82th Chart:神の居城は不屈なり


 金切り声を上げて飛来した砲弾が通風塔の基部に命中すると、衝撃が走り抜け5500トンを超える艦体が金属的な叫喚を上げて身震いする。

 瞬間、後部艦橋に陣取った巨漢――合衆国海軍大尉、オリバー・G・グリッドレイの真横を、爆砕された通風塔の破片がうなりを上げて通り過ぎ、背後の端艇へと音を立てて突き刺さった。

 一瞬遅れて頬へ感じた熱風と、秒単位で増えていく体の痛みに苛まれながらも、強靭な筋肉の鎧に身を包んだ男は、恐怖を感じるどころか白い歯を見せて笑い飛ばす余裕を見せた。


「ヒュゥッ!っぶねーなおい!これで何発目の被弾だ?」

「副長!ご無事ですか!?」

「残念ながら、破片には嫌われる性質でね。そんなことよりカパーゾ、被害状況は?」

「右舷側の7番、9番速射砲は完全に破壊されました。艦中央部に被弾2発、1発は不発で、もう1発は艦載艇を吹き飛ばしただけです」

「OK!『オリンピア』もまだまだ砲弾には人気が無いようだな!ホーヴァス!メリッシュとライベンを連れて艦底部の応援に回れ。こう至近弾が多くちゃ、砲塔より先に機関が音をあげかねん」


了解!Yes.Sir」とラフな敬礼をした船精霊が数人の部下を引き連れて艦内へ続くハッチへと走っていく。その間にも、防護巡洋艦『オリンピア』の周囲には弾着が連続し、龍の牙の様な細い水柱を無数に噴き上げていた。至近で吹き上がった飛沫が甲板を叩き、赤熱した破片や砲身を強制的に冷却していく。

 右舷側には、約6000ヤードほどの距離を置いて併進する敵海神――――インファンタ・マリア・テレサ級の姿があった。

 左舷側に一斉回答を行い、右砲戦となってから相手取り始めた、装甲巡洋艦級の海神だ。50口径の14㎝単装砲と7.6㎝単装砲を10基ずつケースメイト式に備え、舷側を砲火で真っ赤に染めながら矢継ぎ早に砲弾を解き放ってくる。

『オリンピア』の周囲に乱立する水柱を見るに、狙いは決して正確では無いが。片舷当たり10門の中小口径の速射砲弾は、間断なく鋼の暴風をもたらしている。事実、先ほどの被弾の様に、『オリンピア』の舷側や甲板に被弾の閃光が踊り、黒煙が吹き上がるのも一度や二度ではない。

 鋼材が悲鳴を上げ、板材が飛び散るごとに、後部艦橋――と言っても後部マスト基部の見張り台と言った雰囲気だが――に仁王立ちになったグリッドレイの指示が飛び、損傷個所へ向けて角材や医療器材を抱えた船精霊が我先にと飛び掛かっていく。

 甲板や艦内を走り回る際中、飛来した断片が突き刺さって血だまりに沈む乗員や、甲板に雪崩れ込んだ水柱の激流に絶叫と共に押し流され消えていく乗員、損害の復旧中に、飛び込んできた敵弾によって瞬時に肉片となる乗員も出てしまうが、逃げようとする者はいない。

 戦闘艦を守護する最後の防壁は、敵を置き去りにする俊足でも、巨弾を跳ね返す装甲板でもなく、砲煙弾雨の中を駆け抜け、火と水を相手取る被害対策班自分たち以外に存在しない事を、よく理解している証左だった。


