46th Chart:センジュナマコでもわかる海神帝講座


 

『はぁい!エナちゃんとついでにアリセ君元気ぃ?あれから音沙汰無くてミラ姉さんは寂しいぞぉ!突然ですが!ミラ姉さんのセンジュナマコでもわかる海神帝エノシガイオス講座、はーじまーるよーっ!』


 胸ポケットにすっぽり収まるサイズの再生機器から流れ出したのは、何処か子供向け教育番組のオープニングテーマのような軽さの音楽と、聞き覚えのある飄々とした女性の声だった。

 その声がいったい誰のモノであるかを理解した瞬間、隣の副長殿の纏う空気が一段と冷たいものとなる。恐らく、彼女の目の前に座るヴェディゲン艦長とヘッセ機関長の眼には、キレイに青筋を浮かべた少女の姿を見ることができるだろう。


『ああ!あとどうせ一緒に聞いてる、『U-109』の愉快な仲間たちもついでに聞いて行ってねー!なんなら兵員室のパリピ一同もどうぞー!』


 隣から聞こえてきた「おい、切っていいか?」という絞り出すような声を「まあ、まあ」と苦笑いを浮かべたリュート次席が諫めた。正直、自分もヒシヒシと感じる面倒臭そうな気配に、微かな頭痛を催し始めているが

 厄介ごとの匂いを敏感にかぎ取った『綾風』首脳部をよそに、飄々とした声は紡がれ続ける。


『タイトルコールも終わったことだし本題に入ろう!ボクの演算が正しければ、君たちは今頃クリストファー海淵で1万トン級の海神を倒し、ヴェディゲン君の『U-109』 でおいしいアイントプフでもご馳走になった後だと思う』


『いいなー、ボクも食べたかったなー』などと能天気な愚痴が響いているが、テーブルの上では5人の軍人と1人の造船士官が思わずと言った風に顔を見合わせていた。

 この場所は確かにクリストファー海淵と呼ばれる海溝の直上だ。《皇国》を出航した時の位置と、《連合王国》の位置を結んだ中央付近であり、《連合王国》へ最短距離で向かおうとすれば必ず通る海域の一つだ。

 それはまだいい。彼女?がどこで見ていたのかはわからないが、航海術の心得のあるモノならば、艦隊の目的地さえわかれば最短距離の航路をはじき出すの可能だ。


 問題はその後だ。


 ――1万トン級の海神を倒し、ヴェディゲン君の『U-109』 でおいしいアイントプフでもご馳走になった後だと思う。


 ヴェディゲンの話では、この録音機が手渡されたのは自分たちが海神と交戦する前だ。当然の様に、この時『U-109』も『綾風』も海神に遭遇していない。

 つまり、この録音はミラと名乗った謎の人物の”予言”が見事に的中した証拠でもあった。


『まあ、アイントプフの事は置いておいてだ。何はともあれ、綾風の初陣お疲れ様。機銃一基と艦載艇一隻程度の損害で乗り切っていてくれれば、エナちゃんの努力も実を結んだと言えるだろう。必殺の魚雷が10本以上残っているのであればアリセ君には花丸を上げようじゃないか』


 パチパチパチと小さな拍手の音が聞こえてくる。その音に妙に恐怖を覚えると同時に、あまりの正確な演算にげんなりしてしまう。この声の主は、某蒼狸特性のタイムテレビでも使ってカウチポテトってたのかと疑いたくなった。


『さてさて、一万トン級の新型海神を倒した勝利の余韻を吹き飛ばすようで申し訳ないが、現実へと目を向けようか。まずは手元にある筈の写真を見てほしい』


 何かに操られているかのように、12の瞳が卓上の写真へと一斉に向けられる。

 そこに写されているのは、今の艦艇を見慣れているものにとっては特異にもほどがある異形と言ってもよい艦だ。

 マストらしいマストは無く、のっぺりとした艦体にのっぺりとした艦橋。鋭角な艦首は高速が出せることを暗示させてはいるが、この世界のまっとうな軍人であるならば、この艦を軍用艦艇の範疇に居れることをためらうだろう。

 せいぜいが、奇妙な形のクルーザーと言う認識だ。

 もっとも、奇妙な【夢】を見た海軍士官の瞳には、戦闘艦艇以外の何物にも映らなかったが。


『これはつい先日、《皇国》が設定したあ号目標群の阻止限界線。要するに、この距離よりもあ号目標が接近したら逃げろってラインで撮った写真だ。そこに映ってる艦、君たちの眼にはどう映ったかな?』


「クルーザーじゃないのか?」

「デカい釣り船」

「少なくとも軍艦ではなさそうだが」

「大型の連絡船ではないでしょうか?」


 リュート次席、ヘッセ機関長、ヴェディゲン艦長、クレッチマー先任がそれぞれの所感を述べていく。言い方は様々だが、共通している点は戦闘を目的とした艦ではないと言う点だった。

 意見を口にし終えたヴェディゲンの視線が正面の異邦人に向けられ、僅かに細められた。難しい顔をして写真を凝視する一組の男女。彼らの答えが、自分たちのソレとは異なっていることをなんとなく感じ取ったらしい。


「貴様らは、そうではなさそうだな。何に見える?」

「戦闘艦。恐らくはコルベットに類する高速戦闘艇だろう。それも…」

「きわめて先進的な艦だ。先進的過ぎて、今の我々には過ぎた相手と言える」


「どういうことですか?」几帳面そうな先任士官が、顎に手を当ててうつむく造船技師へと率直な問いを投げかける。技術者としての側面が最も強い人間の、ある種の敗北宣言ともとれる言葉に興味を覚えたようだった。


「それは」『ふふーん。この艦が諸君らにとって過ぎた相手であると見抜けたのなら大正解!ただの釣り船とかクルーザーとか言っちゃった人は残念賞、一昨日きやがれ!』


 説明を上から被せられた永雫が、録音機を射殺さんばかりに睨みつける。これが録音である以上――録音であるのにこちらの反応や間すら予測しきっており、うすら寒さを覚える内容だが――起こりうる事態ではあったが、頭に来るのは理解できる。


『この艦はれっきとした戦闘艦だよ。主砲は格納式57㎜単装速射砲1門といくつかの機銃、533㎜3連装短魚雷。そして、8発の対艦誘導噴進弾を備えたステルス艦だ』

「なんだって!?」


 ガタリ、と簡素な椅子を蹴倒して永雫が立ち上がる。

 軍事技術が1900年代初頭で足踏みを続けているこの世界において、誘導噴進弾――ミサイルの研究は始まってすらいない。永雫が生きる《皇国》ですら彼女の言葉に耳を貸さず、机上の空論だと切って捨てている。


 故に、ミサイルを搭載した艦など存在するはずがなかった。


 有瀬が『U-109』のクルーに耳馴染みのない未来兵器の姿を説明をする間にも、ミラの言葉は続けられていく。


『ステルス艦と言うのは、単純に言えば電探の眼をごまかす技術を詰め込んだ艦だ。おそらく、その写真の艦ならば『綾風』の電探でも捉えられないだろう。さらにエンジンはガスタービンで、排煙はほぼ無色で冷却すらされている徹底ぶり。艦全体を覆うパネルは生物の色素胞を応用した技術が取り入れられ、自由自在に色を変えられる。恐らく、今この海にある如何なる兵器を用いたとしても、この艦の動向を探るのは極めて困難。いや、ほぼ不可能と断言できる』


『こんな風に姿を現すのは稀だねー』などと言う捕捉をよそに、余りの性能に6人の顔が歪んだ。

 光学的にも、電子的にも極めて高度な隠密性を有する戦闘艦艇がどれほど厄介な物なのか、当事者海狼その敵車曳きであるモノたちにとって理解はたやすい。

【夢】の世界にもステルス艦はあったが、流石に色まで柔軟に変える軍艦は聞いたことがない。アウターヘイヴンじゃないんだぞ、などと場違いな感想が頭をもたげる。

 一方、「自ら色を変える水上戦闘艦…」「イカみたいなやつですね」などと先任と次席が軽口を叩けるあたり、『U-109』の乗員の適応能力も大概普通ではなかった。


『諸君らも疑問に思ったはずだ。いったい誰が、こんな代物を建造し運用しているのか?


合衆国ステイツ》?――No、開拓者魂フロンティア・スピリッツあふれる彼らの事だこんなものを作り上げたのなら、既に大量に建造している。


 では《連合王国ユナイテッド・キングダム》?――No、彼らならばこんな洋上で私に写真を撮られるなんてヘマはしない。


 あえて《連邦ソユーズ》?――Нетニェット、彼らが使うなら《合衆国》や《帝国》に送り込む。


 技術的には本命の《帝国ライヒ》?――Neinノイン、彼らならば不倶戴天の《共和国》や《連邦》へ送り込む。


 まさかまさかの《共和国リピュブリーク》?――Nonノン、彼らにそこまでの技術は無いだろう。


 ポイントは、この写真が撮影された海域。あ号目標と《皇国》の間だと言う事だ。当然の様に、エナちゃんの意見をガン無視し続けている《皇国》がこんな艦を建造できるはずがない』


『そうすると…おやおや、困った。容疑者は一人、もとい、一柱しかいなくなってしまうね?』などと、含み笑いを浮かべて居そうな声色がスピーカーから洩れた。ついで、視界の端で何かが動き、思わず視線を微かにそちらに写す。

 テーブルの上で、関節が白く浮き上がるほど固く握りしめられた華奢な手。その手の主を辿っていけば、血の気が失せた顔を写真へと向ける少女の姿があった。


『【全ての不可能を消去して、最後に残ったものが如何に奇妙な事であっても、それが真実となる】とは、誰の言葉だったかな?まあいいや。とにかく、この奇妙なステルス艦の出所は、君たちが『あ号目標』と呼称する拠点級海神だとみて間違いない』

「たまたま、ここを通りすがったという可能性が」

『先に補足しておくと、この艦は17年ほど前から恒常的にこの海域で観測されている。といっても、出現の頻度は最近になって急増しているけどね』


 喘ぐような永雫の反論は、水泡の様にあっけなく弾けて消えてしまう。17年前に突如現れたのか、それともミラが初めて観測したのが17年前であるのかは解らないが、少なくとも20年近く《皇国》近海を遊弋する理由がこの艦にはある筈だ。


「しかし、腑に落ちんな」


 軽薄甚だしいミラの言葉と対照的な、ヴェディゲンの重苦しい声が静かに響く。


「これが拠点級海神から生まれ出でたものであるとはどうにも思えん。第一、首がない。大いに特異な艦だが、デザインは我々の艦の延長線上にあったとしても可笑しくはない」


 確かにそうだ。海神の基本的な造形は、背部に軍艦状の構造物を持つ首長竜と言える。首長竜のぬいぐるみの背部に、ウォーターラインシリーズをめり込ませた怪物と言えば想像がつきやすいだろうか。これは護衛級よりも小さな眷属であっても、戦列級や拠点級であっても変わらない。

 今思い返してみれば昼間に交戦した新型海神も、背部の構造物こそ4,5番砲塔を外した独装甲巡洋艦『ブリュッヒャー』によく似ていたが、ミリタリーマストほどの高さがある首を持っていた。さらに雷撃を受けて横転沈没する際に、鰭を持った寸胴の胴体も確認できている。

 対して、写真の艦はどこからどう見ても【夢】の世界の某国のステルスコルベットにしか見えなかった。


『ふふふ、混乱してくれているようで何よりだよ。この艦は見れば見るほど、人が運用することを前提に作られているかのような艦だ。それがどうして、17年も前から

《皇国》に付きまとい、不気味な沈黙を続けているのか。それは…』


 ゴクリ、と有瀬が唾を飲み込み、ミラの次の言葉を誰もが沈黙を持って迎える。


『次会う時までの宿題ってことで♪』


 ガゴン、と頬杖をついていたらしいリュートの頭が落ちてテーブルと盛大なキスをする。期待を煽る言い方であっただけに、脱力するのも無理はない。隣で「野郎、じゃなくて、あんのグランドクソアマ…何時かぶっ殺してやる」と息巻く副長を宥めつつ、録音の続きへ意識を集中する。


『いやー、一回やってみたかったんだよね。コレ。あ、アリセ君はエナちゃん抑えといて、話の続きもあるし。と言うか、『綾風』と『U-109』にとってはこっちの方が重要だし』


「ぐるる」と唸る少女を何とか諫める。ミラも彼女がこうなることを予想できているのなら、煽るような言い方は極力抑えてほしかった。言ったところで糠に釘どころか藁半紙に電磁投射砲レールガンだろうが。


『さて、話は変わるけど『U-109』は以前皇国に奇妙な艦が居た事を報告したようだね。なんでも、どう見ても輸送艦としか見えないような海神だそうじゃないか』


 ヴェディゲンが軽く頷き、「ああ、あの瘻付きですか」とリュートが思い出したように手を打った。『綾風』クルーの方にも、海上護衛総隊の紫藤中佐からそのような奇妙な海神の目撃例が増えていることを聞いている。


『その輸送型海神とでもいうべき存在が何物であるのかについては、今回は論じない事にする。だって面倒だし、そこまで言ってあげる義理もないし。重要なのは、輸送型海神の数が増え続けている傍ら、各地の拠点級海神による護衛艦隊の戦列級海神の追放が行われていることだ。老朽艦、負傷艦、現役艦、新造艦見境なく全てね』


