85th Chart:二兎を追う
第3水雷戦隊の旗艦を務める『ブリストル』は、リバプール級に属する偵察巡洋艦だ。全長138mの艦体に、50口径
多段膨張式蒸気複動機関は、常備排水量4800トンに達する大柄な艦体を27ktにまで加速させ、現用の駆逐艦の先頭に立って敵艦隊へと突入可能な足を与えていた。
強力な火砲と優秀な速力をもって、現在の主力である
設計者の期待通り、常に最前線に立ち続けた彼女らは、正しく、王立海軍の切込み隊長と呼べるだろう。
だが、勇猛果敢な王立海軍水雷戦隊の旗艦であっても、空からの刺客に対しては余りにも無力だった。
艦上に膨れ上がった火球は、情け容赦なく上甲板から上の構造物全てを薙ぎ払った。
甲板に聳えていた4本の煙突は、両側の連装魚雷発射管が変じた爆炎により押しつぶされ、無数の破片に分解されて陽光を反射させながら四方に飛び散る。
舷側に並び、発砲に備えていた4インチ単装砲が砲弾を誘爆させつつ根元からもぎ取られ、真っ赤な尾を引いて放物線を描き飛沫を上げる。
最後の瞬間まで対空機銃に取り付いて引き金を引き続けていた船精霊は、逃げる間もなく劫火に焙られた直後、周囲の弾薬箱が誘爆を引き起こし敵騎を貫くはずだった機銃弾を受けて四散する。
第3水雷戦隊司令部が詰めていた華奢な艦橋は、巨大なハンマーを真後ろから横殴りにされたかの如く、第1砲塔を巻き込んで艦首側へ吹き飛び消失した。
一連の災厄が『ブリストル』を襲った後そこに浮かんでいたのは、「限りなく防護巡洋艦に近い偵察巡洋艦」と称されていた戦闘艦では無く、火炎を背負いうずくまる瓦礫の山だった。
「今回の空襲で第3水雷戦隊は全艦が撃沈ないし大破漂流。また、第2巡洋艦戦隊の『ウォーリア』と『ナタル』に爆弾2発ずつが命中し主砲が1基ずつ使用不可。第1巡洋艦戦隊の『ブラックプリンス』は艦中央部に1発が命中し、単装速射砲2基を破壊されました。また第2水雷戦隊の旗艦『グロスター』と偵巡『グラスゴー』、第22駆逐隊『サーモン』が至近弾を受け浸水。速力低下により落伍しつつあります」
ビーティーは遊撃隊を襲った空爆の被害速報を聞きつつ、内心で思いつく限りの罵声を頭上を飛び去っていく蟲に投げつけていた。第3水雷戦隊にとんでもない置き土産を残していった蟲の群れは、ランダムに旋回を繰り返しながら艦隊上空から離脱しつつある。
ようやく絞り出したような声が彼の喉の奥から漏れたのは、『アヤカゼ』の砲火に追い立てられるように、東の空へと遁走していく影が小さくなった時だった。
「舐められたものだな、我々も」
苦々しさに満ちたその一言が、遊撃隊司令部の総意を代弁していた。
遊撃隊の中でも桁外れの巨体を有する『インヴィンシブル』の艦橋からは、悲劇の一部始終が嫌というほどよく見えた――否、見せつけられた。だからこそ、自分たちの無力さを誰もが痛感することになっている。
「まさか無理やり着艦し、爆弾を直接送り込んでくるとは思いませんでした」
「それも、奴らはご丁寧に魚雷発射管や火砲の傍に置いていった。デイリー・メールの配達員でも、もう少し雑だぞ」
悔やむような顔を見せる主席参謀に対し、思いついた冗談を無理やり混ぜてみるが、ビーティー自身これが空元気から来るものだと自覚している。
艦上で炸裂した閃光を見る限り1発当たりの火力は
舷側に並べられた速射砲やその周囲に置かれた砲弾、そして水雷戦隊である以上当然の様に搭載している魚雷。飛来した敵騎は、これらの致命的に過ぎる場所へ優先的に攻撃を加えたのだ。
一昔前の防護巡洋艦並みの体躯を持つとはいえリヴァプール級は偵察巡洋艦であり、甲板上での250ポンド爆弾の炸裂や魚雷の誘爆に耐える能力は無い。駆逐艦ならばなおさらだ。
そして今更どう分析しようと、遊撃隊が瞬時に健全な1個水雷戦隊を失ったことは事実であり、同時に航空騎に対する水雷戦隊の脆弱性が浮き彫りになってしまったことに変わりはない。
「『アヤカゼ』が居なければ、第1巡洋戦艦戦隊も危なかったでしょう。250ポンド爆弾程度では沈むことは無いでしょうが、無傷とは行きますまい」
インヴィンシブル艦長の言葉に遊撃隊司令部のほぼ全員が深く頷く。