「しかし、ここまでドッカスカ撃たれっぱなしと言うのも、ダメコンチームディフェンスにとっちゃ堪りませんな」

「なぁに、心配すんな。俺たちがしっかり艦を守っておけば、後は砲術科の連中オフェンスが得点を引っ繰り返すさ」

「そう願いたいところですが、そろそろ一発、タイムリーが欲しい所です」

「ハッ!何言ってやがる。今に特大のグランドスラムが飛び出すさ!口動かす前に手を動かせ兄弟!」

Hoo-Yahッ!」




 グリッドレイの言う通り、『オリンピア』も撃たれっぱなしと言うわけでは決してない。

 現に、舷側や上部構造物に据え付けられた5インチ速射砲、6ポンド砲は矢継ぎ早に砲弾を吐き出し続け。前後に2基備えられた8インチ連装砲4門も、右舷側へ黒褐色に包まれた劫火を迸らせている。

 その火力は1隻の防護巡洋艦としては標準的な物ではあったが、一斉回頭によって前方に見えるようになった僚艦達――戦艦『コネチカット』を始めとする臨時戦艦戦隊に負けじと、咆え猛っていた。

 そんな人一人など容易く引き裂ける砲弾が飛び交う中、8隻の戦闘艦を率いる指揮官は、敵味方両方でたなびく黒煙を見比べ、腕組みをしつつ小さく唸り声を上げる。


「ふぅむ……少々押されておる様じゃのう」


 年の頃は60代程度、立派な口ひげは白く染まってはいるが、軍装に包まれた身体はがっしりとしており、年齢を全く感じさせない。どういうわけか、正規の軍帽では無く、私物らしいゴルフ帽を頭にのせていた。

 周囲に広がる激戦の巷を眺めながら、顎に手を当て軽く首を傾げる指揮官――合衆国海軍少将チャールズ・デューイの視線は、続いて黒煙を噴き上げ落伍しつつある装甲巡洋艦へと向けられていた。


 皇国海軍近衛艦隊所属、装甲巡洋艦『吾妻』。つい先ほどまで、前後に搭載した10インチ連装砲から敵艦隊へ射弾を浴びせていた戦闘艦は、一斉回頭に移る直前の命中弾により、後部から黒煙を噴き上げ海上をのたうち回っている。


 練度も性能も、今の手元にある艦の中では屈指の実力であるゆえに、ここで落伍させるのは惜しかった。何とかして、砲撃を続行してもらいたいものだがと、半ば願望の様な思いが湧き上がる。


「何をのんびりなさっているんですか司令!お戻りください!」


 そんな中で、下から飛びあがってきた怒声に、思考を一時中断させられた。

 首を巡らせ航海艦橋の方を見下ろせば、階段の根元でこちらを見上げている船精霊と目が合った。今回の観艦式派遣にあたり、自分の従兵として配属された船精霊で、生真面目且つ常識的な判断が売りの乗員だ。


「そう慌てるなスティックニー。禿げるぞ」

「もう胃に穴があいてますよ!とにかく、羅針儀台ソコは危険です!」


「だから、構わんと言っておろうに」と白い口ひげを撫でつけるデューイだったが、仮にこの光景を各国の海軍士官が見ていれば、満場一致でスティックニーの判断を是とするだろう。

 羅針儀台と言えば聞こえはいいが、防護巡洋艦『オリンピア』の羅針儀台は、航海艦橋が据え付けられた甲板の最前部、戦闘艦橋の上部から立ち上がる簡素極まりない鉄塔だ。鋼棒を組み合わせて作られた台は、見るからに頼りなく、見た目相応の強度しかない。

 さらに言えば、羅針儀台と呼ばれている頂上は四方を囲む柵と羅針盤が有るだけで装甲どころか波除の鉄板すらない完全な吹き曝し。間違っても、世紀の大海戦において1個戦隊の司令が居座っていい場所ではなかった。


「そんな事より、だ。『アヅマ』の状況は?」

「後部艦橋及び2番主砲大破!操舵不能!ですが、可能な限り支援砲撃を行うとのことです!」

「流石は皇国海軍近衛艦隊。敢闘精神は旺盛のようだ」


 軽く笑うと同時に、左舷前方から近づきつつある『吾妻』が、有言実行を示すように生き残った前部主砲を咆哮させ、10インチ砲弾を敵海神めがけて叩き出す。戦場の空を駆けた砲弾は、今『オリンピア』が相手取っている艦と、更に前方の艦の間に水柱を噴き上げた。


