつつある。


 好機だ。


「本艦及び『インドミタブル』目標、敵4番艦!測的完了次第、打ち方始め!」


 待ってましたとばかりに第1巡洋戦艦戦隊の生き残った砲12門が黒煙に縁どられた紅蓮を閃かせた。既に敵の後続グループは自分たちの左舷側後方をほぼ同航する形であり、インフレキシブル級でも全門斉射が可能な方位だ。

 さらに言えば、敵1番艦の砲撃に参加できなかった3番、4番砲塔は後部の射撃指揮所の管制で既に敵4番艦に対する修正射を幾度となく実施している。相も変わらず射程ギリギリで散布界は劣悪の一言だが、全門斉射ならば確率も上がり命中弾も期待できた。

 後は、酷く機械的で依怙贔屓な確率の女神と自分や乗員、造船技官が流した血と汗の量がこの大海戦の行く末を決めるだろう。




「これで、全てが終わる――否、ここからまた【始まる】のか」




 鋼鉄の断末魔から銀の弾丸を見出した提督は、この世界における海軍史の転機を朧気に感じ取っていた。


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