97th Chart:絶海の王、比類なき勇者


 ――撃てshoot


 奇しくも、4隻の戦艦で全く同じ命令が同じタイミングで駆け巡る。艦長たちの獅子吼に、煤で汚れた三脚楼の頂上で双眼鏡を覗きこんで割り当てられた獲物に狙いを定めていた4人の砲術長が、間髪入れずに意識の中で引き金を引き切った。

 とたんに隊列を組み右舷に向けて掲げられていた長大な主砲が震え、砲口から閃光が迸る。ついで膨れ上がった黒褐色の砲煙が蒼空を汚し、押しのけられた大気が不可視のハンマーとなって乗員を押し包んだ。

 時を同じくして、約10㎞の間合いを取った敵戦艦も次々と砲門を開く。後続の2隻が遅れているため、隊列は先行する3隻と後続する2隻に別たれてしまっていた。遅れたグループは辛うじて4隻のドレッドノート級戦艦を射程に捉えてはいるものの、命中率は低下せざるを得ない。

 音速の2倍に迫る速度で宙に放り投げられた16発の12インチ砲弾は、両者の中間地点で25発の13.5インチ砲弾と轟音を叩き付け合いながらすれ違う。赤熱した砲弾はその進路を海へと向けていき、先頭グループの3隻へと襲い掛かった。


「初弾命中とは行かぬか」


 旗艦『ドレッドノート』の艦橋で双眼鏡を構えていたジェリコーが苦笑と共に独り言ちる。『ドレッドノート』の初弾は全てが敵を飛び越して遠弾となり、その多くが後方50m付近にまとまって水柱を噴き上げた。決戦距離よりも1,2歩踏み込んだ距離ではあるが、やはり初弾命中という快挙はそう簡単に生まれぬようだ。

 同様の光景は後続する3隻でも繰り返される。今回は『ドレッドノート』と『シュパーブ』がそれぞれ1,2番艦を相手取り、『テメレーア』と『ベレロフォン』が3番艦を集中攻撃する割り当てだ。敵の出遅れている2隻が合流する前に、3番艦を叩き潰し、戦力を互角に持っていく腹積もりだった。

 しかし――。と、第2射の振動を全身に浴びながら老提督は口角を歪ませる。


「せっかくのフィナーレだ。早々に決着をつけるのは持ったいないか」

「は?何かおっしゃいましたか?」

「いいや、何も。耄碌爺の戯言だよ」


 困惑したかのような主席参謀――エドワード・オースティン大佐の問いに呵々と笑う。背中に幕僚団の「狸爺の間違いだろ――」などという失礼千万な視線を感じるが気にするだけ無駄だ。

 一瞬弛緩した艦橋の空気を引き締めるかのように、空を圧する轟音が頭上を掠めたかと思うと、左舷側の海面が爆発しマストを超えるほど巨大な水壁がそそり立つ。水中爆発の衝撃波が左下方から突き上げ、慄く様に艦が震えた。敵の初弾も全てが遠弾、だが艦の真横に落ちたことから速度は合っている。

 敵に一歩先を行かれたことを悟った戦務参謀が小さく舌打ちを漏らした直後、先ほど吐き出した第2射が敵の元へと届く。うねりの残る海面が一息に爆発し、上下逆の滝が4本立ち上がって鈍色の海神が水柱の向こうへと姿を隠す。


「砲術長より艦橋、次より斉射」


 先ほどの弾着が夾叉しているかは微妙な判断だったが、砲術長アーサー・ウォードル大佐は己の直観に従い斉射を選択するらしい。戦いの基本は先手必勝、それは航空戦でも雷撃戦でも砲撃戦でも変わらない。いかに相手よりも先に、相手よりも多くの砲弾を送り込めるかが、鉄と物理学が支配する世界で明暗を分ける。

 4基の主砲塔が砲弾の装填の為に沈黙する間にも敵の砲撃は続く。第2射は再び全てが遠弾、だが距離は近く2発が至近弾となり左舷側を擦るように水柱が吹き上がる。『ドレッドノート』は僅かに揺れながら、逃げ道を塞ぐかのように屹立した白柱を押しのけ、歩みを進めた。