第1巡洋戦艦戦隊も無論爆撃を受けたが、直衛に着いた『綾風』の甲板上に備えつけられた対空火器がまさしくハリネズミの針となって敵航空騎を寄せ付けなかった。そればかりでなく、紅蓮の傘を大きく広げることで、撃墜はならずとも投弾の妨害をして見せたのだ。
もし『綾風』が居なければ――――被害は第3水雷戦隊だけでは済まなかったに違いない。
嫌な予想を振り切ったビーティーは、傷ついた艦隊の再編へと取り掛かる。ぐずぐずしていれば、敵の第二波を無策で迎える間抜けな展開になりかねなかった。
「2水戦の損傷した3隻は22駆の残存艦と下がらせ、3水戦の生存者救助に当たらせろ。残った21、23駆はそれぞれ1、5水戦に合流。第1巡洋戦艦戦隊は増速し、艦隊の前衛に出て煙幕を展開する。……古典的だが、其れゆえに有効だ」
「第1巡洋戦艦戦隊、速力27.5kt。取り舵5!1、5水戦の左舷側から追い抜く」
「2水戦に伝達――」
艦橋に伝わる機関の振動が一段と大きくなり、ビーティーの決断を実行すべく無数の命令が発信されていく。
1個水雷戦隊が消滅したのは痛手だが、だからと言って進撃の手を緩めるわけにはいかない。
最大戦速で東進しながら敵の護衛艦隊と砲火を交えたため、味方の本隊との距離が開いてしまっている。戦艦の数で負けている以上、苦戦を強いられる本隊を救援するのは自分たちしかいない。
新たに水雷戦隊の標準装備となったMk.V魚雷は、雷速40ktで
4隻の巡洋戦艦が艦隊左舷側から全艦艇を追い抜こうと白波を蹴立て、2個の水雷戦隊は後続する2群の巡洋艦戦隊の前面へと移動をはじめる。
陣形の変更が滞りなく終われば、遊撃隊は2隻の巡洋戦艦、駆逐艦が2隻増えた水雷戦隊、4隻の装甲巡洋艦の順に並んだ単縦陣が2本併進する形になるだろう。そのまま先陣を切る巡洋戦艦が煙幕を展張すれば、後続する各艦は空や海の目から逃れられることとなる。
だが、『インヴィンシブル』が遊撃隊の先頭を進む第1水雷戦隊旗艦『リヴァプール』と並んだ瞬間、王立海軍にとって特大の凶報が連続して舞い込んで来た。
「『クイーン・メリー』より通信!【『キング・エドワード』大火災。至急来援ヲ請ウ】」
「『サー・ガウェイン』より通信!【ケーニヒ級、方位二-四-〇ニ変針、速力22kt。本隊南方ヲ通過セントス。第2、第3戦艦戦隊被害大、阻止不可能】」
軽いめまいを覚えつつとっさに双眼鏡を覗けば、火達磨になりながら白と黒のヴェールにうずもれようとしている双方の本隊と。薄く黒煙を上げながらもこちらに背を向け南西へと変身しつつある、7隻の巨艦の小さな姿。
新王の窮地と、強力な海神の侵攻阻止失敗。
魔獣の唸りにも聞こえる呻き声が、ビーティーの喉の奥から漏れた。
【全降下ポッド、着水確認】
【光学迷彩起動率、78%――上昇中】
【勢力比、規定値到達】
【勢力L、突撃開始】
【条件:白】
【Fata Morgana、承認――――起動信号発信】
「さて、どうするかなビーティー提督は」
そのころ、『綾風』の防空指揮所で遊撃隊司令部と同じ方向に双眼鏡を構えながら、誰に問いかけるでもなしに呟いてみる。独り言のつもりで放った言葉ではあったが、不意打ち気味の返答が隣から聞こえて来た。
「二兎追う者は何とやら、だ。ケーニヒ級に追い付けて打ち勝てる主力艦が無い以上、遊撃隊で叩く他なかろう」
「…………持ち場はどうした、副長」
「何分艦長が優秀でな。直撃弾どころか至近弾も無い。之では、応急修理の指揮もへったくりもない。航海艦橋で羅針盤を眺めているよりは、
「意見具申と言う事にしておくよ」
「それは重畳」満足げにからりと笑った永雫は、首にぶら下げた無骨な双眼鏡をもて遊びつつ、前方へと瑠璃を向ける。遥か彼方の水平線では、海の蒼と空の青の境界線上に、白と黒の靄の様なものがにじみ出ていた。
「味方本隊は煙幕を展開したか、やはり随分劣勢と見える。ま、ド級戦艦クラス7隻は、ロートル騎士団には少々荷が重いだろうな。……そういえば、あの煙幕はどこから?」
「本隊の東側に布陣していた
有瀬半ば確信染みた推測通り、海神に対し撃ち負けつつある本隊――特に、第1から第3戦艦戦隊は、後方に控えさせていた2個防護巡洋艦戦隊に煙幕の展開を命じていた。
命令を受けた8隻のアルゴノート級は、90度一斉回頭により縦一列の単縦陣から横一列の単横陣へと陣形を変換。南北に並んだ戦艦群の間を西から東へすり抜け、敵海神との間に煙幕のスクリーンを張りつつあった。本隊は一時的に煙幕に身を隠し、その間に体制を立て直すつもりだろう。
今一度、現在の各隊の位置関係を頭に思い描いてみる。
まず、味方本隊は針路を真北に取り単縦陣を形成しつつ砲撃を繰り返している。対して、戦艦を中心とした敵主力の前衛は損害を出しながら、距離6000程度で右へ逐次回頭を行い同航戦へと移りつつあり、既に艦隊の過半は回頭を終えているようだ。
そして、隊列の最後方を進んでいた7隻の新型戦艦――ケーニヒ級のみが針路を
ケーニヒ級に最も近いのは『サー・ガウェイン』率いる第2戦艦戦隊だが、T字を描いた上で撃ち負けた戦艦隊が、彼らを阻止できる可能性は小さいと言わざるを得ない。
「ケーニヒ級か――あの不良狼が1隻喰ったらしいから、対水雷防御に大きな進化は無いと見れる。となると、本艦の酸素魚雷なら1本で大破、2本で航行不能、3本命中で轟沈ってところだな。貴様の腕なら、性能が低下していても1隻ぐらいは食えるだろう」
『綾風』に残された11本の酸素魚雷は軍機に指定されており、今回の戦いでは雷速40ktで射程距離4㎞となるように調整が施されていた。無論、この魚雷にそこまで細やかな調整機能は無かったため、空気室の酸素を抜いて射程距離を調整する力技に過ぎる方策に頼らざるを得なかった。
「航行性能は落ちたが、弾頭の火力は全く落ちていない。ケーニヒ級を轟沈させて、王立海軍の度肝を抜いてやろうじゃないか」
「そう上手く行くかな」
「なんだ?自信が無いのか?」
意外そうにこちらを見上げる瑠璃に「そうじゃない」と零して肩を竦める。
自分の腕に随分と信頼を置いてくれている事には、多少ならず面映ゆいモノを感じるが、『綾風』に新型戦艦撃沈の機会が訪れるとはどうにも思えなかった。
「『クイーン・メリー』の通信を聞く限り、本隊の状況は君が考えているより悪いかもしれない。『キング・エドワード』からの命令が有れば全く問題は無いが、王族の、ましてや新王の危機をあえて無視して、敵新型戦艦の阻止のみに動くのは考えづらいと思う」
「だが、作戦目的は敵海神の侵攻阻止だ。王を救ったところで、王都や他の方舟が艦砲射撃を受けては元も子もないだろう?」
「そう、元も子もない。つまり、遊撃隊がとれる選択肢は頭の痛い一つだけと言う事だ」
有瀬の言わんとすることに思い至った永雫の背後から、通信文を携えた通信士が現れる。その船精霊の顔は、何処か緊張をはらんでいるようにも見えた
「『インヴィンシブル』より通信!【第1、第5水雷戦隊ハ可及的速ヤカニ敵本隊へ突入、味方本隊ヲ救援セヨ。以後、指揮ハ1水戦ニ移譲ス】以上です!」
「指揮を移譲だと?それでは……」
「『インヴィンシブル』取り舵!第1巡洋戦艦戦隊、『インヴィンシブル』に後続します!」
「1水戦旗艦『リヴァプール』より通信!【艦隊速力27kt、全艦突撃、我ニ続ケ】」
永雫が絶句しながら前を見れば、巨大な城塞を思わせる4隻の巡洋戦艦が順次取り舵を切って針路を本隊の後方へと向けている。対して、前方を進む5水戦の各艦は後続する装甲巡洋艦に合わせ20ktに抑えていた俊足を解き放ち、白波を蹴立てて増速を始めつつあった。
「艦橋より機関室、速力27kt」
「速力27kt、回転制定」
ため息交じりに吐き出された有瀬の指示があって直ぐ、『綾風』の機関が甲高い唸り声を上げ、鋭い艦首が切り裂く白波が大きく弾け始めた。
「ビーティー提督は、二手に分かれて二兎を追うつもりのようだな」
何処か他人事のように呟く艦長に「バカな」と副長が喘ぐような悪態をついた直後だった。徐々に大きくなりつつある煙幕を突き破って巨大な黒煙が吹き上がったかと思うと、体の芯から震わせる、おどろおどろしい爆発音が防空指揮所に遠雷の如く響き渡った。
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