銀の詩篇――3

「おかしいわね」

 ドロシーの第一声だ。

「良かったと言えば良かったが」

 テオたちはすっかり慣れたドロシーの楽屋で顔を寄せ合っていた。

「やっぱりあなた方を紹介した事で怖気付いたのかしら」

「そうかもしれないし、何か出来ない理由があったのかもしれない。単に様子見の可能性もある」

 そう。今日は何も起こらなかったのだ。テオは柱に寄り掛かった。

「どちらにしろ俺たちに残されたのはあと三日。怪しい点を一つずつ検証している暇はありません」

 もはや記録作業はそっちのけになっている。

「そうね、次は私が狙われるかもしれませんし」

「仕掛け自体は簡単です。花瓶は下に滑りやすいものでも敷いておけばいいし、カップはある程度割っておけばいい……底なら気付かない。今は『どうやって』ではなく『誰が』を暴くべきです」

「でも、それなら誰にでも出来そうね」

「ええ。なので今度はこちらから仕掛けます」

 テオが化粧台の上に脚本を広げ、ドロシーとレインが覗き込んだ。

「ミュールが怒って花瓶を割る場面はどこですか」

「ユノの裏切りがバレた後……その夜よ」

「ここですね」

 レインが該当するページを指す。

「前もって仕込むなら団員のスケジュールを分単位で把握する必要がある。誰にも見られずタイミングよくやらなければならないからな。その指標になりそうなのが台本これだ」

「なるほど。台本には細かい動きが全て書かれていますものね」

「俺たちは明日これを元に犯行が可能な人物を炙り出してみます」




 記舎に戻ったテオはベッドの上で思慮に耽っていた。開け放した窓から夜風が吹き流れる。今はまだみんな軽傷で済んでいるが、大事おおごとになる前に早く犯人を見つけなければ――。



『はやく見つけないと』

 テオが急かすと彼女はのんびりと答えた。蝋燭のゆるやかな灯火がじっとりと時間を食っていく。

『いや、不必要に焦るのはよくない』

『なんで? 証拠がなくなったらどうするの?』

『真実というものは向こうからやってくるからさ』


 別の記憶が交錯する。

 ――焦げた匂い、黒煙。あちこちで悲鳴が上がっている。夢でも見ているような剥き出しの現実が、深く脳裏に突き刺さる。

 そうだ、探さなければ。テオはもつれる足で瓦礫の上を歩いた。

『――フレイヤ――……』




「――さん。テオさん」

 目を覚ますとレインの困った顔があった。

「すみません、時間になっても姿が見えなかったので……」

 レインが戸口に目を遣った。部屋を開けてもらったのだろう、記舎の従業員は用が終わったのを察すると頭を下げて出て行った。

「大丈夫ですか? ご気分でも……」

「大丈夫だ」

 テオは記憶の残像を振り払い、椅子に掛けてあったトレンチコートを羽織った。



 リイリーンに着いて数分もしないうちに真っ青な顔をしたレインが声を上げた。

「どうかしたか?」

「脚本がありません。昨日ここにしまって帰ったのに……」

 レインが机の小引き出しを開ける。

「先手を打たれたか」

 その時、部屋の扉が叩かれクレアが顔を出した。

「あっいたいた。お客様が見えてるよ。バースデイさん」


 テオがロビーに出ると階段に腰掛けていたルシカが立ち上がった。

「お疲れ様。調子はどう?」

「とりあえず居眠りする余裕は無さそうだな」

「何かあったの?」

「後で話すよ。そっちの継承式は終わったのか?」

「無事立ち会い終了。近くの島の人たちがたくさん来てたわ」

「そうか」

 ルシカはじっとテオの顔を見た。

「なんだ」

「居眠りはダメだけど、あんまり無理しないでね」

 島からの土産を置いて来るというルシカを見送り、再びリイリーンへ入ろうとしたテオはふと足を止めた。リイリーンから少し離れた高台に見覚えのある男がいたのだ。

 劇場の玄関前で開場を待つ客たちを見下ろすように立っているのは間違いなくレーゲンだ。派手な背広と蓄えた髭、窪んだ目だけが不釣り合いに嵌っている。ヴォイドは彼を追ってリイリーンに来たのだろう。そうしているとレーゲンは奥へ引っ込み、姿を消した。