「『アヅマ』左舷30度!ほぼ停船中!」

「『リューリク』に火災発生!」

「敵11番艦、大火災!速力低下します!」

「敵4番艦轟沈!」

「『ドレッドノート』より通信!【我、目標敵5番艦】」


 デューイにとって、狭い戦闘艦橋で外の情景を思い浮かべるより、多少は危険であっても視界の開けた場所に陣取り、自らの目で判断しつつ指揮を執る方が性に合っていた。スティックニーには悪いとは思ってはいるが、この場を動く気はさらさらない。

 もう一度、周囲に視線を走らせる。戦場は一応の秩序を保っているように見えるが、その実一歩間違えれば乱戦に陥りかねない危険な状態だった。

 まず、本隊の先頭となった第6戦艦戦隊の右舷側に1から4番艦としてラミリーズ級が布陣している。自分たち臨時戦艦戦隊は第6戦艦戦隊に後続している格好であるため、同航戦時に相手取る目標も自ずと決まってくる。

 臨時戦艦戦隊は、防護巡洋艦『アヴローラ』、『ダントルカストー』、『ニュー・オーリンズ』。装甲巡洋艦『リューリク』、『グナイゼナウ』、『吾妻』。そして旗艦『オリンピア』の順に航行している。対して敵は、5番艦から7番艦までがジュゼッペ・ガリバルディ級と呼称される装甲巡洋艦クラス。8番から12番艦までが、インファンタ・マリア・テレサ級と呼称される海神だ。

 何方の海神も、多数の中小口径速射砲と共に10インチクラスの単装砲や8インチ連装砲を主砲として搭載し、侮れない火力を秘めている。現に、『吾妻』に重大な損害を与えたのはこの8隻の内1隻から放たれた10インチ砲弾だ。戦艦戦隊とは名ばかりで、大半が防護巡洋艦、装甲巡洋艦で編成された部隊にとって、あまり強気に出られる相手では無い。

 しかし、中には例外も存在する。


「敵7番艦、艦前部で大火災!行き脚止まります!」


 最後尾のジュゼッペ・ガリバルディが艦前部から轟轟と黒煙を噴き上げながら、崩れ落ちる様に速力を落としていく。黒煙に沈んだ前部主砲はともかく、まだ無事に見える舷側に並んだ中小口径砲や後部主砲も沈黙している。恐らく、艦前部に集中砲火を受け、前部艦橋の様に見える構造体直下の中枢神経系に火の手が回ったに違いない。

 10インチ単装砲と8インチ連装砲を持つ装甲巡洋艦を、最大でも6インチの砲しか持たない防護巡洋艦で撃破する快挙だ。それを為しえたのが、知らぬ仲ではない男であるから喜びも一入だった。


「『ニュー・オーリンズ』より通信!【我、目標6番艦。『ダントルカストー』ヲ援護ス】」

「許可すると伝えろ――リーめ、また腕を上げよったな」


 海軍軍人と言うより、やり手の銀行員の様な印象を受ける丸眼鏡の男を思い出したせいか、デューイの顔に喜色が浮かび軽口が口をついて出ていった。

 双眼鏡を『ニュー・オーリンズ』に向ければ、既に舷側を発砲煙で真っ黒に汚しながら、『ダントルカストー』を滅多打ちにしていた6番艦へ砲門を開いている様子が垣間見えた。

 その向こうでは『アヴローラ』が相手取る5番艦へ向けて、早々に敵4番艦を踏みつぶした『ドレッドノート』の援護の弾着が吹き上がっている。最新鋭戦艦の助力は大きな力ではあるが、依然として予断を許せる状況では無い。戦況を睥睨した灰色の瞳は、一つ頷くとスティックニーを呼びつけ、通信室へ伝令を走らせる。