 怒りが再び困惑へと変わった瑠璃が、戸惑ったような光を宿し、隣の柘榴石を見上げる。


「追放?そんなことがあり得るのか?拠点級にとって、戦列級は防御の要であるはずだろう?」

「そのはずだ。仮に、老いたり、重度の損傷を負って使い物にならなくなった戦列級は周りの戦列級や巡航級に喰われる。追放なんて聞いたことが無いが…どうなんです?ヴェディゲン艦長?」


 2種類の視線を受けた、くすんだ金の瞳が小さく上下に揺れる。腕を組んで熟考する様は、歴戦の艦長と言うよりも老獪な猟師を思わせた。


「そういえば、貴様らの言う”あ号目標”には戦列級は居ないんだったな…。先任」


「よろしいので?」と言いたげなクレッチマー先任の顔に無言でうなずく。『U-109 』の中では軍規に厳しい生真面目な先任でも、艦長の許可が出るのであれば口を閉ざす理由にはならなかった。


「実の所、『U-109我々』の今回の任務は、《帝国》に接近していた拠点級海神『ヴァルプルギス』の護衛艦隊から姿を消した戦列級海神の捜索でした。残念ながら、手掛かりを見つけることはできませんでしたが」

「『ヴァルプルギス』か…あ号目標よりも更に巨大な拠点級だな」


 なんとなく、逆さまになった歯車の怪物を想像しつつその名前を呟く。拠点級海神は基本的に最初に発見した国が名前を付けることになっている。《皇国》の『あ号目標』のような単なる識別名を付けられることはまれであり、大抵は神話や言い伝えなどから名付けられる。

 物騒な内容や不穏な紀元を持つ名が多いのは、人類が海神に対する畏怖の裏返しだろう。


『おそらく、『U-109』の目的もそれだろう。ボクが確認する限り、多くの拠点級でも同じことが起こっている。さて、ここで質問だ。護衛艦隊を構成していた戦列級海神は、その鋼材を護衛対象の拠点級から得ていた。では、その拠点級から追放されたとき、恒常的な鋼材が補給できなくなった戦列級は、どうやってその体躯に見合った補給を得るのだろうねぇ?』


 囁くような、蠱惑的な声にゾワリと背筋に悪寒が走り抜ける。

 拠点級と、それを取り巻く護衛艦隊は一種の人口生態系だ。拠点級海神が居るからこそ、外洋を少数の群れで行動する海神達よりもはるかに大きな比率で戦列級海神をすることができる。

 捕食者と被食者の関係上、外洋における戦列級海神とそれ以下の海神達の比率は一定であり、つり合いのとれた平衡状態だ。

 そこへ、拠点級から追放された多数の戦列級海神が解き放たれる?そんなもの


「100頭程度の小さなトカゲ牧場に、飢えた龍を同数解き放つようなものだ。即座に食い荒らされ、次の瞬間には――――共食いが始まる」


 ぼそり、と呟くような感想がヘッセ機関長の口から洩れる。常識的に考えればそうなるだろう、だが事はそこまで単純なモノでは無いと理性が警報をがなり立て続けている。


『――――戦列級同士の共食い、と言いたいところだけど。海は広大だ、自分より弱い獲物は一目散に逃げ散ってしまうだろうし、共食いをするにもリスクがデカすぎる。不思議なことにご馳走であるところの輸送型海神は、悠々と腹をすかせた戦列級の目の前を横切っているから、輸送船団コンボイの襲撃もしていない』


戦列級にとって、『U-109』が遭遇したという輸送船型海神は格好の餌である筈だ。

《皇国》も数隻の鹵獲に成功しているが、大型の艦体に詰め込まれていたのは良質な鋼材と神血。今頃、近衛の第一航空戦隊は輸送船狩りに血眼になっているだろう。曳航可能な損傷を与えることにも、航空騎は大きな適性を持っていた。


『でもさ、彼らにとっては別に海神を捕食することにこだわる必要はないんだ。戦列級の欲する良質な鋼材を、ふんだんに使った大量のご馳走が丁度できつつある。気づかれない様にこっそり集まった後、機を見てみんなでソレを喰らえばいい。抵抗は受けるだろうが、味方が少々沈んだところで、口が減って分け前が増えるだけだ』


 「おい、待て――まさか」そんなある種の懇願じみた言葉を零したのは誰だったか定かではない。

 一つ言えるのは、その言葉を頭に思い浮かべなかったのは自分を含めて誰もいないだろうと言う奇妙な確信だった。


『そうさ――――『綾風』と『U-109』が向かおうとしている《連合王国》でのグレゴリー5世戴冠記念観艦式、それこそ』












『故郷を追われた海神達が目指す、謝肉祭カーニバルの会場さ』








  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る