12th Chart:理解者
そこに描かれているものは設計図というよりも、ただ単にある艦を見たまま3面図に落とし込んだような一種のスケッチだった。
本来なら各部に記されているはずの寸法は、背部甲板の全長と全幅しか記されていない。その上に並べられた搭載兵器も細かな寸法は描かれておらず、あくまでも概略図としての機能しかもっていない。
ここ2週間で何度も目にした図面。彼女の言う
甲板全長:約 800 m
全幅:約 50 m
超長砲身 580 ㎜ 三連装砲:四基 一二門
長砲身127 ㎜ 連装速射砲:四基 八門
120 ㎜ 六〇連装対空噴進砲:二二基 一三二〇門
25 ㎜ 連装機関砲:多数
680 ㎜ 五連装酸素魚雷発射管:六基三〇門
最高速力:35 kt(最低)
驚くべきことに、この目の前にある巨艦ですら、海神帝の中で最弱の個体らしい。彼女に曰く「誘導兵器や電磁投射砲やエネルギー兵器を搭載していないだけ雑魚もいいところ」と、なかなか絶望的な評価だ。
余談ではあるが。彼女は海神帝には一撃で方舟を轟沈せしめる波動砲めいた超巨大エネルギー兵器を備えた個体がいるという見解を持っている人物の一人だ。もしも、この海神帝の性能が正しく、彼女の”最弱”という評価も正しいのだとしたら…あながち間違ってはいないんじゃないかと思えてくるのが不思議だった。
目の前の紙片に収められた帝の性能を前に、何度見てもため息が漏れる。初めてこの絵を見せてもらったときは、どういうわけか渋る彼女に無理やり頼み込んだものだ。まあ、その後出てきた代物の荒唐無稽さに、思わず彼女の正気を疑ってしまったのは失敗だった。おかげで、いろいろ話を聞く前に拗ねた彼女の機嫌を取るという余計な仕事が増えてしまった。
過去の文献を漁ったとしても、ここまで正確で断言した資料は出てこないだろう。外見から予想される火器や簡単な性能しか記載されていないが、この図面には不気味な信ぴょう性すら漂っていた。
彼女はこれを資料やその他情報から総合的に判断して書き上げたと言ってはいるが、正直怪しいものだ。無数の線で描かれた異形の海神帝、どういうわけか之を予想図としてみることはできなかった。一度宵月に、彼個人の所感を聞いてみるべきかもしれない。彼女の話では見せた人間全員が唯の妄想として取り合わなかったらしいが、宵月もそうなのだろうか?
「いつ見ても、眩暈がするな。こいつ『綾風』で対抗できるのか?」
「言ったはずだ『綾風』も極限の妥協の産物だとな」
半ばあきらめた様に肩をすくめ、その際にずれた眼鏡を指で治し頬杖を突く。これは、絶望というよりも諦観と言うべきだろうか。
『綾風』と言うのはつい先ほど没を食らった特務造船研究室案の新型駆逐艦に対する愛称だ。もともとは単に新型駆逐艦と呼んでいたが、面倒臭くなった有瀬が愛称をつけることを提案し、そこに船精霊も便乗。
XD-1、1号艦、サラミス、友鶴、畝傍、クイーン・エメラルダスなどなど名称案が出され――約1名、思わず頭を抱えたくなる名称を連発していた船精霊がいたが――最終的にライの出した案である『綾風』が多数決で決まったのだった。
何と無しに机の上に散らばった書類の中から、今回自分たちが作成した書類を引っ張り出して性能表に目を通す。
特務造船研究室案
新型駆逐艦(仮称『綾風』)
満載排水量:3400トン
全長:133.2 m
全幅:11.9m
機関:新型ガスタービン四基
推進:二軸推進(可変ピッチプロペラ)
出力:八〇〇〇〇馬力(二〇〇〇〇馬力×四基)
速力;41 kt
航続距離:四〇〇〇海里(18 kt)
兵装
五五口径 12.7 ㎝ 三連装砲:三基九門
610 ㎜ 五連装魚雷発射管:三基一五門(酸素魚雷 一五 本)
40 ㎜ 連装機銃:八基一六門
25 ㎜ 単装機銃:八挺
350 ㎜ 四連装対潜噴進砲:一基四門
ぶっちゃけてしまえば。綾風型駆逐艦とは兵装を強化したうえで一回り巨大化し、ガスタービンに換装された島風型駆逐艦だ。”夢”の世界とは物理法則が若干異なっているのもあり、これらの数値を島風と比較するのは無意味ではあるが、艦としての性質は似通っていると言って良い。
すなわち、雷主砲従。水雷戦闘に重点を置きつつも艦隊戦力に随伴し、決戦の鏑矢となるにふさわしい艦隊型駆逐艦の最高峰。
史実では、島風型は何とか1隻のみ竣工に漕ぎつけた高性能艦だったが、結局その性能を生かしきることはなかった。
既に時代は水上艦達による砲雷撃戦から、航空母艦と艦載機による航空戦へと移り変わっており、『島風』の片舷15射線という駆逐艦として類を見ない強雷装を生かす機会は終ぞ訪れなかったのだ。
最後にはトラック環礁にて米軍機の大空襲を受け、その高速をもって爆撃、雷撃を悉く回避するも、さすがの高速艦とて航空機の機銃掃射を避ける手段はなかった。
元来、駆逐艦には満足な防御装甲などを張る余地はなく、ヘルキャットのM2 ブローニング機関銃の掃射によって多くの兵員が命を落とし、艦体に空いた破孔から浸水。ついには爆沈という壮絶な最期を遂げた。
だが、この世界の『綾風』は無残に歴史の闇に葬り去られようとしている。
片や、竣工すれども悲痛な最期を迎えた艦。片や、竣工すらされず歴史の闇に葬り去られようとしている艦。