「『コネチカット』へ通信!【目標、敵9番艦。砲火ヲ集中シ『リューリク』ヲ援護セヨ】」


 この状況で要ともいえる装甲巡洋艦を更に失うのは面白くないと試算した故の決断だった。

 程なくして、戦隊唯一の戦艦から発光信号と通信で「了解」の意思が伝わる。

 『オリンピア』の前方を航行するカンザス級戦艦8番艦『コネチカット』は、旗艦を援護するため12番艦に向けようとしていた砲塔を右舷前方へ――火災を起こした『リューリク』が相手取る9番艦へ――向かって旋回させ主砲を咆えたたせ始めた。

 これで、不利な状況に置かれつつある『リューリク』は救われるだろう。しかし、この命令は『オリンピア』が単独で敵12番艦のガリバルディ級と砲火を交え続けることを意味していた。


「少々辛かろうが、耐えてくれよ?『オリンピア』。お互い、老骨ロートルの意地を見せてやろうじゃないか」


 かつて、初めて艦長として指揮を取った時以来。自分の指揮下に組み込まれれば必ず旗艦としていたのが、この艦であり。事実、合衆国海軍の中で最も長い間『オリンピア』に将旗を掲げ続け、共に戦場を駆けずり回ってきた。

 既に老朽艦と言って差し支えないほどの艦齢を重ねてきたはいたが、逆に言えばそれだけ修羅場を潜り抜けながらも生還し続ける幸運艦と言える。デューイにとっては戦争の道具と言うよりも、相棒に近い親近感を覚えている。

 それが、『オリンピア』にこだわる理由だった。


 ――今度も、そうだ。相手が例え装甲巡洋艦であったとしても、自分と『オリンピア』が沈むことはあり得ない。手酷くやられようとも、食らいついて見せるとも。





 穏やかな好々爺然とした風貌の中に灯された炎が、一段と赤く燃え上がった刹那――――彼の決意をあざ笑うかのように海神の毒牙が被来する。




 大気を圧するような寒気に、首筋に忍び寄った死神の鎌を幻視し、デューイの背筋が凍り付いた瞬間。敵9番艦の前部主砲塔から打ち出された28㎝砲弾が『オリンピア』へと突入した。

 着弾したのは装甲が施された戦闘艦橋の真下。元々、戦艦の様に強固な装甲板に守られていない『オリンピア』に、音速を置き去りにした砲弾を受け止める芸当は不可能だった。甲板に張られたチーク材が砕け散り、艦橋基部を構成する鋼材は薄絹の様に引き裂かれる。直径28㎝の砲弾は、艦内へもぐりこむと遅動信管を作動させた。


 排水量5500トンを超える防護巡洋艦が、一瞬海面下へ叩き付けられるように沈み込み、次いでけたたましい金属音を立てながら戦慄わななき、激しく振動した。


 主砲の発射とも、被雷した時とも異なる。足の裏を特大のバットで殴られたかのような衝撃に、デューイの視界が二重三重にブレる。双眼鏡を放り出し、とっさに羅針儀台の手摺を掴むが、直後に今まで経っていた床が目の前までせり上がり強かに全身に叩き付けられた。

 赤く染まり大きく傾いていく視界の中。デューイの瞳は、倒壊していく足場の影から吹き上がる爆炎をしっかりととらえていた。





 前部甲板から吹き上がった爆炎は、熱風を伴った衝撃波として後部艦橋にも吹き付ける。粉々になった装甲板の破片が四方八方に白い筋と共に円弧を描き、航海艦橋の前に聳え立っていた前部マストが、空中線を引き千切り、金属的な大音響を発しながら左舷側へと傾斜し盛大な飛沫を上げて倒壊する。支えを失った空中線がのたうち、艦中央部に搭載された端艇に唸りを上げ乍ら叩き付けられ、一部を木片へと変えていった。

 ここまで悉く致命傷を交わしてきた『オリンピア』だったが、遂に致命的な一撃を受けたと誰もが直観する。あたかも、これまでの幸運のツケを一度に支払わされたかのようだった。


「What's the Fuck!?艦橋に直撃弾!戦闘艦橋との連絡途絶しました!」

「見れば解る!ミラー!ここは任せたぜ」

「は?副長、何を!?」

「決まってるだろ、救援だ!ジャクソン!ウェイド!ああそれからアパム!貴様も来い!」


 言うが早いが、2m近い巨漢は3名の船精霊と共に、一段下の上部構造物へと飛び降り黒煙を噴き上げる艦橋目がけて甲板を突っ走る。『オリンピア』の上部構造物は側面から見れば前後の艦橋が1段高い【凹】型になっているため、艦首側へ行くためには端艇が並び、煙突がそびえる1段下のデッキへと降りる必要が在った。

 普段ならば、複数の端艇が身を寄せ合うように並ぶデッキも、これまでの被弾によって木片の堆積場の様相を呈している。さながら、市街地戦で崩落した廃墟の中庭だ。

 ばらばらになった端艇の残骸を踏み越え、小口径砲弾が貫通し側面から排煙を噴き出す煙突をすり抜け、彼方此方がささくれ立った甲板を蹴りつけつつ前部艦橋へと急ぐ彼だったが。黒々とした黒煙を噴き上げる前部を目にした胸中にあるのは、酷く苦い思いだった。


 ――あの直撃では、助かるまい。


 後部艦橋で感じた衝撃、吹き上がった爆炎、体に感じる痛み。それらを総合すれば、自ずと被害状況は想像できる。

 前部艦橋直下に命中した砲弾の炸裂のエネルギーは、戦闘艦橋を直撃したことだろう。

 戦闘艦橋は本艦の中でも比較的重厚な装甲に守られてはいるが。最悪の場合、砲弾の爆圧が床下から艦橋をぶち抜いている可能性も考えられる。そうなった時、中に詰めている艦長や砲術長がどうなるか、考えるまでもない。


 恐らく、羅針儀台に陣取っていたであろう。あの司令の末路も。


 次々沸き立つ不快な予想を数度払い退けた後、前部艦橋に続く階段に足を掛けた彼の目に飛び込んできたのは、航海艦橋よりも前を覆った黒煙から、こちらへ突き出すようにデッキ上に横たわった手だ。軍服の袖口は血で染まり、赤黒く変色してしまっている。

 反射的に「大丈夫か!?」と安否を気遣う声が喉の奥まで出かかるが、それよりも先に、不意の強風が沸き立つ黒煙を吹き飛ばした。



 直後、その問いかけが無意味なものであることもグリッドレイに悟らせる。



畜生ガッデムッッ!」


 目の前に広がっていたのは、つい数瞬前まで思い描いていた通りの悪夢だった。

 航海艦橋から先がそっくりえぐり取られ、完全な崖となっていたのだ。

 戦闘艦橋の直下に命中し、噴き上がった爆圧は、艦長と砲術長が詰めていた仕事場を、中の乗員を血の泥濘に帰るだけに飽き足らず跡形もなく吹き飛ばした。結果、『オリンピア』の航海艦橋の直前から、1番砲塔の直後までの領域はそっくり消し飛ばされ大口が開けられている。戦闘艦橋の直上、前部マストの前に有ったはずの羅針儀台も、当然の様に影も形もない。

 生存者のモノかと思った腕は肘から先の肉体は存在せず、打ち捨てられた義手の様に転がっているだけだ。肱に繋がっていた部分は鮮血と共に炭化した跡があり、この腕の持ち主の末路を否応なく感じさせた。

 

「畜生――誰か、誰かいないかッ!生きていたら返事を」

「そんなに叫ばずとも聞こえておるよ、ミスター・グリッドレイ」

「――ッ!」


 大きくは無いが、妙によく聞き取れる声が右側から聞こえ、とっさに振り返る。窓ガラスが全て吹き飛んだ航海艦橋にもたれ掛かるようにして、一人の生存者が右舷側から姿を現した。