 劇場へ戻ったテオは舞台袖で団員たちを見守るレインを見つけ、横に立った。

「おかえりなさい。ルシカさんもこちらに?」

「ああ、後で来るらしい」

「みんな台本を持って来て。エレイン、貴女も来てちょうだい」

 昨日と同じようにドロシーが中心となり、団員たちが集まった。

「今の状況を考えて少し変えたの。変更箇所は十二ページに書き込んでおいたわ。じゃあ、レイチェルからお願い」

 レイチェルが頷き、息を吸い込む。

「さぁ、この手に詩を」

「詩篇を」

「汝の眼に映るは何色か」

「この姿を忘るるな」

 ざわざわと音の無いさざなみが一人に向かって走った。異変の空気が一気に舞台上に満ちる。

「そんな台詞、無いですが」

 レイチェルがぽつりと言った。

「あれ、僕どこか間違えた?」

 顔を上げたのはクレアだった。

「間違ってないわ」

 ドロシーの声が静かに響く。

「私が書いたもの……彼女の本にね」

 そう言ってレインを見る。

「どうして記録作家さんの脚本を貴方が持っているの?」

 クレアは一瞬キョトンとし、そしてすっと力を抜いた。

「……なるほど。これはわざと盗ませたのか」

 片眉を下げ、やれやれと笑う。その表情からはまだ何も読めない。

「教えて。仲間を傷付けた理由は何?」

 他の団員は呆気に取られて誰も声を発さない。

「……橋計画ですね」

 ドロシーがテオを振り返る。

「橋ですって?」

「ここら一帯の島と本土に橋を架ける計画があるんです。まだ公になってませんし、俺もさっき知ったばかりですが」


『この近くの島の人たちがたくさん来てたわ。みんな橋計画の噂で持ちきり。でもおかしな事言うのよ』

 ルシカが劇場を見上げて言った。

『橋が架かる先がアレジアの西側だって。そこにはリイリーン劇場があるのに』



「……そうなの?」

 クレアは息をついた。

「ここは良い街だ。だけど知ってるだろ、ヨルノリアは今発展の絶頂期だ。他の街はどんどん新しくなっていってる。ここへ橋を架ける計画を聞いた時、僕は嬉しかった。この劇場は無くなるけど、他の場所にもっと大きくて立派なものを作ればいい」

「劇場が、無くなる?」

 ハイドが初めて口を開いた。他の団員もクレアを凝視している。

「だとしても、なぜ公演を邪魔するの? 移転なら相談してくれれば――」

「時間が無かったんだ」

 クレアが遮った。

「先に土地を用意して契約を結んだ方が持ち主になる。上演が終わるまでには間に合わない」

「破綻しています」

 レイチェルが言い捨てた。

「そうね、あなたらしくないわ」

「軽蔑してくれて構わない……僕は君のようにはなれない」

 皆が黙り込んだ。あっという間にクレアとの間に深い溝が穿たれる。

「なぜこんな回りくどい事を? 主役であるレイチェルを狙えば早かった筈だ」

 テオが訊くとクレアは苦笑いした。その様でさえも芝居中の彼と変わらないように見える。

「さすがに最初から主役ってわけにはね……怪しまれると思った。だから周りから攻めた。被害に遭ったうちの誰かがやめようと言い出すのを待ってた」

「わざわざ私たちの方から言い出させたかったってわけ?」

 エレインが憎しみのこもった声でなじった。

「だって絶対に諦めないだろ、ドロシーは」

 クレアがドロシーを真っ直ぐに見た。ドロシーも数秒の間、見つめ返す。テオにはこれまで二人の間にあった時間と今とを測りかねているように見えた。

「みんな、リハの時間は無くなったけれど、やれるわよね?」

「なっ……」

「ドロシー?」

 クレアとエレインが衝撃を受けた顔をする。

「お客様が待っています。私たちが誰であろうと、ここで何があろうと、幕が上がれば銀の詩篇の人間なのです」

 ドロシーの表情は既に女優のそれだった。



 そうして四回目の幕が上がった。暴かれた真実を演技という仮面で隠しきっている者、隠しきれていない者がひとつの舞台上に混在しているのは不思議な光景だった。中でも自分が何をやっているのか分からないという顔のクレアが恐ろしく滑稽だ。そしてドロシー。彼女だけは変わらず悲しいまでに完璧であった。


 突然、劇場が揺れた。壮大な音楽と合わさるかのようにドーンという地響きがし、頭上のシャンデリアが不気味に音を立てる。何事かと客たちがざわめき始めた時、突然客席の奥が崩れた。

「穴が空いてるわ! あそこ!」

 崩れた壁の外から冷たい風が入り込んでいる。悲鳴が上がり、客たちが一斉に出口へ押し寄せる。それを見たハイドがつかつかとクレアに歩み寄り、胸倉を掴み上げた。

「お前か!?」

 クレアは怯えたように首を振った。

「僕じゃない……こんな……」

「何?」

「貴方も利用されていたんだ」

 テオが舞台に向かって叫んだ。破壊音は鳴り止まない。他の団員たちは呆然と逃げ惑う客たちを見つめている。

「皆さん!」

 我に返ったレイチェルが大声を上げた。それを皮切りに皆が動き出す。外へ出るとロビーへ続く長い階段を滑り落ちるように人が進んでいくのが見えた。階段の横で団員たちが懸命に避難を誘導している。

「レイン、ルシカと会って助けを呼んでくれ。こっちに向かって来ているはずだ」

「テオさん?」

 開け放たれた玄関から蜘蛛の子を散らすように人が出て行く。テオはその中に人並みに逆らって走る青い流線を見た――目の醒めるような、青のドレス――。

「俺は後で行く」

 テオは流線を追い掛けて人並みに飛び込んだ。

「テオさん!」




 リイリーン近くの道端でルシカは立ち止まった。こちらに向かって走って来るのはレインだ。

「レイン? どうしたの?」

 レインはルシカの腕を掴むと今にも泣き出しそうな顔で言った。

「テオさんが……っ」

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