いったい、どちらが悲劇なのだろうかと考えた直後、そのあまりのバカバカしさに思わず頭を掻いた。どのみち、苦労をするのは
「片舷に対し80本の酸素魚雷を集中し、横転沈没させる。1隻あたり15本として綾風型8隻の総本数は120本。全艦が雷撃位置につけたとして6割強の命中が必要か」
「最高速力52 kt でも 22 ㎞は走る。36 ktなら40 ㎞は届くが、最大射程では当たらんだろうな。まあ、当たりさえすれば並みの護衛級海神なら一撃で轟沈させられる威力だ。脚は相当遅くなる。仮に命中率が10%でも、酸素魚雷12本の直撃を受けてはタダでは済まない。脚さえ止めてしまえば、砲爆撃なり雷撃なりで殺してしまえばいい。鹵獲できれば、途方もない量の生体金属が手に入るだろう」
「それこそ、机上の空論だがな」と背もたれに深く身を預け、コーヒーをすすり顔を顰める。「有瀬、砂糖は?」「苦いのは苦手か?」「現実がすでに苦いのに、どうして好き好んで苦みを摂取しなければならないんだ?」彼女の持論に苦笑しながら、角砂糖の瓶を差し出す。ややあって白い立方体が2つ黒い水面に沈み、小さな水音を立てた。
「……………やはり、無理なのかな…」
手詰まり感に起因する長い沈黙ののち、ぽつり、と微かな嘆きが有瀬の耳に届いた。レンズの向こうの瑠璃は黒い水面に視線を落としているため表情を伺うことはできない。しかし、その声色は泣いているようにも聞こえた。
普段なら尊大ともとれる言動をする少女にしては、妙にしおらしい。
午前中にハクから聞いた話によれば、大小の改装を合わせて何度も設計案を提出したが、これまで何一つとして採用されなかったようだ。
そんな中、近衛⑤計画によって得られた新型艦を一から設計する千載一遇の機会。今度こそはと意気込んで生み出した艦を、悉く廃案にされたのだ。落ち込むなと言う方が無理な話だろう。
それに加え、どうやら本気で海神帝が再び襲来することを信じ、このままでは亡国一直線であることを確信しているのだ。孤立し、対抗策が悉く踏みつぶされ、姿を見せないままにじり寄る絶望に怯える日々。彼女の内情を知ることは能わないが、積み重ねた心労を類推することはできた。
正直、永雫・マトリクスと言う少女の言、特に海神帝の再来という点に関して手放しで同意はできない。根拠がはっきりしておらず、現状では荒唐無稽な強迫観念だとすら言えるだろう。
けれど、2週間とはいえ言の葉を交わし、”夢”の世界で得た技術的な常識が通じる唯一の話し相手だ。ここで精神を病ませるには惜しいと思える程度には、親近感を覚えている。
そして何より――――――――
「なあ、大尉」
「なんだ?何か名案でも浮かんだか?」
「いいや、そう大したことじゃない。一つ聞くが、必ずしも近衛艦隊に君の設計案を飲ませる必要はないのだろう?」
「まあな、採用されるならどこでも構わん。実績さえあれば、改良や新規設計案も通りやすくなる。それがどうした?」
「針路変更ってところだ。明日は僕に付き合ってほしい」
「なんだ?
薄く冗談めかして笑う少女。こちらを揶揄うような声色だが、どこか投げ遣りな雰囲気を醸し出している。男女の仲としての進展など、一ミクロンも期待していないようだ。
「そんなところだ。行先は行楽地じゃなくて、軍施設だが」
「何?」
「”綾風”はこのまま埋もれさせるには惜しい。君の娘を必要としている部隊に、少し心当たりがある。このまま廃案にする前に、一つ僕に預けてくれないか?」
「綾風を?」と怪訝な顔をする彼女に「君はもう少し他人に頼るべきだ」と笑いかける。一瞬呆然と自分の顔を見た大尉は、直ぐに我に返り、慌てた様に床を蹴り椅子ごと回転させて自分に背を向けた。
「フン……………小匙程度の期待はしといてやる。資料は好きに使え」
「ありがとう」と、背凭れとその上からチョコンと出たクセ毛に礼を言い踵を返す。うまく話を進めるためにやるべきことは幾つかある。それを、まずは片づけなければ。
やるべきことをリストアップする頭の中で、つい先ほど湧き出した想いはスルリと心の奥底へと流れ込んでいった。
そして何より――――――――――彼女の設計した艦を指揮してみたいと思ってしまう自分は、確かに存在しているのだから。
椅子の背もたれ越しに現状唯一の理解者が遠ざかる足音に耳を顰める。目に映るのは背後の壁という殺風景な代物だが、頬に感じた熱は今だに薄れず、カップを近づけた口は意図せず笑みの形に
まさか、同情でも失望でもなく、先に続く微かな希望を示されるとは思わなかった。暗闇の中に見えた一筋の光、光明とはまさにこのことだろう。
有瀬一春、紅鶴事件の当事者にして、自分の思想に賛同し、自分の話を初めて真剣に聞いてくれた人物。初めての――――――――理解者。
ドキリと跳ねた心臓の鼓動がうるさいほど頭に響く中、経験のない感情に戸惑い、高鳴る精神を落ち着かせようと小さく息を吐いた。
直後”我ながらチョロすぎやしないだろうか”と呆れが鎌首をもたげ、小さく吐いたつもりの息は単なる溜息となって微かに残ったコーヒーの湯気を吹き飛ばした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます