3 幽導警備員
――ッ!?
男が目を覚ますと……そこは、見たこともないような煌びやかでただっ広い寝室にいた。
それも、多分女王様とか大女優が使用していそうな豪勢なフランスベッドの上に横たわっている。何故そのベッドが女性の物だと分かったかというと、おそらく香水かシャンプーのどちらかだろうが、辺りに香しいほど漂ってくるこの格式のある香木のように爽やかで甘い芳香は、いかにもセレブリティな女性が好みそうなものだったからである。
身体に掛けられた明らかに高級そうな布団は、感じたことがない程ふかふかでその感触が随分と心地いい。
傍らの窓からは、レースのカーテン越しに陽の光りが優しく射し込んでいた。
「もうすっかり夜は明けているようだが、どこなんだこの部屋は。夢でも見ているのか? おれは一体どうなって……あ、痛ててててて」
何故か頭にはしっかりと包帯が巻かれ、手際が良い誰かから親身に手当てを受けた形跡があった。
たしか七海を無事に救出し、鬱鬼を浄化してその幽導に成功したのはいいが、どうやら彼女を家に送り届ける道中で行き倒れてしまったようである。
「そ、そうだ――七海っ! あいつは……ん?」
ベッドや布団からふかふかな感触が伝わってくるのは分かるが、それとは別に溶け込むような柔らかい感触が胸の辺りから伝わってくる……しかも肌から直にその熱が伝わってくる。それも布団などの重みでもなさそうだ。
いつの間にか着ていた上着も脱がされている上に、ご丁寧に包帯が身体の上半身にまで巻かれて……?
『ん、う~ん……あぁ、お目覚めでしょうかぁ?』
「――うひゃあぁっ! だ、誰だあんたっ……いつからそんな所にいるぅ?」
何と彼が掛けられていた高級布団の中に、上半身にもたれ掛かるように美しい栗色の長い髪の女性が知らぬ間に入り込んでいた――。
『初めまして、わたし奈緒美(なおみ)と言います。以後お見知り置きを……』
「あ、あぁ……こ、こちらこそ……よ、よろしくお願いします……」
女性は態度を変えることなく、にこやかに穏やかな笑顔を返してきた。その容姿は物腰柔らかく気品があり、紛うことなく女神のそれであった。
どうやらその話しを聞く限り、昨夜七海をマンションの前まで着き、チャイムを押したところで行き倒れていたらしい。そこをこの奈緒美が傷の手当てをしてくれたそうだが、彼女もまた仕事から帰宅して入浴中だったこともあり、本人も疲れてバスローブを着たまま一緒に眠ってしまっていたのだ。
しかし、寝起きにこれ程までたわわに実った豊満な胸を押し付けて上から覆い被せられ、あろうことかその谷間をこれでもかと見せつけられていては、たとえどんな聖人であろうと理性などふっ飛んでしまいそうである。
男は充血させた目のやり場に困っていると……ドアの向こうからドタバタと誰かが駆け込んで来る音がした――。
さきほど彼が上げた悲鳴を聞きつけてしまったらしい。この至福の時を邪魔しようとする、招かれざる客らしい。
やがて、けたたましい音と共に寝室の扉が開かれた――。
「ちょ……ちょっと、お母さん! そんな知らない男をベッドに連れ込んで――って……えぇっ!?」
ドアを蹴飛ばす勢いで現れるなり、そう口火を切ったのは、何とあの七海であった。
彼女もまた、身体のあちこちに丁寧に手当てがなされている。
「よ……よぉ、お前も無事だったんだな――って、お……お母さんっ!? お姉さんの間違いじゃないのか?」
一旦ははっと我に返ったものの、彼は奈緒美と名乗るその女性のあまりの美しさにまた釘付けになった……高級エステにでも毎日通っているかのようなサラリと綺麗な肌の艶。張る所はボインと張り、締まる所はキュッと引き締まったこの超絶ボディー。そして後光が見えるような優しく慈愛に満ちたその笑顔……どう見ても永遠に20代半ばくらいの女神である。
「お母さんだってばっ! なぁにが『よぉっ』よ、惚けた顔でいつまでそうしてんの? あんた、そんな
ッ……!?