「司令!ご無事でしたか」

「儂も、この艦も、悪運は未だ尽きておらなんだようじゃな。羅針儀台が盾になって助かったわい」


 頭から血を流しつつも不敵な笑みを湛えたデューイは、左舷側で残骸となり果てた羅針儀台を肩越しに一瞥した。

 グリッドレイが連れてきた船精霊に手当てを受けながら、事の顛末を手短に副長へ伝える。

 戦闘艦橋は見ての通り全滅、生存者無し。デューイが助かったのは、全くの偶然だった。

 砲弾の炸裂による衝撃波が戦闘艦橋を襲う前に、デューイの乗る羅針儀台は弾着の衝撃で既に左舷側へ崩壊しつつあった。その結果、吹き上がった爆炎や破片の大部分は傾いた羅針儀台の横を抜けていき、飛び散った破片は床板に阻まれて彼を傷つけることはなかったのだ。

 崩壊した羅針儀台との衝突と、放り出された後甲板に叩き付けられはしたものの、被害の規模を考えれば、奇跡的な軽傷と言えた。


「提督は不死身でありますな」

「良い台詞じゃな。儂の墓石にはそう掘ってもらおうか」


 有瀬が聞けば噴き出しそうなセリフを交わした直後、至近弾の弾着が『オリンピア』を揺るがし、2人の士官がよろめく。砲術長が戦死し、2基4門の主砲が沈黙したことを受けて、敵12番艦が止めを刺しにかかっているのかもしれない。


「さて、残念ながら生きている以上儂は戦隊の指揮を取らねばならん」


 

 「どっこいしょ」と立ち上がりながら、灰色の瞳が硝煙と海水に塗れた筋骨隆々たる海軍大尉へと向けられる。彼自身も、デューイが何を命じようとしているのかを既に察しているようで、白い犬歯を見せて笑っていた。


「『オリンピア』の指揮を取れ――――行けるな?若造」

無論Hoo-Yah!」


了解Yes,sir」では無く、合衆国海軍伝統の掛声を上げたグリッドレイは銀時計を握りしめ、航海艦橋の伝声管へ走り寄る。乗員は被弾による尋常ではない衝撃と、主砲の沈黙に浮足立っている。まずは、艦内の掌握が必要だ。


「こちら航海艦橋、副長のグリッドレイだ。これより、臨時に本艦の指揮を取る。残念ながら、艦長と砲術長は一足先に人魚を口説きに行ったが、俺たちはもう少々右舷の阿婆擦れ共と遊んでやらなきゃならん」


 不幸中の幸いか、戦闘艦橋を爆砕されても前部主砲は健在だ、まだまだ戦える。副砲も半数が生き残り、機関も快調に回っている。退く理由はどこにもない。


「手痛いボディブローを貰っちまったが、やられっぱなしは性に合わねぇだろ?なあ兄弟!兆倍にしてカウンター決めてやろうぜ!」


 直後、伝声管や艦の各所から喊声が上がる。『オリンピア』の各所で【Hoo-yah!】の唱和が巻き起こり、副砲の射撃速度すら上がったような気がする。中枢部に一撃を食らい、窮地に陥りかけていた巡洋艦を即座にまとめ上げた副長に、デューイの口角が上がった。前から目を掛けてはいたが、見た目に反せずタフな男だと思い知らされる。


「司令、目標は引き続き敵9番艦でよろしいですね?」


 一応の確認のつもりなのか、航海艦橋の後方の壁に寄りかかる司令へ、グリッドレイが肩越しに振り返る。若き海の戦士に対し、一つ頷いた歴戦の古強者は彼と同じような笑みを見せた。


グリッドレイ、準備良ければ撃ちたまえYou may fire when ready, Gridley

「目標敵9番艦!砲撃開始Open firing!」


不屈を告げる砲火が、右舷側に迸った。




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