 待ちに待った主砲発射のブザーが鳴り響いた直後、敵の第3射が降り注いだ。『ドレッドノート』の艦首両舷を挟むように真っ白な飛沫が吹き上がったかと思えば、艦橋の後方で大音響が響き基準排水量22000トンの巨体が痙攣したかのように揺さぶられた。

 命中弾となった1発は艦橋後方の艦載艇置き場に命中し、これまでの戦闘で穴だらけになっていた内火艇を木っ端みじんに吹き飛ばした。衝撃波がクレーンの索具を引き千切り、くの字に曲がったブームが左舷側へと振り出される。

 直撃弾の衝撃による振動が終わるか終わらないかのうちに、『ドレッドノート』の反撃の狼煙が右舷側を押し包んだ。砲口近くの海面が四方へ押しやられ、8本の筒先から紅蓮を溶かした砲煙が吐き出されると、8発の対艦徹甲弾が大気を引き裂く鬨の声を上げて飛翔する。誰もが固唾を飲んで発砲煙の中から現れる1番艦を睨み、動きを止める。1秒が数分にも感じられ、8発の砲弾は見当違いの場所に飛んで行ってしまったのでは、と気の早いものが恐れを感じた瞬間だった。

 1番艦の艦上で光が二つ閃いたかと思うと、鈍色の艦体がせりあがる水柱の向こうへと押し包まれる。天に吹き上がった白い壁の上部から、明らかに被弾のそれと解る黒煙と細かな残骸が打ち上げられるのが見えた。


「命中です!命中弾少なくとも2!」

「艦長より砲術!その調子だ、畳みかけろ!」


 砲術長の返答は第二斉射を以て返された。8門の12インチ主砲の咆哮に全艦が震え、幅の広い艦体が僅かに左へと傾いた様な錯覚に陥る。

 水柱の向こうから現れた敵1番艦は艦の後部から黒煙を棚引かせ、主砲も沈黙を保っている。もしや、と淡い期待を胸に抱きかけるが、それよりも早く斉射の閃光が敵1番艦を包み込んだ。

 仰角を掛けた連装砲塔5基10門の一斉射撃、巨大な黒煙がぶちまけられ、艦上にたなびく黒煙を文字通り消し飛ばす。

 片舷における斉射能力はドレッドノート級にも匹敵する、インフレキシブル級巡洋戦艦の猛射にも耐え抜いた実力を誇るかのようだ。こちらの第2斉射の水柱に飲み込まれても、そう簡単には沈まないという意志が数百トンの海水の向こうから叩き付けられる。

 ややあって13.5インチの斉射弾が降り注ぎ、周囲に着きあがった柱が飛沫と共に甲板に影を落とす。直後右舷を閃光が舐め、艦全体が右フックを食らったかのようにガクンと左へ揺れた。


「2番砲塔基部に直撃弾!損害軽微!」


 副長の言葉に艦長が胸をなでおろした。直撃弾となった1発は、艦の中でも最も分厚い287㎜の装甲で鎧った主砲塔のバーベットに命中し、辛うじて弾き返されたようだ。現状、どの艦艇よりも巨大な砲ではあるが、初速が低いのか弾頭に問題があるのか、『ドレッドノート』の装甲はその役割を十分に果たすことに成功した。

 海の彼方で第二斉射が落着する。上空に噴き上げられる純白の柱はやや前方に集中し、敵は降り注ぐ主砲弾の雨の中に自ら乗り入れる形となった。

 ジェリコーは長年の鉄砲屋としての勘で一発は当たったと確信するが、再び目の前に現れた敵に目立った損害はない。ビーティーのインフレキシブル級を真正面から打倒した重防御ぶりは伊達ではない。


「主席参謀、後続はどうかね?」

「『テメレーア』が艦の中央部で火災が発生している以外は全艦健在です。ですが、敵も斉射に移行し徐々に命中弾が出てきました。まだ何とか耐えられてはいますが、長期戦になればこちらが不利です」


 周囲を取り巻く鉄火場の中、ジェリコーはしばし瞑目する。

 主砲の火力、防御能力共に相手の方に分がある。対してこちらは機動力に秀でており、戦闘距離をある程度自由に選択可能だ。だからこそ主砲の命中確率があがり、高初速砲弾が有利になる中近距離砲戦を挑むことができている。