『あらあら、またこの子は人聞きの悪いことを……あれはね、クラブに来てくださるお客様の好意で、自らしてくださってることなの。だってわたしが『いいなぁ』って言っただけでこのマンションや家具、宝石やお車だって皆さんすぐに贈って寄越してくださるんだから、感謝しないといけないのよ』
「だからぁ、それがいつも怖いって言ってるんじゃない。どう? これであなたも分かったでしょ?」
七海の母らしいその奈緒美という、大方夜の飲食店に出入りしている女性のことを紹介……いや説明を受けるにあたって、男がその危うさを理解するまでにはそれほどの時間はかからなかった。
齢31にもなって婚約指輪などの類いを身に付けていないこの男に、ハニートラップの効果がどれほど絶大であることは誰の目に見ても明らかだからである。
……彼はハンガーに掛けられていた自分の警備服を上から羽織ると、断りを入れてからすぐ横の値が張りそうなソファーに腰をかけた。
「まぁ、何だ……まずはお2人とも、せっかくなんだから一緒にお茶でもしながらゆっくりお話しでもしようじゃないか。奈緒美さん、悪いがコーヒーか紅茶でも頂けないだろうか」
……程なくして奈緒美がサンドイッチと共に、コーヒーと紅茶を両方用意してきてくれた。
調度親子揃っていることもあり、この機会に男は改めてここまでの経緯と成り行きについて説明し始めた……。
「まずは奈緒美さん、おれたちを介抱し手厚い看護までしてくれてありがとう。そして七海、昨夜はお前が居合わせてくれたお陰で助かったぞ、ありがとな」
『とんでもありません。こちらこそ好奇心旺盛な娘が何かお仕事の邪魔をしてしまったみたいで、オマケに危ないところまで助けて頂いたそうで感謝してもし切れませんわ』
奈緒美はもっとお礼がしたいという様子で、悩まし気な顔で会釈をしてきた。
そうかならばと、ここであらぬ要求でもすれば、どんな願いでも大抵のことには応じてくれそうな気がする……。
そうだな、例えば……奈緒美さんと2人きりの時に「一肌脱いでくれないだろうか」とでも言えば、母性と慈愛に満ちているようなこの女性のことだ。おそらく喜んで彼女はそれに応え、その先の望みだって叶うかも知れない。いや、しかしその良心の呵責に自分は果たして耐えられるのだろうか?
男はそんな妄想を膨らませながらも辛うじて己の欲望に打ち勝ち、何とか夢幻のことだけに押し留めて意識を再び現実へと引き戻す。
「うん、あたしも興味本意であんな暗い夜道に入ったんだもん、迂闊だったわ。こちらこそあたしを……その、助けてくれてありがとね……えぇ、とぉ……」
何とあれほど負けん気が強いあの小娘が、珍しく頬を赤らめてデレながら頭を垂れ、何か物欲しそうに上目遣いでこちらを見ている。何だ、こうして見てみると七海も意外と可愛いところがあるじゃないか。
よくよく考えてみれば、この女神のように美しい母親あってこの娘である。彼女も後もう少し年を重ねれば、きっとまた負けず劣らずになるに違いない。その素質は充分にあるだろう。しかし、聞けばまだ16の未成年である。もし迂闊に近づいて彼女から反対された場合、それは法を犯すことになってしまう。
だが、この世に男として生を受けた者にとってそれは大いなる夢であり究極のロマンでもある、通称【親子丼】が充分成立することができる年齢差だ。
彼の中で善と悪が激しくぶつかり合い、その葛藤から自問自答が何度も繰り返された……。
「ん、あぁ……そうだ失礼、おれの自己紹介がまだだったな。おれの名は柳楽勇(なぎらいさむ)。昼間は警備業法で言うところの、2号業務である交通誘導員をしている。が……それはあくまで表向きの仕事で、夜間には七海も居合わせたように政府から秘密裏に指定された0(零)号業務に区分される、SSS(トリプルエス)の幽導警備業務をしている」
「【勇】って……夜は確かに少しは頼もしかったけど、昼間のあなたからはちょっと想像もできない名前ね♪」
『あら柳楽さんと言うのね、ドリブル……すいません、何とおっしゃいましたか?』
「あぁ、どうしようもねぇだろ七海……昔からよく言われてきたよ。SSSと書いてトリプルエスと読む。よく整理整頓清掃の意味と勘違いされるんだが……」
SSS(トリプルエス)とは:スペシャル・セキュリティ・サービス業務の略称である。
主に道路交通法における違反行為やそれに付随した犯罪を引き起こす要因にもなる邪気の集合体である
その与えられている権限は業務の重要性から、時に警察機構をも超える。
『わたしには何だかよく分からないけれど、柳楽さんてすごい方なんじゃないの?』
「う……うぅん、あたしも初めて聞いたような、ないような……』
「あぁ、このSSS幽導警備業務に従事する幽導警備員は、待遇として特別職国家警備員として政府から迎えられ、更にお得な支給を受けることができる。例えばおれが着ているこの制服はもちろんのこと、
幽導警備員とは:特殊な保安用資機材と気『エーテル』という能力を用いて0(零)号業務であるSSS《トリプルエス》の仕事を行う特別職国家警備員のことを指し、通称【幽導警備員】と呼ぶ。
作中では通常の交通誘導警備員のことは【交通誘導員】と分けて呼んでいる。
戦後の昭和以前までは一部の神主や巫女などの僧侶、または限られた霊能力者などによって行われていた。現在は国土交通省からその業務を請け負った指定の警備会社によって、各県に10数名ほどが配備されている。
「ちょっ……ちょおっと待ったぁ! ハンバーガーとか牛丼は、どこかでも聞いたことある話しだけど、その前に何だって? ライトセ○バ○?」
「ふっ、確かにこいつはパッと見アレに近いが……残念ながらおれたちはジ○ダイじゃない。
見た目はただの頑丈そうな誘導灯に見えるが、幽導警備員が放出する
昔とある人物が、刀身にあたる箇所に刀剣で使用される玉鋼(たまはがね)を用いることで、初めてその開発に成功した。
個人の
夜行チョッキ:邪気や
黒地に反射材が付いているが、この反射材に仕込まれた伝導体とその供給回路に
ちなみに、実際一般的に使用されている通常の誘導灯や夜行チョッキは、点灯ではなく
「まったく……聞いたことあるものからないものまで、随分と一気に説明してくれるじゃない柳楽さん♪」
『えぇ……柳楽さんには、何か魂胆がおありの様子とお見受けしますわ。どうぞ何なりとおっしゃってください、このわたしでよろしければどんなことでもお礼に致しましょう』
ここまで勇の話しを聞いた奈緒美は、どうやらこちらの意向をある程度まで察したようである。しかしながら七海は、そこから先のことにまでは感付いてはいない様子だった……まだそれだけ子供だということなのかも知れない。
彼の決心はもう既についていた。ここでこれを言っておかないと、この先彼はきっと後悔することになるからである。
遂に勇は勇気を振り絞り、2人の前でこう言い放った。
「失礼を承知でお願いします……七海さんをおれの元に預けてもらいたい! そして……良かったら奈緒美さんも一肌脱いでもらえないだろうか――!」
ッ――!?
「遂に本性を現したわねぇっ! ちょっと変態なところもあるけど、案外いい人かも知れないと思ってたのにぃ……この外道があぁ――ッ!」
まずい、やはりそう来たか……昨夜も見せた彼女のあの平手打ちが――来る。
すると七海は何と、昨夜の鬱鬼との太刀打ちの際に使用した
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