 だが、それは敵にも言えることだ。向こうの13、14インチクラスの砲は『ドレッドノート』の主要装甲帯を確実に貫く性能は持っていないが、コチラもその巨砲を確実に弾ける装甲を持っているわけではない。仮に主要装甲帯を打ち抜かれれば、致命傷は免れないだろう。

 ここはひとつ、距離を詰めて砲火を集中し、敵の主要装甲帯を高初速砲弾に任せて打ち抜くべきか、あるいは


「敵1番艦付近に弾着あり!本艦の射弾ではありません!」


 出し抜けに飛び込んできた見張り員の報告に、熟考を中断して素早く双眼鏡を向ける。見れば、右舷側を併進する1番艦の周囲に弾着の水柱が4本吹き上がっている。それぞれの水柱は酷く離れていることから、随分と遠距離から放たれたもののようだ。

『ドレッドノート』のモノでも、無論後続する3隻のモノでもない。それらを降り注がせたのは、遥か彼方の水平線上に染みの様に浮かんだ【頑固者】の仕業だった。


「砲術長より艦橋――ただ今の弾着は『インヴィンシブル』の砲撃によるもの。『インヴィンシブル』及び『インドミタブル』敵の右舷側を併進、砲戦に移る模様」


 艦橋よりも高い位置にある射撃管制所では、水平線の彼方からにじり寄る2隻の戦闘艦の姿が辛うじて判別できた。2隻にまで打ち減らされ、艦の彼方此方から黒煙を噴き上げつつも、ささやかな単縦陣を組み主砲を振り上げてこちらの砲戦に追いすがっている。


「おそらく敵の4,5番艦にすれ違いざまに一撃を加えた後、距離を取って反転し追尾してきたのでしょう。ビーティー提督らしい積極さです。これなら、後続した敵2隻を牽制でき――」


 手酷い損害を受けながらも援護に現れた第1巡洋戦艦戦隊に、これで一息つけると安堵の表情を浮かべた戦務参謀に、「否」と何かを探る様な否定の言葉がジェリコーから漏れる。

 皺だらけの顔の中でひときわ強い輝きを放つライトグレーの瞳は、1番艦に踏みつぶされうねりの中へと消えゆく『インヴィンシブル』の弾着の水柱だった飛沫を見つめていた。


「――――作戦参謀。たしか、君の知己は『インヴィンシブル』の砲術長をやっているそうだね。彼は優秀かい?」

「は?――あ、いえ。まあ、新型艦の砲術長に選ばれる程度には」

「ではもう一つ聞くが、我々が対峙している敵1番艦は『インヴィンシブル』から見て最も撃ちやすい獲物かね?」


 ジェリコーの言葉に戦務参謀がハッと息を飲んだ。

 ビーティーの巡戦部隊は敵を左舷前方に見つつ後方から追い抜きを掛ける形になっている。今、『インヴィンシブル』と『インドミタブル』はちょうど敵4,5番艦に並びかけるところだ。十分に決戦距離であり、横腹を向けているから生き残った砲による全門斉射が可能である。

 対して、先ほど砲弾を打ち放った敵1番艦は彼らから見てまだ遥か先の方。射程にはギリギリ収めているようだが、射角の関係上全門斉射は不可能だ。

 常識的に考えて2基4門、中央後部右舷寄りに据えられた第3砲塔を、艦上の損害を気にせず使っても6門だ。さらに言えば主砲を既に2基失った『インドミタブル』は1基2門のみ。使用可能な砲は占めてインフレキシブル級1隻分以下といえる。

 優勢な敵を相手にあれ程大立ち回りをして見せた闘将が、敵を挟撃できる好機を逃すとは考えづらい。

 顔色を変えた砲術長に、老提督が小さく頷いた。


「私も、君と同意見だよ。ビーティーは態々最も遠い獲物を狙っておる。満足に当たらぬことを承知でな」

「無電を打ちましょうか。目一杯出力を上げれば、この距離ならば伝わるかもしれません」

「頼む。だが、先の砲戦で先方の通信設備が生きているとは考えづらい。適当なところで切り上げろ」


「了解」と敬礼した通信参謀が、弾着と発砲の衝撃に小突き回されながら艦橋の外へと消えていく。再び双眼鏡を手に取ったジェリコーは、対峙する1番艦では無くその遥か彼方に姿を現し始めた新鋭艦へとレンズを向けた。


「ビーティーめ、何を考えとる」









「目標夾叉!」

「やれやれ、ようやくか」


 砲術長の喜色を含んだ言葉に、微かに疲れの色を纏わせる闘将が小さく肩をすくませた。艦橋から前甲板を見下ろすと、仰角を一杯に取った1番砲塔が何度目かの斉射を解き放った。天を突く様に振り上げられた2本の砲身から閃光と共に黒褐色の入道雲が吐き出され、僅かな時間艦橋を夕闇が包む。

『インヴィンシブル』の主砲斉射と入れ違う様に、左舷側を同航する敵第2グループが、つい先ほど足を踏みつけていった2隻へ解き放ったお礼参りが降り注いだ。1発、2発、と艦の周囲に弾着の水柱が吹き上がるたびに基準排水量19900トンの艦体がよろめき、鋼材の悲鳴があちこちから響く。だが幸いにも、艦橋の乗員が床や天井に叩き付けられることもなく、艦のどこかで金属が力任せに引き千切られる絶叫が聞こえてくることもない。

 大嵐の中に突っ込んだかの如く、血と煤で赤黒く塗装された艦体を、砕けた海水が叩くごうごうとした音が響くだけだ。


「しかし、発砲可能な砲は本艦の4門と『インドミタブル』の2門、合わせて6門のみです。射程ギリギリでの長距離砲撃ですし、命中は余り期待できないかと」

「無論、それは承知の上だとも。だが奴らを潰すには、ギャンブルまがいの超長距離砲撃が最善なのだよ」


 ビーティーの言葉に司令部だけでなく艦橋の乗員までもが困惑したような顔を浮かべる。

 距離が近くなればなるほど命中率が高くなることは子供でも分かる。質の面でやや見劣りする自分たちが勝利を得るためには、可及的速やか敵を減らし、せめて数の優位だけは確保する事も。


「参謀長。君、殴り合いの喧嘩をしたことは有るかね?」

「は?ま、まあ、ある事にはありますが」


「私もだ」と困惑の視線を集める男はパブでギネス片手に昔話をするかのような、明るい口調で言葉を続ける。


「威力の無いパンチを100発打ったところで、相手は倒れぬし、コチラが弱いと見て増長する。そればかりか、こっちは徐々に疲労と焦りがたまって不利になる一方だ。――喧嘩に勝つコツは、相手よりも早く致命打を打ち当ててやることさ」


 確かに、戦艦同士の水上砲戦を殴り合いに例えるのは良く行われる表現だ。実際、砲戦と言うのは1発当たり400㎏近いパンチを音速でやり取りする戦いともいえる。ボクシングやストリートファイトと決定的に異なる点は、分厚い装甲による防御が認められている点だろうか。


「それは同意見ですが、相手はこちらの砲撃を悉く跳ね返す重装甲の持ち主です。それに、現実問題我々の拳は奴らよりも一撃の威力は軽い。であれば、なおさら距離を詰めて、命中弾の数で圧倒するべきでは……」

「至近距離で打ち合えばそれこそ奴らの思うつぼだ。先ほどの我々の様に、砲火力と装甲の差で押し切られる。之も喧嘩の話だが、相手が頭をがっちりガードしたらどうするね?」

「足が使えるのであれば股間を蹴り上げますね」

「つまりはそう言う事だ。ガードが堅いのならば、手薄な急所を突けばいい」


 ズシリ、と大気が鳴動し斉射の閃光が艦橋を焼き尽くす。放たれた砲弾は、万に一つの可能性めがけて放物線を描き虚空の彼方へと消えていく。しばしの飛翔の後、もたらされるものは吹き上がる海水数百トン。命中弾の閃光も、爆沈の黒煙もない。ただ悪戯に、1分に12発の12インチ砲弾を海中へ叩き込むだけ。

『インヴィンシブル』と『インドミタブル』が及び腰ともとれる遠距離砲戦を続ける中でも、遥か彼方では第6戦艦戦隊が徐々に損害を受けつつある。手の届く距離にいるというのに、第1巡洋戦艦戦隊は未だ戦局に寄与できていない。

 とろ火で焼かれるような焦燥が広がりつつある艦橋で、それでもビーティーは、大負けしたギャンブラーが臆すことなくさらなる大金をベットするかのように口角を歪めてみせた。


「――――なぁに、分の悪い賭けは経験済みだろう?諸君」



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